男は獣狩りであった。大切な家族がいた。

獣狩りは獣となった。幸は二度と手の届かぬ場所に。

獣は人を己に見出した。それを与えたのはあなた達だった。


男の名を、ガスコインといった。

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夜が明けないので初投稿です。




獣狩り ガスコイン

山のあなたの 空遠く

 

(さいはひ)」住むと 人のいふ

 

(ああ)われひとと ()めゆきて

 

涙さしぐみ かへりきぬ

 

山のあなたに なほ遠く

 

「幸」住むと 人のいふ

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

『なんだ、そのへんてこな歌は』

 

 まずはじめに、男が眉をひそめながら問うた。

 

『歌じゃなくて詩ですよ、あなた。遠い異国から訪れた旅人が吟じていたんですって』

『……ふん。最近は獣も増え危ないし、あまり余所者にも近づかぬように』

『ふふふ。はいはい、分かっておりますよ。それにしたって、こんな素敵な詩を聞いて最初に言うことがそれだなんて、パパは捻くれ者ですね。ねぇアンナ』

『ひねくれものー?』

『素直じゃない、ってことですよー』

『おいヴィオラ……』

『えへへ、パパひねくれものだー!』

 

 無垢な笑顔で自分をなじる愛娘に困ってしまい、男は先ほどとは違う理由で額にしわを作った。

 なんてことはない、麗らかな陽光に照らされた家族の日常である。

 尋ねゆくまでもなく、「幸せ」は、いまここにある。

 そう考えたところで、男の口から『ああ、だがしかし……』と漏れた。

 

 

 

『なるほど、この(うた)は────』

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 むせ返るような血生臭さに目を覚ました。

 しかし男にとってはもはや慣れきった匂いでもある。

 獣を恐れた人々によって放たれた火が石畳を照らし、されど他の光源はもはや見つからないほどの闇夜が自身を妖しく包み込んでいた。

 どれほど意識を失っていたのだろうか。己の体温をまず確かめ、数分に満たない時間であったと知る。仮に1時間でも意識から切り離されていたのであれば、たちまち獣に喰い荒らされていたことだろう。

 

 まぶたの裏には先ほどの幸せな情景が張り付いていた。否、「幸せだった」情景だ。

 男はそれを、太腿に輸血液の注射針を差し込む痛みで無理やり頭から追い出した。

 

 思い出は人にとって大切なものだ。しかし、所念を抱えてまっとうできるほど獣狩りは易しいものではない。油断は死の隣人であり、懐古は生の対義語だ。

 そしてなにより、失ったものは戻らないのだから。

 

 ヘンリックが消えたのち、新たに一人の狩人とコンビを組んだ。

 若く強い、良い狩人であった。しかし、良い狩人ほど血に酔いやすいものだ。

 

『エルメス、なにを、している』

『なにってッ! ハアッ! 獣をッ! 殺しているんですよッ!』

『エルメス』

 

 彼は半狂乱になって一人の女の体をノコギリ鉈で切り裂いていた。

 彼が腕を振り落とすたびに血飛沫が舞い、辺りには慣れ親しんだ血の匂いと細切れになったピンク色の臓物が広がっていた。

 

『エルメス、それ(・・)は、俺の、妻だ』

『そうッ! ですかッ! そいつァ! 御愁傷様だッ!』

 

 彼のノコギリ鉈が何か硬いものに当たった音がして、足元に赤い物体が飛んできた。

 赤い宝石のブローチ。男は黙ってそれを手に取り、祈るように胸に当ててしばし目を閉じた。

 肉を切り裂く鈍い音だけが耳に届く。

 不思議と激情に駆られることはなかった。

 凪いだ心は、あるいは諦念とも呼べるものだ。

 狩りを続けるうちに、平和な頃の記憶が血に塗り潰されていったことも原因にあるだろう。

 

『ヴィオラ、なぜ』

 

 言葉は続かなかった。己のせいだと気付いていたからだ。

 

