『──お爺ちゃん』
名前の通りに、鈴を鳴らしたような声がする。これから首を切り落とされ、儀式の為の贄にされようとしていながら、その声は家族を心配する感情が含まれていた。
『お爺ちゃん、仕方ないよ』
──何が仕方ないものか。
そういって、振り上げた刀を投げ捨ててしまいたい。けれどもその体を動かしているのは、城主本人ではなかった。
頭の中を声が蠢き、自由を奪われ、操り人形となり、そして突如現れた青年と剣を交えて、雷鳴が轟き、全てが吹き飛ぶ。
それが、ほんの数分前まで、城主が客観的に見ていた光景──
──ヒュンと空気を切り裂いて、回転しながら手斧とマチェットが飛来する。
城主が的確に二度振るった刀が刃を毀れさせながらそれらを弾き、投げた張本人のユーリは
当然ではあるが、刀を使った同じ土俵では城主の方が一日の長がある。それならば、ユーリに出来て城主に出来ない事をやれば良い。
すなわち、あらゆる刃物・鈍器での戦い方を叩き込まれた実戦形式での訓練の結果を押し付けることである。ユーリは剣や刀
斧と鉈の変則的な二刀流は、城主とて初見であろう。ユーリは確かに、彼の目が、困惑の色に揺れたのを確認した。
「────」
やっぱり、と内心で呟いて、ユーリはどことなく存在していた違和感の正体を確信する。
あとは、どうやって城主を
「……いや、違う、違う」
──殺すってなんだ。とかぶりを振って意識を切り替えた。
ここまで冷静に物騒なことを考えていた自分に内心で驚きつつ、城主の刀を手斧で受け止めて、マチェットを振りかぶり──半ば脊髄反射で手斧を手放し後ろに大きく飛び退く。
「っ、ぉおっ……!?」
直後、ユーリの顔があった位置を、泥に隠れていた刀の切っ先が通り過ぎていた。
器用に草履の爪先で蹴り上げられ、上段蹴りの要領で振るわれたそれは明後日の方向に飛んで行き、手元の刀に引っ掛かっていた手斧はするりと地面に落ちてべちゃりと音を立てる。
「────っ!!」
マチェットだけを握るユーリは気取られぬように声を押さえて目を見開く。
ちょうど自分を挟んで、眼前に城主が立ち──遥か後方には、花弁が散り、落雷により左右に裂けながら焦げている桜の木があった。
ユーリが注目したのは、桜ではない。魔導書を地下遺跡の台座に縫い留め、ドラゴン退治の際にも同じように避雷針に使っていたが、それでもなお刃毀れ一つない異様に頑丈な長剣。
「──ここだ」
桜に突き刺さったままのそれを、手元まで飛ばす算段を脳裏で組み立てて、そのまま流れる動きでマチェットを横に投げ捨てると──城主の意識を僅かに右に逸らしながら、左手のひらを地面に向けてすっと降ろす。
「う、ご、く、なァ!!」
──天候制圧魔法の真髄は、天気の操作を個人で行えるようにと、たった一人のエルフが古い時代に構築から改良までを済ませた所にある。
そして、魔導書の術式を理解しているユーリであれば、所作の一つで魔法を発動できた。
──ドンッ!! という轟音が、城主の真上でなんの前触れもなく発生した。
風の塊と言っても過言ではない凄まじい圧力が叩きつけられ、咄嗟に峰に手を添えて両手で掲げた刀に暴風が衝突して、身動きを封じられる。
左手を下に、そのまま半身を背後に翻して、人差し指と中指だけを立てた右手を桜に刺さる長剣へと向けて、くっと曲げる。
特定の所作で術式を起動する儀式魔法によって、遥か後方に遠隔で発生した暴風が長剣を包み込み、ボンッと上空へと打ち上げた。
「……っ、嘘だろ──」
ひゅんひゅんと回転してこちらへと落下を始める長剣の動きが、やけにスローに映る。その傍らで、左手で押し込むイメージで上から叩きつけていた暴風が
なんてことはない、城主が刀を使って、風の塊を斬ったのである。
ぶわりと辺りに風が撒き散らされる光景を見て、ユーリの思考は一瞬止まり──即座に再起動。飛んで来る剣が落下するまでの時間は僅か。
「────」
その前に動きを止める手段を思案し、残り数秒の戦闘を更に加速させる。
脚、腰、背中、肩の四ヶ所から風を噴射し、ぬかるんだ地面を爆発させるかのように弾けさせながら城主へと接近するユーリは、同時に左手に握らせた数本の小振りのナイフを投擲した。
事も無げに一度振るうだけで全てを叩き落とした城主は返す刀でユーリを迎え撃とうとし────意趣返しのごとく蹴り上げられた泥まみれの刀を視界に納め、キンと音を立てて弾き飛ばす。
左上に持ち上がった刀という致命的に無防備な状況に、ユーリは背中で吹かす風を利用して、スケートのような動きで背後に回り込む。
上手いこと落下してきた剣を掴むと、地面に深く踏み込んで、四ヶ所の風を更に強く発生させ、城主の懐へと飛び込まんとする。
──
──背後で轟く気配に、城主は敗北を悟りまぶたを閉じる。刀は左上に振り上げられており、振り返りながら振るおうにも相手の方が早いだろう。このまま胴体を切り裂かれ、臓物をこぼれさせながら絶命するのがお似合いの末路だ。
このまま力を抜いて、身を任せよう。そんな事を考えて、ふっと脱力しようとした城主の脳裏に、おもむろに──孫の声が想起される。
『──お爺ちゃん』
「────っ……!!」
愚かにも、身内を犠牲にするしかなくて。
愚かにも、せめて孫だけはと思ってしまって。
愚かにも……城主は、孫という、死ねない理由があることを思い出してしまった。
「──づぁアァ!!」
「──シィイッ!!」
ぱしっ、と手首の力で投げた刀を右手にスイッチさせ、城主は振り返りながらユーリへと振るい──ユーリは、タックルのような低い姿勢で通り抜けながら、城主の腹を切り裂く。
二人は背中合わせになると、城主が正座のように力なくへたり込み、ユーリが一拍遅れて、剣を地面に突き刺して杖のようにしながら、膝を突いて地面を見ながら玉の汗を垂らして荒く呼吸する。危うく真っ二つに切断するところだった──と、内心で本気で焦りながら。
「ぐ……う、がっ」
「はあっ、はぁっ、はっ……」
呼吸を整えて、なんとか立ち上がると、剣を魔力に霧散させて手元から消して、ユーリは城主に振り返り、その背中に言葉をぶつけた。
「城主さん。あんた、なんで──
「……くくっ、気付いていたのか」
「さっき、手斧と鉈を見て一瞬困惑したでしょう。それに、元凶の桜が散ったのに洗脳されたままなんてのは、考えれば変だとわかる」
──そうか。城主は呟いて、ぐらりと仰向けに倒れて天を仰ぐ。
かき集めた積乱雲が散り始め、雨が止み、徐々に陽射しが顔を覗かせる空と、真上のユーリを見上げて、ため息を交えて口を開いた。
「殺さないんだな」
「……死んで許されようだなんて思うなよ。あんたには、鈴歌ちゃんにぶん殴られる仕事がまだ残ってるでしょうが」
「──くっ、はは。そうだな」
腹に一文字の傷を作り、少なくない血液を流しながら、それでも城主は、憑き物が晴れたかのように、何十年か振りに笑っていた。