その男、異世界知識皆無につき   作:兼六園

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 中央大陸アースガーデン王国王都を南門から出て、南西に向かって走り数十分。狼種の魔物が主に生息している薄暗い森の中に到達し、ユーリとシルヴィアは木を背に息を整えていた。

 

「……ふぅ──。さて、どうするか」

「逃げ切れるとは思えない。俺と君で、あの男を倒すしかないだろうな」

「随分と、甘い言い方だな」

 

 自分を見上げる碧眼が、全てを見透かしているようで、ユーリは気まずそうにしながら答える。

 

「……わかってるさ、殺されそうなのだから殺すのもやむなしだと言うことは」

「別に強いているわけではない。人を殺めるという行為への嫌悪感を覚える事に対して、私は甘えたことを言うなとは言わんよ」

 

 ただ──と続ける。

 

「奴は二度三度殺しただけでは止まらん。木っ端微塵に消し飛ばせば或いは──と思うが、君に何か策はあるのか?」

「──自慢じゃないが俺は転移魔法しか使えない。俺の中の魔力は、属性に変換するための適性が無いんだ」

 

 シルヴィアは小さな声で確かにマジか……と呟く。

 

「……面白くなってきたな」

「いっそ無能と罵るなりしてくれ」

「私にそんな権利は────」

 

 遮るように、突如として大木が飛んできた。とうとう見つかったかと思案し、シルヴィアがユーリを押し倒すようにして避ける。

 上を通過して背後にあったはずの木をへし折りながら後方に吹き飛んで行く大木を見送り、飛んできた方向に向き直った。

 

「──みぃつけた」

 

 二人を追いかけてきた男──オズワルドが、口角を歪めて笑いながら立っていた。その真横の地面には、まるで──否、正しく木を掘り返して出来た穴が空いている。

 

「私に策があるから時間を稼いでくれ、と言ったらどうする?」

 

 ユーリを押し倒した体勢のまま、シルヴィアが言う。考えるよりも早く、ユーリはシルヴィアに言って返した。

 

「わかった、行け!」

「──必ず戻る」

 

「……おぉ?」

 

 弾かれたように森の奥に走って行くシルヴィアを庇うようにユーリが立ち塞がる。

 オズワルドは若干呆れたような、それでいて誉めるような表情で話す。

 

「男だねぇ。

 それで、どうする? 俺と殺るのか?」

「殺したくは無かったが、仕方ない」

「驚いたな。お前一人で俺を殺れると思ってるのか、そいつぁ……すげぇよ」

 

 それは、つい数十分前までのユーリを見ていたからこその発言。こいつに自分は殺せない──そんな確信めいた慢心があった。

 

「──俺の言う『殺したくない』というのは言葉通りの意味であって、悪人であろうが傷つけたくないという意味ではない。

 寧ろお前のような奴がどれだけ苦しい目に遭おうが、どうとも思わない」

 

「ほぉ……」

 

「これだけは教えておく。()()()()()()()

 

 オズワルドの拳が眼前に迫る。

 しかしそれは空振りに終わり、後ろの草木を拳圧で揺らすだけに終わった。

 

「ちっ、転移か……一々姑息なんだよ」

 

 苛立ちを隠すことのない舌打ちが森に木霊した。適当に木で辺りをなぎ倒すか……と考えた刹那、視界の端で何かが反射した。

 半ば無意識に上体を反らすと、顔があった位置を通過して近くの木に深々と手斧が突き刺さった。柄から刃先までが全て金属で出来た、おおよそ木を斬ることには使わないだろう凶器。

 

 それを見た直後、不意に脇腹に鋭いものが侵入し、遅れて熱で焼かれたような痛みが走る。

 

「づ、ぉおっ……!?」

 

 顔を下にして原因を見る。脇腹にあったのは、刃が根元まで侵入しているナイフだった。それを握る男は、間違いなくユーリで──

 