 お前も、獣となったのか。

 

 己の手で狩るべきであった。

 エルメスよりも先に見つけるべきであった。

 

『ハァ……ハァ……喉が、神父、喉が渇きました』

 

 死体を踏んでいることを気にも止めずに、ふらふらと体を揺らしながらエルメスが訴えた。

 その口からは絶えず涎が溢れていた。

 

『……そうだな。休もう、我々には休息が必要だ。さあ、荷の中に水筒がある』

 

 そういって彼に背を向けた瞬間、声が聞こえた。

 

『……血を。神父、ここで、寄越せェ!』

『……ああ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『先に、休むといい』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一匹の獣の頭が空を舞った。

 その(おもて)の瞳は蕩けきっていた。

 

『どこもかしこも、獣ばかりだ……』

 

 血に酔った狩人は、より一層恐ろしい獣となる。

 獣狩りたちの間で時折談義される話題があった。

 

 獣とは何か。なぜ獣の病に罹る者があらわれるのか。

 

 長く狩りを続けるうちにうっすらと分かってきた。獣とは、人間性を失った野生そのものとしての「人間」だ。

 つまり、人は理性で獣を隠し込んでいる。誰しもが、獣になりうる。

 俺も、今日ここでヴィオラに邂逅しなければ、あるいは。いや、最愛の妻の死に心が揺れない時点で手遅れなのかもしれない。

 

『だが、忘れないさ』

 

 家族との思い出、そして自分の名。忘れてはならないものがある。

 獣となった獣狩りの躯を見下ろす。

 

『「神父」じゃない。俺の名は、ガスコインだ。そうだろう?』

 

 返事はなかった。

 夜空には、白い満月が独り佇んでいた。

 

 

 

 

 あの時と同じような月が、雲の隙間から顔をのぞかせている。

 炎の明かりが届かぬところも照らされるが、その分だけより一層闇は濃くなる。

 男は——ガスコインは、戯れるように赤い宝石のブローチに月光を反射させ、再度己の存在を確認する。

 

「俺はガスコイン……獣狩りのガスコインだ。アンナ、待っていてくれ。あと少し、きっともう少しで……」

 

 此度の獣狩りの夜はあまりに長すぎる。

 だからこそ、終わらせなければいけない。

 

 狩人が、ヤーナムに夜明けをもたらさなければいけない。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「夜が……終わらない」

 

 あまりに夜が長すぎた。

 どれだけの獣を狩ったのか、もはや分からない。道を歩き出会った存在はすべて獣であった。中には人もいたが、たちまち獣へと変わってしまった。

 市街は人のふりをした獣が群れをなして闊歩し、闇にはこれまでにないほど凶悪な怪物が潜んでいる。

 子を食らう(母親)を見た。その表情は飢えた犬に相違なく、葛藤も苦しみも見つからなかった。

 

 

 

「まだか」

 

 獣を狩るほどに己の中の大切なものが削れていくのを感じた。

 いや違う、俺は何も失ってなどいない。

 獣を狩ることこそ狩人の本懐。幾千の獣を狩ったところで、俺の存在は微塵も揺るがない。

 

 

 

「まだか」

 

 おかしい。獣が増え続けている。

 いつ、この夜はいつ終わるのか。近頃は、眠ることがなくなった。元々安全でない場所では熟睡などしなかったが、眠る代わりに目を閉じただ瞑想している。

 体が、もっと獣を狩り殺せと叫んでいる。瞑想の間はもっぱらそれを鎮めることに徹する。

 

 

 

「まだなのか」

 

 もうしばらく他の狩人を見ていない。これほど長い獣狩りの夜は初めてだ。もしかすると、他の獣狩りたちは死んでしまったか、はたまた血に酔った獣に堕ちてしまったのかもしれない。

 躊躇してはいけない。姿が見えたら、それはもう獣。そうでなくとも、やがて獣となるのだから……。

 目に映った物体を変形させた斧で叩き潰す。誰もが獣になりうるのだ。躊躇した瞬間に、喉元を食いちぎられる。

 

