──深夜、東国への出発を控えた翌日に備えて宿に泊まっているユーリは、宿屋の屋根に登ってぼんやりと月明かりを眺めていた。
音も無く開けられた窓から部屋を覗き込めば、ユーリの使っていたベッドの向かいで、シルヴィアが枕を尻に敷きながら両足を揃えて壁に立ててL字のような直角を描きながら熟睡している。
「……なんて酷い寝相だ」
前々から知ってはいたが、こうも芸術的な寝相は初めて見たのだろう。
ユーリは呆れたように苦笑を溢しながらも、視線を部屋から外に戻す。縁に足を置いて斜面に背中を預け、彼はおもむろに手のひらを前に差し出して魔力を活性させる。
すると手のひらに、ゴウと暴風が渦を巻く。それはついこの間見つけた魔導書が何故かユーリの中に取り込まれ、それもあってかまるで元からあった才能であるかのように扱える、天候制圧魔法の一つ。より多く魔力を流せば、より強くより早く暴風は嵐となるが、逆に魔力の供給を断ち切ればたちまち霧散してしまう。
そんな手のひらに浮かぶ小さく狂暴な魔法が消え行く様を見て、ユーリは──
「──今これがあるからなんだって言うんだ」
ユーリは、自虐気味にそう言った。どうしてもと力を欲して、ようやく手に入れて、けれども守りたかった子供たちはもう居ない。
──ふと、思ってしまったのだ。
結局自分は、何がしたかったのか? 自分には、何が出来るのか? と。
「────ーリくん」
「……ん」
「ユーリくーん」
「あ、シスター」
声が聞こえてきて、屋根から下を見る。
そこには、心配そうにユーリを見上げるシスターの姿があった。
「落ちたら怪我をしますよ」
「大丈夫ですよ、一応鍛えてるので」
「わっ、ビックリした」
ユーリは足を引っかけていた縁に手を置いて体をぶら下げ、屋根から飛び降りると地面に足が当たる時にぐっと膝を曲げて衝撃を和らげる。
そうしてシスターの隣に降り立つと、無傷をアピールするようにして服の土埃を払った。
「すみません、驚かせてしまって。ところで、シスターはこんな夜中になにを?」
「眠れなくて散歩をしていたの。よかったらユーリくんもどうかしら」
「……そうですね、ご一緒しますよ」
暗がりならば、どこかモヤモヤとした悩みを抱えた顔は見られまい。
ぼんやりとした月明かりが照らす村の中を歩きながらそう考えていたが、そんなユーリの悩みを、シスターは呆気なく見破る。
「何を、悩んでいるんですか?」
「────わかります?」
「わかりますよ」
あっけらかんとそう言って、シスターは立ち止まるとユーリの顔を見る。
「……、…………実は」
逡巡するユーリは、観念したように、ぽつりぽつりと自身の悩みを打ち明けた。
子供たちを守れなかったこと、食事の時に話したようにあの一件で初めて殺人を犯したこと、その後色々とあったが転移魔法以外の魔法を使えるようになったこと、そして──力を手に入れたにしても、完全に手遅れであること。
全てを話すと、シスターは一拍置いてから、ユーリを見て口を開く。
「──どうしてその力が、あのときの貴方に無かったんですか」
「────」
濁ったような瞳に見られながらそう言われて、ユーリの体が強張る。
だが──ふっと表情を柔らかくして、シスターはからかうように続けた。
「──と、言われると思いましたか?」
「…………はい?」
「私が、よりにもよって私が、貴方を責めるわけないじゃないですか。寧ろ逆ですよ。ごめんなさい、あれからずっと……ユーリくんを苦しめてしまっていたみたいですね」
伸ばされたシスターの手が、ユーリの頬に触れる。慈しむように指の腹で頬を撫でる手つきは、姉か、或いは母親か。
「──辛かったでしょう。苦しかったでしょう。今まで、良く頑張りましたね」
「……っ、づ、う……ぁ」
