森の中を駆ける人影が一つ。木々を飛び回り、枝を踏み越える少女──
「……だいぶ逃げたが、精神汚染が無い。あいつら、本当にあの化け桜を退治できたのか」
呆れと感嘆の混じった声が森に消え、縁は脳裏に浮かべた地図を頼りに、東国から南の商業都市へ向かうルートを構築する。
「さて、こっからどうするか。異世界の文明レベルが低いにしても、手配書くらいは描いてる筈だ……いっそ西か東の大陸にでも逃げるか……? いや、たしか西大陸は何もないし東大陸は亜人と龍の支配する土地だったな」
ぶつぶつと呟きながら歩く縁は、腰に吊るした刀の柄頭を左手で撫でながらイラつきを隠さないままだったが、剣を切り結んだ女性の顔を思い浮かべて口角を歪めた。
「だが、まあ──収穫はあったな。リン……とか言ったか、あの女は良い……。どうせ逃げるなら、その前にあいつと斬り合いたい──」
はた、と足を止める縁。獅子のような赤髪を後ろで一房に束ねる、老いを感じさせない老人が突然木の裏から現れ、彼女は顔を向ける。
「──ようお嬢ちゃん。てめぇか、ずっと俺を呼んでやがった女は」
「ナンパはよそでやれ、ジジイ」
「まあそういうな──よッ!!」
ゴウと空気を裂いて迫る拳に、縁は心底面倒くさそうにしながら、刀ではなく袖の中から取り出したダートナイフを握って初撃をかわす。
「すばしっこいな──うべ、うべ、うべっ」
そのまま背後に周り、ザクザクザクと脇腹にダートナイフを突き刺す。
裏拳の要領で後ろに肘打ちをする老人は、木の幹を足場に跳躍した縁の投げたナイフが肋骨の隙間を抜けて心臓に突き刺さり、一拍置いてぐらりと倒れ──る寸前で踏みとどまった。
「うおお……いてぇな、ちくしょう」
「──また不死身の類いか」
「強気な女は嫌いじゃあねえ、なにぶんトンチキな女ばかり知り合いだったからなあ」
「知るか。……おいジジイ、お前さっき『ずっと俺を呼んでやがった』とか言ったな。私はついさっきまで東国に居たんだ、どうやってお前を呼べばいいんだよ」
──いででで、と言いながら心臓に刺さったナイフを抜く老人は、縁の問い掛けに答える。
「そうは言われてもなあ、俺の頭ん中に何度か聞こえてくるんだよ、『こっちに来い……こっちに来い……』ってよ」
「頭にアルミホイルでも巻いとけ」
「ある……なんだって?」
「……チッ」
苛立たしげに舌を打つ緣が、ため息混じりに頭をガリガリと掻きながら続ける。
「私は緣、あんたは?」
「俺か? 俺ぁ
「……あんたまさか、『毒味係のオズ』か?」
「────なんでそれを知ってる」
老人──オズワルドの名前に聞き覚えのある緣が、ポツリと当時のアダ名を呟く。
それを耳にしたオズワルドは、緣に詰め寄りながら問いかけた。
「東国から来たっつったろうが。あの爺さん……山田源が、あんたを含めた何人かの名前をぼやいてんのを聞いたことがあったんだよ」
「……へっ、そうかい。あいつ、まだ俺なんかのことを覚えてやがんのか」
緣の言葉に感慨深そうに表情を緩めるオズワルド。そんな彼に気の利いた言葉でもかけてやろうかと口を開いた縁だったが────
「っ」
「!」
刹那、全身を駆け抜けた悪寒に従って、ほとんど無意識に二人は真横の木を攻撃した。抜刀しながらの一閃でするりと真っ二つにされた木が、オズワルドの怪力で木っ端微塵に消し飛ぶ。
ざっと一歩下がった二人がそれぞれファイティングポーズを取り、刀を構えると、おもむろに切り株の傍からドロリと影が溢れ、膨張する。
【──
──その一言で、更に攻撃を加えようとしたオズワルドと緣の体は停止した。