 大丈夫。俺はまだ人だ。いいや、狩人だ。

 彼女たちの存在を覚えている限り、俺は人でいられる。この赤い宝石のブローチを握りしめれば、我が最愛の妻を思い出せる。

 ああ、愛してるよ、我が妻……

 

 我が妻……

 

 待て

 

 待ってくれ

 

 違うんだ、忘れてなんかいないさ、歳のせいだ、よく言葉が出なくなる

 

 待ってくれよ

 

 いま呼ぶから

 

 ……ああ

 

 誰でもこういうことはあるだろう?

 

 なんてことない、本当に大したことないよ

 

 だから、もう少し、もう少し待ってくれ

 

 

 

 

 このブローチの持ち主が誰かなんて、簡単さ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 俺に関係ある人なんだろう?

 

 ……

 

 そこは迷うことじゃないだろう

 

 とうとうボケが回ってきたな

 

 分からないわけないじゃないか

 

 自分が誰かだなんて(・・・・・・・・・)

 

 俺は、俺は──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、一つだけハッキリしていることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は、獣狩りだ。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 獣は火を恐れる。それは原始的な恐怖心からなのか、あるいはもっと別の理由か。

 ゆえに闇の中にこそ獣は紛れ、獣狩りは夜に行われる。

 そしてここにも一人、銀の月明かりだけが照らす墓地にて熾烈な争いを繰り広げる獣狩りがいた。

 

 鉄器のぶつかり合う火花などは望めない。肉を切り裂く鋭爪か血飛沫を伴う処刑用の斧だけがその場にある、まさしく獣と狩人の命のやり取りであった。

 獣がその両の腕を広げ、抱きしめようとするかのように狩人に飛びかかる。その獣の左腕をくぐるようにローリングすることで回避し、体勢を崩した獣の背中へ右左右と斧を振り下ろす三連撃を当てる。対人戦ならば十分な手応え、相手は振り向くことも叶わずに絶命するであろうが、これは獣狩りだ。かすかな予感をもとに後ろへワンステップ飛び退けば、先ほどまで己の頭があった場所を獣の右腕が風圧とともに通り過ぎる。

 互いに睨み合い、次の攻撃の機会を伺う。そうしているうちに獣の傷跡は血が煮えるように泡立ちながら閉じていく。化け物め、と狩人は心の中で毒づく。

 敵に回復も間に合わないような大ダメージを与えるには内臓攻撃が一番だ。しかしその為には銃器などを用いて獣を一度怯ませる必要があり、補給線が乏しい現状進んで用いたくはない。水銀弾を用いずともまっとうできる狩りならば、使わなくても問題ないというのが彼の考えであった。もっとも、使わなければいけない相手には容赦無く使っていくが。

 武器に仕込まれていた仕掛けを作動させながら斧の柄を引けば、ガチャリと音を立てて柄が伸びる。先ほどまでは小回りの利かした使い回しに向いていた斧だが、この状態では遠心力をふんだんに活用した爆発的な威力を伴う立ち回りが可能になる。斧に振り回される形になるため安定性に欠けるが、この獣の動きは既に見切った。

 腰を落とし、両腕で斧を体の左後方に構え、力を溜める。はたから見れば静止しているように映るだろうが、つま先にかかる圧力はどんどん増していく。

 我慢しきれなくなったのだろう。獣が癖のように左脚を一瞬後方に下げ、牙を剥いて飛びかかってきた。ここだ!

