その男、異世界知識皆無につき   作:兼六園

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「──シルヴィア様」

「ヴァレンティナ氏」

 

 槍を投擲して狼を串刺しにしながら、シルヴィアは声の主であるヴァレンティナに振り返る。カランと音を立てて鋪装された地面に落ちた槍を、遠隔操作で広げた銀の波紋に沈ませた。

 

「お嬢様を見ませんでしたか」

「知らん……アイリーン嬢、いやあの暴れ馬め。この騒ぎに混ざろうとでも考えたか」

「お恥ずかしながら」

 

 遠くでも戦いが起きているのだろう、タン! タン! と銃声が鳴り響き、時間の経過と共に、徐々に悲鳴が減って行く。

 

「衛兵も優秀なよう────なんだあれは」

「……普通のイノシシ、でしょうか」

「馬車並のイノシシが普通なわけあるか」

 

 ──ドンッと無人の店を粉砕して、突然横から二匹の巨大なイノシシが乱入してくる。

 

「……面倒な」

 

 人の背丈程の狼には通じるだろう銃弾が、巨大なイノシシに通じるとは思えない。

 右腕に紫の呪詛めいた文字を浮かべながらそう考え──右手の親指に引っ掻けた人差し指に魔力を込め、ピンッと弾く。

 

 魔力の小さな玉が2つ、二匹のイノシシにぶつかると、二匹は突然シルヴィアとヴァレンティナに狙いを変えるように顔を向けた。

 

「ちょっとした術式でこちらに注意を向けさせた。片方の相手は任せるが、いいな?」

「──微力ながら、手伝わせていただきます」

 

 足首まであるスカートの裾に手を伸ばし、隙間を作り収納していたらしい先端がへこんだボタンの付いたベルトを取り出すと、上に引っ張り腰にある突起のボタンとパチンと繋げる。

 裾が上に引っ張られたことで、ヴァレンティナの足が自由になった。

 

「……来るぞ!」

 

 ドンッドンッドンッ! と地面を揺らして、巨体が突っ込んでくる。

 広い通路の左右にそれぞれ移動し、一匹ずつイノシシを引き受け、シルヴィアは手始めに細い槍を投擲し──体を覆う毛皮に弾かれた。

 

「チッ──流石に固いか。なら……」

 

 足元に広げた波紋に手を沈め、ずるりと巨大な杭打機(パイルバンカー)を取り出して左腕に嵌める。

 

「力ずくは好きではないが、まあたまには良かろう──【腕力】【増量】」

 

 右腕の呪詛で縛り付けていた()()を僅かに緩め、パイルバンカーを装備した左腕を中心に魔力を迸らせる。腕力を高め、自重を重くして踏ん張れるようにしておく。

 

「────!!」

 

 自分を撥ね飛ばそうと突進するイノシシに、タイミングを合わせてそれを放つ。

 ガキン、と内部でギミックが動き、一拍遅れてドンッ!! と轟音を奏でて飛び出した杭がイノシシの頭とかち合う。衝撃が真っ直ぐ尻まで突き抜け、パイルバンカーを捨てて飛び退いたシルヴィアの真横に脱力して転んだ。

 

 ズズゥンと音を立てて倒れたイノシシは、衝撃でぐちゃぐちゃにされた内臓を絞ったように赤黒い血液を口や尻から垂れ流して絶命する。

 

「さてヴァレンティナ氏。手伝おう、か……」

 

 呪詛を右腕から消して気だるげにもう一匹を相手しているはずのヴァレンティナを見る。使い捨てではあるがまだストックのあるパイルバンカーを取り出そうと片手間で手元に波紋を広げたシルヴィアは、眼前の光景に絶句した。

 

 ──ヴァレンティナは、()()()イノシシの牙を掴んで動きを止めていた。

 

「────は?」

「…………シッ!」

 

 足が地面にめり込みながらも、しかし一切その体が後退していない。

 単純な腕力のみでイノシシを押さえ込んだヴァレンティナが、裾が持ち上げられて露出した足で踏ん張りながら片足で蹴り飛ばした。

 

 ボンッ! と空気の破裂する音と共に、イノシシの巨体が屋根を越えて宙を舞う。

 

