「君の長所は、私を愛してることだよ」   作:ルシエド

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第五夜

 かつて、終末戦争と呼ばれた戦いがあった。

 

 多くの人が頑張った。

 多くの人が足掻いた。

 初代勇者・乃木若葉とその仲間達が、世界を滅ぼす神と怪物に抗った。

 

 そして、負けた。

 

 ある者は大切な人を守ろうとして死んだ。

 ある者は世界を守ろうとして死んだ。

 ある者は幸せになろうとしたのに死んだ。

 ある者は皆と生きたいと願いながら死んだ。

 死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。

 その死に感じた思いを、七十年以上経った今も、乃木若葉は忘れられない。

 今になっても、死んだ仲間を夢に見る。

 

 大赦は初代勇者が世界を守った、生き残った、勝利を掴んだ、などと言うこともあるが。

 乃木若葉からすれば、全て嘘っぱちだ。

 負けた。

 負けたのだ。

 大切なものを片っ端から奪われて、屈辱と悲しみと絶望の中で敗北した。

 

 若葉は勝ったから生き残ったのではない。

 ただ若葉は()()()()()()()()だけ。

 若葉が当時の勇者の中で最も強かったことは事実だが、若葉は当時見た最強のバーテックスに勝てる気がしないし、蠍のバーテックスに奇襲されれば即死していた自覚がある。

 

 生き残るべくして自分が生き残った、だなんて若葉が思ったことはない。

 むしろ若葉は、自分の周りの人間を、自分よりも生きるべき人間だと思っていた。

 友達だった。

 仲間だった。

 大切だった。

 若葉は他の勇者に優しくされ、救われて、他の勇者を守ろうと命を懸けて戦い続けた。

 だけど皆死んだ。優しかった者は、皆死んだ。

 

 終末戦争で死んだ人間は七十億人以上。

 世界と人々を守るために戦った戦士の内、生き残ったのは乃木若葉のみ。

 軍は滅び、怪物に立ち向かった一般人は全員死に、神の勇者も皆死んだ。

 

 人類は天の神に媚び、罪もなき少女を生贄に捧げ、頭を下げて許しを請うた。

 "大いなる(ゆる)しを我らに"……大赦と組織の名前を変えてまで、媚びた。

 どれほどの屈辱があったことだろうか。

 自分達が生きてきた世界を奪い、大切な人を殺し尽くし、幸福と笑顔を奪ってきた憎い神に、生贄を捧げて媚びる辛さは、筆舌に尽くし難いものだっただろう。

 

 乃木若葉は、同じく生き残った巫女の上里ひなたと共に生きた。

 世界をいつか救うため、逆転の方法を模索した。

 大赦の力、神の力を宿す少女のシステムの研究を進めた。

 結界の外の脅威に怯え、愚行に走ろうとする人間を導いた。

 上里ひなたが、寿命で死んだ。

 やることはまだ沢山あった。

 鏑矢を鍛えて、人々を導いて、象徴として在り続けて。

 生きて。

 生きて。

 生きて。

 胸の奥の幸せの容器に小さな穴が空いていることを自覚していながら、ただただ、自分以外の人々のために、自分以外の世界のために、果たすべき責任を果たし続けた。

 

 ただの中学生の女の子だった乃木若葉が、世界のための責任を背負わされて、数十年。

 

 数十年止まることなく走り続け、気付けばもう齢九十に迫るほどの時が流れていた。

 

 その生涯の概要を知った時、鷲尾リュウは『この世で最も苦しい拷問だ』―――と、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リュウは軽やかな音色に、目を覚ました。

 

 ベッドの上ではなく、布団の中で目を覚ましたことにリュウはまず違和感を覚えた。

 そしてすぐに昨日の晩のことを思い出す。

 希望の喪失、絶望の直視、そして乃木若葉との出会いを。

 

「っ」

 

 状況は、最悪中の最悪と言っていい。

 

 リュウにとっての最善とは、世界の全てを犠牲にしてでも友奈の未来を繋ぐこと。

 そのために必要なのは、赤嶺友奈の力を恐れる者達の抹殺である。

 大赦の壊滅はその手段にすぎない。

 しかし本拠の移転により、それは不可能になった。

 赤嶺友奈の処分が数日以内に確実に行われることを考えれば、捜索には時間が足らず、リュウは四国全土を焼き尽くすくらいしかもう選べる手段がない。

 

