一年に一度の、魔女のお茶会が開かれた。それは日常に拒まれた少女たちが大罪を脱ぎ捨てる日。
あるいは歴史の狭間に差した一縷の影。
かつて彼女が伸ばし続けた、二千ある手の内の一つに過ぎないのかもしれない。
星の見えない夜だった。
その代わりだとばかりに、見上げた曇天を鎖すのは幽かに白い斑模様。蕭々と風に飛ばされ、降り積もり、そして溶けていくまで。一切の音を発することなく人知れず世を巡る雪花の静けさ。
下町の音を吸い取る雪化粧に覆われた城の広間で、細長い円卓を間に置いて七つの人影が向き合う。
「──さて、そろそろお茶会を始めたいところだが」
張り付いた薄氷を割るように響いた第一声。その主を除いた六名の視線が一箇所に集まり、内一つは恨めし気な鋭さを含んでいた。
「ねえ、その前にちょっといいかしら。なんで今年はよりによってグステコなの? さっきから寒くて寒くて……」
「君が服を何枚か重ね着するだけで解決する問題だと、ワタシは思うよ」
「むー。エキドナってば、すっごくイジワルね。部屋だってこんなに暗いんだし、火ぐらい点けてもいいじゃない。ていうか点けてよ」
「まったく、よく分からない意地を張るものだね……これでどうかな?」
「わ、暖かい。ふふ。ありがと」
ボッ、と空気を燃焼する音を合図に火が灯った。エキドナの人差し指から放たれたそれは、緩やかな動きで頭上を漂い始める。
輝きは暗闇に何らかの模様を描いたようだった。すると、それを火種としてまるで見えない蝋燭が浮いているかのように、虚空に幾つもの足跡を残していた。
シャンデリアを模した魔法の灯りが部屋に万遍無く光と熱を満たし、お茶会の面々を照らし出す。髪や瞳の色から装飾品、服装、身体的特徴まで──各々が全く違った影を背後に落とす七人七色の少女たち。共通点といえば、揃って端正な顔立ちと独特の雰囲気を身に纏っていることくらいだろうか。
しかし、美貌に反して見る者の神経を酷く掻き乱すのは、決して端倪すべからざる人知未到の圧迫感。
人々がそれを言い換えて恐怖と呼ぶことと、この城の周辺が異様に静まり返っていることも無関係ではあるまい。
「では気を取り直して、魔女のお茶会を始めようと思う。何か質問はあるかな?」
「今年は随分と遅い開催さね、はぁ。この時期にこの場所でお茶会を開いたのは、ふぅ。どうしてだい、はぁ」
低いところから聞こえてきた声を辿ると、視線は赤紫の毛の塊にぶつかる。その正体は机に伏せた顔を覆う髪の毛だ。『お茶会』と銘打った場で、目を合わせないどころか顔すら上げないというのは、礼儀のみならず意欲もまたからっきしであることを如実に表していた。
だが、彼女らの間柄で殊更に意に介すほどではないらしい。無気力は無関心に無視され、払う気も無い髪越しに投げ掛けられた、活気乏しくくぐもった問いにエキドナは返答する。
「ふむ。もっともな質問だね。いや、別にそう大層な理由がある訳じゃないよ。なんでも、今日がクリスマスという記念日らしいんだ」
「くりしゅま……く、くりしゅ、くりすま……しゅ」舌を噛むたびに赤くなっていく顔を背け、ミネルヴァは何でもないといった風に咳払いした。「……ええと? だから、くすり、ます? 聞いたこと無い響きね」
「ルヴァ、ぜんぜんいえてないなー」
「むにゅむにゅ……ん、それってぇ、新しいお菓子の名前ですかぁ?」
あちこちから上がる疑問の声。それまで沈黙を維持していた者も未知の単語に興味を示し、それぞれの反応を見せた。
なお最後の声に至っては話を聞いていない。もはや慣れてしまったその感覚が、彼女らをより常世から遠ざける。
「ふぅ、誰が言ったのかは予想が出来るさね。どうせ、そういう意味不明な言葉の出所は、はぁ。決まってるじゃないさね。……それで、ふぅ。その記念日がどうしたさね」