じんわりと伝わる手の熱が、ユーリの目元にポタリと涙を流させる。
「力を得たからといって、必ずしも何かを成し遂げないといけないわけではないし、英雄にならなければいけないという義務もありません。
貴方の力は、きっと自分や誰かのための些細な切っ掛けなんですよ。今も居るのでしょう? 力になりたいと思う誰かさんが」
「…………そう、ですね」
ユーリの脳裏に過るのはシルヴィアやリンの存在。別世界の神とその尖兵である天使に命を狙われているシルヴィアや、自分を助けるために腕を負傷してしまったリン。
守れなかったことを理由として得た力を──改めてどう使うべきか、誰を守る為に使うべきか。シスターに言われてユーリの決心は固まる。
「──ふふ、明日に響きますから、もうお部屋に戻った方がいいですよ」
自分の手の甲で涙を拭うユーリを見て、シスターはもう大丈夫だろうと内心で独りごつ。
「わかりました。では、お休みなさい」
「はい。お休みなさい、ユーリくん」
「……そうだ。あの、シスター」
「はい?」
宿屋の部屋まで転移魔法で戻ろうかと踵を返したユーリは、おもむろにシスターへと振り返ると、口角を緩めて言った。
「──もう少し、頑張ってみます」
「……無理は、駄目ですからね」
指を立ててお茶目にそう返す。そんなシスターに、ユーリは会釈で返して部屋に戻った。残るシスターは、月を見上げてふと呟く。
「辛かったら、逃げてもいいんですよ」
──でも、貴方は逃げないんでしょうね。そんな確信めいた予感が、彼女にはあった。
──翌朝、
「ではそろそろ出発しますね」
「そうですか……寂しくなりますね」
「俺もです。東国での用事が済んだら、帰りにも寄りますから」
「はい。皆さんも、お気をつけて」
ユーリとその背後の三人に、シスターは言葉を向ける。セラは興味無さげに無視して、リンとシルヴィアはむず痒そうに反応して続けて乗り込む。最後に、ユーリはシスターに対して、顔を近づけながら小さな声で囁きかけた。
「……で、ですね。あの……昨日の夜中に俺がみっともなく泣いた件なんですが」
「……ふふふ、わかっています。内緒ですよ、ユーリくんも男の子ですものね」
憑き物が晴れたような、しかし未だに暗い瞳。しかしてシスターの表情は、ユーリをからかう、年相応の女性の明るさがあった。
改めて会釈をして馬車に乗り込み、ユーリたちは村から出て東へと向かう。
中で向き合うように座っていたシルヴィアが、ユーリに言葉を投げ掛けた。
「ユーリ、なにやら吹っ切れたようだが」
「そうか? まあ、そうかもな」
「ふっ……昨日の激重回想の時に何か言っておいた方が良いかと思っていたが、そこまで過保護になる必要も無かったようだな」
「シルヴィア、君は俺の親か」
「私からしたら孫みたいなもんだが」
私は500超えてるからな、とさらりと言うシルヴィアに、そういえばそうだったなとユーリは内心で呟く。それから彼女は更に口を開いた。
「ユーリの行動はどうあれ、終わったことだから切り替えてもらわないとな。我々は別に、道徳の授業をしているわけじゃないんだ」
「ああ、わかってるよ」
「私もなあ、言葉の端にいちいち脚注を付け足すのは面倒だから嫌なんだよ」
「脚注ってなんだよ……」
……はははっ、と誤魔化すように乾いた笑い声を放ち、それとなく馬車の窓から外を見る。
ガラガラと車輪が回る音が耳に届くなか、おもむろにシルヴィアは、リンに聞かれないようにと異世界には無い
「『もう少し楽しむ余裕を身に付けるべきだな。わかるだろう?
「『……考えとくよ』」
ちらりとリンの腕の包帯を見て、ユーリは日本語で返す。同じように窓の外を見れば、東国が近づいているが────
ユーリの目には、どこか、妙に、見覚えのある町並みが広がっていた。