 数秒経過して落ちてきたイノシシは、鋪装されている石畳を粉砕して全身から嫌な音を発生させて動かなくなる。汗を一滴も垂らさず、表情も崩さず、ヴァレンティナはボタンを外してふわりとスカートを翻すとシルヴィアに振り返った。

 

「ふぅ……お疲れ様です」

「どこが『微力ながら』だ……」

 

 魔力を持つ人間は体内の魔力量に応じた怪力を有する。それならば、あれほどの力を保有するヴァレンティナの体には、どれだけの魔力が内包されているのか。

 考えるのも面倒になり、シルヴィアは狼と違い()()()()()イノシシに意識を向けた。

 

「──私はこいつの調査をするが、ヴァレンティナ氏はアイリーン嬢を探さなくていいのか? 

 あの小娘、間違いなく私やユーリと同等に面倒事を引き寄せるぞ」

「民間人の避難もまだでしょう、お嬢様も魔物ごときに傷つけられるような方ではありません」

「どうだか」

 

 ──ああいう子供は、得てして自分の力に酔うものだ。そう言おうとして、口をつぐみ、しかしヴァレンティナは察したのだろう。

 

「問題ありません。お嬢様の()()()()()()()なら幼い頃に徹底的にへし折ってありますので」

「なんて? …………ああ、()()()()か」

 

 ──いや分かりづらいわ。

 

 シルヴィアはイノシシの死体を見ながら、呆れた様子でため息をついた。

 

「……フラグ、か。嫌な言葉だ」

 

 文字通りの、運命を歪める魔法の言葉。『それ』が脳裏を過ったシルヴィアが、頭を振って思考を切り替え、ぐいっと死体の口の中を覗き込む。歯の並びを見て、それから確信に至った。

 

「──やはりな」

 

 

 

 

 

 ──頬に炸裂する拳が、鈍い痛みを訴える。()()()()()()()()()()アイリーンは、両目に幾何学模様を浮かべた男──先日の強盗犯に、執拗に顔を殴られていた。

 

「っ、ぶえぇ……」

 

「──どんな気分だぁ? このクソガキが」

 

 バキッ、ゴンッ、と鈍い音がアイリーンの頬から発生する。何もない場所に磔にされたような体勢のまま、されるがままに殴られ続ける。

 

「……ぺっ、ヘボいパンチね。なんの信念もない拳ほど軽いものは無いわ」

「ンだとォ!?」

「ぅぶっ──今のはちょっと痛かった」

 

 黙らせるように一撃。口の端が切れて、鮮やかな赤色が地面に飛ぶ。

 

 事の発端はユーリに代わって男の背中を追ったアイリーンが、不意打ち気味の蹴りを避けられた事から始まった。両目に陣を刻まれた男に何かしらの力があることは理解していたため、確かめるためにわざと手を抜いたのが悪かったのだ。

 

 ()()()()()()()()()()かのようにアイリーンの拳と蹴りは避けられ、ぞわりと寒気が走った感覚に従って雷を纏い加速しようとして──両腕が空中に縫い止められて動きを止められた。

 

「くっ、はっはっはァ!! てめぇはよくも俺の目をえぐってくれたよなぁ!? 

 一生結婚できねぇくらいに顔面歪めてやるから……覚悟しとけよ?」

 

「あー無駄無駄。前にこれより酷い怪我したことあるけど一週間で治るから。

 逆に言わせてもらうけど……一生を人の手を借りないと生きられない体にされたくなかったら大人しくもう一度捕まった方が良いわよ」

 

「…………あァ?」

 

 鋭いフックが頬を打つ。

 ビキビキと額に青筋が浮かび、狂気的な妖しい光が男の新しい両目から発生する。

 

 怒り一色の顔を興奮から赤くして、がむしゃらに握り締めた両手でアイリーンを殴り続け、そして恥も外聞もなく叫んだ。

 

「ふざけんじゃねぇ! どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって、あいつも武器を押し付けて強盗をしろだぁ? おまけに変な目を捩じ込んで忠誠を誓いますそんなわけねぇ頭がいてぇなんでこんなことしてんだ俺は誰にも馬鹿にされない俺は、俺は、俺は俺は俺はァァァ!?!」

 

 

 ──言動に異変。後天的な魔眼の移植が原因? 協力者が居るのかしら……。

 