「て、め、ぇ──!」

 

 肘打ちを後頭部に打ち込もうとしたが、再度転移で逃げられる。また離れたと思いきや、ユーリが現れたのはオズワルドの真横だった。

 二本目のナイフが側頭部に吸い込まれ、ぐり、と捻られたそれによりオズワルドの意識は強制的にシャットダウンさせられる。

 

 しかし数秒後にはびくりと体を跳ねさせたオズワルドが覚醒。頭と脇腹のナイフを引き抜く傍らで、ユーリは木に刺さった斧を抜いてコートからマチェットを取り出す。

 

「わかんねぇか? あの嬢ちゃんは逃げたぜ」

「わかっているとも。だが必ず戻ると言った」

「方便に決まってるだろ」

「それは、俺が引く理由にはならない」

 

 手斧とマチェットの変則的な二刀流を前に、オズワルドが拳を構える。

 ユーリは内心、オズワルドの言葉の通りにシルヴィアは逃げたのだと考えていた。だがそれでも良い、とも思っている。

 

 目の前の男の狙いが自分であるなら、関係ない少女に戦わせるわけにもいかない。

 殺しきれるかは分からないが──やるしかない。そう考えて腰を落とし踏み出そうとして──ふと足を止める。ぞわりと背筋を撫でた悪寒に従ったそれは、果たして正しかった。

 

「あ? ──がっ」

 

 上から降ってきた無数の刀剣がオズワルドを縫い止め、その命を一つ奪う。遅れて降ってきた少女は、銀髪を輝かせていて、それこそがシルヴィア本人であるという証拠に他ならなかった。

 

「……遅かったな」

「許せ、必ず戻ると言っただろう」

「それで、策はどうなった?」

「用意はしたが、隙を作りたい。

 引き続き時間を稼いでもらえるか?」

「正直厳しいんだが……やるしかないか」

 

 視界の奥で既に蘇生を済ませたオズワルドが自分を押さえている刀剣を引き抜いてはへし折り、砕き、木陰に放り投げる。

 

「奴は生き返る度に、身体を再構成するために魔力を一定量失っている筈だ。兎に角命を奪え。今追い込まれているのは我々ではない」

 

 刀剣から抜け出して体の骨を鳴らすオズワルドを前に、そう推察するシルヴィアへとユーリが声を掛ける。

 

「……シルヴィア」

「なんだ」

「どうして逃げなかったんだ」

「──さて、どうしてかな」

 

 碧眼を細めて小さく笑う。

 

 ──そう。ユーリはシルヴィアの言葉は逃げるための方便だと、オズワルドの指摘通りの事を考えていた。なにせ自分なら同じ事をしたかもしれないからだ。

 

 だからこそ。だからこそ、約束を違えなかったシルヴィアに応えなければならない。覚悟を決めて、柄を握る手に力を入れる。

 

「──行くぞオラァアッッ!!」

 

「来るぞ、構えろ!」

「俺が押さえる……っ!」

 

 真っ直ぐ駆け寄ってからの右ストレート。ただそれだけの単純な挙動は、当てた相手を即死に至らしめる膂力を秘めている。

 ギリギリで避けたユーリは、躊躇せずヘソの横辺りをマチェットで撫でるように切り裂き、返す刀でうなじに手斧を叩き込む。

 

「げ、ぇっ」

 

 空気が抜けるような短い悲鳴を最後に再度命が尽き──項垂れた頭を勢いよく上げると、裏拳を放つ。

 うなじにめり込んだままの手斧で動きを抑制し、暴れ馬のように背後のユーリを殴らんとするオズワルドの拳を避け、マチェットを手斧で作った切れ込みに沿うように刺し込む。

 

「か、ぁ──、ぉっ……!」

「ユーリ! 掴まれるぞ!」

「なに、ぃ……ぅおぉおっ!?」

 