「よくぞ聞いてくれた。まずはクリスマスの概要について話そう」たっぷりと間を置いてから、エキドナはニコニコで唇を湿らせる。「曰くクリスマスとは、歴史的な偉人の誕生を祝う日であり、雪の降る夜に赤い服を着たサンタという名の老爺が空を駆けることで知られている伝説だ。その手段は翼や魔法などでなく、鼻の赤いトナカイという八頭からなる聖獣の曳くソリに乗るのだとか。だが地域によっては服装やトナカイの数にも差が見られる。そのため、やはり最大の特徴は良い子に贈り物をくれるという一点に絞れるだろう。善良な子供という曖昧な基準、更には彼らへの贈り物の選別をどう体系化し答えを導き出していると思う?」
「アクニンにはなにもあげないんだなー。そのサンタ、アクニンじゃないのかー?」
「無論、老爺自身は無辜の者だろうね。だが……そうだな。彼が生粋の善人だったとして、ならばどうしてそれほどまでに尽力するのかもまた疑問だ。一夜の内に全世界を駆け回る聖獣の力も然ることながら、利益の望めない仕事を彼は一体どのような目的をもって遂行するのか。仕事に求められる秘匿性と手段の粗末さには明らかな矛盾もある。そこでワタシは、この老爺が『よーろっぱ』の『わいるどはんと』なる猟師との関係もあるのではないかと推測する。そこについては去年のお茶会で話したけど、覚えているかい?」
「ごめん、ちょっと何言ってるのか分かんないわ」
話すにつれ早口になっていくエキドナを、正直な感想で黙らせるミネルヴァ。彼女は早々に理解する努力を諦め、表面上の部分だけ聞いていた。
「でも、空飛ぶトナカイは気になるわね。どうして鼻を赤くするのかしら。化粧? それとも魔法陣とか」
「酔っ払ってたんですよぉ、きっと。寒いからぁ、火酒でも飲んだんじゃないですかぁ?」
「『グランヒルテ』のことかな? 確かに、素面ではなかなか出来ないことだ。酒豪だったのかもね」
「お、お酒なんか飲んで、子供た、ちを、相手しても……大丈夫、だっ、たのか、な」
「伝説なんて、どこまでが本当か分かったもんじゃないさね。はぁ……そのサンタとやらも結局、返り血被ってただけなんじゃないの」
「サンタ、処刑人なのかー? アクニンをさばくのかー?」
サンタクロースとトナカイが酔いどれと死のお届け人コンビとして認識されながらも、お茶会は和気藹々な雰囲気のなか進行する。むしろ平常運転に近い。
その後も、王国の月祝祭みたいに魔女の誕生祭をやりたい、この前治療院を見つけて殴り放題してたら建物が崩れた、お腹が空いた、いつも空いてるだろ、愛してる、もう愛されたくない、愛はなぜ減るのだろうか──といった、およそ世間一般と本人たちの間に決定的な溝のあるだろう世間話(仮)が交わされる。
こほんと咳払いして雰囲気を改めたエキドナは、広間を見渡した。見慣れた顔ぶれがこうして変わらずに集まることの叶うお茶会を、彼女はとても気に入っている。癖が大変強く身勝手な集まりだが、常日頃から未知を探求する彼女にとって飽きるという概念が通用しないこの時間この場所は、かけがえの無い日々の一部だ。
ふと見たダフネ──自分の分などとっくに喰い尽くし、他の魔女たちがあえて手を付けていないお菓子にまでかぶりつくので嫌でも目に入る──の姿に、「そういえば」と新たな記憶が想起された。軽やかに指を鳴らすと、円卓の中央で光が弾ける。
「あれぇ? なんだかいい匂いがしますよぉ。ドナドナの新作ですかぁ? はやく、はやくくださいぃ……っ」
誰よりも早く嗅ぎつけたダフネに遅れて他の魔女たちも目を向ける。真っ白なクリームで塗りたくった円柱形の体、そして頭に乗せた赤い果物の芳香は、『暴食の魔女』でなくとも少女たちの食欲を刺激するに足りる魅力を放っていた。
目立つ飾りも無く、余計なアレンジを加えずに再現したそれを誇らしげに見せつけながらエキドナが笑みを浮かべる。
「クリスマスにはケーキを食べる習慣があると聞いてね。折角だから作ってみたんだ。大きめのパイにクリームを塗っただけだけど、どうかな」
「へぇ、美味しそうじゃない。これは皆で七等分ね。……こ、こら、ダフネあんたっ!」
