「君の長所は、私を愛してることだよ」   作:ルシエド

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ある世界の、神世紀72年の、冬


第一夜

 鷲竜(わしりゅう)類。

 現実に存在する、恐竜の分類の一つ。

 鷲にして竜。

 気が遠くなるほどの大昔、人類より遥かに先に―――彼らは死に絶え、絶滅した。

 彼らは死に絶え、絶滅した。

 絶滅した。

 

 

 

 

 

 これは、歴史に残らぬ物語。

 

 少年は、踏み躙られる花こそを重んじた。

 

 少女は、みんなが幸せになれる未来を願った。

 

 

 

 

 

 夜を駆ける少女が一人。

 それを見つける少年が一人。

 少女と戦う、2mほどの怪人――セミのような、ザリガニのような、忍者のような宇宙人――がハサミを振り下ろす。

 

 少女は紙一重で見切り、桜色の髪が一本だけ切断され宙を舞い、日に焼けた少女の肌にあと1mmで触れられそうなところをハサミが通過する。

 少女は回避し。

 身を捩り。

 足を振り上げる。

 少女のハイキックが宇宙人の頭を蹴り抜くのと、宇宙人のハサミが路面に突き刺さったのはほぼ同時。ぐらり、と宇宙人の体が揺れる。

 可愛らしい少女の顔が、好機と見て戦意に染まった。

 

 十人に聞けば十人が美少女と断言する少女が、桜色の髪や女性らしい胸部を揺らし、その外見に似つかわしくない殺意の攻勢を仕掛ける。

 

「よし、これでトドメ!」

 

 その戦いを、物陰から、一人の少年が見つめていた。

 

 それはただの茶番だった。

 少年は懐に『ダークリング』と呼ばれるものをしまい、陰から眺めるのをやめ去っていく。

 ダークリングで出した2mの宇宙人が、鏑矢・『赤嶺友奈』に倒される音が聞こえた。

 ただの鍛えた地球人に負けることもある宇宙人達では、神樹の戦士は倒せない。

 それこそおそらく、巨大な怪獣が要るだろう。

 だが『鷲尾(わしお)リュウ』が決着まで見ないまま勝敗を確信していたのは……宇宙人の強弱への理解ではなく、その少女の強さへの信頼が理由であった。

 

「今日も終わりか」

 

 それはただの茶番だった。

 終わりの後のロスタイム。

 鏑矢なる少女が勝つことが決まっている出来レース。

 知らないのは鏑矢と民衆だけである。

 倒されるためだけに、リュウはダークリングから怪物を出していた。

 

 今は平和の時代である。

 神世紀72年。

 "かの事件"が終わってから数ヶ月後。

 平和な世界が取り戻されてから数ヶ月が経った今も、鏑矢と呼ばれる少女とリュウが実体化させる異形は、夜の闇の中で戦いを続けていた。

 

「……寒っ」

 

 冷えた夜風が鷲尾リュウの肌を撫でる。

 彼は一人だった。

 遠くに、仲間と抱き合っている赤嶺友奈が見えた。

 彼女は一人ではなかった。

 

「……」

 

 この世界の周囲は、既に全てが終わっている。

 西暦2015年、天の神によってもたらされた怪物・バーテックスにより、世界は壊滅し、70億を超える人々が死に絶え、地球上のほぼ全てが炎にて燃え尽きた。

 人類は、四国と呼ばれた僅かな土地に引きこもり、見つかれば駆除されるネズミのようにみじめにコソコソと生きていた。

 今の僅かな人類世界は、『大赦』という機関が政府のように管理している。

 

 この世界は、平和である。

 天の神々の暴虐に反抗し、人類の味方に付いた地の神々の集合体『神樹』により、四国は結界に囲まれた平和な世界として成立している。

 誰も脅かされることはなく。

 怪物が人を殺すこともなく。

 街が燃え尽きることもない。

 神樹の結界に守られた四国は、間違いなく平和な世界であった。

 

 なのに、戦いがある。

 少年はダークリングと呼ばれる物から宇宙人を出し、少女にけしかける。

 少女は難なくそれを倒し、それで終わり。

 何がしたいのか、見ているだけではまるで分からない。

 負けるために戦いを挑むという、奇怪極まりない流れだ。

 

「……帰るか」

 

 少年は一人帰路につく。

 自分の家には帰らない。

 誰も帰りを待っていないホテルの一室に向かって、歩き出していく。

 