 リュウが潜伏し、数日以内に友奈かリュウのどちらかが死ななかった場合、鏑矢の処分と、リュウを暗殺できる僅かな可能性に賭けた乾坤一擲の策が始まる。

 そうしなければ元凶の人間が破綻し、その息子は薬を得られなくなり死ぬからだ。

 友奈の暗殺から始まるだろうから、その後リュウの処分に失敗しても、全部終わった後の情報工作に失敗しても、元凶が死んでも、何も関係がない。

 友奈が死んだ後に誰が死のうが権力を失おうが関係なく、綱渡りを渡りきれる可能性が高かろうが低かろうが、元凶は手近な友奈の殺害から始めるしかない。

 

 もう、他に道を探せば、どうあがいても友奈を不幸にする道しかない。

 

「……」

 

 友奈に全てを明かして、味方に引き込めない可能性が高いという困難の壁を越え、友奈を仲間にするというのがおそらく『現在考えられる最善』である。

 リュウは潰れて眼球が落ちた部分を覆う部分をさする。

 この傷の負い目があるから友奈を仲間にできるかも、という打算はあった。

 この傷が友奈の心を深く傷付けて幸せを奪うかも、という絶望があった。

 

 仮にリュウが全てを明かしたとして、友奈はリュウを痛めつけたことを後悔し、激しくその心を傷付け、罪悪感に引きずられるようにしてリュウの味方に付くかもしれない。

 そうしたら、その後が地獄だ。

 大赦は自分を潰そうとするリュウ達を受け入れることはないだろう。

 次に打つ手として考えられるのは、戦力として"勇者"を投入することだろうか。

 世界全てを敵に回したリュウと友奈が、勇者率いる世界と戦うことになるかもしれない。

 機能移転で時間と安全を確保した今の大赦なら、それができる。

 

 ズブズブの持久戦になれば、食料から必需品まで世界の全てを管理しており、勇者をいくらでも補充し投入できる大赦が有利だ。

 リュウ達の戦いは一転し、世界の平穏と幸福を奪うテロリストと、その根絶を狙う治安維持組織の戦いという形で明確化する。

 

 友奈の家族や友達、守ってきた人達や救ってきた人達が苦しみながら戦いに巻き込まれていく毎日は、否応なく友奈から幸福を奪っていくだろう。

 その状況は、リュウのせいで起こり、友奈のために維持されるのだから。

 延々と、大切な人と、四国の何の罪もない人間を苦しめながら生きていくという選択に、友奈が果たして賛同してくれるかというと、相当に怪しい。

 友奈のために罪を重ね続けるリュウを見る毎日に、彼女は耐えられるだろうか。

 どこかで『駄目になってしまう』かもしれない。

 友奈の苦しみを前提にしてすら、友奈の将来的な幸せが得られないのだ。

 

 大赦はドライだ。

 途中和睦に入ろうという意見が出ても、今の大赦の本拠がリュウか友奈にバレた時点で全て終わると判断するだろう。

 鷲尾リュウが大赦を信じてないことも分かっているに違いない。

 だから、どちらかが完全に潰れるまで止まることはきっとない。

 リュウ達が大赦を潰すか、大赦がリュウ達を潰すか、結局はその二択になるだろう。

 

 どこに進んでも、地獄しかない。

 

 赤嶺友奈の幸福を願う限り、地獄しかない。

 

 最善ですらこれだ。

 他の道を選べば、もっと酷い結末に転がりそうなものが大量に並んでいる。

 "リュウが大赦を潰し社会は混迷に落ちたが友奈の未来は繋がった"という、当初は最悪の中の最悪にしか思えなかった未来が、今はもう遥かにマシなものにしか見えないのだ。

 

 大赦の中に元凶が居る、と知ったこと。

 その元凶に誘導されている人間達が居る、と知ったこと。

 鷲尾リュウの危険性と大赦への不信が、大赦内で周知されたこと。

 赤嶺友奈の強大な力を恐れる者の存在。

 友奈がリュウの体に取り返しのつかない欠損を作ってしまった今。

 大赦が心臓部を別の場所に隠し、もう見つけられないという現実。

 全てが最悪に噛み合っている。

 全てが地獄への道を作っている。

 無い。

 希望が無い。

 どこにも無いのだ。

 

 友奈に未来があればいい、友奈に幸福があればいい、友奈に笑顔があればいい、そのための希望があればいい……その一心で、リュウはここまでやってきた。

 希望が尽きれば、もう死に体の体を動かせるだけの力がない。

 倒すべき敵がそこに居てくれたのは、世界の平和を維持するための仕事をしていたからで、機能移転が終われば、倒すべき敵はそこに居てくれなくなる。

 それだけで、何もかも終わってしまって。

 鷲尾リュウの頭では、もう希望が見つけられない。

 

「……」

 

