ワイルドエリアに踏み入れて7日目、現在地キバ湖東エリア。静かな草原を走るのは一台のトゥクトゥク(屋根付き三輪バイク)。
「…やっと…やっとたどり着いたな」
「…ソーナンス」
エンジンシティへの門がここからでも見える。間違いない、出口だ。
「過酷だったな…」
「ナンス…」
この一週間、片時も心が休まる瞬間はなかった。しかしゴールは目の前だ。
そして、そのゴールの前に人影が見えた。30代中盤といったところの男だ。スポーツウェアを羽織っているが、体格は細くスポーツマンの様な印象はない。スケッチブックとペンを持っている。絵描きだろうか。折りたたみ椅子に座りワイルドエリアの風景を眺めている。
「ソウさん、一応警戒して」
「ソーナンス…」
先日人間に襲われたばかりだ。警戒はすべきだろう。
すると、こちらのエンジン音に気づいたのか男がこちらを向き手を振った。
「こんにちわー!」
男の気の抜けた声だ、その挨拶に敵意は無いように見える。
「こんにちは」
「ソーナンス!」
僕らもトゥクトゥクを停め、降りて挨拶を返す。
「いやぁ、久しぶりに人間に会ったよ」
「あなたはこの辺りにお住みで?」
「ああ、エンジンシティに住んでいる。そして時々こうしてワイルドエリアで絵を描いているんだ」
草原と湖の絵だ。まだ描き途中だが、彼の絵の上手さは十分に伝わる。
「ああ、自己紹介が遅れたね。私の名前はクサカベ。この格好から分かると思うけど元リーグスタッフだった」
なるほど、あのスポーツウェアに見えたものはリーグスタッフの制服だったか。
「僕の名前はカイ、それでこっちがソウさん」
「ソーナンスッ!」
ソウさんは元気一杯に挨拶する。
「君達はどこから来たんだい?見張り塔側から来たようだけど…もしやワイルドエリア駅からここまで?」
「はい、本来はブラッシータウンから線路を通ってエンジンシティまで来る予定だったんですが、アクシデントがあって、今ワイルドエリアを突破して来ました」
「へぇ!たくましいもんだねぇ。リーグスタッフも働いてないから昔以上に過酷なはずだけど」
「まあ、過酷でしたよ…」
「…ソーナンス」
「お疲れ様だねぇ…そうだ、いいものをあげよう」
そう言うとクサカベさんは木の水筒とコップを取り出し僕らに差し出す。
「ハーブティーだよ。この辺りの水辺で取れるんだ」
そう言うとクサカベさんが自分のコップにそれを注ぎ、飲んで見せた。
「うん、我ながら美味しい」
それを確認して、僕とソウさんも口をつける。
「あ、美味しい」
「ソーナンス」
優しい、落ち着く味がする。
「平時と違って、水って煮沸してもどうしてもコケ臭いことがあるからさ、こうしてお茶にすると臭いが気にならないんだ。旅の途中で茶葉か何かを手に入れたら試すといいよ」
「なるほど…」
ここ数日僕たちはコケ臭い水しか飲んでいない。なるほどこういう方法もあるのか。エンジンシティに入ったら何か残されていないか探ってみよう。
「お茶、ご馳走になっちゃってすいません。僕から返せるものがないんですけど…」
「いいさいいさ、私が勝手に振る舞ったんだ。それより、道中の話を聞かせてくれないか?南から来たんだろ?」
「そんなことで良ければ…とはいえ旅を初めてまだまだ短いんですけど…」
「なるほど…ハロンもブラッシーも無人か…。それに狙撃手ねぇ…」
「エンジンシティの人口はどうなっているんですか?かなり大きい街だと思うんですけど」
「少し前までは住民がいたけど…多分もう誰もいないんじゃないかな」
「ソーナンス…」
クサカベさんと話している間、ソウさんは暇なようでタンポポを毟っている。そして食べた。食べることができる野草ではあるが、そんなに美味しいものだとは思えない。しかしソウさんは事あるごとにムシャムシャ食べている。
「タンポポの根っこも代用コーヒーになるんだよ」
「話は聞きますけど作り方はわからないですね…」
「後で教えてあげよう」
「カイ君は、キョダイマックスって見たことあるかい?」
