その男、異世界知識皆無につき   作:兼六園

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 遡ること数分前、間を空けて訓練所の真ん中の空間に立つユーリは、対面のヴァレンティナを見ながらぼやくように呟いた。

 

「どうしてこんなことに……」

「どうして……どうしてでしょうね」

「いや貴女そこそこ乗り気でしたよね」

 

 小首を傾げてすっとぼけるヴァレンティナにユーリはツッコミを入れる。

 

「さて、それではタチバナ様。運動の準備はよろしいですか?」

()()、いつでもどう────」

 

 ヒュ──ボッ! という空気を突き破りながら拳が迫る音。

 ()()()()()()()()()()()とでも言わんばかりに放たれた不意打ち気味のジャブを、ユーリの体がほぼ反射的に防いだ。

 

「ぐおっ」

 

 左腕で弾いた拳からは、ズドンと重い衝撃が響く。日頃からほぼ実戦形式の訓練をやらされていたお陰で、初撃で沈むことは免れた。

 ロングスカートの給仕(メイド)服であるにも関わらず、その足さばきは巧みで、流れるような連打を防ぐユーリは体から響く砲弾が着弾したような音と衝撃に()()()()を覚える。

 

 

 ──先生にもこうやってボコボコ殴られてたな。思考の片隅でそう独りごちると、ユーリがヴァレンティナの腕をいなしてほんの一瞬だけ隙を作り出し、片腕を胸元に伸ばす。

 

「おや」

「失礼……!」

 

 ぐっと掴んで体を反転させながらヴァレンティナを持ち上げると、一本背負いのフォームで彼女を投げる。──セクハラなのでは? という理性からの文句が脳裏に現れたが、そんなことを言う余裕は無いと良心をねじ伏せてそのまま床に加減しながらも叩き付けようとして。

 

「……はっ!」

「なん──おごぉ!?」

 

 あろうことか、ヴァレンティナは投げられながら空中で身をよじり向かい合うように着地して、その勢いのままユーリの腹に膝を打ち込む。

 

 ドンッ!! と衝撃が腹から背中に突き抜け、内臓がひっくり返ったかのような感覚に襲われるユーリだが、ここで膝を突いたら()()()()()()()()()()()()()を嫌と言うほど味わってきたせいで、いっそ楽になるという選択肢が消えていた。

 

「……まだ、やるのですか」

「すいません、ここまで来たら、なんだか意地みたいなものが出てきまして」

「その気持ちは理解できます」

 

 目尻を細めてユーリを見やるヴァレンティナは、そう言って拳を構える。

 

 

 

 果たして、組み手の勝者はどちらだったのかという話になるのだが──

 

「うべ」

「……あ」

 

「あ」

「あっ」

「あーあ」

 

 その後も続いた猛攻の果てに、容赦のないフックが顎を捉えて遂に倒れるユーリと、その体を咄嗟に支えるヴァレンティナ。ユーリの意識は、まるで眠るように落ちていった。

 

 

 

 

 

 ──穏やかな風と、鼻孔をくすぐる花の香り。それからまぶたを開けたユーリの視界に入ってきたのは、ヴァレンティナの顔だった。

 

「…………あの」

「タチバナ様。目が覚めましたか」

「はい、その……お、起きますね」

「いえ、まだそのままで」

「ぐえっ」

 

 きょとんとした顔で自分を見下ろすヴァレンティナを見て、ユーリの心拍数は上がる。

 ベンチの上でずっと膝枕をされていた、という事実を認識して起き上がろうとしたユーリを、ヴァレンティナは肩を掴んで押し留めた。

 

「どうして……」

「お互い加減をしていたとはいえ、強めに顎を殴ってしまいましたから。まだクラクラしているでしょう、もう少し休んでください」

「……俺はわりと本気でしたがね」

「? ……訓練こそ、本気で取り組むべきですよ? もちろん、だからといって全力を出すわけにはいきませんけれどね」

「────」

 

 微笑を浮かべて窘めるように言うヴァレンティナに、ユーリは何も言い返せない。

 そのどことなく同年代には見えない懐の深さと不思議な雰囲気を前に、ユーリはおもむろに口を開くと、さらりと問いかけた。

 

「ヴァレンティナさん、お幾つなんですか」

「おや。わたくしの年齢が気になりますか?」

「あ……えっと…………失礼でしたね」

「ふふ、お気になさらず。よく聞かれるのです、同年代には見えない、だとか」

 

 くすくすと笑うヴァレンティナを見上げて、それから視線を横に移す。

 城のどこかにあるのだろう空間に備えられた花壇に咲く色とりどりの花は、それぞれが主張しすぎない色合いで見目麗しい。

 

「──秘密は誰にでもあります。わたくしにも、タチバナ様にも、シルヴィア様たちにも。それがただ言わないだけなのか、どうしても言えないのかは、聞かないし聞けません」

「……ヴァレンティナさん」

 

