パタンと閉じられた扉の先で、背中を向ける紺色の髪の少女を前にして、セラは腰の刀二振りをするりと抜き放つ。
「……
二つの刀身からはそれぞれ深紅の炎と黄金色の雷が迸り、そしてセラへと振り返ろうとする少女もまた、変化を見せる。
バキバキ、ミシミシと、骨格を歪ませ、肉が盛り上がり、やがて少女の面影を残しているのは僅かな輪郭や紺色の髪だけとなり──
「──化物が。
シルヴィアにも、ユーリにも、ただの一度たりとも見せたことがない、悲痛なまでに歪ませた表情のまま──セラは飛び掛かる少女だった化物へと、二振りの刀を振りかぶった。
「っ、これっ、どこがっ、ゴールなんだ……!」
硬い地面を踏み鳴らし、セラを残したシルヴィアは先を急いで駆けていた。
一定の間隔でカツカツと踵が床を蹴る音が響き、既に全速力を一分は出している。
終わりの見えないマラソンを走らされている気さえして、不満が口から漏れていた。
「──それにしても、ユーリとセラは他人へのトラウマを形にされていたようだが……」
──果たして私の場合は、なんなのだろうな。口をつぐんで脳裏に言葉を浮かべ、片手に握る槍をより強く掴んで兎に角走り……ふと。
「……ほう、珍しい」
足を止めたシルヴィアの目線の先には、布が蠢いていた。それは人が被っている時の形で固定され、空中にふわりと浮かんでいる。
彼女は瞳に魔法陣を浮かべて布の上辺りを見てから、ふんと鼻を鳴らして言う。
「
正体を見破られたからか、布はばさりと端を揺らして、それから大気が収束するように空気が動く。布の中に魔力が集い、やがて『それ』は布を纏う骸骨へと姿を変えた。
魔法陣を瞳から消して槍を構えたシルヴィアは、即座に投擲の構えに動いてその手から槍を投げ飛ばす。魔力を推進力にしたような勢いでゴーストへと殺到し、槍はボンッと空気を破裂させたような音を立ててゴーストの布に穴を空ける。
しかし、ゴーストは何事もなかったかのように浮遊しながら、今度は
『──焦るな、娘よ』
「……ま、そりゃあそうだ。それにしても言葉を交わせるのか、声帯無いのに」
『これは魔力を振動させているだけだ。特定の波長で震わせ、声のような音を出している』
「ふうん。魔力で声の再現、ねぇ」
──死人にしては頭良いな。
思考速度が加速したように、シルヴィアの脳裏で推察がされる。
「──王都は複数の龍脈が交わる真上に建てられている。なるほどな、お前の目的は龍脈から流れてくる魔力を取り込むことか」
足元の波紋から長剣を取り出し、左手に握らせながらそう答える。すると、ゴーストは感心したように頭蓋骨を揺らして声を出した。
『聡い娘だ。その通り。
私は生前から魔法の研究をしていたのだが、病により早死にしてしまってな。
もっと魔法を研究したい、極地へと至りたい、そう考えているうちに、いつしか私の魔力がこの地に染み付いてしまっていたのだ』
「それがどうして地下空間の生成に至ったんだ。魔法を極めようとしたにしては、ベクトルが違う気がするのだがな?」
『……知らぬのも無理はない。だがな娘よ、魔法とは所詮は空間操作の下位────』
ふと、ゴーストはピタリと動きを止める。疑問に思い首をかしげたシルヴィアだったが、ぞわりと背筋を撫でた怖気に従い後方に跳ぶ。
するとシルヴィアが立っていた場所の地面が、突如として爆ぜた。
「──どうしたっ!」
『ぬ、ぅ、お……。時折、こうして、自分の抑えが、利かなくなる……!
