「──それでは、色々とお世話になりました」
服の下に幾つかの包帯とガーゼを残しながらも、玄関ホールに立つユーリがアイリーンとヴァレンティナへとそう言った。本当にね……と呟くアイリーンに、小さく謝罪の言葉を溢す。
「あ。待って、ユーリくん」
「はい?」
ユーリは先に玄関から外へ出たシルヴィア達を追って二人に背を向けるが、アイリーンに呼び止められ振り返る。
自身を見上げてくる少女を見下ろすと、手のひらを向けて指を伸ばして直角に曲げるようにして手招きするジェスチャーをしてきた。
「なんですか」
「ちょっと屈んで」
「はい──、ぇ」
膝を曲げて屈んだユーリの頬に手を添えると、アイリーンはおもむろに反対の頬に口を付けた。ポカンとするユーリに、彼女は顔を離すと口角を吊り上げるようにしてニヤリと笑う。
「お互い大変だろうけど、頑張ってね」
「──ええ、はい。それでは……また」
「ん、またね。どうせ王都で会えるわよ」
深く会釈したユーリはコートからハットを取り出して被り、改めて出ていった。
扉が閉まり、見送ったアイリーンが自室に戻ろうとして──ガシッとヴァレンティナに肩を掴まれ、低い声で問いただされる。
「お嬢様……? そういった行動はお控えしていただきたいのですが……?」
「あらやだビビったら、嫉妬?」
「ご冗談を」
「あーっだだだだ肩砕ける!」
ミシミシと音を立てて悲鳴を上げる肩から手を離され、患部をさすりながら返す。
「いてて……問題ないわよ、別にユーリくんタイプじゃないし。それにアレは──」
この数日、商業都市での付き合いで、アイリーンはユーリの行動を観察している。
本人は隠しているつもりだろうが、ちらちらとヴァレンティナを見ていたのを知っている。
「──私なんて眼中にないみたいよ」
「はあ……ああ、なるほど、シルヴィア様ですね。あの方は銀髪がお綺麗ですし」
「いやあ……あー……そうよねビビってそういう感じよね……。ユーリくんも大変ねぇ」
鈍感な侍女兼給仕を尻目に、アイリーンは深く重くため息をついて目頭を押さえた。
──ほんの一瞬ぐにゃりと歪んだ空間から、広がるように展開された穴が空く。商業都市から少し離れた位置に空けられ王都の近くに繋げられた出入口から、三人の男女が姿を現した。
「便利なもんだが……これってズルくないか?」
「あのなあユーリ、余計な手間は掛けないに限るだろう。人間が歴史の中で自動車や飛行機を作ったとして、それは『ズル』なのか?」
「この世界に限っては、少なくとも馬車より上の移動手段は船ぐらいだよ」
「どうせ数十年で今より装弾数の多い銃や馬要らずの車が作られるのだから誤差だろう」
「そうかあ?」
ユーリとシルヴィアがくぐったあとに背後でその出入口が閉じられ、薄いブロンドヘアーの男・セラが眼前でのそんな会話を耳にする。
──やっぱまともな思考してるなこいつ、と脳裏で思案し、視線をぐるぐると右往左往させてから考えを纏めて追従した。
「ところで、俺は王都に入れるのか?」
「…………あとで金返せよ」
「はっはっは、無一文にどう払えと」
「この世界に逃げてきたあとすぐに捕まって奴隷として売られそうになった
「金が無いなら売れってか」
「なんだってそう物騒な話に飛躍するんだ。俺みたいにギルドに会員として登録して仕事しろって言いたかったんだが……」
ユーリの言葉にセラとシルヴィアは合わせたようにふんっと鼻を鳴らす。セラは『今のところは』敵ではない。しかし味方とも言えない。会話にトゲが混ざるのも仕方の無いことと言えた。
──いつぞやの門番・ゼオンとラムダの二人との会話も程ほどに、三人はギルドに向かう。
扉を開けた先の会員たちや受付嬢の目線が一点に集中し、遅れてがやがやと喧騒が耳に届く。見慣れた面子である先輩会員のレイクと狼の獣人・エイミーがユーリ達の下に集まる。
「ユーリ、シルヴィア……お前ら帰ってくるのがえらく遅かったな。
噂になってたぜ、商業都市に突如現れた魔物の群れに食われたんじゃないかって」
「死んだことにされてもな……」
「でもそのあと、商業都市の方から干し肉と
会員全員で小分けにしたのだろう、配達を頼んだ荷物の中身が入れられた小さな布袋を腰のポーチから取り出してエイミーが笑う。
──ふと、トントンと机を指で叩く音を聞き、ユーリたちは受付の机に目を向ける。
「受付さん。ちょうど良かった、実は急なんですが頼みたいことがありまして」
「ひとまず、無事で良かったと言っておきましょう。それで、頼みとはなんですか?」
「──魔導書を探しに火竜の寝床に向かいたいので、戦力を紹介していただきたい」
眼鏡の奥で、受付嬢の瞳に魔力が迸る。
それから小さく息を吐き、口を開いた。
「魔導書、ですか。嘘ではないようですが……しかし、本気なのですか?