 アイリーンは殴られながらも冷静に思考し、今もなお、その目は男を捉える。

 いっそ哀れに思えてきた男が肩で息をして動きを止めた瞬間、彼女は口角を歪めた。

 

「……ユーリくぅん、いっそ殺してあげた方が幸せな場合もあるのよー」

 

「あぁああ?」

 

「でも……まあ、約束だからね」

 

 ──殺すのは無し。

 

 バチリ、と、アイリーンの体から黄金(いかづち)が迸る。自分の両腕を枷で包むように抑え込む魔力の塊を、無理やり破壊しようと腕に力を込める。一拍置いてピシリと空間にある無色透明の魔力の枷に亀裂が走り──腕の皮がぶちぶちと剥がれ始めた。

 

「っ、ぬ──ぅうぅあアあッ!!!」

 

 ピキ、パキ……ぶち、ぶちっ。そんな音が頭がぐちゃぐちゃになりつつある男の思考に、『恐怖』の二文字を刻み込み後退りさせる。

 

「──ふんっ、はァアッ!!」

 

 まず右腕の枷がバキィン! と砕け、腕の皮がシールを雑に剥がしたように取れていた。

 あまりの光景に男は無意識に『停止』を解除し、アイリーンの体が自由となる。

 

「……あら、もう拘束はやめたの? 言っておくけど、私、手加減苦手なのだけど」

 

 反射的に男は『予知』の魔眼を起動。

 次にアイリーンがどんな行動を取るかを、先んじて視界に納める。

 

 一発目、アイリーンの右手が左肩を砕く。

 二発目、アイリーンの左手が右胸を殴る。

 三発目、右手が肋骨を粉砕する。

 四発目、左手が脇腹をえぐる。

 

 男の目に映ったその全てが()()()()()()──ほぼ脊髄反射で回避行動を取ろうとした男の体に『視た通りに』拳が四発着弾し、五発目の拳が顔面にめり込み殴り飛ばされる。

 

 ──最初に読んだ時の一回りも二回りも、速度が段違いに速すぎる。

 

「ごっ──ぉあ、あぐぁあっ!?」

 

「やっぱり。弱点その1、『動きを読む』のと『動きを止める』のは同時に行えない」

 

 慌てて立ち上がり眼前に立っていた筈のアイリーンを『停止』させようとして──少女の声が背後から聞こえてくる。

 

「弱点その2、『動きを止める』のは相手を見てないと出来ない」

 

「──がぁああ!!?」

 

 鞭のようにしなる足が、男の膝を砕く。倒れるより速く肘打ちがこめかみを叩き、襟首を掴まれて立たされる。パリッ──とアイリーンの体から黄金が漏れ、気配が消えた直後、男が気付いた時には背後の民家に突っ込んでいた。

 

「────か、ぁ」

 

 遅れて発生した全身の激痛と、徹底的に魔眼を砕かれたことにより再度見えなくなる視界。どこで、なにを、なぜ間違えたのか。

 

 あるとき暗闇を纏うナニカに唆された瞬間がそもそもの終わりの時だった事だと理解する前に、男は痛みから逃れるように気を失った。

 

 

「…………よーし、おーわりっ」

 

 首の関節を鳴らして腕を上に伸ばし、アドレナリンが切れたのかようやく訪れた激痛が右腕から発生してアイリーンは屈んで悶える。

 

「いっっっ……たぁ、っ、うぅ……!」

 

 うぐぐぐぐぅ……! と呻きながら縮こまるアイリーンに、鳥の魔物を片付け終えたユーリが転移で近づいてきた。

 

「お嬢様!」

「……あー、ユーリくん。終わった?」

「ええ、終わりました。衛兵や他の戦える人たちが投げ込まれた狼の駆除を終わらせましたし、鳥も撃ち落としましたよ」

 

 腕の怪我を診て、ユーリは即座にコートから水筒を出して中の水を患部に掛け、ガーゼで傷口を拭って塗り薬を取り出す。

 

「……お嬢様、かなり痛みますよ」

「既に痛いから大丈夫っあ゛お゛う゛!?」

 