ここに来る者の、恐怖や悲しみの対象を死霊としての力で具現化させては追い返してきたが──これ以上は、死霊の本能が……ッ!』
「っ、不味い──!」
ゴーストが手を翳すのと、反射的に盾を取り出して構えるのは同時だった。
魔力を叩き付けただけのシンプルな不可視の爆発が盾と衝突し、斜めに衝撃を逸らしつつ、足に力を入れて踏み留まる。
「……ゴースト。いや、名もなき魔法使い。魔法の探求の果てが
『づぅ、ッォオォオオオ!!』
なにかに耐えるように頭蓋骨を骨の手で押さえかぶりを振るが、シルヴィアが長剣を握る手に力を入れた瞬間、先程のような波動が放たれる。シルヴィアの体を通過して、その直後、ゴーストと彼女の間にドロリとした黒い物体が現れた。
「私の嫌うものを読み込んだか」
『ぐっ、ぬぅうぅ……! 娘よ……逃げろ……! 先の男たちのもとへ、向かえ……!』
「──ああ、いや。気にするな」
黒い物体は徐々に膨らみ、地下空間の半ばを埋めつくし、そして最後に──女性のような輪郭を形作ってシルヴィアと向き合う。
『──なんだ、これ、は……!?』
「怖いもの、嫌いなもの、嫌悪するもの。そういったモノを形にして、トラウマを刺激するのが
長剣から輝かしいばかりの光を放ち、天井へと切っ先を向けながら、シルヴィアは驚愕した様子のゴーストと無機質な物体に言った。
「──私は、この世で一番、
シルヴィアは、自身が持つ複数の神器の内、もっともポピュラーな聖剣の1つを解放する。周囲に拡散した光が、今一度聖剣へと収束し──
『ぬっ、ぅ、ぁ────』
単純な光にして、聖なる輝き。
死霊を浄化するに充分過ぎたそれは、壁になっていた黒い物体を容易く消し去り、その背後にいたゴーストを呆気なく消し飛ばす。
『──ああ、ああ。そうか、これが、終わりか』
「ゆっくり眠ると良い。ここは、些か暗すぎる」
『…………あぁ……暖かいな…………』
やがて光を失いただの金属製の長剣となった聖剣を波紋に仕舞い、全て終わったことを確認してから踵を返す。周囲の空間が軋み、崩壊の予兆を察して、シルヴィアは走り出した。
「──っとと。セラ、終わったのか?」
一本道ゆえにただ走っているだけで帰路に就けるところで、シルヴィアはいまだに閉まっている壁の扉を視界に収める。
「……入るなとは言われたが……」
──地下空間の主の死──否、消滅により、この場が崩壊しそうな以上、確認はするべきか。相手が
「うむ。仕方ない仕方ない」
入るなと言われれば入りたくなるものだ、と結論付けて、シルヴィアは扉を開けた。
──瞬間、ぶわっと熱気が飛び出して、あまりの熱さに彼女は咄嗟に顔を腕で覆う。
「あっづっ!?」
「──あん? おい、開けるなっつったろ」
「……いいや、入るなとは言われたな」
「同じ意味だろ」
しかめっ面をして振り返るセラが、シルヴィアに文句を言う。その背後には、刀で壁に縫い付けられ、炎に包まれ体が炭化している少女がが
「──セラ、お前、もしかして日本に居たことがあったのか?」
「……一時期な」
日本の何処かの事務所、その一室を模した空間。少女だったものを含めて、この空間内そのものが、セラにとってのトラウマなのか。
「俺のことはどうでもいいだろ。ユーリのやつを回収して上に戻るぞ」
「ああ。先生殿に負けてないと良いが……」
「負けを前提に考えてやるなよ」
さしものセラですら渋い顔を作り、淡々と言い切ったシルヴィアと共に来た道を戻るべく駆ける。数分もせずにユーリが残った場所に戻った二人だったが、そこで見たものは────
「……ユーリ、勝ったのか?」
「全然分からない、何もしてないのに壊れた」
「パソコンじゃねえんだぞ」
──ドロドロに形を崩した偽の先生だった残骸を前に立ち往生し、おろおろと困ったように右往左往しているユーリの姿だった。
「何があったんだ?」
「いや、それが……戦ってる途中でちょっと白熱しちゃったんだけど……」
身振り手振りで思い返すユーリの言葉を聞いて、シルヴィアとセラは察する。
「大方、お前のイメージするセンセーの強さにその偽物が追い付けなかったんだろ」
「……右に同じ意見だ。
いやまさか、人間一人の実力を再現しきれずに自滅するのは意外だったが……まあ、勝ちは勝ちということでいいんじゃないか」
「納得いかない……」
どこかガッカリした様子のユーリを連れて、上へと戻る。拡張された地下空間は三人が家に上がった瞬間に消失し、何もなかったかのように階段下の収納スペースには何も残っていなかった。
「……寝るか」
「そうだな。ユーリ、クッションをくれ」
「俺はこっち使うからお前らそっちな」
「ベッドは……また今度買うとするか……」
意図せずして自身の胸の内に秘めた感情を刺激された三人は、疲れた体を癒すべく、朝になるまでソファで眠った。翌日に行われる魔導書捜索でまた別の戦いが起きることは、余談である。