クサカベさんは風景を描きながら僕に問いかける。
「小さい頃テレビで見たことはありますけど…生で見たことはないですね」
「元々キョダイマックス出来る個体が珍しいからね。僕も生では見たことがない」
おそらく相当長い期間このワイルドエリアを彷徨っていれば遭遇することもあるだろう。しかしこの魔境と化した今のワイルドエリアでの滞在は危険が多すぎる。そこまでするメリットがない。
「僕はね、待ってるんだよ。キョダイマックスをね。それを描きたい」
「…でも、キョダイマックスポケモンと接触するのは難しい。それに接触したとしても危険すぎる」
「そうだろうね。私にも味方はいるが…対抗は出来ないだろう」
懐からボールを放り出す。久々に見た、モンスターボールだ。
「クー!」
ピンク色の小熊。ヌイコグマだ。
「ま、可愛いがね」
ヌイコグマはクサカベさんの膝に丸まって昼寝を始める。撫でようとしたクサカベさんの手は払われた。痛そうだ。
「イテテ…でもね、今日は来るはずなんだ。よく晴れた花の咲く日、それに今日はガラル粒子が濃い。ほら、来るよ」
クサカベさんが視線を送った先、あれは巣穴か何かだろうか。その部分の空間はわずかに淀み、何かが穴から溢れ出る。
「紫の光…」
天まで届く紫の柱、圧倒的なエネルギーの奔流、これが、キョダイマックスの力。
「あまりに濃いガラル粒子は紫の光に見える。そしてそれに当てられたポケモンはダイマックスするんだ」
風が吹く。立っていられない程の突風が吹く。
「ソォナンス!?」
ソウさんが驚き、駆け寄って来た。
紫の光がほんの小さなポケモンを何倍にも膨らませていく。青白く眩く光るその翼は恐ろしい殺意を秘めながら、それでいて美しい。
「バタフリー…キョダイマックスの姿……娘が言っていた通りだ…」
クサカベさんはその姿を見て、立ち尽くし、そしてスケッチブックとペンを走らせ始める。
「クサカベさん、ここは危険だ!逃げよう!」
あの大きさは恐らく全長20mはあるだろう。あれほどの巨体の生物が無害なはず無い。しかしクサカベは聞き入れなかった。
「逃げようって…痛っ!」
力づくで引っ張るがヌイコグマが邪魔をする。
「ご主人様の邪魔はさせないってことか?」
キョダイバタフリーはこちらを見ている。…恐らく、力が有り余った暴走状態で。
「ソォォォォォォナンスッ!!!!」
ソウさんは不思議なベールを僕らの周りに展開する。『しんぴのまもり』だ。
ヌイコグマはクサカベさんの前で『まもる』。
僕は急いでトゥクトゥクのバックを探る。戦闘は避けられない、しかも
ソウさんは虫タイプが弱点だ。僕がカバーしなければ。
『ピィィィィギュゥゥゥゥ!!』
バタフリーは突風を起こし、鱗粉を撒き散らす。その鱗粉がまるで無数の蝶のような形を作り、僕らに殺到する。
「…キョダイコワク。美しい技だ」
クサカベさんはその技に感動している。美しさは理解できるが今はそんな場合ではない。
「ソウさん食べろ!」
ソウさんに投げつけたのは一種類だけ取っておいたレアなきのみ。タンガの実だ。
「ソーナンス!」
ソウさんは直接口でキャッチし、咀嚼する。相当辛いので顔は歪むが、仕方ない。
タンガの実はどういう理屈かは知らないが、むしタイプの攻撃を弱める効果があると言われている。
無数の蝶の鱗粉がソウさんに殺到する。
「ソォォォォォォナンスッ!!」
対するソウさんは『ミラーコート』。
鱗粉の蝶は神秘のベールを通りその色を変える。毒性が失われた。
しかし威力が弱まるわけではない。ソウさんが正面から鱗粉の蝶を受け止める。
「ソォォォォォォォ…」
タンガの実で威力を抑えているとはいえ、元が絶大な威力だ。ソウさんも苦悶に満ちた表情を見せる。
「ォォォォォナンスッ!!!」
しかし、耐えきる!
「お返しだ!」
ソウさんが受けたエネルギーを倍にして返す!
「ソォォォォォォォナンスッ!!」
鱗粉の色が残る黄緑のエネルギーが放出される。一直線に飛んだ園エネルギーはバタフリーに直撃!巨蝶を地に墜とす!