 リュウはフラフラと立ち上がり、歩き出す。

 彼の目を覚まさせたのは、軽やかな音色だった。

 耳を澄ませば、それはハーモニカが奏でる音楽であることが分かった。

 リュウはその音楽に引き寄せられるように、動かない体を引きずり、壁に体を預け、ゆっくりと移動していく。

 

(懐かしい)

 

 何故懐かしいと思ったのか、リュウ自身にも分からなかった。

 聞いた覚えがなかったのに、聞いた覚えがあった。

 西暦の頃から残る、歴史を感じる屋敷の香りが、古い材木や香木の香りが混じった空気に、リュウはとても落ち着いた気持ちがあった。

 この香りを嗅いだ覚えなんて無いはずなのに。

 この古臭い香りをいつも身に纏っていた人と、どこかで会ったことがある気がした。

 

 リュウは旋律に導かれ、庭に出る。

 

「―――」

 

 そこに、凛とした老女が居た。

 

 庭の大石に腰掛け、竜胆と桔梗の着物の上に金と白が混じった長い髪を流し、年季の入ったハーモニカで優しい旋律を奏でていた。

 美しいと、リュウはひと目で感想を抱く。

 リュウは昔、平安時代の美女が笛を吹いている美しいイラストを見たことがあったが、まるでその時見たイラストの別バージョンを現実で見ているかのようだった。

 

 ハーモニカは、古風な笛と違い着物の老女には合わないようにも一見思える。

 だが実際に目にすると、そういった印象を一切受けない。

 それはそのハーモニカが、80年前後使われ続けた年季の入ったもので、アンティーク感が強い……というのが理由の一つだろう。

 

 そして、西暦が滅び、このハーモニカがもう作られていない旧時代の遺物となった、というのもあるかもしれない。

 もうこんなただのハーモニカですら、この時代では前時代の遺物となりつつあるのだ。

 平安時代の笛も、じき百年目が見える使い込まれたハーモニカも、リュウには同じに見える。

 

 響く綺麗な旋律が止まり、老女は大岩から、とん、と飛び降りた。

 

 老女がリュウに歩み寄ると、老女が纏う古い材木と香木の香りが鼻に届く。

 

「起きたか」

 

 老女は白と金の髪を流し、深く皺が刻まれた顔で親しげに微笑む。

 リュウの人生で、こんな雰囲気をした人間に出会ったことはなかった。

 存在感は強いが、圧迫感がない。

 背筋をピンと張って真っ直ぐに立っている姿に、僅かな無理も見当たらない。

 ごく自然に立つ立ち姿でありながら、剪定された盆栽のように整っている。

 普通なのに特別で、特別なのに普通、それが筆舌に尽くしがたいバランスを成している。

 

 神々しい、凛々しい、美しい、素晴らしい。

 様々な形容が当てはめられるだろうが、そのどれもが相応しくないように感じられる。

 どんな形容が相応しいか考えたリュウは、"懐かしい"と思った自分に、首を傾げた。

 その形容は、どう頭で考えても、この老女に相応しいものではないと思ったから。

 

「このハーモニカは、伊予島という者の遺品だ。

 大昔に仲間とお遊びで練習して……懐かしくなって、少し引っ張り出してきた」

 

 リュウはペコリと頭を下げる。

 体を傾けただけで、肉は破け、骨は軋み、かさぶたで塞がりかけた傷は少し開いて、圧迫された内臓が悲鳴を上げていた。

 

「オレは、鷲尾リュウと言います。助けてくださッたこと、感謝します」

 

「私は乃木若葉だ。……どうもお前と話していると、若い時のままの話し方になってしまうな」

 

「え?」

 

「お前は何故か、懐かしい時代の匂いがする」

 

「……そッすか」

 

「今朝餉を作る。中の適当な所に座って待っていてくれ」

 

 若葉はリュウを誘導し、部屋に導く。

 和室で若葉を待つリュウの前に並べられたのは、量を抑えた普通の朝食だった。

 米、焼鮭、味噌汁、小松菜。

 量が少ないのもあって、リュウは無理なく完食する。

 

「……美味しいッすね」

 

「そうか。それはよかった」

 

 リュウは、蓮華の料理に感動した。

 あの時の手料理の暖かな味を、リュウは生涯忘れることはないだろう。

 彼の人生の中でも上位に入るほどに心を揺らされた体験だった。

 

 だからこそ、分かることがある。

 蓮華の手料理を食べた後だからこそ、分かることがある。

 ()()()()()()()()()()が、そこにはあった。

 とてもリュウの口に合う。彼の好みに合っている。

 蓮華はリュウの体調を見切り料理の量を調整するという絶技を見せたが、リュウはそれでも残してしまっていた。

 なのに、若葉の手料理は残していない。

 それは若葉の方が、蓮華よりも遥かに適量を見切っていたことを示していた。

 