「おっと、危ないさね」
数人掛かりで鼻息を荒くして暴れだすダフネを押さえつけている間に、ケーキが同じ大きさに切り分けられる。エキドナは苦笑に変わった顔を向け、その横に人差し指を立てる。
「これを食べるときは掛け声があるんだ。『めりっ──」
「──『めりー・くりすます』だコラ! 俺からの贈り物だからよ、まともに受け取ンなきゃ死ぬぞ、オメエら!」
城を揺るがす衝撃が、地の底から這い上がってきた。
エキドナの言葉は激震と共にひっくり返る。そして、豪快に引き継いだ雷声が壁を破って鳴り響き、悄然とした雪国の夜にまさしく雷鳴を呼び起こす。
ミネルヴァはエキドナ同様に椅子ごと転び、セクメトは力無く床に投げ出された。
「あいたたた……ちょ、ちょっと! 急になんなのよ、もうっ!」
「がふがふ」
「お、おしり、だい、じょうぶ……? 派手に、ひ、ひっくり、返って、た……けど」
「がふがふがふ」
「ま、魔女のお茶会を邪魔するなんていい度胸だね。相手が相手だけにもはや指摘する気も起きないが、やられたままでいるというのは聊か不愉快だ」
「がふがふがふがふ」
「おー、アクニンだなー? みんなでやっつけるのかー?」
次いで聞こえるのは爆発音、一拍後に悲鳴。はっとしたミネルヴァが窓から城下町の様子を伺う。
望む限りの風情ある聖夜の絶景は、いまや混沌の様相を呈していた。マナが乱れて荒れ狂う吹雪をものともせず、家々の屋根を高速で飛び跳ねる黒い物体。その上から何かが投げ落とされており、それが夜空に瞬く流星となって殺人的な衝撃を地上にお見舞いする。
轟音、轟音、轟音。
降り積もった雪は緩衝材としての役割も果たすこと敵わず散っていく。音も威力も桁違いの災厄に、人々は盾やら魔法やら各自持てる手段を以って対抗している。だがそのことごとくが後手だ。反撃の一矢は届かず、届いたとて黒光りする硬質の飛翔体に容易く弾かれる。一向に翻る気配がない趨勢からは、地震や竜巻といった自然の猛威に立ち向かっているのと同等か、それ以上の無謀さが垣間見えた。
目を凝らすまでもない。立て続けに行われる絨毯爆撃の首謀者は、まさしく血にも似た真紅の長髪を流す生きた災厄そのものだ。
「やっぱり、『棒振り』レイド……っ」
「が、乗ってるのは……あれはサソリか? なるほどね。彼らも賢者の入れ知恵でクリスマスの真似事というわけだ」
闇に溶けて駆け回る獣の姿はエキドナの言及したトナカイとは程遠く、それに乗って上空より物を投擲する赤い人物はなおさらサンタと呼ぶに不相応だ。真似事などと、到底そんな分類で収まり切るものではない。
しかし、本人は少なくとも自分なりの解釈をしたつもりなのだろう。
「いや、トナカイは十中八九レイドに無理やり駆り出されたんだろうけども」
二人の関係性を思い浮かべ、エキドナは即座に可能性を切り捨てる。高速移動の足であるサソリが自身の意思でトナカイの真似に興じているとは考え難い。ならば、『棒振り』の暴走をいかにして止められるか。
「セクメト、テュフォン。今夜は是非クリスマスを堪能してみたいと、そう思わないかい?」
いやらしい微笑と、億劫そうなしかめっ面と、疑問符を浮かべる間抜け顔が静かに見つめ合っていた。
†
折り重なる悲鳴を眼下に、『棒振り』レイドは高らかに叫ぶ。
「オイオイ、オメエ、そんなちっぽけな魔法が効くかよ。なあ? オラ、そこのオメエもだ。もっと気合入れろや、オメエ。神殿騎士っつったか、オメエ。オレはここにいンだろうが。目開けてちゃんと狙いやがれ!」
挑発が赤く尾を引いて町中に木霊する。しかし、その尻尾をまともに掴める者は一人としていなかった。複数の足を壁や屋上に引っ掛けて持ち前の機動力を遺憾なく発揮するサソリは、飛び渡る鳥のように身軽い。
あっという間に町を一周し、混乱を背に元いた場所まで戻る。レイドは担いでいたプレゼント袋の中身──無論贈り物とは口だけで、実際は拾った小石や襤褸ばかりだ──も使い切った。それでもどこか物足りないのか、手持ち無沙汰な様子だ。今度は足元の雪に目を付けた。