 マチェットの一撃で二つ目の命を奪えたとほんの一瞬油断したユーリの頭を、オズワルドは後ろ手に掴んで適当な方角に投げ飛ばした。

 

「──っ、か、ぁ……!」

 

 受け身も取れず背中から木の幹に叩き付けられ、肺から酸素が絞り出されたように数秒息が吸えなくなる。立ち上がろうとして中腰になったユーリを、オズワルドは首に手斧とマチェット生やしたまま蹴り抜いた。

 

「おごォっ!?」

 

 背後の木を粉砕して、後方の茂みに倒れる。咄嗟に腕を間に挟み、木に衝撃を移そうとしたとはいえ、ダメージを消しきれずにユーリは立てないまま悶え──喉の奥から赤黒い液体を吐く。

 

「ぅ、ぇえ」

「っ……まだ準備が──」

「次はてめぇだ、お嬢ちゃんッ!」

「────」

 

 地面に手と膝を突くシルヴィアからすれば、自分の持つ固有空間に保管していた武具の封印を解くのに、あと一分は必要だった。

 見上げた先に居た鬼のような怪物を──オズワルドを一瞥して、諦めたように力を抜いた体に凄まじい衝撃が襲い掛かる。

 

 地面と木の幹で数回バウンドして、ようやく止まったシルヴィアの体は凄惨な姿に変わっていた。かろうじて右腕が無事なだけで、左腕と両足はあらぬ方向にひしゃげている。

 銀髪は土と体からこぼれた血で汚れ、碧眼が命の尽きる直前のように光を失う。シルヴィアは、死ぬ間際の無意識下で、衣服のポケットに入れていた懐中時計に右手を伸ばす。

 

「──や、て、くれた、な」

 

 掠れた声でうわごとのように呟き、カチリ──と、懐中時計の龍頭(リューズ)型のボタンを押し込んだ。一拍置いて、誰の目にも映らないまま、懐中時計の針が()()()()始める。

 

 ギュルギュルと勢いよく逆回転する時計の針に伴って、シルヴィアの見た目が巻き戻って行く。折れて飛び出た骨が納まり、血が体内に戻り、土汚れが消える。

 無傷に戻ったシルヴィアは、ポケットから出した懐中時計が粒子状の魔力となって霧散するのを見届け、やや苛ついたような顔で言う。

 

「──やってくれたな」

 

 ストックしていた切り札の一つを切らされたこと、ユーリを蹴り飛ばしてくれたこと、そして自分を死ぬ寸前に追い込んだこと。その三つが重なって、シルヴィアは間違いなく()()()()()

 

「『螺旋槍(テンペスト)』」

 

 足元に出来た固有空間に繋がる波紋から、柄の先がドリルのように螺旋を描いている馬上槍(ランス)が現れる。そして柄の上半分と下半分を左右それぞれ違う方向に同時に捻ると、ドリル状の円錐部分が、見た目通りの動きで回転を始めた。

 

「……ユーリ……まだ、立ち上がるのか」

 

 準備を終えたシルヴィアが、視界の奥で満身創痍ながらもオズワルドと拳を交えているユーリを見付けて思わず口角が緩む。

 周囲の空気を巻き込み、ゴウゴウと唸るそれを投擲する構えを取って、オズワルドに聞かれようが関係ないとばかりに叫んだ。

 

「────ユーリ、伏せろっ!!」

 

 

 

 ──数分前。蹴り飛ばされたユーリは体からミシミシと嫌な音が響くのを無視して体を持ち上げるように立つ。

 

「呆れた頑丈さだな。

 昔の知り合いみてぇだぜお前」

 

「……誉めてるのか」

 

「正直引いてる」

 

 ギチッと音がするほど強く拳を握り近付いてくるオズワルドを、ユーリは待ち構える。──否、動く余力が無いのだ。同じように拳を構え、静かに内心で唱える。

 

 ()()()()()()()()()()……と。

 

