「づ、ぁ────!」
がばっと起き上がるユーリは、
体を十字に切り裂かれた感覚がまだ胴体に残り、バクバクと早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように深呼吸を挟む。
それからふと、自分が寝ている場所が魔王クロエと戦っていた場所ではない──見慣れた一室であることに気づく。
「…………
周囲を見渡せば、黒と紺を基調とした地味な色合いの部屋。ここは間違いなく、生前のユーリが使っていたはずの自室だった。
「どう……なってる」
ベッドから降りて、ユーリは部屋を出る。見慣れた廊下の奥には階段があり、警戒しながらも下に向かうと、リビングの方から、嗅ぎ慣れた香りと共に音が聞こえてきた。
敵の罠か、或いは。そう思案するのも仕方のない状況で、警戒を緩めずに下りきって、ユーリは挨拶でもするようにリビングに顔を出す。
「おや、遊理。なにをコソコソしているんですか? もうお昼ですよ」
「────」
見慣れた部屋、嗅ぎ慣れたコーヒーの香り、そして聞き慣れた声。不思議そうに小首を傾げる、
「……先生」
「はい、先生ですよ。どうしたんですか、そんなにかしこまった態度で」
「ああ、いえ」
「コーヒー、貴方の分も淹れますね」
ガタンと椅子を引いて席につくユーリの眼前で、キッチンに向かってマグカップにコーヒーを注ぐ女性は、ショートの赤毛を揺らす。
振り返った先にある顔は、端正ながらも、閉じられた両目が違和感を抱かせる。
「はいどうぞ~」
「……ど、どうも」
──立花奏。よく見れば、彼女の目元には横一文字の鋭い古傷が刻まれていた。
それはつまり、何者かに目を斬られた結果失明したという事を指し示している。
「それで、なにかあったんですか? さっきからずっと怪訝そうな顔をして」
「見えていないわりには、的確に言い当ててきますよね、先生って」
「ふふ、年の功ですよ」
どこか懐かしいジョークめいた会話に小さく笑って、コーヒーを一口啜ると、ユーリはカップを置いて心底疲れたように顔を歪ませた。
「──なんだか、すごく、長い……辛い、変な夢を見ていた気がして」
「……疲れてしまいましたか?」
「…………、……はい」
「よかったら、聞かせてくれませんか。遊理が、どんなことをしてきたのかを」
「────」
奏はそう言って、閉じていたまぶたを開く。何も映さない濁った瞳が、しかして真っ直ぐユーリを見据え、ゆったりと椅子に体を預ける。
「……本当に、長かった。半年くらい戦っていたような気がしますよ」
例え幻覚でも、死に際の走馬灯でも、都合がよくても。心の折れた人間が人にすがることを、果たして誰が責められようか。
そうしてユーリは、ポツポツと異世界で何をしてきたかを語り始めた。
──腹に鋭いダートナイフが突き刺さり、同時に
「おぉォオァ!!」
「ご、ふっ!?」
ドンッと蹴り飛ばされた縁は教会に備え付けられていたベンチにちょうど座るように吹き飛び、反作用で数歩後退りしたリンは背後に伸ばした氷柱に背中を預けて立ったまま荒く呼吸する。
「──はっ、はぁっ、がっ、あぁア」
リンはその体勢で腹に刺さったナイフを掴み、ズブズブと引き抜く。痛みと異物が抜ける嫌悪感で視界に星が散るが、堪えて全て抜き終わるとナイフを捨てて患部を氷で塞ぐ。
服の上から腹部を凍結させ、血の混じった薄い赤色の氷が出血を抑えるリンは、傍らに落ちて床に突き刺さっていた縁の刀を掴んで右手に握らせた。ベンチに座っていた縁もまた、左肩の半ばまでを断ち割らんとしていた氷剣を抜く。
「ふんっ、ぐっ、づ……!」
気合いを入れる縁の左肩からブシュッと血が溢れ、左腕はだらりと力無く垂れている。