少しして、掻き集めた馬鹿でかい雪の塊を雑に袋に入れる。嫌がるサソリの尻尾に袋の紐を結び、再度出発といったところでふと振り仰いだ。
レイドの目線が向かった先は夜空だ。注視すると、星とは別に小さく光るのが片目にも見えた。
未だ横殴りに吹雪く荒れ模様の中、白い濁流を破って何かが突っ込んでくる。人ではない。獣でもない。かといって本物の流星であるはずもなく、れっきとした生物だ。
その存在は、尋常の運命を抱いた風格に非ず。
溢れ出る膨大なマナが陽炎めいた揺らぎを起こし、白黒の世界に爛然と幻日環を広げる。神話より出でたかのように赫耀たる偉容。巨大な翼をはためかせる音も、存在を主張する雄叫びも無いが、龍の出現を知らせるのにそれ以上何が必要だろうか。
人々は眩さと異なる理由で頭を下げる。信仰を問わず、意思持つ生命である限りその威厳と崇高さに気圧されてしまうのだ。
『我は、ボルカニカ。聖誕の儀に月下馳せ参ぜし馴鹿──否、馴龍なり』
「自己紹介はいいから前見る。さっさと進みな、はぁ」
「じんぐるべーる、じんぐるべーる、うでがーなるー♪ つみのーいしきに生首がーまうー♪」
「テュフォンも、物騒な替え歌作るんじゃないよ……」
そんな外見とは裏腹に至極気の抜けた言葉が遥か上空で交わされていることを──更にいえば、神龍と魔女という超越的存在が乱痴気騒ぎをしているなどと、恐らく地上にいる誰も思うまい。唯一、普通という概念を知らないレイドだけが眉を顰め、怪訝に眺めていた。
「アクニンはいないかー? ぷれぜんと、いいやつにしかあげないぞー。……はは、そういえばさっきニカのことなぐってたよなー。ニカ、いたそーにしてた。もしかして、はは、アクニンかー?」
「殴ったのは事実だけど、こいつも今はノリノリじゃないさね、ふぅ。本当に、サンタなんて性に合わないったらないよ、はぁ。あとはフリューゲルの馬鹿を落とすだけでお仕舞いさね……ふぅ」
やがて人間の肉眼で朧げながらも輪郭を確認できるほど接近してくる。青く綺麗な鱗に影を落とす第二のサンタクロース、その背後の袋からプレゼントが放たれた。
手足を結ばれたのは一人の男。その名も『賢者』フリューゲル──まさにこれこそ、『賢者の贈り物(ただし贈られるのは自分自身)』だ。
「──ぁぁぁあおぉぉああおおおあぁぁあぉあおおぉあおおぁあああああっっ!?」
剣聖、神龍、賢者。後に三英傑と呼ばれる者たちが一堂に会した歴史的瞬間といえる。
「ン? ありゃ、若白髪じゃねえか……なンちゅう登場の仕方してやがる」
言うと同時に、サソリの体がピクリと震えた。すぐに空を仰ぎ、上空からゴミのように投げ落とされたフリューゲルを無機質な複眼で見やる。
ボルカニカ・トナカイがイルミネーションもかくやという光量で煌々と輝いているとはいえ、大雪の悪天候だ。視覚は頼りなく、ゆえに嗅覚を用いてそれを認知する。
「────ッ!!」
「あ、オイこらオメエ」
理解できない状況に呆けている隙を突き、サソリはレイドの足下を抜け出した。雪が詰まった邪魔な袋を自慢の鋏で切り落とし、今日一番の速度で雪原を駆け抜ける。
フリューゲルの落下に合わせて跳躍。彼の体を器用に背中の上に乗せ、サソリはそのままレイドから離れていく。されるがままの賢者は白目を剥いていた。
「おろろろろろろろろろ」
「ちっ、しょうがねえなあ……」わざわざ追うつもりがないらしく、レイドは頭をぽりぽりと掻きながら舌打ちする。「ま、人間を相手すンのも飽きてきたところだ。丁度いいじゃねえか」
物騒な響きを残し、放り捨てられた袋をおもむろに持ち上げると、大きく振りかぶった。中身は、直径二メートルはあろうかという雪塊だ。それを軽々と投擲する。
雪塊は空気との摩擦に外側が削られながらも、おおよそレイドの狙った通りに飛んでいく。そして狙い違わず、放物線を描く余裕も無い威力を以ってボルカニカの横腹に激突した。
