「ここがくだんの少女の店か」
開けられたままの入口の暖簾をくぐるシルヴィアは、古本屋特有の紙の臭いを嗅ぐ。
「あの女をぶち殺すのはあとだ……スズカが遠回しに見るように言ってた本があるはず、なんだが……あーどこだったか」
続けて入ってきたリンは寝起きのような頭を働かせ、同じ形状の本棚に顔を向ける。
「──確か『その棚の一番奥の本』っつってたな。どの段のどっちだよ……」
「ふーむこの棚か。あー、あー、あー……これだな。辞書の中をくり貫いてある」
指を背表紙に滑らせるシルヴィアが、一冊の本の違和感からそれを抜き取り広げる。辞書の中には別の本が隠されており、後ろで観察していたユーリとセラは二人に近づいて覗き込む。
「なんだそりゃ」
「日記……か? 鈴歌ちゃん某が証拠を残していたってことでいいのかな」
「……シルヴィア、読んでくれるか。あたしは東国の文字はわからん」
そうだったな、と呟いて、シルヴィアはおもむろに日記を開く。パラパラと捲って文字列を読み込むと──ポツポツと語り始めた。
「──願わくば、誰かが日記を読んでいる頃に東国が滅んでいないことだけを祈る」
「初っぱなからもう不穏なんだけど」
眉をひそめるユーリの声に返すことなく、シルヴィアは日記を更に読み上げる。
「──次期城主である俺がこの国から出ることが出来たのは、偶然か、或いはあの妖桜が外から新しい餌を招き入れるための策略なのか。
ともかく40年前、王都に向かった俺は、東国という土地そのものを術式に組み込んだ結界を、生け贄を使わずに運用する方法を探っていた。
……途中の冒険譚は無駄だし飛ばすぞ。
──王都から東国に帰ることにした。いつまでもここで暮らし、アダムやイーディス、オズワルドたちと馬鹿をやっていたい。だが、そういうわけにはいかない。
結局、なんの成果も見つからないまま戻ってきた俺が見たのは、祖父母を生け贄に結界の維持をする決意をした両親の姿だった」
ふう、と一呼吸空けるシルヴィア。文章の中にあった名前に疑問を覚えたユーリは、虚空にぼやくように独りごちた。
「オズワルド……って、もしかして俺とシルヴィアが戦った不死身の男か」
「名前が同じなだけ……と断言するには偶然が重なりすぎている。どういう交遊関係をしているんだこの城主殿とやらは」
呆れたように返しながら日記を捲るシルヴィアだったが、途中から文の書き方が変わったことに着目する。字の丸っこさから、子供、それも少女が書いたのだろうと推測していた。
「……ここからがその鈴歌某の書いた部分だろう。恐らく、男が城主となったから、日記という名の証拠を残す作業を引き継いだんだ」
「読んでくれ」
「うむ。
──おじいちゃんからこの日記で、この国のことを書き記すよう言われたのは、私の両親、つまりおじいちゃんの息子夫婦が生け贄として選ばれた翌日だった。
東国を支配している大きな桜、城の方で妖桜と呼ばれている木の精神干渉能力は強力で、なんでも外に出ようとする者の思考を乱し、酷ければ無意識に自殺に追い込ませる程なのだとか。
──そんなバケモノが東国の外に出ては大変なことになる。だから、おじいちゃんのおじいちゃんくらいの代で突然咲いたあの木の根が出ていかないように、私たちの家系が使える特殊な結界術で東国を巨大な檻にしているらしい
──不思議と怖くはなかったけれど、むしろ、私はおじいちゃんの事が心配だった。
祖父母を、自分の両親を、息子夫婦を、そして次は私を生け贄にしないといけないおじいちゃんは、それで駄目ならもう諦めて結界を解除するしかないと思っている。
──解決策が見つからず、妖桜を燃やそうにも『その思考』を読まれれば殺されるかもしれない。おじいちゃんはどんどん追い詰められている。でも私には何もできない。
──おじいちゃんはこの日記を、願わくばと書いて始めていた。きっと、最初はまだ、希望を持っていたのだろう。ならば私もそれに則ろう。願わくば、この国を消し飛ばしてしまえるような、すごい魔法使いが、現れますように」
シルヴィアは言い終えると、日記を閉じて辞書の中に戻す。彼女の言葉で翻訳された内容を反芻して、リンは、渋い顔で絞り出すように言う。
「……ガキが、いっちょまえに死ぬ覚悟なんか決めやがってよ」
「だがどうするんだ、城主は別に敵というわけじゃない。寧ろ桜に国と民を人質に取られている被害者だ、今すぐにでも協力してあの木をどうにかする話をするべきだろう」