 "理解の深度"が深い。

 そして、リュウにそれが気付かれてもいない。

 リュウは蓮華の気遣いや暖かさに気付き感動を覚えていたが、蓮華よりも遥かに理解の深度が深い若葉の気遣いや暖かさには気付いてもいない。

 自分が特別な扱いをされていることに気付いてもいない。

 まるで、彼にとってはそれが当然であるかのように。

 

「その、乃木若葉様は」

 

「うん?」

 

「え」

 

「ああ、すまない。

 "乃木若葉様"に違和感しかなくてな……

 もうちょっと呼び方はどうにかならないか? もっと気安くていいんだぞ」

 

「若ちゃんとでも呼べばいいンすか?」

 

「……ああ、それでもいいぞ」

 

「勘弁してください……ンじゃ、若葉さんで」

 

 はるか年上の老女に、それも世界を救うために戦ってくれたという伝説の勇者に、そんなフランクに接することができるわけがない。

 若葉は寂しそうな表情をしていたが、"こういう時に甘やかすと妙につけ上がるんだ"とリュウの胸の奥の方が言っていた。よって譲歩はしない。

 

 古びたテーブル。

 年季の入った椅子。

 日焼けした壁掛けの絵。

 丁寧に手入れされた年代物の茶碗。

 アンティーク風味の花瓶には桔梗、山桜、彼岸花、姫百合、紫羅欄花の造花が飾られていて、それぞれの花の香水が振りかけられてある。

 こういう形で"一年中同じ花を飾る"デコレートを行っているのを、リュウは初めて見た。

 

 初めて見た物が多いのに、何故か懐かしく感じるのが、リュウは不思議でならなかった。

 

「懐かしい時代の香りがするだろう」

 

「……まァ、しますね」

 

「私はこういうものが好きでな。

 機会があれば貰ったり、買い集めたりしていた。

 他人の遺品も多いが……だからこそ、誰かが西暦の時代に使っていたものがほとんどだ」

 

 リュウはこの屋敷の中に不思議な懐かしさを感じることに、自分なりの理由を見つけた。

 ここは、西暦の残骸だ。

 神世紀になってから70年以上が経っている。

 にもかかわらず、この屋敷の中は西暦に生まれた物で満ちていた。

 かつて壊され失われた時代が、そのままこの屋敷の中に保存されているのである。

 

 若葉が過去の時代に囚われている、というわけではない。

 彼女は、彼女がこうしなければ失われていたはずの物を集め、それを守っている。

 その在り方はまるで、『墓守』だ。

 

 かつて死んだ仲間の遺品を守る墓守。

 かつて殺された時代の遺品を守る墓守。

 この屋敷はまるで、遺品と遺骨を納められた墓のよう。

 ……いや。

 もしかしたら、若葉にとってはこの四国こそが、ある意味で墓なのかもしれない。

 

 この結界内の四国は、『根之堅洲國』とも呼ばれている。

 日本神話に登場する、死後の世界に近い異界と同名の、『神樹の根に守られた国』という意味の名前だと覚えればいい。

 広義では、この四国は神話的に見れば既に死後の世界である。

 なればこそ"人間は全て死んだ"という扱いが擬似的になされ、西暦末期に人類は天の神の攻撃を止めてもらうことが可能となった。

 ここは死後の世界に等しい異界。

 若葉の仲間達は死に。

 その遺品と思い出はこの地へと収められた。

 四国人類もまた、滅びた地球人類の遺品であると見ることができる。

 乃木若葉は世界に残されたたった一人の勇者として、この四国という墓を守る墓守であると言うこともできるだろう。

 

 乃木若葉は違う。

 この世界に生きる全ての人間と、彼女だけは何かが違う。

 それは、リュウが彼女と屋敷を見て"墓守だ"と思ったことからも分かる。

 その違いは間違いなく、この世界の環境が生み出しているものだろう。

 乃木若葉と、それ以外の人類。おかしいのはどちらなのか。

 この世界の異常性を体現しているのは、果たしてどちらなのだろうか。

 

「その」

 

 リュウはおっかなびっくり、口を開く。

 

「オレを、大赦にでも突き出すンすか」

 

「いや、教え子に頼まれたからな。そんなことはしない」

 

「……伝説の勇者の名に傷が付きますよ」

 

「名に傷が付くくらいなら私は構わん。

 名声は必要な時に必要な分持っていれば良い。

 それよりも、何の名声も得られないほどに情けない自分に堕ちないことが大切だ」

 

「……」

 