 少年は中学生程度の年齢であったが、短く切り揃えられた黒髪はボサボサで、瞳は濁り、その挙動は周囲を威圧するヤクザ者のごとし。

 素行の悪さが容姿に現れているかのようなその姿は、彼の年齢を五歳ほどプラスして見えるようにしてしまっていた。

 悪党のようで、不良のようで、どこか捨てられた犬のようだった。

 

 リュウは吐き捨てるように呟く。

 

「いつまでこんなマッチポンプ繰り返してりゃいいんだかな、くッだらね」

 

 それはただの茶番だった。

 

「元気そうだったな、友奈……オレはいつまでこんなことやッてんだ?」

 

 とてもくだらないマッチポンプであり、この世界に必要なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が滅び、西暦が終わり、西暦が神世紀となってからしばらくの時が流れた。

 神世紀72年―――リュウはこの年を、自らの生涯で最も後味が悪かった時期だと考える。

 数ヶ月ほど前まで、リュウは数え切れないほどに、人を殺していた。

 追い詰められた人類が逃げ込んだこの方舟の中で、人を殺し続けていた。

 彼が手にしたダークリングという魔の道具の力で、人をひたすらに殺していた。

 

 概要だけ語るならば、さしたる文字数も要らないだろう。

 宇宙で最も邪な心を持つ者の前に現れ、その力を増幅し、超常の力を与えるという伝説のアイテム・ダークリングを手にして、この地に来訪した宇宙人が居た。

 それを見つけたリュウが、躊躇いなく宇宙人を殴り殺し、ダークリングを奪った。

 彼がこの力を手にした経緯の説明など、それで終わってしまう。

 

 彼は手にした鉄パイプで、宇宙人をひたすら殴った。

 宇宙人が動かなくなるまで。

 鉄パイプがひん曲がって折れるまで。

 鉄パイプで殴って、殴って、殴り続けた。

 「これで死んだか?」などとは一度も思うことなく、「何が起ころうと絶対に蘇らないように」という絶殺の意志で、石よりも硬い体の宇宙人を、殴り殺した。

 

 "怪物への憎しみ"をごく自然に持つ彼が得たのは―――怪物を操る力。

 怪物になれる。

 怪物を出せる。

 怪物を作れる。

 ダークリングは、リュウがゲームの中で何度も見てきた『魔王』の如き力をもたらす、魔の者の神器であった。

 

「……使えるな、これ」

 

 そう呟いた彼は、ダークリングの力で人を殺した。

 もうどうしようもないほどに。

 だが殺害の理由は、私欲とは程遠いものだった。

 

 『公正世界誤謬(Just World Fallacy)』という概念が、西暦にはあったという。

 

 世界は公正である、正しい者が報われる、悪人には報いがある、間違っていない者は不幸にはならない、他人を蔑ろにする者は幸福にはならない……そういう考え方だ。

 『正義は必ず勝つ』

 『悪は必ず滅びる』

 などが最も認知されている公正世界誤謬だろう。

 斜に構えていないまともな人間の多くは、この性質を持ってしまっている。

 

 これは意識無意識問わず人間の精神に影響を与えてしまう。

 たとえば、西暦の心理実験の一つでは、人間は「お金を貰って暴力を受けている人」と「何の理由もなく暴力を受けている人」だと、後者を悪人だと思いやすいという実験結果が出ている。

 

「何の理由もなく暴力を受けている人がいる」

「じゃあ自分もこんな風に暴力を受けることになる?」

「それは嫌だ、だから何の理由も無いわけがない」

「この人は悪い人なんだ、だから暴力を受けているんだ」

「よかった、それなら世界は公正だ」

「私は悪い人じゃないから、暴力を受けることはない」

 

 無意識下でそういう心の動きが発生してしまう。

 善人は報われ、悪人は苦しんで死ぬ。

 そうであってほしいと、誰もが思う。

 

 そういう世界が当たり前だと、いつからか自然に思ってしまう。

 願望と現実の認識が、無意識下で混ざっていってしまうのだ。

 

 世界が変わっても、人は変わっていない。

 考え方も、愚かしさも変わってはいない。

 なればこそ、公正世界誤謬もまだこの世界には残っていた。

 "そう"思う人間が発生し、積み上がり、その数を増していってしまっていた。

 

「天の神は何も悪い事していない人を理不尽に殺したのか?」

「じゃあ自分もいつか何も悪いことしてないのに殺される?」

「それは嫌だ、だから何の理由も無いわけがない」

「西暦の人間は悪いことをした、だから殺されたんだ」

「よかった、それなら世界は公正だ」

「私はそんなことをしていないから、殺されることはない」

 

 こういった心の動きは、いつの時代も存在してきた。

 SNSで理不尽に痛めつけられている人に対し、特に理由もなく「君にも悪いところがあったんじゃないの?」と言う人もこれにあたる。

 普通の人間は、理不尽な暴虐の中に理を探すのだ。

 愚かしいことに。

 