リンにそう言ったユーリは、暇そうに話を聞いていたセラの言葉に理解させられる。
「その桜に操られている可能性があるだろ」
「……あ、そうか」
「洗脳された城主、リンを仕留められる実力の部下、いざとなれば国民全員をゾンビみてぇな物量兵器に出来る化け桜。大変だな」
「他人事みたいに……」
実際他人事だからな、と断言するセラ。その横で考え込んでいたシルヴィアは、日記の一文を思い返しながら、不意にユーリを見上げた。
「……ん、なに?」
「『この国を消し飛ばしてしまえるようなすごい魔法使い』、ここに居るなあと思ってな」
「過大評価じゃない?」
「天候制圧魔法の魔導書が体内に融合している魔法使いさんよ、君は確かアレを出せる筈だ」
天井──越しの空を指差すシルヴィア。その動きに、ユーリは合点の行った表情をして、これから起きる重労働に心底嫌そうな顔を向けた。
──裏路地の長屋から表通りに戻り、鎮座する城に向かって走る四人。その片手間に、シルヴィアを軸にして作戦を確認していた。
「ユーリにはこれから城主を足止めしつつ、天候制圧魔法の術式で積乱雲の生成および落雷によって妖桜を消し飛ばしてもらう!」
「俺のやらないといけない内容だけあまりにも労力が掛かること以外は賛成だ!」
「絶賛してくれて何よりだ、君の働きにこの国の未来が懸かっているぞ! ちなみにユーリに任せるのは二人以上だと城主を殺しかねないからだ! そうなったら戦争ルートに突入するぞ!」
「う────ん!!!」
怒りと呆れと困惑をない交ぜにした呻き声を肯定と捉え、シルヴィアは満足気に前を向く。
後ろで一方的にも程がある話を聞いていたリンとセラは、ユーリの労力が九割の作戦を「作戦……作戦?」と疑問符を浮かべる。
そんな半ばコントじみた会話をしていた二人と追従していたリンたちは、眼前に現れた人物を見て足を止める。その人物は、つい先ほどリンを倒した──縁と呼ばれていた女性だった。
「──やはり生きていたか。斬ったときの感触がおかしかったわけだ」
「はっ、流石に、服の裏に氷を纏っていたことは見抜けなかったらしいな」
「これだから魔法ってやつは」
嫌悪感を隠そうともせず、縁は道のど真ん中に立ちふさがる。それを見て、リンはユーリの背中を押すように声をかけた。
「ユーリ、こいつはあたしらが止める」
「結局俺のワンオペなのね」
「わん……? いや、まあ、悪いとは思ってる。だがあたしの勘が言ってるんだよ、この女はここで殺した方が絶対に得だってな」
「そうかい」
右手にかつて地下で魔導書を縫い止めていた長剣を出現させたユーリは、それだけ言い終えると、足に風を纏い一息で民家の屋根まで跳ぶ。
それを止めようともしない縁を横目に走り抜けると、彼女はようやく腰の刀を抜いて三人を視界に捉えながらシルヴィアに問われる。
「良かったのか、お前の主を止めに行った彼を見送ってしまって」
「別に私は爺さんの部下じゃねえ。それに私はご馳走は最初に食べる派なんでな」
「誰がご馳走だよ」
刀を構える縁にげんなりとした表情を向けるリンと、隣で縁の言い回しが
その背後で手元に魔力を集めて空間の窓を開ける寸前のセラが、二人にだけ聞こえる声色で手短に戦闘の合図を口にした。
「俺があいつの胴体を切断する。失敗したらあとは流れでどうにかしろ、適当に援護はしてやる」
「──なんだこそこそと、やる気が無いなら引っ込んでいろ…………お?」
ぐわんと突如として縁の視界が上下に反転する。その感覚を例えるなら、ジェットコースターが頂点から落下を始める時の浮遊感が近い。
彼女は空中から
「────まずっ」
「……ちっ、気づかれた」
ほぼ脊髄反射で、縁は勢いよく屈んだ。すると視界は元通りになり、胴体は繋がり直す。その頭上で、バツンと何かが閉じる音を耳にした。
もし上半身と下半身を別の空間に繋がれたままその窓を閉じられていたら──どうなっていたかなど、想像に難くない。
「ふん、面白い」
「シルヴィア、作戦は!?」
「高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処」
「だからそれ作戦じゃねえから」
失敗を悟り即座に接近する、長槍を掴むシルヴィアと氷の剣を握るリン。
二人を待ち構えて、縁は静かに愉悦と獰猛な笑みを混ぜた表情を浮かべた。
「かかってこい、異世界の戦士よ……!」