「名より実を取れ、と先人は言った。

 名ばかりを気にすると実は失われてしまうものだ。

 己を鍛え実を備えれば、名声もある程度は付いてくる。大事なのは己を貫くことだ」

 

 若葉は枯れた名花を思わせる。

 皺があり、生気は老人相応で、活力は明確に感じられない。

 だが、美しい。

 そして枯れる前はもっと美しかったことを想像させる。

 一本筋の通った若葉の在り方は、リュウの心をどこか安心させていた。

 

「よかッた」

 

「何がだ?」

 

「若葉さんはオレの思ってた通りの人だッた。

 絵本を読んで持ってたイメージ、そのまンまの、尊敬できる人だった」

 

 若葉が枯れた美しい花なら、リュウは既に折れた刃である。

 

 たった一つの願いが叶わないことを知り、現実に敵わないことを知り、なおもたった一人の少女を諦めきれない敗北者である。

 

「オレ……もうちょっと……出来のいい人間が良かったな……失敗作だから、きっと……」

 

 "失敗作"という聞き慣れない言葉に、若葉の目が僅かに細まった。

 

「……オレは、若葉さんの前にだけは、絶対ツラ見せちゃならねェ奴だったんです」

 

 リュウは絶望に飲まれていた。

 半ば自棄になっており、その言動も行動も、衝動的なものだった。

 そんな状態でも、心の芯にあるものを捨てきれていなかった。

 

 仁義というものを考えれば、自分が乃木若葉に顔を見せることはあってはならないのだと、そう思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、リュウがバルタンを使い強奪した資料を、弥勒蓮華と別れて拠点に戻り読み耽っていた頃に、見つけた事実であった。

 

 西暦末期、乃木若葉と共に戦った戦士は全員が死んだ。

 その中には、神樹に取り込まれた勇者も居た。

 初代勇者チームの一人、乃木若葉の親友・『高嶋友奈』である。

 

 高嶋友奈は神樹に吸収され、以後神樹は世界の危機を予知してはそれに合わせて、世界に危機が訪れる14年前に『友奈因子』を埋め込んだ少女を誕生させることとなる。

 それが『友奈』だ。

 輪廻転生、命のサイクル、それらを掌握するのもまた神の一面。

 因子とはすなわち、同一の存在を誘引する輪廻のフックである。

 『友奈』は例外なく最高値の勇者適性を持ち、不可能を可能とする気質も持って生まれ、『前の友奈の記憶』を微かに持って生まれてくることも多いとのこと。

 

 友奈因子を持って生まれてきた子供は、例外なく逆手を打って生まれてくる。

 逆手とは、すなわち天ノ逆手。

 高嶋友奈が神より授かった、天を呪う神殺しの力である。

 そうして生まれた子供は必ず『友奈』と名付けられ、高嶋友奈と同じ容姿と、天の神とその眷属に対し極めて有効な攻撃特性を備えたまま育つ。

 そして神樹が予知した将来的な戦いにおいて投入されるのだ。

 

 いわば、神樹の決戦兵器。

 

 少女の形をした、神造の英雄である。

 

 もしも各時代の人間が集まったなら、各時代の友奈の顔を見てさぞかし驚くだろう。

 『友奈』はそれこそ、身長・体重・容姿全てに関する数字が近似か一致し、同じ服を着ていればほとんど誰にも見分けられないレベルのコピーとして生まれてくる。

 『友奈』の中でも近しい個体は、それこそ親ですら見分けることが困難であるはずだ。

 

 神樹が生み出した『友奈』を見ていて、大赦は思った。

 

 ()()()()()()()()()()()、と。

 

 神樹ばかりに負担はかけられない。

 人間にできることは人間でやっていこう、と考える者達が居た。

 

 優秀な人間の安定確保は、いつの時代も戦力確保の核である。

 古今東西、人類は教育と訓練、優秀な人間の抜粋でそれを成し遂げてきた。

 しかしそれは、多くの人口を抱えた国が、国の生産力から見て抱えられる上限の人数を教育・訓練し、優秀な人間とただの兵士を選り分けることで、ようやく成立することだ。

 四国総人口と全人類総数が等しい今の人類に、それだけの余裕はない。

 

 『友奈』と同じ方法で戦力が確保できるなら、それが理想だ。

 『友奈』は少し訓練すればすぐ一線級の戦力、最高クラスの勇者となる。

 なんとも夢のような存在だ。

 "訓練する前から傑作になることが分かっている兵士"は、人類史の中で多くの国々が夢見て、そして実現できなかった存在である。

 それができたなら、人間という個体差が大きい存在を使っているのに、最高レベルの戦力を常時ブレなく維持できる……というわけだ。

 