『ぐえ』
神格を帯びし龍にあるまじき呻き声と共に、ボルカニカ・トナカイの姿勢が崩れた。花火さながらに爆ぜた雪の煙幕を引き摺って、全身を白く染めた一頭と二人が撃墜される。
「わー! ニカがうたれた! おちるー! はは、まっさかさまー!」
「分かってるさね……ん?」
足場を失い自由落下の風圧に頬を叩かれていたテュフォンとセクメト。そんな二人の体が不意に、ふわりと減速して空中に留まった。風圧は勿論のこと吹き付ける雪風も感じられない。
それもそのはず、すでに全身を雪が覆っているためだ。しかし体温を奪う冷酷さでなく、暖かく包み込む形で守られた二人は、滑らかな動きで地上に降りる。思わぬもてなしに甘えてセクメトは雪原に寝転がる。飛び込んでくるテュフォンをごろりと避けて見上げると、顔だけ振り返った術士と目が合った。ボルカニカはその後ろで轟音を立てて墜落した。
「エキドナ。……と、ダフネ。はぁ」
色調の乏しい白と黒の後姿は、ともすると雪夜に溶けて消えてしまいそうに儚く細い。そんな感慨を気取ったわけでもないだろうが、エキドナはセクメトのサンタ帽子を取って自分の頭に被った。よく目立つ、赤いトレードマークだ。
「さすがに、ワタシも人に任せてばかりじゃいられないからね」
比べてこちらはやや論点から外れている。「ダフネもぉ、食事はみんなで一緒の方が楽しいですしぃ」
不敵に笑い、向き直るエキドナ。相手は『棒振り』ないし初代『剣聖』レイド・アストレアだ。魔女に勝るとも劣らぬ威圧感が心なしか冷え込んだ空気を軋ませる。
彼は逆にサンタに飽きたのか、赤い服と帽子を雑に脱ぎ捨てた。右上半身を露出したいつもの着流し姿に戻る。申し訳程度に巻いたさらしでこの寒さが防げるとは思えないが、同じく眼帯から片方だけ出した眼差しは戦意を滾らせている。
「さっきは随分と楽しそうに見えたが」痛みすら催して突き刺さる視線に、相対したエキドナは体中の血がひどく熱せられるのを感じた。「たかが雪合戦なんかに魔女のお茶会を邪魔されちゃ、たまったもんじゃない」
両手を前にかざすや否や、足元の雪が激しく波打つ。「ふわぁ!?」とダフネが百足棺ごとすっ転んだ。徐々に弾力を得てうねり、頑丈に屹立していた木々すら引っこ抜いてエキドナの背後からめくれ上がる雪原は、もはや災害にも匹敵する波濤だ。
それが幾つもの球形に圧縮される様をもしフリューゲルが見たとしたら、思い浮かべる物は一つだろう。
──砲弾。
地響きを呑み込むほどの大質量が、魔法による硬度と加速度の底上げで火薬要らずの砲弾と化す。暴力的な運動エネルギー弾は実際問題、異世界の破壊兵器となんら変わりがない。
だが、その事実を知ってか知らでか──否、微塵たりとも知る由のないレイドにとって、やることはいつもと同じだ。ただ笑って待ち構える。右手には表面の粗い箸が握られていた。
「しゃらくせえっ!」
レイドが凝り固まった雪に箸の先端を刺し入れる。上から縦一線に切り込めば、さながら目に見えない切り口をなぞったかのように、雪の弾の零細な接合部分を解いてしまう。さしたる抵抗も感じられず、嘘みたいに二分された。
一つ処理することが出来るのならあとは持久力の勝負だ。積もりに積もったここ一帯の雪を惜しみなく攻撃へと変換するエキドナ。休む暇も与えずに斉射される彼女の雪を、二本の細い箸で掻き捌く光景はいっそ笑いを誘う。
息も吐かせぬ高速機動で狂奔しながら、飛び散る雪を口に入れていくダフネの姿もまた笑いを誘った。そちらはいつものことだった。
「正面からだと分が悪いか……」
「何言ってンだ、オメエ」自身を指差すレイドに冗談を言っている気配は無い。「オメエ、オレと戦うのに分が良いも悪いもあるかよ。全員仲良く負け犬だろうが」
地面すれすれに屈み、雪を拾い上げ、両手で固めてから、投げつける。エキドナがレイドに反撃を許したのは、その一連の動作が休む暇よりも短かったためだ。雪に吸われた踏み込みの音と、戦意が殺意に切り替わる際の目の変化を、エキドナの知覚は捉え切れない。