「なんでこんな窮屈な土地に閉じ込められてないといけないんだ」

「俺達はいつ殺されるんだ」

「物心ついた時から、僕はこの世界がずっと怖い。生まれて来なければよかった」

「誰が悪いんだ? 誰か悪い事したんじゃないのか? 神の怒りを買ってさ……」

「理由なく人が神様の遣わした怪物に殺されるなんてあるわけないだろ」

「西暦の誰かがやらかして私達はそのせいで、きっと」

「もしかしたら天の神様の怒りに妥当な理由があるのかも」

「どうしたら許してもらえるんだろう」

「儂達は殺されるほどのことをいつしたのか、誰に聞けば教えてもらえるのやら」

 

 公正世界誤謬、逆張り、現実逃避、悪者探し。

 滅びた世界の片隅に残った、狭い狭い四国の箱庭の中で、人々の思考は煮詰まっていく。

 

 現在、神世紀72年。

 世界が終わって西暦が終わって70年以上が経った。

 大切な人を殺された怒りは消え、世界を焼かれた憎しみは失せ、恨みは風化し。

 殺されるかもしれないという恐れと、人類の詰みという状況が産む厭世観だけが残った。

 

「なあ」

「もしかして」

「私達は」

「天の神に罪を償い、許してもらわないといけないんじゃ」

 

 煮詰まり淀んだ思考から、ロクな考えは生まれない。

 歪んだ思想を持つ者は、歪んだ思想を持つ仲間を探す。

 歪んだ人間が集まった集団は、やがてその歪みを集積し、極論に極論を重ねて先鋭化し、最終的に取り返しのつかない過激な集団となる。

 鷲尾リュウは、現在の四国を統治する唯一の統治機構・大赦からそう聞かされていた。

 

 

 

「―――皆で死ねば、許されるんじゃないか?」

 

 

 

 ある日、狂った誰かがそう言い。

 ()()()()()()()()()()()()()()()が実行に移されかけた。

 古今東西よくある宗教的集団自殺を、全人類にまで拡大した自殺虐殺未遂。

 それが、数ヶ月前のことである。

 

 四国に残った最後の人類を皆殺しにするという、最低最悪の大規模犯罪。

 おそらくは人類史で一度も行われたことはないであろう、人の手による終わり。

 人類の生存に責任を持つ大赦はそれを許さず、カウンターを用意した。

 それがお役目と神樹の力を与えた少女達……『鏑矢』である。

 

 鏑矢(かぶらや)とは、邪なる物を祓うと言われる矢の一種である。

 流鏑馬(やぶさめ)などに用いられ、古来から日本人に親しまれてきた。

 飾られることで魔を祓うものを鏑矢、放つことで魔を祓うものを蟇目(ひきめ)などと言う。

 梓弓然り、日本では平安時代に、

 

「弓の弦が弾かれる清浄な音が、魔を祓うだろう」

 

 という概念が生まれた。

 これを鳴弦(めいげん)の儀と言う。

 それが転じて、矢そのものにも破魔・退魔の力があるとされ、蟇目(ひきめ)の儀という儀礼になった。

 武士の合戦の始まりの合図に使われたものと、蟇目の儀などが混ざっていき、破魔の矢としての扱いが固定化されたのが、現代の鏑矢というものである。

 

 なればこそ、この名とお役目を与えられた少女に求められるものはシンプルである。

 

「人に仇なす邪悪を殺せ」

「魔を終わらせ、敵を必ず射抜け」

「一度放たれたなら、もう戻って来なくていい」

「必要となれば、次の矢を番える」

 

 鏑矢の役目は『殺人』。

 

 このお役目を与えられた少女達は、世界を終わらせかねない危険人物を討つ。

 神樹の神々の力を与えられた少女らの攻撃を受けた人間は昏倒する。

 昏倒させられた人間は、神樹に裁定され、目覚めるか死ぬか、どちらかとなる。

 少女がその手で世界を守り、その手で人を殺すのだ。

 

 力を宿せるのが無垢なる少女であるがゆえの残酷であり、非情。

 昨日まで普通に生きてきたはずの少女達を人殺しの共犯にさせる、最悪の世界守護である。

 

「……は?」

 

 幼馴染の赤嶺友奈が鏑矢に選ばれたと聞いた鷲尾リュウは、何かをしようとして、何もできなくて、自分に何も無いことに気付き、何も守れず、何も救えず、何も変えられず、何も成せない自分に煮え滾る溶岩のような怒りを憶え―――そして。