 軸足を残して重心を少し前にずらせば、解放された斧の刃先が鋭く2回転獣の胴を抉る。たまらず膝をついた獣に対し、同じ動きで狩人は体に回転の力を溜めた。

 

「貴様も先に、休むといい」

 

 獣が立ち上がる寸前、体の力を解放する。

 元々処刑用の斧であったからであろうか。吸い込まれるように獣の首を裂いた刃先は、2周目回ってきたときには寸分たがわぬ場所を通り、しかしもはやそこには何の抵抗もなかった。

 断末魔は残らない。トスリと獣の頭が地に落ちる音だけが残響し、月が惨さに目をそらすかのように姿を隠した。

 辺りには暗闇と、そして狩人の息遣いだけが残る。

 

「俺は、獣狩りだ。獣を余さず狩るのだ。狩って、狩って、狩り続けて、そして……」

 

 ……そして、何がある?

 

『山のあなたの、空遠く──』

 

 俺の

 

 

 俺の幸せは

 

 

 俺の(さいはひ)は、どこにある?

 

 

 

 

 いつものように、胸の内ポケットから一つのブローチを取り出した。

 俺から「獣狩り」を奪えば、もはやこれしか残らない。

 だからこそ、これは俺が俺であった証拠で、また俺が俺でなくなってしまった証左だ。

 けれど、これがある限り俺は大丈夫だと言える。たとえ何もかも忘れてしまった今でも、この確かな赤い煌めきがある限り、大丈夫だ。

 

 なぜなら、決して慣れてしまわないのだから。

 

 忘却の痛みに慣れてしまわぬ限り、きっと。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「……へぇ、なんて題名の詩なんですか? 美しい詩ですねえ」

「さあ……? 俺も、聞いたのは一度きりだ」

「『幸』ですか。あなたは山を越えたそのまた向こうに、それがあると思いますか?」

「馬鹿馬鹿しい。どこかにある安住を求めるようでは程度が知れる。それは己の力で切り拓くものだろう?」

「ハハハ、なかなか厳しい意見ですね。作者が泣いてしまいますよ」

「まあ、な。……ああ、だがしかし──」

 

 何とも珍しいことに、偶然ヤーナムで立ち寄った墓地で他の狩人に出会いました。

 凄まじい風格です。幾千もの獣を狩ってきたのでしょう、立ち振る舞いにはまるで隙がなく、そもそもこのような凶悪な獣が多く彷徨いこむ場所を狩場にしてきたということから推して知るべし、です。

 折角なので少し話し相手になっていただきました。彼自身のことは全くと言っていいほど話しませんでしたが、文化人でもあるらしく、一つの詩を教えてもらいました。

 

 山の向こうに「幸」がある。そう聞いて人と共に訪ねて行ってみたけれど、収穫も得られず泣く泣く帰ってきた。山の向こうのそのまた向こう、「幸」があると人は言っている。

 

 なんて悲しく美しい詩なのだろう、と思いました。それに、「幸」とは一体なんだろう? 単なる幸せなのでしょうか? それがあると言った誰かは、本心から言っていたのでしょうか。

 ……などと言っても我々は結局は獣狩り。役目を全うせねばなりません。

 この辺りは彼がいる限り問題ないでしょう。私は他の地域に赴くとしますか。

 

 そうして立ち上がろうとした瞬間、電気でも触れたかのようなピリリとした痛みが古傷を走り、私は全力でその場を飛び退きました。

 

「……ッチ、なかなか良い勘をしている、良い狩人だ。──だからこそ、危うい」

「なっ、なにを……」

 

 この古傷を走る痛みには何度も助けられてきました。まるで未来予知でもしているかのように、私の身に危険が迫るとピリッと痛むのです。

 見上げれば、先ほどまで話していた彼が斧を振り切ったあとのようでした。

 殺そうとした? 私を? なぜ、彼が?