 事実、ユーリたちは異世界人であることを明かしていない。それは『頭がおかしいと思われるから』であり、かといって逆に理解されても、それはそれで別の問題が発生してしまうからだ。

 そんなユーリは、ふと、気になったことをヴァレンティナに聞いてみた。

 

「自分の身の回りで起きる物事に対して、疑問を抱くことはありますか?」

「……それは、つまり?」

「例えば、上手く事が進みすぎていたり、今の俺みたいに問題事が連続で起きるとか、そういう違和感……といいますか」

 

 要領を得ない話を聞きながらも、ヴァレンティナは自分なりに言葉を噛み砕いて返す。

 

()()()()()()()が、()()()()()()()……それが、どこか気味が悪いと?」

「はい」

「……それを気にしすぎていると切り捨てるには、確かに問題事が連続して起き続けていますからね……なんとも難しい話です」

「そうなんですよねぇ」

 

 これがシルヴィアへの質問であれば、「それが主人公の定めだ、諦めろ。今後も問題は起きるぞ」とでも返ってきたことだろう。

 しかし、一緒に同じ目線で悩んでくれるヴァレンティナとの間にある空気に居心地の良さを覚えるユーリは、どことなくこの世界に来てから感じた事のない安らぎを感じていた。

 

 少しばかり普通とは違う人生を歩んできたユーリがその感覚の正体に気付くのにはまだ時間が掛かるが、それはそれとして、今度はシルヴィアがユーリに質問を投げ掛ける。

 

「ではこちらもひとつ、よろしいですか?」

「なんでしょう」

「──貴方はどうして、そうまでして、力を求めては厄介事に介入するのですか」

「……えっと」

 

 ヤンチャをする子供を叱るような声色で、ヴァレンティナはそう言った。

 

「王都にやって来て、やむを得ない事件を起こして我々に監視されるようになり、つい数日前にも東国で問題があったそうですね。やろうと思えば、どこへでも逃げられたのでしょうに」

 

「──俺は、小さい頃から鍛えられてきました。だけどこの国に来てから助けられない命があって、力が欲しくなって……厄介事に巻き込まれて、お嬢様やヴァレンティナさんに出会って、シルヴィアたちにも助けられて……」

 

 まぶたを閉じて、ユーリは今までの記憶を想起すると、ヴァレンティナの膝から頭を持ち上げて隣に座りながら続ける。

 

「俺は……俺だけの力で生きているわけではないことを理解しました。だから、俺に問題を解決できるだけの力があるのなら、そのために力を使いますし──みんなに助けられている分のお返しをしたいから、逃げてはいけないんです」

 

 手のひらに生み出した風の渦を霧散させて、ユーリは言い終えると空を見上げる。

 

「力を手にしたことで生まれた責任があるから、俺は出来る限り人を助けたいし、シルヴィアたちへの恩も返したい────、あっ」

「……タチバナ様?」

「あのときから……シルヴィアの問題は、なにも解決してないじゃないか」

 

 ずっと自分の身の回りの問題にばかり意識が向いていたユーリは、改めて思い返し、その事に気がついてベンチから立ち上がる。

 

「ヴァレンティナさん、すみません……やらないといけないことが出来たので今日はもう帰ります。おじょ──アイリーン様にも伝えておいていただけますか」

「……はい、あまりご無理をなさらないように。少なくともわたくしは貴方のことを心配しておりますことを、頭の片隅にでも」

 

 柔らかい笑みを浮かべるヴァレンティナに、ユーリが会釈をしてその場をあとにする。

 残されたヴァレンティナは、出口がわからずに一度花壇の奥に消えてから戻ってきて反対の出口に向かっていったユーリを見送ると、くすくすと笑って口を開く。

 

「……普通ではない者同士、どこか甘くなってしまうのでしょうか」

「──どうだかな」

「陛下」

「まあでも、お前があそこまで親身になってるのはアイリ以来だから確かに甘いのかもな」

 

 ひょこりと花壇のある小さな庭に顔を覗かせる老人──国王陛下ことアダムは、ヴァレンティナにそう言いながら近づいてくる。そんなアダムに、ヴァレンティナは思い出したように笑う。

 

「……ふふ、タチバナ様にお幾つなのかと聞かれたのですが、昔を思い出しますね」

「あん?」

「ほら、()()()()()が小さい頃にも、わたくしに同じ質問をしていたではありませんか」

「おい……『坊っちゃん』はよせ」

 

 アダムがこそばゆいように頬を指で掻くとヴァレンティナに問い返す。

 

「ヴァレンティナ……実際のところ何歳なんだ? 俺の親父が死ぬ前に聞いた限りじゃあ、親父の親父くらいの代から居るだろ、お前」

「……さて」

 

 そう質問するアダムに、ヴァレンティナは、少し考えるような動きを見せると──

 

 

 

「──秘密は、誰にでもあるのですよ」

 

 指を口に当てながら、そう返すのだった。

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