「ッ──ォォオオ!!」

「……ぁああああ!!」

 

 伸ばした拳が届く一足一刀の間合いに踏み込み、腕を犠牲にするような荒い動きでオズワルドの拳を受け流す。()()を最期にするつもりはないが、ここで死ぬかもしれない。

 

 故に、ユーリは終始シルヴィアを信じた。

 

 オズワルドの左手が頬を掠めてパックリと皮膚が裂け、ユーリの拳が強かにこめかみを打つ。

 ぐらりとよろけた体勢から戻る勢いで放たれた拳に顎を打たれ、脳を揺らされ視界がぐにゃりとねじ曲がる。

 

 倒れそうになった体を押し止めるように、伸びたオズワルドの腕を掴むと、ユーリはオズワルドに向けて思い切り顔を振って──ゴンと鈍い音が頭蓋骨から響いた。

 

「くぉ──」

「っあ……っ」

 

 ──そうして遂に、ユーリの時間稼ぎが限界を迎えた。倒れる直前の体は、オズワルドが胸ぐらを掴む形で支えられる、

 

「……俺が知ってるなかで上位かってくれぇにしつこかったぞお前。40年前を思い出すぜぇ」

 

「…………ぅ」

 

「まあ、頑張った方だな。せめて苦しませずに殺してやるからよ。お前が終わったら次はあっちに蹴飛ばした嬢ちゃんだがな」

 

「──……」

 

 裂けた頬、割れた額、殴られて出た鼻血で顔をドロドロに汚しながらも、()()()()挑発気味に言われた言葉に憤慨し、されど言葉が出てこず睨むことしか出来ない。

 

 拳を耳元に持って行くように引く、いわゆるテレフォンパンチの構えでとどめを刺そうとするオズワルド。ユーリがこれまでかと諦めまぶたを閉じようとしたその時──

 

 

「────ユーリ、伏せろっ!!」

 

 

 キーンとうるさい耳鳴りの中で、その声だけはやけにハッキリと聞こえた。

 背後から謎の轟音と引っ張られるような力が迫るのを肌で感じ、ユーリは自分の横から顔を出して背後を覗き込もうとしているオズワルドのこめかみに、袖で隠していたナイフを手首から射出するように飛び出させ刺し貫く。

 

「──が、てめッ……!」

 

 息も絶え絶えのまま倒れて結果的に伏せたユーリの頭上を、『なにか』が通過する。

 ボッ! と空気が破裂する音がして、通過したなにかの進行上にあった()()()くり貫かれたかのように消失していた。

 

 木々が、オズワルドの体が、一瞬だけ空気が──円形に抉られて消え去り、遥か彼方に飛んで行ったそれは視界のずっと奥にそびえ立っていた山の一部を消し飛ばす。

 

 遺言すら残せずその場から消滅したオズワルドは、何分経過してもその姿を見せない。

 代わりに現れた()()()()()()()シルヴィアの手で倒れていたユーリが起こされ、近くの木を背もたれにして座る。

 

「……ぉ、わっ……か?」

 

「ああ、終わったよ。あの男は人体を空気中に散らしながら消滅しただろう。仮にここから復活できるとしても、時間が掛かるし長期間私たちに手は出せまい」

 

 汚れるのも厭わず自分の服の袖でユーリの顔の血を拭い、花のように笑って話し掛ける。

 

「なあユーリ……君はなぜ私を信じたんだ?」

 

「──さて、な」

 

 お返しとばかりに、そう呟いてまぶたを閉じる。気配が希薄になり、シルヴィアは自分の喉がヒュッと音を立てたのを感じた。

 だが、小さくも穏やかな寝息が聞こえてきて、心底安堵したようにため息をつく。

 

「……()()()()()──中々ハードだな」

 

 奥から聞こえてきた無数の足音を聞きながら、シルヴィアは言い終えると、ユーリの傍に座って天を仰いだ。

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