 

 

 違う。殺されそうになったのならば、御託はいい。殺せ。

 

 

 己の意識が鋭く研ぎ澄まされていくのを感じつつ。愛用している武器の元へと右腕を伸ばし──

 

 

 腕が

 

 

「あっ、アアアアァァッ!! 私の、腕がッ!!??」

 

 それを知覚すると同時に、潰された断面から鮮血がしたたり落ちた。

 しかしこんな隙を見逃す相手でもなく、認識できるギリギリの速度で側頭部に斧の刃先が迫ってくる。

 

「くっ……ぐう……アアァァァ……」

 

 腰を落としながら首をひねって斧をかいくぐり、残った左腕を支えに勢いのまま跳躍し、彼の間合いから離れる。

 どう考えても倒せるような状況ではない。しかし、幸い彼の武器はリーチも短く、逃げに徹すれば生き残れるはずだ。

 

「どこもかしこも、獣ばかりだ……」

「本当に、何を、言っているんですか!?」

 

 彼は掻き毟るように自身の顔を抑え、呻き声を漏らした。

 獣ばかり? 何だ彼は、気が狂ってしまっているのか?

 

「私は人だ!! だから、どうか落ち着い──ックソ!」

 

 会話する間も無く彼は鋭く踏み込んでくる。右足。先程もだ。利き足はそちらか。

 右腕の肘から先のほとんどを失ってしまったせいで重心が普段と違う。それに、バランスも取りにくい。輸血をするタイミングは────無いか。

 しかし、希望は失われていない。彼の戦闘スタイルは獣狩りに特化している。長いこと組手などはしていないのだろう、彼の攻撃は技よりも力に寄せられていて、ゆえにその振るう力は人を相手取るにはいささか火力過剰だ。

 私の方に彼を殺せる攻撃はほとんど残されていない。よって、狙うはカウンターによって彼を怯ませ、その隙を縫ってこの場を逃げ出すことだ。

 彼の癖をもう一つ見つけた。右足で初撃を踏み込んだのち、相対して左上から右下の斜め方向に必ず斧を振る。だから、今のように斧が下に構えられているときは──体を左に傾けながら回転するようにいなす。

 予想通り彼の攻撃は空振り、私は再び距離を取る。次の踏み込みがチャンスだ。

 

「貴様も、どうせそうなるのだろう?」

 

 次の攻撃の直前、彼が吐き捨てた言葉に身震いした。

 まるで呪詛。行き過ぎた憎悪を含んだその言葉は、しかし妙な確信に彩られているようであった。

 ほら、彼が右足を踏み込んだ。けれども。

 古傷が、ビリビリと警告を発する。不味い、何かが不味い。しかし、すでに体は予想される彼の動きに合わせるために前方に動き出してしまっている。

 

「……ォォ、ォォオオオオオ!!!!」

 

 本能とでも呼ぶべきなのだろうか。五体の限界を遥かに凌いで、体が繊維の千切れるような音を鳴らしながら勝手に動いた。

 正面へと働いていた力は行き場を失い、代わりに横へと転がり込むために用いられる。

 

 そして、銃声。

 

 衝撃を受け、私は尻餅をつくように後ろに倒れこんだ。

 

 どこからか悪魔が高笑いでもしたかのような異音が聞こえてきた。

 違う、これは私の声だ。苦痛の絶叫だ。

 視界が片方奪われた。耳もおそらく。それに、首に数カ所。

 九死に一生を得たと言うべきか、それとも苦しむ時間を長くしてしまったと嘆くべきか。

 彼は斧を振ってなどいなかった。散弾銃だ。踏み込むふりをして、私が寄ってきたところにただ散弾銃を合わせただけ。さほど難解なことでもない、しかし、恐らく私の思考を分かってやった。

 対人戦に慣れていないなどと勝手に判断したことが過ちであった。彼は確実に私を狩るために、餌をまいて待っていたのだ。しかし私が何をした? なんだってこれほどまでの殺意をぶつけられなければいけない。

 

「あなたは……あなたこそが、獣だ! 私が何をしたっていうんだ、あなた────いいや、お前(・・)は、殺人に快楽を見出しただけのただの異常者だ! 獣狩りなどではない。血に酔いしれた怪物め! ヒヒ、いまに、いまに烏羽の狩人に狩られてしまえ! 私はこんなところで死ぬはずじゃなかった、お前のせいだ! 許さない、絶対に許さない。お前に「幸」など手に入るものか……こんな墓地で人に会うとは思ってもいなかったけれど、その通りだったよ! 居たのは人でも獣狩りでもない、闇にひそむ獣そのものだ! ヒャヒャ、クヒャヒャヒャヒャ!!」