 

 気付けば彼は、あまりにも無慈悲に宇宙人を殴り殺し、ダークリングを奪っていた。

 

 

 

 

 

 鷲尾家は分類的には名家にあたる、大赦の中核を成す血族の一つである。

 西暦で言うところの、政権の中枢にあたる家の一つであると言えるだろう。

 鷲尾リュウはその家の三男にあたる。

 

 だが、何故か家では過剰に大切に扱われていた。

 何故かは分からない。

 身内は彼を息子のように扱うことも、弟のように扱うこともなかった。

 母親だけは息子のように扱うこともあったが、それでも過剰に大切にされていた。

 

 家族とリュウが気軽に話すことなどまずなく。

 家族とリュウが共に出かけることもまずなく。

 家族とリュウが共に食卓を囲んだことも一度もなく。

 彼は生まれてこの方、家族と『日常会話』をしたことが一度もなかった。

 

 家族の好きなものをリュウは知らない。

 家族の誕生日をリュウは知らない。

 親の仕事も、兄の学校も知らない。

 誰も教えてくれないし、誰も普通に話してくれないから、何も知らない。

 家族のことなのに、何も知らない。

 リュウはその理由を知らないし、知ろうとも思わなかった。

 

―――私はずっとそばにいるよ

 

 そう言ってくれた優しい女の子の幼馴染が一人居たから、それで十分だった。

 それだけで満たされていた。

 幸福は十分なほどに貰っていた。

 

―――ほら、笑って笑って。赤嶺友奈の笑顔につられて笑えー

 

 だから、彼が家族よりも、自分の命よりも、彼女のことを重んじるのは当然の帰結だった。

 

―――私はリュウが笑ってると嬉しいから。小学校に上がってもずっと笑っててね?

 

 宇宙人からダークリングを奪った彼は、奪った時点から戦いを始めた。

 それは中学一年生の頃だったと、リュウは記憶している。

 時に宇宙人に変身し。

 時に獣を召喚し。

 時に友奈を援護し。

 時に友奈の敵のような素振りで人間を殺し。

 赤嶺友奈とその仲間を守らんとして、奮戦していった。

 だから、政府にあたる大赦がそれに気付くまで時間はかからなかった。

 結界の中で大赦と神樹の目を完全に欺くことは難しい。

 

 しかし、大赦はリュウを責めることはなかった。

 殺人の罪を問うどころかその奮闘を称賛し、正式に誇りあるお役目を与えてきた。

 鏑矢を支えよ、と。

 世界のために危険因子を殺せ、と。

 彼らは罪悪感もなくそう言い切った。

 

 その時、リュウの心の内は酷く濁った。

 

 人を殺すのはいけないことだと、生まれた時からぼんやりと思っていた。

 それでも友奈のために、仕方なく歯を食いしばって戦っていた。

 殺さなくていい時は殺さないようにしていた。

 もう治せないほど頭がおかしい人間は「しょうがない」と自分に言い聞かせながら殺した。

 否定されるべきだと思っていた。

 裁かれるべきだと思っていた。

 なのに、肯定された。

 

 今の人の世界で最も偉いと言える大赦の人間達が、人殺しを肯定していた。

 『人の命なんて世界と比べれば軽すぎる』と言われた気分だった。

 『社会に要らないものは消えた方がいい』と言われた気分だった。

 人の死はそんなに軽くていいのか、とリュウの胸の奥が痛む。

 

 濁った心で、感情を表に出さないようにして、リュウは恭しく頭を下げる。

 

「分かりました。オレにやれることがそれなら、やりますともォ」

 

 殺して。

 殺して。

 殺した。

 異常者への殺意と、世界を守る責任感と、殺人をする自己嫌悪が、等しく混ざる毎日だった。

 

 神世紀72年。

 鷲尾リュウは、自分が名前を知っている人間の数よりも多くの人間を殺した。

 鏑矢がするべき殺しの多くも引き受ける形で、大赦の指示通りに殺した。

 リュウは少女達を守り、少女達はリュウの存在を知らない。そういう構図。

 

 人殺し以外の汚れ仕事も彼に優先的に回された。

 大赦に反抗的な人間の家に火を付けたのは大赦の一部の人間の指示。

 火事の中密かにその人間達を助け、秘密裏に逃したのはリュウの意思。

 "出火原因が全く分からない火事"は、『天罰』として扱われ、人の心に釘を刺す。

 ずっとずっと、そういうことを繰り返す。

 そうして、彼の仕事の結果としてこの狭い世界の治安は安定していった。

 

 それも当然だろう。

 数百万人規模の、全人類を巻き込んだ自殺?