 一般人を戦わせる必要もなくなる。

 戦わせるための人間を、世界の危機の度に安定生産させておけばいい。

 人類は平穏に生きるだけの人間、戦うためだけに生み出された人間、それを管理する大赦という三分化がなされるだろう。

 戦うためだけに作られた人間を戦わせていけばいい。

 神が作った友奈の周りを、人が作った戦士で固めていけばいい。

 

 大赦が最初に導入してみたのは、"人類最強の存在"の因子であった。

 幸い、輪廻は神樹が握っている。

 輪廻より最強の因子を拾うことはそう難しくはなかった。

 理想の勇者の因子を導入した『友奈』が例外なく理想の勇者であったために、人類最強の因子を導入した人間は例外なく人類最強クラスの駒となると期待されていた。

 いずれは人類最強の因子を導入した少女を作っていき、神の力を与えた勇者として、戦わせていくプランが立てられていた。

 

 いわば、人類の決戦兵器。

 

 少年の形をした、人造の英雄である。

 

 『友奈』の後追い。

 地の神の真似。

 神の御業の模造品。

 人間を素材にした最強の兵器。

 天の神に滅ぼされかけている旧人類を守り、神と怪物を討ち滅ぼす新人類。

 

 結論から言えば、この計画は大失敗に終わった。

 

 人類最強と言えるほどの能力は発現せず、多くの能力が人並みでしかない。

 特殊な資質も全く見られなかった。

 因子は容姿の酷似などの性質は発生させたが、友奈因子と同じであるのはそこくらいで、『友奈』のような即戦力には程遠い。

 『家族』や『仲間』、『幼馴染』といった特定の関係性に強烈な執着が見られたものの、これらも年齢を重ねるにつれて希薄化の傾向があると分析されていた。

 

 因子導入体第一号の大失敗を受け、将来的な成功の見込みも無いために、計画は中止・破棄され永久凍結がなされることとなる。

 

 因子導入体一号に使われる受精卵は、大赦の人間から提供されていた。

 ある大赦の者が、「大赦の人間の実験に一般人を巻き込むのか?」と言った。

 他の大赦の者が、「責任を果たすべきが我々で、守られるべきが民衆だ」と言った。

 そして、実験に我が子を提供するという苦渋の決断をしてくれた、鷲尾家の当主が提供してくれたものが、因子導入体第一号となった。

 

 心苦しい気持ちもあっただろう。

 だが、鷲尾家の当主には目論見があった。

 因子の導入で『友奈と同じ』になった息子がどうなるか、ということである。

 

 この世界は既に詰んでいる。

 いざとなれば民衆から勇者候補を選定するだろうし、西暦のような戦いが起きれば、その影響で四国は破壊され、市民は次々死んでいくだろう。

 大赦の人間とて、特別扱いがされることはない。

 死なない者は、強い者だけだ。

 生贄に捧げられない者は、本当に貴重な者だけだ。

 理想的な生贄とは、神にとって価値があり、大赦にとっての価値が低い者である。

 

 鷲尾リュウは、そんな父親の願いを受けて生み出された。

 

 貴重な命とそうでない命なら、生贄には後者から優先的に捧げられるだろう。

 戦いの余波で街に破壊が発生しても、強い命は生き残れるだろう。

 西暦の戦いが終わってから70年以上、結界が限界を迎えるまでまだ数百年。

 因子導入体が将来的に戦いに投入されることがあっても、それは戦いの時期が来た将来のことであり、投入されるのは技術が洗練されたもっと後の番号の個体である……と考えたのだ。

 知っている者は知っている。

 この世界では、強者以外に生存が保証された者は居ない。

 だから父は、リュウに『強さ』を与えたかったのだ。

 どこかで自分が死んでも、息子が健やかに生きていられるように。

 

 四国の人類が鳥かごの中の鳥ならば、鷲尾リュウは虫かごの中の虫だった。

 人類が自由を奪われ世界を自由に飛び回れなくなった鳥ならば、リュウは生まれてから死ぬまでを観察されるだけの虫だった。

 大赦はずっと、虫かごの中のリュウを観察していた。

 『次』に利用できる可能性があるかもしれないから。

 

 "余計な影響"を与えないため、家族が少し接触しただけで大赦は警告し戒めた。

 家族はリュウと接触を重ねることができず、心配そうに遠巻きに見ているしかない。

 それでも"親を事故でなくしたと記憶されているオリジナル"因子の影響で、親に執着を持つリュウは、心の中でずっと親の愛を求め続けていた。

 親の愛を求めながら、親の愛を諦めていた。

 

