先日の騒動から数日、魔物の襲撃により商業都市のあちこちが損壊するも奇跡的に怪我人は数人だけという報せも余所に、ユーリとシルヴィアの滞在予定日も最終日となっていた。
滞在延長の料金を支払うか商業都市を出るかを選ばなくてはならないため、二人は帰る準備を整えたのち、アイリーンの朝食に付き合う。疲れが抜けていないのと怪我の為か、朝からステーキという重い食事を無言で続けている。
5皿目のステーキを平らげたアイリーンに軽く引きながらも、ユーリが問い掛けた。
「お嬢様、腕の怪我はどうですか」
「あんまり痛くないわよ。薬を塗ってるお陰で治りも普段より早いし」
「怪我の治りが早すぎる気もしますが……」
「これより酷い怪我なんて小さい頃から良くしてたもの。主にビビのせいで」
「なにか?」
「なんでもないでーす。おかわり」
ビビという愛称で呼ばれ、横に立っていたヴァレンティナが覗き込むようにアイリーンの顔を見る。彼女はしれっと6皿目をねだっていたが、良く見れば殴られていた顔も既に完治していた。
食事も終わり、既に送り終えていた干し肉とドライフルーツがきちんと届いているかも気になるため、アイリーンとヴァレンティナに見送られて後ろ髪引かれながらも二人は館を出る。
「異様に濃い数日だったな」
「…………ああ、そうだな」
「──シルヴィア?」
「……どうした?」
「どうした? は俺の台詞だぞ、上の空だったし……そんなに帰りたくないのか?」
生返事のシルヴィアに問うユーリは、ああ──と誤魔化すように口ごもり、疲れた顔を隠すような笑みで返される。
「なんでもないんだ。ただ、その、ああ……人間誰しも秘密はあるだろう。私もそうだし、君もそうだ。言いたくないわけではないのだが……」
「──言えない事なんて幾らでもあるだろう。俺もシルヴィアも会って一週間かそこらの関係だ、まだまだそれ以前の繋がりじゃないか」
この世界に来てから伸び始めた後ろの髪を弄り、指で弾いて続けた。目尻にシワを作り、唇を噛むシルヴィアにユーリは言う。
「そのうちで良いよ、そのうち、お互いの胸の内を晒してしまえばいい」
「────ユーリ、違う。違うんだ。私の秘密は、そんな……お綺麗なモノなんかじゃ」
「…………シルヴィア」
立ち止まるシルヴィアの隣で足を止めるユーリは、彼女が自分を見上げる様子がおかしいことに気付く。言うべきか、言わざるべきか、そんな風にぱくぱくと口を開き、やがて──
「ユーリ、私は────」
「──なぁんで
かつてユーリが顔を合わせた神を名乗る存在が、会社のデスクを模した部屋の中で椅子に座りながらグルグルと回る。
「次元に穴が空いた形跡も無いし、開けられた形跡も無い。まさか無から生えた訳でもあるまいし──あーあー仕事が増える」
足でブレーキを掛け、机に掛け直すと、女性はため息をつきながら自身の管理する世界から送られてくる情報の塊を閲覧し、書類に作り直されたそれに文字を書き込み処理をして行く。
「きちんと監視していた筈なんですがねぇー、こうも簡単に介入するとなると……」
「──頼もう、異界の神よ」
机にかじりついていた女性は顔を上げ、眼前の空間がぐにゃりと歪む光景を目の当たりにする。バツンとブレーカーを落としたような音と共に現れたのは、女性と同じ金色の髪をした女性に、その傍らに立つ二人の男女。
女はセミロングの茶髪を揺らし、男は淡い黄色味がかった
「今忙しいので、お帰り願えますか」
「はっ──そちらの問題の原因を知っている、と言ってもかな?」
「……はあ。では言ってください」
──このタイミングでの介入。疑ってくれと言わんばかり。しかして、露骨すぎて
一秒以下で短く思考を纏めて、女性は眼前の
両側の男女は天使なのだろう、ぼんやりと床を眺めたり、こちらを見てきたりしていた。
「我々の世界から逃げ出した転移者が居る。そいつはこの世界に逃げ込み、あまつさえ別の転移者と共に行動して隠れ蓑に利用していた」
「……別の転移者、立花遊理さんですかね。それで、件の転移者がこの事態を招いたと」
「その通り」
「私の世界に別世界の魔物を送り込んだと」
「如何にも」
力強く頷き、上位存在は続ける。
「しかし、安心して欲しい。此処に居る天使は
「そいつらを私の世界に送り込み、その転移者を始末する許可が欲しい──と言うことですか。そうでないと世界に拒絶されますから」
「──然り」