そうと悟らせる余裕も無い、理不尽で公平な敗北をもたらす一撃。
「ふぅ、そうはさせないさね」
それが、エキドナの顔の前で停止する。次の瞬間には、上から力が加えられたかのように形が崩れて打ち落とされていた。
「あ?」呆けた声のレイドはちらとセクメトを一瞥する。かと思うとすぐに視線を上に移し、いつの間にやら持っていた雪を背後に捨てた。頭上に広がった有様に声を張り上げる。
「なンで空から女が降ってくンだよ!」
仰ぎ見る視界を埋め尽くしていたのは女型の雪像だ。虹彩から骨の浮き具合、髪の一筋に至るまでがかなりの精度で造形されている。つまるところ、レイド好みの美女と呼ばれるに相応しい嬋娟たる外見ばかり。それが多種多様のバリエーションを見せつけながら一斉に襲い掛かる。
逡巡の後、レイドはそれらの顔を、脚を、胸を裏拳で打ち払っていく。形を大きく壊さず弾かれ、雪像が地面に転がる。そこに好機だと目を光らせるダフネが猟犬じみた迫力で食い掛かる。傍目には馬鹿らしく見えるが、実際馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
「ああ、そういうことかよ──オメエ」
不意に、レイドが横目に他所の方向を見た。そして納得がいった風に呟き、足元に積もりつつあった雪像を蹴り上げた。無造作にも思えたそれは、しかし頭だけもがれて飛んでいく。遠く遠く、散々掻き乱して回った町の入り口まで届く勢いだ。
途端に胴間声が響く。蹂躙された町並みを復旧するために忙しなく足を動かす村人たちの中から、やけに屈強な男たちが慌てて飛び出してくる。彼らは飛来する雪球を発見するや、息の合った足運びで円陣を組んだ。
「カーミラ様をお守りしろ!」
「きゃ!? え、え、ええ……な、何!? きゅ、急に、何が……ぁ!?」
何をかいわんや、『色欲の魔女』に身も心も奪われて骨抜きにされた親衛隊だ。決死の形相で号令をかけ、重く応じた面々がカーミラを取り囲む。互いに肩を組み、自らが倒れても彼女を守り切らんと立ち向かう彼らは二秒後、小さな雪球の衝撃に空しく爆散する。それが本望である者もいるかもしれないが。
「けっ、つまンねえもン見せやがって。いや、目は楽しめたっちゃあ楽しめたが……オメエは引っ込んでろ」
文字通り体を張った親衛隊の献身のおかげで難を免れたカーミラ。彼女が半べそになりながらエキドナらの方へ逃げていくのをレイドは確かめる。すると彼女の意識が外れるが早いか、大雨で降り注いでいた美女の雪像は棘を絡ませた雪の杭に変わった。これが本来の形という訳だ。
こうなれば一つ一つ弾く必要はもう無い。レイドは姿勢を低くし、大きく息を吸った。冷たい空気が肺を満たす。けれど燃え尽きぬ彼の闘志に炙られ、熱気となって逆流。それは獰猛に歯を剥き出した口端から漏れ、白く、本当に白く吐かれた。
天剣が吼える。
雪の向こう、雲の彼方より首をもたげる、雷の如き極光の龍へ。
「は──っ」
通り過ぎてから気付く真っ白な稲妻。
鼓膜が震えるまでの時間差は刹那、急速に熱せられた冷気が行き場を見失って弾け飛んだ。吹き荒ぶ極寒の風と衝突し、擦れ合って耳をつんざく大音響の連鎖。思わず瞬いたエキドナが再び瞼を開けた頃には、篠突く雪の弾雨は粉々に散っていた。魔法ではない。規格外の声量と熱量で崩壊させられたのだ。
空にぽっかりと大穴が穿たれ、清冽な銀河を背景に自称トナカイが降り立つ。今更だが白い付け髭をしていることに気付いた。
『龍の息吹を模倣するか、人の子よ』
「オメエ、まだトナカイやってンのか? ただの喋るクソトカゲじゃねえか。マジで成りきってンのはもうオメエだけだぜ」
言いながらレイドが顎で指した先をボルカニカ・トナカイが振り向く。すると、全身を雪に包まれて雪だるまになったセクメト・サンタクロースの姿があった。