 そんなものが起きかねない世界など、もうとっくに終わりかけている。

 手段を選んでいる余裕など、もう誰にも無かったのだ。

 投げ出せない。

 逃げられない。

 この四国の外の世界は、もう砂粒一つ残さず燃え尽きているのだから。

 

 鷲尾リュウは実績を積み上げていき、この年に四国全土心中未遂事件を止めたことで、大赦からの信頼は盤石なものとなった。

 

 どんな指示でも文句を言わず、反抗もせず、必ず遂行する仕事人。

 大赦の多くの人間がそう思っていた。

 彼は冷たい人間ではなく、ただ『大切なものの順序』が揺らがないだけだったのに。

 

 

 

 

 

 神世紀72年のある日。

 リュウが中学二年生になって少しばかりの時間が過ぎた頃のこと。

 その日もリュウは、いつものように人を殺していた。

 「お前が居ると世界が終わる」と告げながら。

 「お前のせいで社会が壊れる」と告げながら。

 『社会にとって要らない者』であるその人間の首に、怪物の鋏手を添える。

 どこでもないどこかに、誰でもない誰かに言い訳するように、死を宣告する。

 

 リュウに死を宣告された男は、死を受け入れた上で、リュウを嘲笑った。

 

「せいぜい良い気になっているがいい。

 お前も私達と同じだ。

 世界を壊す気が無いなら……

 世界の仕組みは変わらない。

 ただ"先と後がある"だけだ。我々が先で、お前達が後」

 

 "神様に謝罪し人類は全員心中しよう"と語った口で、リュウを嘲笑った。

 

「『社会に要らないものを消す』。

 そのやり方を当然のものとして続けるなら……

 お前達もいずれ、我々と同じ場所に立つことになるだろう」

 

 何も知らない子供を、大人は嘲笑った。

 

「因果応報だ。必ず、必ずそうなる。絶対にな」

 

 それは殺される者の捨て台詞であり、負け惜しみであり、予言であった。

 

「先に地獄で待ってるぞ」

 

 ジョギン、と、リュウは怪物の鋏で男の首を切り落とす。

 

「もう地獄だろうがよォ……ここより下なんてねェ」

 

 切り落とした男の首を、リュウは光線で焼いた。

 残った体も、光線で焼く。

 路面に焦げ跡すら刻まず、男の死体は痕跡一つ残さず消された。

 

「だから、ここからあいつを早く出してやりてェんだ」

 

 死に逝く者の戯言だと分かってはいた。分かってはいたが。

 

 男の言葉は、嫌な後味と共に、いつまでもリュウの胸の奥に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事件が終息し、数ヶ月リュウが任じられていたお役目は、マッチポンプの演出であった。

 

 急に大事件があって、急にそれが終われば、民心の不安は消えない。

 よく知っている者も、よく知らない者もだ。

 だから軟着陸させる必要があった。

 まるで都市伝説のように語られる―――怪物が現れ、勇者が現れ、人を守って平和を守るという御伽噺のマッチポンプ。

 リュウは大赦の指示で全てを演出し、友奈は何も知らずにそれを倒す。

 その繰り返し。

 戦いの頻度も徐々に下げ、民衆と組織に、平和の訪れを実感させつつ。

 『影で平和を守る守護者』をうっすら認識させ、神樹と大赦への信仰を高める。

 それが彼のお役目だった。

 

 ここ数ヶ月で、"人を守る神樹様の使い"は随分と定着した都市伝説になっていた。

 都市伝説の拡散に比例するように、民心は安定していく。

 

 別に、彼に何か得があったわけでもない。

 大赦がくれた金も特権も、全く興味がなかった。

 けれど。

 一人だけ、どうしても見捨てられない人がいた。

 リュウは友奈に言えなかった一つの感謝と、一つの謝罪があった。

 見捨てられない。

 だから神世紀72年にずっと、今日までずっと、彼女の見えないところで助け続けてきた。

 

 上手く負け続けた。

 上手く戦い続けた。

 友奈達に手加減がバレないように、慎重に、丁寧に負け続けた。

 時に宇宙人を出し、時に怪物を出し、2mサイズが上限という制限の中、あの手この手で友奈に敵を差し向けつつ、友奈に傷一つ付けないまま負け続けた。

 マッチポンプが大赦の指示で、友奈に傷一つ付けないのは彼の意思。

 そんな毎日を、彼はここ数ヶ月ずっと続けてきた。

 

 だがそれも、今日で終わるようだ。

 携帯電話に来た連絡を見て、リュウは目を丸くした。

 