 

 半狂乱になって笑う狩人に斧の黒影が迫る。しかし、その頭を粉砕する直前でピタリと斧が止まった。

 斧を振るっていた男は、観察するようにじっと目の前の狩人を見つめた。

 

「……死んだ、か」

 

 血を流し過ぎたのだろう。狩人は笑ったままの姿勢で燃え尽きていた。

 あなたこそが獣だ。男はぶつけられた言葉を何度も反芻した。

 

「……私が獣狩りだ。誰しもが獣になりうるのなら、獣狩りが狩るべきではないか。ハッ、ハハハッ」

 

 「幸」が手に入らない? だからなんだというのか。不確かなものなど必要ない。ただ、夜明けをもたらすために狩れ。狩って狩って、狩り続けろ。

 

 それからも狩りは続いた。

 

 もはや輸血液は残っておらず、返り血を浴びることで傷を直させた。

 

 消えない。いなくならない。どこからともなく、獣が湧き出てくる。

 

 それでも狩る。獣はすべて、この手で。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 その日も獣を狩り殺し、その脈動が失われるまで、薪割りをする木こりのように斧を振り下ろし続けていた。

 墓地の入口に気配がする。これは獣の気配では無い、それよりもずっと鋭い、狩人の気配だ。

 しかし

 

「どこもかしこも、獣ばかりだ……貴様も、どうせそうなるのだろう?」

 

 静かな歩み出しとともに、来客に向けて助走する。

 驚くべきことに、その狩人は動揺もせず即座に構えた。

 そこで、いつものように初撃で一振りあてることをやめ、散弾銃で威嚇する。

 早撃ちに自信があったわけではない。しかし、こちらが左腕を動かすと同時に横にローリングして弾道から体を逃したことは賞賛に値する。

 そのまま踏み込んで俺に棒のようなもので一撃入れてきた。構わず斧を振り下ろすが、その時には狩人は後ろへ飛びのいていた。斬られた箇所から血が噴き出す。……仕込み杖か。

 次も先程と同じように助走をするが、今度はワンテンポずらすために斧を地面に擦って摩擦をはたらかせる。下から振り上げた斧とともに跳躍すれば、目下には反応しきれていない狩人の姿があり、斧を振り下ろして肩口から切り裂く。

 狩人は焦ったように跳びのき、お返しだとばかりに短銃を撃ち込んできた。

 

「……匂い立つなあ……堪らぬ血で誘うものだ。えづくじゃあないか……ハッハッハッ……ハッ、ハハハッ」

 

 そう言って獣狩りの斧を変形させる。柄が長く、隙の多いこの状態。しかし、この狩人はこの状態で一撃にて刈り取ってしまうのがいいように思えた。

 飛びかかろうとした瞬間、音が聞こえた。墓地には似合わないオルゴールの音色だ。

 

 

『──ハアッ! 獣をッ! 殺しているんですよッ!』

 

 

 男がノコギリ鉈を振り下ろしているイメージが脳裏に浮かぶ。

 誰だ、お前は?

 その振り下ろした先、男が殺しているという獣に俺は意識を向けようとする。

 

「あ゛……ァアアア!」

 

 幻影の中、獣の姿を知るよりも先に頭に激痛が走った。眼球の裏のあたり。視界がチカチカとする。

 なんだ、あの光景は。……いや、違う。俺はあの光景を知っていた、見ていた!