大小二つ重なった雪塊から顔だけ出し、テュフォンに木の枝で腕を付けられている。当人は巌の如くじっとしており、嫌がる様子どころかむしろ急務から解放されて安らかさを感じている表情だ。
色々とばつが悪そうに彼女を見るボルカニカだが、その視線が次に向かったのは眼前。鼻先に取り付けていた赤い鼻の飾りを別の少女が齧っている。
「用が無いならぁ、ダフネが有効活用してあげますよぉ。あとあとぉ、その雪はドナドナの手料理の味がしてぇ、普通の雪より美味しいんですよぉ」
そう言っては舞い落ちる粉雪を寝転がったまま食べる『暴食の魔女』。彼女の身体を拘束した百足棺はカサカサと気味悪く足を動かし、雪がダフネに触れるよう器用に位置を調整している。彼女の食事は口を必須としない。少し言い方を変えるなら、身体全体が物を取り込む口で出来ているのだ。
しかしながらレイドの息により雪のほとんどが溶けてしまったため、ダフネは自然と、雪がより多い方向へと引き寄せられる。言うまでもなくレイドの箸だ。
「オイこら、人の箸を喰うな。オメエ、箸はうまいもン喰うための道具だろうが」
「そう言いながらぁ、さっきドナドナの魔法斬りまくってたじゃないですかぁ」
もぐもぐ。
がしがし。
「オイこら、頭振ンな。髪の毛が着流しの袖ンとこ喰ってンじゃねえか、オメエ」
「百足棺の足を折るからですよぉ。箸はもう食べないので蹴らないで下さぁい」
理屈外れならでは、とでもいうべき相性でいがみ合う二人。中身の無い滅茶苦茶な会話が交わされる。最終的にダフネはちゃっかり箸まで食べ切り、レイドはきっちり百足棺の足を折り切った。
「さっきから、周りでちょこまかしてうるせえな、オメエ。オメエ、まともに雪合戦やる気あンのか?」
「どの口が言ってるんですかぁ?」
「オメエはどこが口なんだよ」
「ぐるるるるるるぅぅ……」
「はン、来いよ。かかかっ」
ダフネが歯を鳴らして噛み付こうとする。それに対して上体を反らし、レイドは反動を付けて撥ね帰す。至近距離で顔を見合わせ、唸り声を上げている様は一触即発の獣の威嚇を髣髴とさせた。
片やあらゆるものを喰い尽くし飲み干す鯨、片や猛然たる殺意に血の匂いを追い求める鮫──喰うか喰われるかの極限状態の下、二人の眼光が火花を散らした。
「いや、ダフネは両目、レイドは片目が眼帯で隠れているけどね……」
「ふー、やっと怪我人の治療が終わったわ。ちょっと暑い……って、なによあれ」
冷静な分析を付け加えるエキドナのもとにやって来たのはミネルヴァだ。額をうっすらと汗で濡らし、すっきりした表情で聖夜の成れの果てに目を向ける。
足の折れた百足棺から身を乗り出すダフネと、齧られた着流しをはだけるレイド。
彼らの後ろでやる気を失くしたボルカニカが、青い鱗とは別に装飾品を取り付けられて眩しい。
エキドナの隣には雪だるまとなったセクメトに、よく見れば隣にカーミラもいた。こちらは雪だるまでなく、ボルカニカと同類のキラキラをこれでもかと盛られている。
「くりすますつりーってやつだぞー。ミラもニカも、いるみねーしょんみたいできれいだなー」
「ちょ、ちょっと、テュフォンちゃん……これ、め、目立つ、からや、やめ、止めて……」
『……我はボルカニカ。聖誕の儀を照らし喋るクソ蜥蜴……』
仕上げとして首元に鮮やかなベルを飾ったカーミラが、真っ赤に染まった顔を両手で覆い隠した。ボルカニカはすっかりうな垂れており、エキドナとミネルヴァの呆れた視線も露知らず、テュフォンが能天気にはしゃぐ。
一方で、その間に二人の争いも激化していた。今はレイドのデコピンがダフネの額を直撃したところだ。
「ばうぁっ!」
ダフネの移動手段である百足棺も、今は踏ん張るための足が折れている。デコピンの名を借りたレイドの馬鹿力に耐えられる状態だとは、到底言えなかった。棺の底で地面を削りながら、彼女の体が大きく飛ばされる。
エキドナは無言でマナを手繰り、狙いを定めるために彼女を目で追う。
「……おや」
「こんのおおおおおぉぉぉ────!!」