「お……なんだァ、今日で終わりだったのか、今回のお役目。で、次が最後か」

 

 今日で、マッチポンプのお役目は終わり。

 リュウに今日まで指示を出していた部門の人間からそう連絡が届いていた。

 そして明日が彼の最後のお役目で、明日からは別の人間が指示を出して来るとのこと。

 一時間後に引き継ぎが終わって新しい担当が連絡を寄越すので、すぐ返信できるように待機しておけ……とのことだった。

 

「はいはい、新しい指令ね。やっと最後、ようやく最後……戦いも終わりだなァ」

 

 リュウの攻撃的な目つきの悪さが和らぎ、一瞬とても安心した様子の笑顔が浮かんだ。

 

 一年以上は人を殺していた。

 リュウも……間接的には、赤嶺友奈達も。

 中学生でしかない子供達が、大人の指示でひたすらに人を殺し、殺人に加担し続けた。

 それが終わる。

 危険な因子は全て殺して潰した。

 最後の人類数百万人全てを死なせんとした事件も、もう起こるまい。

 これ以後は平和な時代が来るだろう。

 平和な日常が戻るだろう。

 

「……やっとまた会えるな、友奈。どうからかってやるか、考えとこ」

 

 リュウは大赦の指示で秘密裏にずっと活動してきた。

 赤嶺友奈やその仲間達にも秘密で、だ。

 だから彼はずっと友奈にも会っていなかった。

 一度でも会えば絶対幼馴染の彼女にはバレると、そう思ったから。

 

 会おうと思えば会えたかもしれない。

 だが一年以上、大赦はリュウは友奈と顔を合わせることを許していなかったし、リュウも会うべきではないと考えてきた。

 ようやくその日々も終わる。

 

(話したいことがたくさんあるな。

 面白い話。きつかった話。なんでもない話。まず何から話してやろうかな)

 

 そう、彼は思って。

 

 携帯電話に表示された『赤嶺友奈の抹殺』という指令の文字を見て。

 

 携帯電話を握り潰した。

 

「ああ。西暦のゴタゴタで、戦士の力を勝手に取り上げられなくなったんだっけな」

 

 西暦の終末戦争の時代。

 ある『勇者』が、力を私欲で仲間に向けて使ったという話があった。

 その力が仲間に届く前に、その勇者が神樹の神々に見放されたことで、有事にその勇者は力を失い、あわや戦死しかけたという。

 これが一つ、小さくも強固な棘になっていた。

 

 大赦の一部は、神樹の力を使える少女の心を信用しなくなった。

 感情のままに力を使うこともあるだろう、と。

 この事件以降、少女に与えられる力を神等が勝手に取り上げられなくなった。

 現場で戦う者達にとって、戦場で勝手に力を取り上げられることは死を意味するからだ。

 

 だから。

 『神世紀のシステム』は、暴走した少女を殺す何かの存在を前提としていた。

 少女を戦わせ、それが暴走した時、差し向けられる処刑人がいる。

 

 彼の存在が、大赦に欲張らせた。

 より堅実な世界を求めさせた。

 神世紀72年の事件は終わった。

 敵は居ない。

 "もどきの勇者"も要らない。

 

 力持つ者がもし感情のままに暴走すれば、大赦の上層部全員を一瞬で仕留められる。

 昏倒させて、喉でも刺せばそれで終わり。

 世界を一瞬で終わらせられるだけの力が、鏑矢という少女達にはある。

 鏑矢が癇癪を起こして世界を終わらせる可能性を、大赦は潰そうとした。

 

 と、リュウは思った。

 

 彼は頭脳明晰な人間、とは言えない部類の人間だ。

 どちらかと言えば勉強をしない不良に分類される。

 だから彼は"裏"を読めていなかった。

 大赦も読み取れないだろうとは思っていた。

 鷲尾リュウは全てを知らないまま、全てを理解しないまま、決意を口にする。

 死の恐れがなくなった世界で、また彼女と会うために。

 

 

 

「よし、分かった。大赦潰すか」

 

 

 

 

 

 ―――世界が終わる爆弾の導火線に、小さな火がついた。

 

 

 

 

 

 彼は昔から『好き』とか『愛してる』とか、一番大事なことを絶対に口に出さないから誤解されがちなんだと、赤嶺友奈はたまに思う。

 大事なことほど口にしないから勘違いされるんだ、とも。

 そんな彼―――鷲尾リュウと会わないまま、一年以上の時間が流れてしまっていた。

 

 今日で今日までのお役目は終わりだと、赤嶺友奈は告げられていた。

 次のお役目で全て終わりだと、そう言われていた。

 安堵と安心で、友奈の可愛らしい顔がふにゃりと歪む。

 そんな少女の顔を、一対一で話していた大赦の人間が、じっと見ていた。

 