腹の穴を氷で塞ぐも痛みは消えていないリンは、刀を構えて口を開いた。
「……お前、マジで死んじまうぞ」
「構うものかよ。リン……お前を殺せるなら、そのあと死んでも悔いはない」
ボタボタと肩から血を流し、命の灯火が少しずつ消えようとしているが、縁の瞳からは闘志が今もなお輝き、その手で氷剣を構える。
「命と命を削り合う戦いがしたいんだ。それだけが、私に生きていることを証明させてくれる。これが普通の生き方ではないなんて、私が一番、よくわかっているんだ」
どこか疲れを見せる表情に、リンは眉をひそめる。両手で握る刀は柄と氷だけの軽い氷剣よりもズシリと重く、痛みと相まって意識が逸れる。縁はそんなリンに、ふっと笑いかけた。
「死にたくなければ殺してみせろ。ただし──刀は簡単には扱えんぞ」
「────」
縁は流血で体温を失いつつある体を引きずって、リンは腹の穴の激痛に顔を顰めて。重く、ゆったりとした、それでいて濃密な殺意を滾らせた動きが、剣戟となってぶつかった。
──立花奏は、ユーリの話を最後まで聞き終えると、一拍置いて口を開く。
「災難でしたね」
「ええまあ、はい」
「魔王……魔王って言うと……もしかしてクロエですか? 金髪に黒いメッシュがスイカみたいに入ってる女の子ですよね」
「そうですが────うん?」
考えるようにこめかみに指を当てながら言う奏に、ユーリは違和感を覚える。
「あの、先生」
「はい」
「これ、俺があいつにやられて死に際に見てる走馬灯的なアレなんですよね?」
「そっちはそうなんでしょうけど、私は掃除を終わらせてうたた寝してる最中ですよ」
「えっ?」
「えっ」
二人は顔を見合わせて、首をかしげた。奏はおもむろに目頭を指で揉みながら続ける。
「まず大前提として、私は元勇者、あなたは次代勇者
「はい」
「私は本来であれば魔王を殺すと同時に失われる勇者の加護を持ったまま地球に帰ってきた。だから、赤子だった貴方を拾ったとき、『ああ、この子が次の
そう言いながら、奏は手首をスナップさせて袖の中から柄から刀身までが漆黒の、シンプルな片刃のナイフを取り出すとユーリに見せた。
「これ、遊理も持ってますよね」
「……ええ、持ってますよ」
「これは私が召喚された世界で渡された聖剣…………がデカすぎて邪魔だったので溶かして型に流して固め直したナイフです」
「扱い雑じゃありません?」
「扱えない武器なんて木の棒にも劣りますから。それで、このナイフは6本あったんですが、その内の半数をクロエに破壊されました。残りのうち1本を私が、2本を貴方が持っています」
「2本……? いえ、俺が渡されたのは1本だけで、2本では────」
当然の疑問を返すユーリだが、かぶりを振った奏に言われずとも否定された。
ナイフを仕舞った彼女は、ユーリの胸元を指差すと、あっけらかんと言い放つ。
「1本は小さい頃の貴方の体内に、魔力に分解して埋め込みました」
「──なんて?」
奏にさらりとそう言われて、ユーリは反射的にタメ口で問い返した。
「『いつか別の世界に呼ばれることになるだろう』という確信だけがあった私は、貴方を鍛える裏で、聖剣……聖ナイフ? を保険に埋め込みました。恐らく私の夢と貴方の走馬灯が繋がったのは、体内のナイフが勇者の力という妙な繋がりを、私と遊理の間に作ったのでしょう」
「──クロエが俺の魂を全て奪えなかったのはそれが原因だったのか」
彼女の説明でようやく合点の行ったユーリだが──それはそれとして、顔を両手で覆って、絞り出すような声を口から漏らした。
「……無断で変なものを人の体に入れるのはやめてもらえませんかね……!」
「はい。すみませんでした」