 懐古は生の対義語だ。そんなことは分かっていたはずなのに、記憶を辿らずにはいられなかった。

 ハッと意識を呼び覚ませば、目の前には鎖、変形された仕込み杖が迫っていた。

 狩人の巧みな操作で、振り回された鎖の二連撃を浴びる。逆立った鎖の表面が皮膚を削り、生々しい肉が露わになる。

 堪らず転がるようにして遠ざかる。しかし再び聞こえてきたオルゴールの音に、先程とは別の情景が蘇った。

 

 

『えへへ、■■ひねくれものだー!』

 

 

 君は、誰だ?

 俺に無邪気な笑顔を向ける幼子は、俺を何と呼んだのだろう?

 

 

『ああ、だがしかし……なるほど、この■は──』

 

 

 思い出せない。

 俺はこの時、何を言った?

 

「あ、ああああぁぁぁ」

 

 たちまち仕込み杖に斬り裂かれる。

 ちがとまらない。

 ああ、のどが渇く。

 おいしいそれをのみたくて、浴びたくて、しょうがない。

 おのれのなかで、なにかがせめぎあっている。

 

 おれは、けもの狩りだ。だから、これは何かのまちがいだ。

 

 あのとき殺されていたけものの名を

 

 むくな笑顔のきみのなを

 

 それをおもいだせれば、たちどまれる。

 

 あたまがわれるように痛い。

 

 からだがもえているのではないかというほどにあつい。

 

 こんなに、あつくては

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めが、蕩けてしまうじゃあないか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 のどがからからだ

 

 じぶんがたかくとんだのはわかった

 

 ほかのことはなにもわからない

 

 おとこによけられた

 

 ちくしょうめ

 

 おとがきこえる

 

 なつかしくてやさしいおとだ

 

 あたまにはしるいたみはきにならない

 

 うららかなたいようのひかりがみえた

 

 

 

 

『──山のあなたの、空遠く』

 

 だれかのこえがきこえる

 

 

 

『──「幸」住むと、人の言う』

 

 それはすでにうしなったもののはずだ

 

 

 

『──ああ、われひとと、尋めゆきて』

 

 うしなったから、もとめた。

 だれかにきけばわかるのではないかと、かれにたずねた。

 

 

 

『──涙さしぐみ、かえりきぬ』

 

 ほしかったのだ。

 ひつようないなど、嘘でしかなかった。

 心のそこからもとめていた。

 ああ、なるほど。君にひねくれものと呼ばれるわけだ。

 

 

 

『──山のあなたに、なお遠く』

 

 久遠の彼方に失ったのは、何よりも大切だった人だ。

 夜明けなど、どうでもよい。獣を狩るのはあなた達のためだった。

 

 独りでは、手に入らなかったものがあった。

 自分のしょうもない力では、切り拓くことなど到底叶わないものがあった。

 

 あなた達がくれたものだ。

 

 

 

『──「幸」住むと、人の言う』

 

 言ったのは、俺だ。

 

 覚えているだろうか。あの時、あなた達はたいそう驚いていた。

 それはちょっと酷いんじゃないだろうかだなんて思ったけれど、このひねくれものが言ったと考えれば、当然か。

 そう、ちょうど、こう呟いた。

 

 

 

 

 

 なるほど、この(うた)は————確かに、美しい。

 

 

 

 

 

 遠くから投げ込まれる火炎瓶が見える。

 これを浴びれば、皮膚は燃え盛り、この命も失われることだろう。

 しかし、不思議と避ける気は湧かなかった。

 いいだろう? もう、疲れたよヴィオラ。

 瞼を下ろし、最期を待とうとして————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『えへへ、パパひねくれものだー』

 

 アンナは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンナは、まだ俺を待っているんじゃあないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶が蘇ると同時に、無数の火の粉が空を舞った。

 

 

 それはきっと、この穢れてしまった世界でなお美しかった。

 

 

 夜明けは、未だ遠い。

 

 




出典:「山のあなた」(カール・ブッセ作 上田敏訳 『海潮音」より)

読了ありがとうございました。
感想、解説、蛇足等々は活動報告に投げておきます。

読者様の自由にご解釈ください。
評価、感想お待ちしております。

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