 おおよそお嬢様の口から出ていい言葉ではない悲鳴が上がる。剥がれた皮に効くかはともかく、擦り傷切り傷火傷に使える軟膏を患部に塗りたくり、それからガーゼを被せて包帯を巻いた。

 

「微量の神経毒が混ざっているので痛みは鈍く感じますが、治ったわけではないのでむやみやたらと動かさないように」

「んー、ありがと。ユーリくん」

「……殺してませんよね?」

「そこの家に突っ込んでまだ生きてるなら運が良いんじゃない? どちらにせよ、マトモな生活は送れないでしょうけど」

 

 左手で指差した先で崩壊した民家に、足だけを外に出して上半身が瓦礫に埋まっている男が見えた。ピクピクとつま先が動いていることから、かろうじて生きていることが伺える。

 

「あとは衛兵に任せて、逃げ遅れた人が居ないかの確認だけして戻ろう。多分シルヴィアとヴァレンティナさんは一緒のはず」

「……あーあー、ビビにぶっ飛ばされるわね」

 

 包帯を見ながら、アイリーンはそう言った。

 

 

 

 

 

 二匹の巨大イノシシの近くに居たシルヴィアとヴァレンティナを見つけ、アイリーンとユーリは二人と合流した。腕の包帯を見て、ヴァレンティナは珍しく僅かに表情を崩している。

 

「っ、お嬢様……!」

「あー! やめて待って言い訳させて!」

「……ヴァレンティナさん、ちゃんと見ていなかった俺が悪いんです。アイリーン様を責めないであげてくれませんか」

 

 後ろに回って背中にしがみつくアイリーンを見て、ユーリが庇う。

 ほんの一瞬強い眼差しをユーリに向けたが、さっさと探しに行かなかった自分にも非があるからと、ヴァレンティナは口を閉じた

 

「アイリーン嬢もさぞや愉快な目に遭ったようだが、二人もこれを見てみたまえ」

「シルヴィア、君、さっきこのイノシシぶっ飛ばしてたよね?」

「いやそれはヴァレンティナ氏の仕業」

「…………なんて?」

「その疑問符は私も浮かべたよ」

 

 イノシシの口許で屈んでいるシルヴィアに三人が近付き、ユーリは彼女の言葉に『?』を浮かべる。しかし、横から覗いたシルヴィアの顔の深刻さに、即座に気を引き締めた。

 

「ヴァレンティナ氏、こいつの口を開けてくれ。それで全てが判明する」

「かしこまりました」

「……うわあ気持ち悪っ」

 

 ねちゃっ……と赤黒い液体を滴らせる口を、ヴァレンティナは嫌な顔ひとつせずに開かせる。両手で上顎を掴み、足で下顎を押さえてぐぐぐっと持ち上げ無理やりに開き、中を見せた。

 

「……それで、シルヴィア。これがなんなんだ。単なるイノシシの死体だろう」

「はっはっは、良く見ろ」

「……ねえ、ユーリくん、歯を見て」

「──ん、これは……!」

 

 ユーリとアイリーンが、イノシシの歯並びを確認する。その並び方と形に、二人は見覚えがあった。少なくとも──この並び方は、間違いなくイノシシのそれではない。

 

「わかるか? ……()()だ」

 

 シルヴィアが立ち上がり、二人に歯茎を見せるように自分の頬を引っ張る。

 規則正しい四角の歯が並ぶ口と、イノシシの口を見比べると────酷似していた。

 

「このイノシシは、()()()()だ。あの強盗犯のしたっぱ二人だろう。魔物の襲撃に、人体の魔物化。これが偶然なわけがない」

「私がぶっ飛ばした強盗犯、目をえぐったのに魔眼を持ってたわよ」

「……おまけに魔眼の譲渡か」

「シルヴィア、これは──」

「そうだとも、ユーリ」

 

 言葉に間を開けて、含みを持たせたシルヴィアが、三人に向けて淡々と言った。

 

「これは悪意を持った者が我々を狙って行った──人工の災害だ」

 

 ユーリとシルヴィアが訪れた場所で発生した宝石強盗という偶然と、アイリーンたちに関わったあとの魔物の襲撃という偶然。

 その二つが重なり、必然となって襲い掛かった。シルヴィアの「ここが開始地点だ」という言葉の意味を、ユーリは嫌でも思い知る事となる。

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