 親に褒められて嬉しそうにしていたリュウも観察されていて、人殺しに慣れていくリュウも観察されていて、有事にはリュウが欲しい物のために友奈を殺せるかもしれない、と思う大赦の人間は少しずつ増えていった。

 

 父に誤算があったとすれば、リュウが失敗作だったこと。

 そして、『友奈』がリュウのすぐ後に生まれてきたこと。

 極めつけは、リュウがダークリングを得て……最終的に、反逆者となってしまったことだろう。

 

 虫かごの中の虫は、太陽に惹かれる。

 鷲尾リュウという虫は、赤嶺友奈という太陽に惹かれた。

 虫かごの中で太陽を目指し飛び回ることに意味はあるのか?

 どこにも行けず、本当は自由も無いのに、必死に羽ばたくことに意味はあるのか?

 大赦には、それが飛んで火に入る夏の虫より滑稽に見えていた者も居たことだろう。

 

 神造の英雄、赤嶺友奈。

 神が生み出した人々のための生贄。

 

 人造の英雄、鷲尾リュウ。

 人が生み出した人々のための生贄。

 

 自分のことを普通の人間だと思っている神造の生贄を、自分のことを普通の人間だと思っている人造の生贄が、命をかけて守ろうとしている。

 それは、傍目にはどれだけ滑稽に見えていたことだろうか。

 

 子に与えたかったものを与えられず、業だけを与えてしまい。

 親として普通に接することを禁じられ。

 リュウの直後に友奈が生まれてきたことで、"もしかしたら子の世代で大きな戦いが起こるのか"と気付いてしまい、リュウがそれに巻き込まれる可能性に頭を抱え。

 リュウがダークリングを手に入れ、それが大赦に発覚し、大赦の上層部によってリュウが殺人のお役目を課せられた時には、もう心臓が止まる思いだっただろう。

 

 父に許されたのは、大赦におためごかしで言い繕って、なんとか言うことができた、生まれて初めての褒め言葉くらいだった。

 玄関で何時間も待っていた。

 一人で立って待っていた。

 そうして、初めてのお役目を終えて返ってきたリュウに、褒め言葉を言って渡した。

 せめて、罪に押し潰されてしまう我が子に、一つくらい肯定を贈ってやりたかった。

 父にできることはそのくらいだったのだ。

 

 リュウが反逆し、人質のお役目を打診された時、リュウの父は「子の足を引っ張るくらいならば腹を切る」と言い放ち、実際に軽く腹に刃を突き刺した。

 そんなことをされてしまえば、大赦も強要はできない。

 だから、母親が人質に選ばれたのだ。

 リュウの父は世界の滅びを受け入れてまでリュウの味方にはなれず、哀れなリュウの足を引っ張ることもできず、今もどこかで、世界の行く末を受け入れている。

 リュウの死の報が届いても。

 世界の終わりの報が届いても。

 受け入れねばならないと、父は思う。

 それが自分に与えられる罰であると、思っているから。

 

 リュウは多くを知った。

 強奪した資料が、リュウが今まで知らなかったことを教えてくれた。

 リュウが疑問に思っていたこと、違和感を持っていたことを、線で繋いでくれた。

 それらは何も解決しない。

 何も希望を産むことはない。

 リュウは言葉にできない苦しみを抱え、バルフィラスで出撃し、何もかもをその夜に終わらせようとして……もうとっくに、希望が無いことを知ってしまった。

 

 赤嶺友奈は、因子を使って乃木若葉の親友を生まれ変わらせたかのような神造兵器。

 鷲尾リュウは、因子を使って乃木若葉世代の誰かを生まれ変わらせたような人造兵器。

 叶うなら、リュウは乃木若葉の前にだけは顔を見せたくなかった。

 自分の存在は乃木若葉の心に不快を与えるかもしれないと、思っていたから。

 

 

 

 

 

 リュウが思うに、失敗作よりも下はない。

 だから自分は最底辺の命なのだと定義する。

 期待されたものを何一つ備えないまま、鷲尾リュウはこの世に生まれてしまった。

 親が子に望み期待した"幸せに生きてほしい"という願いすら、リュウは踏み躙っている。

 

「世の中に成功作と失敗作しか無いなら、失敗作以下の出来損ないなんてきっとないンだ」

 

 リュウは自分の顔を手でさすり、自嘲する。

 

「若葉さんもどっかで見た顔だったりすンじゃないっすかね」

 

「……どうだろうな。もう昔の知り合いの顔など、随分忘れてしまったよ」

 