言霊の類いではなく、ただ、静止を促されただけ。そうであるにも関わらず、二人は動かない。否、動
「づ、っ……」
「……こいつ」
──強い。二人は脳裏でシンプルな結論を独りごちる。膨張し、人のような輪郭を型どる影から聞こえてきた女性の声は、二人の本能に『絶対的な強者』への恐怖心を与えていた。
【オズワルド、緣。貴様らがここで出会ったのは、偶然ではない】
「……へっ、そうかよ。じゃあなんだ、神様の思し召しだとでも?」
【そうだ、と言ったら?】
「はっ、あほくさ。もう行っていいか」
気丈に振る舞う縁は冷や汗を一滴垂らして振り返る。そう言いながらも、本心としてはさっさとこの場から離れたいというモノがあった。
【──お前たちの望む相手と戦うチャンスを与えてやろう】
「──あ?」
「……なに?」
【戦いたいのだろう? 因縁のある相手と。私
しかし、影の言葉に、ピタリと動きを止めて緣がそちらを見やる。
誰だかわからないが、手のひらで踊らされている。その事実に気づきながらも、緣とオズワルドには、影の言葉に耳を傾ける以外の選択肢は存在していなかった。
──空中に現れた『窓』の奥で、城の和室から外へと出てきたユーリたちは、見慣れた王都の外壁を見て『窓』の内側で自分等を見送る源、陽、鈴歌に意識を向ける。
「便利なもんだな。空間操作の類いか……転移じゃなく出入口の生成とはな」
セラの作り出せる空間移動の窓越しに室内から別の座標を見るという経験をしながらも、源は冷静に推察する。その横で、鈴歌がおずおずと、ユーリたち四人に向けて言葉を放った。
「あ、あのっ……皆さん」
「どうした」
「……また、会えますか?」
代表してリンが話を聞くと、鈴歌はそう言って、一旦の別れに暗い表情をしていた。
リンは少し考えるそぶりを見せて──窓の奥に手を伸ばし、鈴歌の髪をぐしゃぐしゃと撫でるとふっと笑いながら言葉を返す。
「近いうちに遊びに行ってやる。立派な王様でも目指して、頑張れよ」
「──! はいっ!」
手を引いたリンを見て、セラはくいっと手首を捻り、その動きに連動させて『窓』を閉じる。消える寸前、鈴歌と陽は、源の隣で最後まで深くお辞儀をしていた。
「──さて、帰って寝るか」
「すごい前向きに怠惰なこと言うね」
パンと手を叩いて、シルヴィアはキメ顔で言う。ユーリの指摘に目を逸らす。
その様子を見ていたリンは、不意に気になったことを当の本人たちに質問する。
「そういやあ、あの……エニシ? とかいう女が、あたしに『首を洗って待ってろ』とか言ってたんだが、なんで首だけ洗うんだ?」
「…………あー。簡単に言うと、『お前を殺すのは私だ、覚悟しておけ!』みたいな意味の常套句──よくある言い回しってやつだな」
リンにもわかるように言い方を変えて説明するユーリ。そんな彼に、リンは──
「へぇ……お前、
「────」
「……ま、別に詮索はしねぇよ。お互いあんまり語りたくねえ過去がある同士だろうからな」
からからと笑って、リンは王都に入るために門へと向かう。ホッと胸を撫で下ろすユーリの腰を、ぼすっとシルヴィアが小突いた。
「油断するんじゃないぞ」
「……わかってるよ」
そう話す二人の前で、リンは、淡々と手元のメモ帳に字を書き込んでいた。
「ニホン人……とやらが『ニホン』という国の人間を表してるなら、エニシとユーリはニホン人の可能性がある。だがそんな国は見たことも聞いたこともない……とすると」
懐にメモ帳を仕舞うリンは一人静かに、それでいて、ほぼ正解に近い結論を出すのだった。
「──例えば、この中央大陸の人間ではない……とかか? ……なんつうか、あり得そうだな」