「やった、やっと終わるんだ。……やっと」

 

 最後のお役目が人殺しでないことに、友奈は胸を撫で下ろす。

 今日まで友奈がずっと戦ってきた敵が大赦を襲って来る、それを迎撃し、なにがなんでも殺せ―――それが、赤嶺友奈に与えられたお役目だった。

 赤嶺友奈の仲間は現在負傷で入院中だ。

 今戦えるのは彼女一人。

 これは彼女が一人で果たすべきお役目である。

 

「へー、これが最後のお役目、ね。大赦防衛?

 ずっと出てきてたあの敵がこっちに来るんだ。

 これ倒し続ければいいの? あ、違うんだ。

 迎撃しつつ一刻も早くちゃんと殺せ? 殺意高い指令だねぇ」

 

 大赦を狙うは怪物。

 大赦を守るは鏑矢。

 難しい構図ではない。

 鏑矢が何も知らない、ということを除いて見ればだが。

 

「こんなのどこにあったの?

 花結装(はなゆいのよそおい)、だっけ。

 この前まではなかったよね?

 あったらとっくに渡してると思うし。

 凄い力が出て、凄いパンチやキックができるのはいいけど……」

 

 友奈から見れば多くのことが不明だった。

 敵の正体も。

 どこからこういうものが出てきたのかも。

 大赦の意図も、何も分からない。

 だが秘密体質はいつものことだったので、赤嶺友奈は特に気にしなかった。

 

「でも最後くらいお願い聞いてよ。

 これが終わったら、一年以上ずっと姿消してるリュウを探して。

 死んでないのは分かってる。探すだけでいいから。私が迎えに行く」

 

 彼女が気にしていること、今の彼女にとって大事なことは、一つだけだった。

 

「絶対見つけてね? これが最後のお役目だから」

 

 たはは、と笑う赤嶺友奈。

 されどその笑顔の裏には、甘さの無い絶殺の意思。

 再会のために敵を絶対に仕留めるという、揺るがぬ意思が裏打ちされている。

 

「敵は複数。

 ……黒幕とか居るのかなー。

 探したら見つかる?

 物探しは苦手だなあ

 メフィラスさんとか何か知ってるかも」

 

 友奈は試しに、新たに与えられた力を起動してみる。

 一瞬で少女の姿が戦装束へと変わり、その体に過剰なほどの力が満ちた。

 

 人類が生み出したどの服とも違う、赤白黒のトライカラー。

 右腕には拳を守る赤白二色のダブルカラー。

 それぞれの色が、桜を思わせる友奈の髪や日焼けした肌を相互に映えさせている。

 花結いの装束。

 どこかから生えたもの。

 よく分からないが、使える力なら何でも使ってやろうと彼女は思う。

 

「……リュウ」

 

 また、彼と会うために。

 

 

 

 

 

 彼が己に課したルールは三つ。

 一つ、正体を隠すこと。

 友奈を悲しませないため、勝とうと負けようと自分の正体を隠し切る。

 自分が宇宙人であるかのように偽装すれば、"人殺し"の罪悪感も無いだろう。

 一つ、友奈の未来を潰さないこと。

 友奈が幸福になれない結末には絶対にしないよう気を付ける。

 壊すもの、壊さないものは、常に考え続けなければならない。

 一つ、そのためなら何でもすること。

 民衆の被害ですらある程度は飲み込める。

 彼が自らの意思で封じていたゼットン等のカードも、もはや使用は躊躇わない。

 

 合理性を重んじる大赦は絶対に世界のために危険因子を殺す。

 大赦は妥協しない。

 世界のためならば、非情に徹する。

 リュウが交渉して「分かった、彼女の生存は保証しよう」と大赦が言った翌日に、リュウと友奈の飲み物に毒が混ざっている可能性すらあるだろう。

 油断すればそこで終わる可能性がある。

 だから絶対に潰さなければならない。

 

 現在唯一の政府と言っていい大赦を潰せば、世界は混乱の極みに落ちる。

 集団自殺事件の後始末もまだ完全に終わってないこの状況でそれをやれば、世界が壊れる。

 不幸になる人間は何十万人、何百万人という規模になるだろう。

 全人類を死なせる最大最悪の犯罪にこそ及ばないが、間違いなくそれに次ぐ最悪。

 

 鷲尾リュウは今現在、この地上で最も許されざる邪悪であった。

 