 知ってる人だったんだな、とリュウは思う。

 最強の因子。

 あるとすれば、乃木若葉の戦友の誰かだろう。

 勇者の誰かという可能性もある。

 リュウは自分のオリジナルが誰かは知らないし、資料にも記載されていなかったが、当時乃木若葉が戦友と共に戦っていたことくらいは知っている。

 

 リュウの因子由来の記憶を警戒してか、リュウは幼少期の教育内容から見ると不自然なほどに、初代勇者とその仲間について教育されていない。

 だがそれでも、乃木若葉のことを知らないようにすることは不可能だ。

 今も生きている、人類最高の英雄なのだから。

 乃木若葉の仲間の勇者の誰かが自分のオリジナルなのだろうか、とリュウは思う。

 

「オレは、友奈を助けたいンすよ。それだけは、絶対に諦められない」

 

 リュウは自暴自棄気味に、今の自分の状況と、今の自分の心情全てを吐き出す。

 若葉は表情をほとんど動かさないまま、黙って彼の話を聞いていた。

 "友奈を守る"とリュウが言っている時だけ、ほんの少しだけ、口角が僅かに上がっていた。

 

「そこまでする理由はなんだ?」

 

 乃木若葉は問いかける。

 

「何よりも誰よりも、赤嶺友奈を助けたい理由があるんじゃないのか?」

 

「……本当は。

 あいつには、言うほど気にすることなんてないンすよ。

 鏑矢は昏睡させるだけ。

 鏑矢の力で昏睡した人間を神樹様が殺すだけです。

 直接的に殺してるオレとは違う。

 あいつらは本質的には、自分の手で人を殺してなんかねェんだ」

 

「……なるほどな」

 

「あいつらは、世界を守ッただけ。

 平和を、幸福を、笑顔を守ッただけ。

 神樹様の人間処分の手伝いをしただけだと……オレは、そう思ッてンだ」

 

 リュウ本人ですら、大声では言えない意見。

 言った本人ですら、道理の上では正しくないと思っている主張。

 けれど、リュウはそう思いたいと思っていた。

 皆にそう思ってほしいと思っていた。

 お前は悪くないと友奈に言いたくて、友奈には自分が悪くないと思ってほしくて、大赦の誰からも"殺されるほどの罪なんて何一つない少女"と思われていてほしかった。

 

 

 

「友奈は悪くない。友奈が苦しむ理由なんて無い。だから、助けるんだ」

 

 

 

 それは、彼の中で揺らがずそこにある願い。

 乃木若葉は何かを納得したように深く頷き、微笑んだ。

 

「そう言えるなら、私がお前の敵に回る必要は無さそうだな」

 

 若葉は手元の花瓶をいじり、竜胆の造花が並べられた花瓶から一輪、桔梗・山桜・彼岸花・姫百合・紫羅欄花の造花が並べられた花瓶に移す。

 そっくりな色をした桔梗と竜胆の花が、ささやかに互いの色を引き立て合い、並んでいた。

 

「お前に誠実であることも、私の正義だ。私は悲しんでいるお前の味方で居よう」

 

「なんで、そこまで」

 

「お前を拾った時、お前の表情は、とても悲しそうだった。

 その感想は、話した今も変わっていない。お前はとても悲しんでいる」

 

 本物の英雄は、悲しんでいる人を救うからこそ英雄なのだと、子供の頃に絵本を読んでいて思ったことを、鷲尾リュウは思い出す。

 

「悲しんでいる誰かの味方になりたいと思うのは、人間として間違っているか?」

 

「―――」

 

 リュウは、涙をこらえた。

 泣かない。涙は流さない。

 全てが終わるまでは涙を流さない強い人間でいようと、心に決めていたから。

 こんなことで泣きそうになるほど自分が追い詰められていたことに、一人ぼっちの孤軍奮闘に心が削られていたことに、リュウは今初めて気がついた。

 

「同じだ。

 何も変わらないさ。

 本当は誰も悲しませたくないお前と、悲しんでいるお前の味方で居る私と……」

 

 若葉はリュウの背中を優しく叩き、優しい声をかける。

 

「少し羽を休めるといい。ちゃんと飛び続けることは、きちんと休むべき時に休むことだ」

 

 お茶を淹れ始めた若葉を見つめながら、リュウは思う。

 

 こんなにも強い人でも。こんなにも優しい人でも。こんなにも凛々しい人でも。

 

 大切な人を、守れなかったのなら。

 

 ―――本当に、自分なんかに、大切な人を守れるのだろうか? と。

 

 

 




 七十年経って何もかも記憶から薄れ行く中で、『友奈を守るんだと言っているリュウ』を見つめる若葉の懐かしい気持ちは、ひなたも寿命で死んだ今となっては誰にも分からない

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