それよりも速く、ダフネに追い縋る影があった。大分溶けたとはいえ雪はまた新たに降り積もりつつある。グステコは沃野に恵まれず、険峻な山々が長く稜線を縁取った寒地として知られる国だ。人の手で整備された町を出ればそこは悪路に変わりなく、人の足で走り抜けるのには適していない。
しかし、ミネルヴァの健脚がそれを許さなかった。
『憤怒の魔女』は激闘の最中に表れた地肌を抉り、雪花の草を踏んで疾駆していた。その速度が吹き飛ばされたダフネを凌駕する。瞬く間に彼女との距離を詰めたかと思うと、あろうことか棺桶の端を掴み、慣性をもねじ伏せて反対方向に投げ飛ばした──否、殴り飛ばした、が正しい表現だ。
来た道を真っ直ぐ折り返し、レイドの横をすれ違ってエキドナら魔女の元へ。セクメトとテュフォンを捕まえた時と同様に、エキドナがダフネの体を魔法で受け止める。彼女の額と百足棺の足は全て治っていた。
「アタシの前で怪我をするなんて、身の程を弁えなさい! 全員ぶん殴っちゃうんだから!」
生憎と、遠くまで走っていったせいでミネルヴァの怒鳴り声は魔女たちにあまり聞こえない。レイドも耳をほじり、無関心を全身で表していた。
だが、ミネルヴァの目は逃さなかった。彼の中指の爪。デコピンの際、ダフネの咀嚼行為に巻き込まれて少しだけ剥がれていたのだ。
そうとなれば反応は衝動的。重心を僅かに沈め、直後に爆発的な加速を得る。後ろ足に蹴飛ばした薄雪交じりの黒風を起こして疾走するその姿こそ、まさにこの時代の走る災害だ。
「うりゃぁぁぁぁぁぁっ!」
飛び掛かった先は他でもない。棒立ちのレイドに、ミネルヴァが正面から左拳をぶちかました。
当然レイドは首を傾げて避ける。彼女は鋭い足運びで間合いを詰めるが、続く右の拳骨、肘打ち、回し蹴り、軸足を入れ替えての上段蹴りも全て空回りに終わる。普通の怪我人ならとっくにぶちのめされているはずの連撃もレイドには通用しない。その分攻撃はなりふり構わず、普段より激しくなっていく。
「ちょっと、じっとしてなさいよ! 傷口殴れないじゃない!」
「見えてるぞ」
「はあ? 見えてるって、急になに……」姿勢を止めたミネルヴァの顔が一瞬で茹で上がり、火照った呼気に悲鳴が掠れる。「ぁ、やっ、ああぅぁ────っ!?」
咄嗟に足を下ろし、膝から地面に座り込んだ。上目遣いに睨めつける眼差しには殺意──もとい敵意、否、噴火寸前の瞋恚が煮え滾っている。
「かかかかかっ! オメエ、良いもン見せてくれンじゃねえか。おう、オメエよ。オメエ、なンだ。誘ってンのか?」
「はは、ルヴァ恥ずかしがってる。アレはアクニンだよなー?」
「……まあ、アレは元からああいう奴だったさね。はぁ。ていうか、本人の前でそういうこと言うんじゃないさね、ふぅ。余計恥ずかしくなるだろうからよしな、はぁ」
「自業自得ですよぅ。あんな短いの穿いて足なんか上げるからじゃないですかぁ」
「で、でも……あ、アレは、さすがに、酷い……うん、酷いと思う。ミネルヴァ、ちゃん、は、恥ずか、しい……」
「君たちのその会話も全部丸聞こえだけどね。いや、今は目の前のことでいっぱいかな」
「最っ低! 信じられない! ほんと……本当に、男の人って、そんなことしか考えてないの!? 最低! 最低の最低! ほんとのほんとに、最低よ! 最低! これだからもう! さ、さ……」
「ああン? 泣け、泣け。もっと恥らえ。派手に泣き叫ンでくれた方が興奮するぜ」
いやらしく口端を吊り上げるレイド。ミネルヴァは浮かんだ涙を目尻に振り払い、思い切り叫ぶ。
「──サテラ! 助けてっ……!」
その一言で、引き金が引かれ、あるいは爆弾が投下された。
音は、無い。応じる声も、気配も無い。
誰も動かず、何も起きなかった。
ただ、消え入る薄月の陰りだけが染み透っていく。
無意識の背後に、殺気立った影が這い寄って。
「オメ、……いつから後ろ取って──」
魔女たちの騒がしい聖夜は、まだ明けない。