 それでもやる。

 やるしかない。

 可能性があるならば。

 こんなお役目を言い渡されたなら。

 赤嶺友奈を大事に思う鷲尾リュウに、選択肢など無いに等しい。

 

 世界を半ば壊す犯罪に、友奈を巻き込めない。

 友奈を、『人々を不幸にした悪』にだけは絶対にさせない。

 それは自分だけでいい―――そう、リュウは考える。

 

 悪になるのだ。

 誰よりも邪悪な破壊者に。

 言い訳のしようのない加害者に。

 最も多くの笑顔を奪った屑になってでも、守りたいものがあるのなら。

 

 友奈のためと思いながらも、彼は友奈のためとは言わない。

 絶対に言わない。

 それは友奈の"せい"と言うに等しいことだから。

 

「知ったこっちゃねェんだ、友奈のことなんざ。関係ねえ。

 オレはオレのために……オレの我欲のために、全部ぶっ壊してやる。

 喧嘩以外に何の取り柄もねェオレにできることがそれだけなら、やり遂げてやる」

 

 昇っていった陽が落ちていき、陽が沈み、夜の世界がやってくる。

 

「やっとまた陽が沈んだなァ」

 

 沈む夕日を見ていると、不意にリュウは昔のことを思い出す。

 昔ゲームで、こんな風景を見た覚えがあった。

 綺麗な夕日の終わり際、夕方から夜へと移る一瞬。

 勇者が聖なる武器を持って魔王の竜を倒して世界を救うドラゴンだかクエストだかの、国民的RPGでそれを見たことを思い出すまで、リュウは数分かかっていた。

 テレビゲーム。西暦の遺産。

 四国以外の世界が燃え尽きたがために文化や娯楽もほぼ全てが消え失せたが、運良く残ったものの系譜は今でも残っている。

 

―――あー、リュウくん、そこそんな攻撃しちゃダメだよ!

―――横から口出しやめてくれ

 

―――そこそこ、攻撃攻撃、どんどん攻撃して倒すんだよー

―――だからな

 

―――戦闘終わったけどここ背景綺麗だねー……どうしたの?

―――……友奈が満足してんならいいよ

 

 楽しかった日々のことを思い出す。

 何の憂いもなく幸せだった日々のことを思い出す。

 楽しかった。

 幸せだった。

 無自覚に()()()で語っている自分に気付き、リュウは額を拳で叩く。

 

「過去形にするかよ。絶対に、またあの日によ……」

 

 『勇者が竜を倒し、ハッピーエンド。めでたしめでたし』で終わるゲームの話。

 

 けれど、現実はそういう話にはならなかった。

 

「……現実はゲームじゃねェんだ」

 

 欲しい物があるなら。変えたい現実があるなら。戦うしかないものがあった。

 

 

 

 

 

 襲うは鷲尾リュウ。

 その手にはダークリング。

 邪悪なる闇の神器。

 

 守るは赤嶺友奈。

 その手には機械端末。

 世界最新の、輝ける神樹の神々の神器。

 

 リュウは未だこの先に待つ運命を知らず。

 友奈は何故自分が勇者でなく、まだ鏑矢と称されているかを知らない。

 

 怪物を殺すのが勇者なら、人間を殺すのが鏑矢だ。

 だからこれは、魔王を倒す勇者の物語ではない。

 奈落の底に向かって落ちていく矢が足掻き続ける物語。

 

「大赦を潰す。絶対に。友奈のため……違う。他の誰でもない、オレのために」

 

「大赦を守る。絶対に。世界のため、皆のため、リュウのため」

 

 皆の世界のためなら自分も犠牲にできる勇気ある女の子。

 一人の女の子のために世界を犠牲にできる愚かな男の子。

 光の勇気と、闇の愚かしさ。

 

「オレは死んだっていい……だけど、友奈だけは、譲れない」

 

「最後の最後まで生き残って……大事な友達とまた、笑い合いたいから」

 

 勝った方しか、残らない。

 

「勝たないと。友奈に未来が残らねェ」

 

「勝たないと。リュウを迎えに行ってあげるんだ」

 

 それは彼らが殺し合う、最初で最後の七日七晩。

 

 日が昇り、光が来て、日が沈み、闇が来て、それを繰り返すこと七度。

 

 その果てに、全ての決着は来る。

 

 ―――君を殺せと言われたから。心を殺す夜に堕ちる。

 

 

 




 古今東西、生贄を繰り返す社会を終わらせて来たのは、生贄にされることを拒んだ生贄自身の叫びではなく、その生贄を許さなかった第三者

 "抑止力の処刑人"のポジションは神世紀300年頃に彼を参考にしそのっちに受け継がれることもあるかもしれない

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