「ナンスッ!」
誇らしげなソウさんの口にオボンの実を突っ込む。
バタフリーはその身を縮め、通常の大きさに戻るとどこかに飛び去ったようだ。ソウさんが無意識にかげふみしてしまわない様に抑え込んでおく。
「…すまないね、我を失った。守ってくれてありがとう」
クサカベさんはスケッチブックを置き、頭を下げる。
「…詫びとして食料分けてください。あとトゥクトゥクをエンジンシティに入れると手伝って。この街階段登らないと入れないから」
「手厳しいなぁ」
「破格です」
缶詰といくつかきのみを受け取った。このくらいは当然だろう。
「それで、そこまでして描いた絵はどうなったんですか?」
「ああ、いい感じに描けたよ」
覗き込むと、先程まで描いていた風景に巨大な蝶が描かれている。まるで実物をそのまま落とし込んだようなリアルさがありながら、本物よりも更に荘厳に、美しい姿だった。
描かれた巨蝶と立ちふさがるソウさん。頼りがいのある背中だ。それを眺めている人影は…誰だ?
人数が多い、僕以外に二人いる?
「見えるんだよ、未だに」
「…」
「娘がね、蝶が好きだったんだ。このワイルドエリアにも家族でよく来たよ。もちろん安全には気を使ってね」
ああ、この人もまた、僕を見ていない。
「結局娘と共にあのキョダイバタフリーを見ることはなかったがね」
愛おしそうに絵の中の少女を撫でる。10歳くらいだろうか。その隣には優しそうな女性だ。
「カイ君にとっては、だからなんだと合う話だがね」
「いえ…」
「私がバタフリーを描くことで何かになるわけじゃないが、それでも私の生きがいだったわけだ。消えた家族と繋がれた気がしたからね」
だが、クサカベさんはもう描いてしまった。
「ああ、だから今のこの瞬間生きる目的がなくなってしまった」
「…」
「でも、まだ生きようと思う。どうせいつか消えるんだ。それまでに娘と妻が見れなかった景色を描いて、土産にするんだ。いっぱい絵を抱え込んで、それでいつか、消えるさ」
「いいと思います、凄く」
「ソーナンス!」
消滅と死、どちらが残酷か。母の死に目に僕は思った。
家族を消滅に奪われた父親はきっと、絶望の底に沈んだだろう。それは間違いなく残酷なこと。
それでも彼は立ち止まらず、生きようとしている。
「カイ君が生きる理由はなんだい?」
「…漠然としていて、上手くは言えないですけど。…誰よりも自由に生きたいと思って旅をしています」
「…この時代、生きる意味ってのは凄く重要だ。自分が何故生きているか、忘れちゃいけない、無くしちゃいけない。あまり参考にはならないかもしれないけどね」
「いえ、肝に銘じます」
「…ソーナンス」
「クー!」
ポケモン2匹が鳴いた。
「あらら、ほっといてごめんね」
風が吹いた。優しい風だ。
「さて、それじゃトゥクトゥク上げるの、手伝ってもらいましょうか!」
「…肉体が衰えてるから過度に期待はしないでね」
「さて、行こうかソウさん」
「ソーナンス!」
あたりはまだまだ明るい。街に入って探索が出来る。
ソウさんはいつの間にかニット帽を被っている。大きな街に入るためのオシャレだろうか。
「さて、今後の健やかな旅のために、茶葉でも探しに行こうかね。もしくはコーヒー」
「ソーナンスッ!!」
ワイルドエリア突入から7日、突破成功。まだまだ旅は始まったばかりだ。
「さて、噂によればまどろみの森には凄く珍しいポケモンがいるらしい、描きに行ってみようかな」
「クー!」
「どこかに乗り物があれば便利だけど…当分は徒歩か」
ワイルドエリアの草原、その真ん中、男とヌイコグマは立っていた。
「まあいいさ、時間はまだまだ残ってる」
「クー!」
そしてこの日、また一人、旅人が生まれた。
時系列的にはキョダイマックスと初対面です。
終末ガラルメモ
キョダイマックス
キョダイマックスポケモンは終末ではかなりレアなポケモンのようです。原作ゲームでもキョダイマックス個体を見つけるために長時間レイドバトルを繰り返した方も多くいるでしょう。それだけ長時間ワイルドエリアを彷徨わなければ出会えないのならば、長時間彷徨うと命の危険がある終末ワイルドエリアでキョダイマックスに出会うのは至難の業なのではないかと思います。
ちなみに僕はキョダイマックスゲンガーに一切躊躇なくマスターボールを使いました。