女性は上位存在との会話に疑問点が浮かぶも、
「分かりました、どうぞご自由に。
ただし、人前で天使としての力を見せびらかさないようにお願いしますよ」
神の人々への記憶処理は面倒なので。そう締めくくった女性に対して、上位存在はおおよそ神とは思えない狂暴な笑みを浮かべて言った。
「聞いたか、
「わぁったよ」
「了解」
ブロンドの髪をボリボリと掻いて、男──セラはミカエルと並んで眼前に手をかざす。
オレンジがかった黄色い円形の枠を作り出し、その向こうに見える空間へと身を乗り出すと、二人はその場から姿を消した。
「──空間に穴を……!」
「セラ──奴は、また別の異界を管理する上位存在に助力を願った際に借りた戦力だ。奴が居ないとミカエルは自由に移動できんからな」
女性は生き生きとした声色の上位存在を──自身と同じ『信仰からこの形を得た』名も無き神の顔を見る。その顔は、まるで、人間のように──野心がある表情だった。
──ユーリとシルヴィアが去ったあと、アイリーンは自室で机の前に座らされていた。
「さあお嬢様、勉学の時間でございます」
「…………あーいったたたた……。皮が剥がれた腕が痛くて筆を握れないわ~~~」
「怪我は完治寸前で、そもそもお嬢様は両利きではありませんか。嘘はいけませんよ」
腕を庇うような芝居がかった動きをピタリと止め、むすっとした表情を作り机に突っ伏す。
アイリーンはやる気のない状態で、かれこれ数時間もだらだらと勉強を先延ばしにしていた。
「……あの二人……というかユーリくん、なんだか
「『人を傷つけることを良しとしないと公言する一般的感性の善人。ただし独特の価値観があるのか、子供絡みの事件でギルド会員一名及び山賊五名を殺害している』……でしたか」
「見込みが無いなら事故に見せかけて
机にごつんと額を押し付けて、体を丸めながら問う。はしたないですよ、と言ってから、ヴァレンティナは一拍置いて答える。
「悪くはありません」
「あら高評価。珍しいじゃない」
「戦闘能力が高く、倫理観も持ち合わせ、善人でないにしろ悪人ではない。それに────」
『力が要るんです。俺は、力が欲しい』
「それに?」
「……いえ、なんでもありません」
貪欲な理由とはいえ、頑張る姿は微笑ましい。──なので見逃しました、とは言えず、ヴァレンティナは薄く微笑を浮かべて誤魔化した。
「はぁ……それにしても、ユーリくんたちってなーんかまた直ぐに会えそうなのよねぇ」
「それは当然でしょう、お互い王都在住なのですから。尤も、お嬢様はそう簡単に彼らに会える立場ではありませんが」
そりゃねぇ。達観した様子でため息混じりにそう吐き捨てた────直後、一階から突如として悲鳴が聞こえてきた。
「ッ──! お嬢様はここに」
そう言って部屋を飛び出したヴァレンティナに、アイリーンは当然のように追従する。
「馬鹿ねぇ、一番安全なのは貴女の隣よ」
あっけらかんと言い放つアイリーンと呆れた顔のヴァレンティナは、階段に辿り着いて一階の玄関ホールを見下ろす。そこに居たのは、
「──ユーリくん、シルヴィアちゃん!?」
「タチバナ様、シルヴィア様……なぜ……?」
数時間前に出ていった筈の二人が、体のあちこちを血で濡らして倒れていた。
階段の手すりを滑り台のように使って一階に降りたアイリーンが、シルヴィアを庇うようにうつ伏せに倒れているユーリの肩に触れる。
「ユーリくん大丈夫……ぅあっつう!!」
「お嬢様、怪我人に触れるのはお控えを」
「いや待ってこの人めちゃくちゃ熱いんだけど……! 火災現場にでも行ってきたの?」
そんな冗談に答える者は居ない。ユーリとシルヴィアの体からは溢れた血液が蒸発して出来た紅い湯気が立ち、高温に晒されたことが分かる。パンと手を叩いたヴァレンティナが、野次馬状態の給仕たちに指示を素早く飛ばす。
「──貴女は怪我人用の救急箱を、貴方はお湯と布をありったけ。そちらは服を切るハサミを。お嬢様はシルヴィア様を担いで先日の客室に運んでください、わたくしがタチバナ様を」
「…………シルヴィアちゃん、触るわよ」
脱力して重たいユーリを軽々と抱き上げて、ヴァレンティナは階段を駆け上がる。
その後ろ姿を追いかけるアイリーンはシルヴィアを抱き上げて同じように階段を上り、宛がっていた客室のベッドに運ぶ。
何があったのか、それを聞くためにも、二人を死なせるわけにはいかない。
──鉄錆の臭いが、館に充満していた。