ギチギチと腕が絞まり、男は呼吸が出来ないまま意識を遠退かせる。
「────」
「ご、こぉ、ぁ」
爪を立てて袖を掴もうとするが、ユーリの黒いコートは自身の影であり、
首を絞められながらも腕を掻きむしろうとするが、その指はなめらかなゴムをなぞるようにツルツルと滑って行く。
そして、首元から何かが砕ける音を鮮明に聞き取りながら、男の意識は遂に闇へと消えた。
どさりと音を立てて床へと倒れ付した男をふとマスクの奥で追ったユーリは、視界の端から飛来した棒──頬に引っ掻き傷を付けた男の投擲した槍に反応して転移魔法を起動する。
「ちっ、転移魔法ってやつか」
男は舌を打ち、投げた槍がユーリに当たらず窓際に突き刺さったのを見て、すぐ背後の壁に立て掛けていた両刃のおおよそ木こりには使わないだろう殺傷を目的とした斧を手に取る。
「テメェ誰だ? どうやってここを突き止めた」
「────」
「だんまりか……よッ!!」
語気を強めながら、男が両刃の斧を振り回す。コートと袖の中の籠手で刃を受け流すユーリだが──ガッと踵が床のめくれた木材に引っ掛かる。些細な油断の瞬間、下から掬うような斧の刃が、ペストマスクの目元を砕いた。
ガタンとよろめいたユーリがテーブルに腰をぶつけ、その衝撃で、置かれていた瓶が落ちる。そして────ガシャン! と。
「連戦は堪えたかァ? 調子に乗りやがって、正義の味方のつもりかよ。テメェがなにかしたところで、何が変わるってんだ?」
「────」
割れた瓶の中から、二つの、紐状の何かが繋がった玉がころころと転がって行く。それがユーリの足元にぶつかって、動きを止める。マスクの欠けた部分から覗く瞳が、その正体を視認して──心臓が一際強くドクンと跳ねた。
『あの、ユーリさん、私……大きくなったら』
──その表情を、何度も見ていた。
『────、やっぱりなんでもないっ!』
──その声を、何度も聞いていた。
「────、ぁ、あ」
そのアメジストのような鮮やかな紫の瞳と、何度も視線を交わらせていた。
「ぁ──、──っ、────!!」
──ユーリを慕う少女の、両目が、転がっていた。考えないようにしていた、もしかしたらと願っていたifが、踏みにじられる。
チカチカと、視界が明滅する。自分が立っているのかもわからないほど、ぐわんぐわんと頭の中が揺れる。血の気が引いて、脳裏にはただただ後悔だけが反芻される。
──だというのに。
「よそ見とは、随分余裕そうだなッ!」
──斧を振りかぶる男の挙動は、手に取るように理解できてしまっている。
頭のどこかに違う
まるで歯車が逆回転を始めるかのように、狂ってしまいそうな激情が、一転して冷静なモノへと変化して、だから、ユーリは────
「──ぁあァアアア゛ア゛ッ!!」
上段で振りかぶる斧を片手で弾きつつ、もう片方の手首をスナップさせて刃を飛び出させ、がら空きの上腕中央に滑らせてプツリと動脈を切り裂き、斧を弾いた方の手首からも刃を露出させて胸に掌底を放ちながら肋骨の隙間から心臓へとするりと刃先を通した。
キリキリキリ、と心の中の紐が千切れそうになっている感覚。あと一歩で千切れるだろう、限界の手前。しかして足元の眼球を見ても、空気の抜けた呼吸を繰り返し、腕の動脈から鮮血が溢れている男を見ても、ユーリは冷静だった。
「────」
頭の中の立花遊理が、ユーリを冷静たらしめている。育ての親が自分を現代社会には必要ないレベルまで鍛えていたのはこのためだったのかもしれない、などと考えながら、ユーリはおもむろに脳裏を過った疑問に従い足元を見回す。
踵がめくれた木材に引っ掛かったのかと思ったが──引っ掛かったのは木材ではなく、地下へと繋がる扉の取っ手だったのだ。
屈んでそれに手を伸ばして、ユーリは扉を開く。──刹那、ぶわっ、と鉄錆の臭いが地下から溢れてきた。思わず「ぐっ」と呻くユーリが、意を決して開け放つ。
「────なるほどな」
独りごち、マスクの奥で瞳が憤怒に歪む。
コートの中から取り出した懐中電灯が照らす地下室に広がっていたのは、瓶詰めされた大量の臓器だった。ここまで来れば、さしものユーリでも理解に及ぶ。
男たちの孤児を狙った誘拐は、臓器売買が目的だったらしい。この世界にも、そういった犯罪が存在するのか、というシンプルな感想。
くらりと目眩のような感覚がして、それから男に視線を戻して、息絶えているのを確認し──ちらりと、仕込み刃で裂いた腕の傷口付近に違和感を覚えた。破けた袖の裏にある、皮膚に黒い何かが這いずっているように見える。
そう、端的に言えば刺青が入っている。チリ──と脳裏に既視感が走る。刺青というフレーズに、どこか聞き覚え……否、見覚えがあった。
「────」
男の袖を破き、破いた袖で乱雑に血を拭うと、そこには──
『では行ってきま──と、すまない』
『────、ああ、いや。悪いな』
その形をユーリは知っている。ほんの一瞬視界に納めたからこそ、
ギョロリと、記憶を辿る行動から無意識に目線を左上に動かしたユーリは、ああ──と呟いて、重く低く声色を落として続ける。
「あいつか」