あの火山がなぜ『火竜の寝床』と呼ばれているかはご存じかと思いますが」
「わかっています。お願いします受付さん、俺は……力が欲しいんです」
頭を下げて、ユーリは哀愁の漂う気配を放つ。ユーリがここまで『力』に貪欲な理由を知っているだけに、受付嬢は、そして後ろで話を聞いていたレイクとエイミーも渋い顔をする。
「なあ、レイクよ。ユーリはどうしてああも力を求めようとしているんだ?」
「……あとで本人に聞け。教えてくれるかどうかはまた別の問題だけどな」
「ああ……
「む、むう……」
遠い目をして当時の事を思いだし、二人はしみじみとそう呟く。
ユーリの背を見るシルヴィアに反してやることの無いセラは、壁際に寄りかかり、俯瞰するようにその場で全体を見渡していた。
──だからこそ、周囲とは放つ気配が違う存在を視界に納めることが出来ていた。
「……あれは……」
一方で、受付嬢はユーリに頭を上げさせつつ、要求を飲んだ上で提案をする。
「──そう、ですか。それでしたら、つい先日北から帰って来た方がおりますよ。半年ほど仕事で出ていたので、5か月前にここに来たユーリさんは恐らく初対面の筈です」
「半年も前から……? それはいったい」
ユーリの疑問に答える代わりに、受付嬢は手を一度だけパンと叩き、それから言う。
「
「──あ? おー、おう。ちょっと待て」
受付嬢の視線を辿った先に居た女性が、椅子を傾けて身を反らし、頭の帽子を押さえながらユーリを上下逆さまにして見やる。
椅子を戻して机に置かれた
黒いハットに白いシャツ、ブラウンのズボンに、ベルトの腰左側に吊るされた十字架。身長はシルヴィアより高く、ユーリよりは低い。アイリーンと同じくらいだろう。
「彼女はリン・アルタイル。半年前から発生し始めた血を抜かれた死体の事件を追って、北の帝国領の街で半年ほど──ユーリさんたちがのちに吸血鬼と名付けた魔物を追っていた者です」
リン・アルタイルの髪は耳の辺りが一房長く、それ以外が短いショートヘアーで、髪の色は鮮やかな水色であった。
気だるげに、しかし鋭い目付きでユーリを見上げるリンを見ながら受付嬢は続ける。
「恐らくユーリさんが求める最高の戦力は彼女でしょう。何故なら──」
──リンさんは、王都最強ですので。
受付嬢の言葉に、ユーリは驚いた様子でリンを見る。リンもまた、一言付け足した。
「自称した覚えはないがな。ま、よろしく」
そう言って、リンは右手をユーリに伸ばす。握手がしたいのだろうと思い、ユーリもまた右手を伸ばした。──だが、机を挟んで二人を見ていた受付嬢と、少し離れた位置で観察していたレイクとエイミー、シルヴィアとセラは気づく。
右手を差し出しながら、リンは腰左側に吊るした十字架を握っていたのだ。
一拍遅れてその様子に気付いたユーリは、リンが握る十字架を視界に納めて、ふとその十字架が
──あ、これ、剣の柄だ、と。
「っ、う、ぉおっ──!」
「……ほぉ……勘が良い奴だな」
即座にコートの右手首辺りから取り出し右手に滑り込ませたナイフを握り、柄の鍔から伸びた濁った水色の刀身──氷の刃を受け止める。
逆手に握ったナイフから伝わる衝撃をなんとか受け止めたが、ユーリは更に気づく。
本気で踏ん張り押し返そうとしているのに、一歩も前に進めていない。リンの膂力が、ユーリの力を上回っているのだ。
「リン……なんの、つもりだ……!」
「ちょいとばかり興味があってな。聞いたぜ? お前、あたしが居ない内にギルドに入って、ほんの数ヵ月で問題起こしたんだろ?」
氷の刀身が発する冷気が、ナイフという金属を通してユーリの手を冷やす。
鍔迫り合いをしながらも飄々とした態度のリンが、尚もユーリに問い掛けていた。
「これ止めるべきか?」
「私はやだよ、リンちゃんアホみたいに強いし」
「そんなことを言ってる場合か!?」
「俺もパス、そんな義理ねーし」
レイクの疑問にエイミーが拒否し、シルヴィアが正論をぶつけ、セラは傍観に徹する。
──こ、こいつら……! と呟いたシルヴィアに、レイクは淡々とした声色で返した。
「まあ大丈夫だろ、王都最強はリンでも……」
──ギルド最強は受付のあいつだ。
『ギルド内での喧嘩はご法度』という絶対のルールを破ったリンと巻き込まれたユーリを前にして、レイクの言葉の真実を、シルヴィアは数分後に知ることとなる。