「君の長所は、私を愛してることだよ」   作:ルシエド

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 12/29 16:00。

 冬の日の入りは早い。

 もう空の色は夕方のそれに近付きつつある。

 

 だが、リュウが見つめる空は偽物だ。

 人類(かれら)の空はもうとっくに奪われている。

 太陽が人を優しく照らすことなどなく、太陽神(天の神)は人を滅ぼさんとしている。

 結界の外は2015年以降太陽は差さず、分厚い暗雲が空を覆い、西暦の最後からは地表を焼き尽くす地の炎が天を照らす異常な世界が広がっている。

 だから、この空は偽物だ。

 神樹が作り出した偽物の青空は、やがて偽物の夕方に移り変わるだろう。

 

 大赦の前身が"人間の心を落ち着かせるこれまで通りの空"を事細かに神樹に教え、神樹が細かに調整しながら作り上げた空が、この空だ。

 朝が来て、昼が来て、夜が来て、また朝が来る、当たり前で偽物な空。

 本物の空を見たことがある人類は、もう乃木若葉一人だけ。

 リュウは子供の頃、友奈に本物の空を見せてやりたいと思ったこともあるが、もうとっくの昔に一度諦めてしまった。

 この世界で、誰も本物の空など見られはしない。

 そんな液晶画面と何ら変わらない空模様について、リュウが一つだけ決めていることがある。

 

 戦うのは、夜だ。

 

「行くのか」

 

 乃木の屋敷をこっそりと出て行こうとするリュウに、若葉が声をかける。

 リュウは少し驚いた様子で振り返った。

 単純に技量の差である。リュウが気配を隠しても若葉にはバレバレで、逆に気配を隠した若葉の存在にリュウは気付いていなかった。

 リュウは若葉の目をしっかりと見て、深々と頭を下げる。

 戦いを経てその命は削れ痛み弱り切っていたが、出会いを経てその命は以前より強く在った。

 

「お世話になりました」

 

 そんなリュウに、若葉は餞別を手渡す。

 

「持っていけ」

 

「これは……」

 

「私が管理を任されていた物だが、構わん。

 どうせ次世代の勇者システムに神の賜物の類は必要ないと聞いている」

 

「……伝説の中で、初代勇者の武器だった神の刀、『生太刀』」

 

「花はおまけだ。どこかに飾っておけ」

 

 袋に包まれたその刀は、生太刀。地の神の王の剣である。

 刀を包む御刀袋に差されているのは二輪の花。竜胆と桔梗の造花。女性らしい飾り立てだ。

 竜胆と桔梗には共通する花言葉がある。

 『誠実』だ。

 乃木若葉はずっとその両方を描いた着物を着ていた。

 誰に対しての誠実なのか、彼女の人生を知らないリュウには分からない。

 

 けれどもこれを贈られた意味は分かる。

 "赤嶺友奈に対して誠実である"ということが、彼の在り方の根幹だ。

 そこに自覚が無いほどリュウは己の気持ちに鈍感では無かった。

 若葉は、その誠実は間違っていないと、そう伝えたいのだろう。

 

 ただ一つだけ、リュウは気になった。

 今渡されたのも造花。

 若葉が部屋に飾っていたのも造花。

 造花、造花、造花。全部造花だと、流石にリュウも引っかかりを覚える。

 

「造花、好きなンすか?」

 

「うん? ……そうだな。造花は枯れない。死なない花だ。永遠だからな」

 

「……」

 

「昔は普通の花だけが好きだったがな。今は生きている花も、造花も好きだ」

 

「……いただいていきます」

 

「ああ、持っていけ。

 花がお前を助けることは無いかもしれないが……

 花を贈った私の気持ちはある。私は、お前の未来の幸運を願っている」

 

「気持ちは大事ッすよ。人間の一番大事なもンで、一番踏み躙っちゃならねェもンだ」

 

「だな」

 

 若葉はふぅ、と息を吐き、屋敷の門柱に背中を預けた。

 空を見上げる若葉の視線が、夕方になりつつある空を眺める。

 毎晩喧しいほどに戦闘音を響かせているのだ。

 戦いは夜であると、若葉も説明されるまでもなく理解していることだろう。

 

 これから始まる戦いを思って。

 『友奈』と、『彼』が殺し合う戦いを思って。

 それを止められない、複雑怪奇な事情を思って。

 若葉は更に溜め息を重ねる。

 二度目の溜め息には、陰鬱な響きがあった。

 

 何がいけなかったのだろうか、と若葉は思わずにはいられない。

 今この時も、いや、七十年以上前からずっと、若葉はそれを考えている。

 人が死ぬ度。

 大切なものが失われる度。

 そしてこれからは、『友奈』と『彼』が殺し合う度、考えるだろう。

 "私がどうしていたらこんなことにならないで済んだのか"、と。

 「良い世界にしよう」と七十年もの間頑張り続けたはずの若葉に突きつけられた現実は、かつて愛した友と同じ姿をした二人が殺し合う世界。

 

 死に行く者は死の瞬間のみ後悔するが、生き残ってしまった者は、一生後悔し続ける。

 

「私は何か……間違っていたんだろうか」

 

「え?」

 

「寿命の終わりが見えてくると……余計なことを考える時間が増えて困る」

 

「余計なことッて」

 

「私と、上里ひなたは、誓ったんだ。

 世界を、平穏を、未来を、必ず取り戻すと。

 ……取り戻せないものもあると分かっていた。

 それでも、そのために生きることを誓った。

 それが……生き残ってしまった……私達の果たす使命で、責任であると」

 

 山のように積み重なり、泥のように沈殿した感情が、言葉の中に混ざっていく。

 

「私は人を導くこと。

 ひなたは組織を導くこと。

 それぞれやるべきことを決め、すべきことを始めた。

 ……今となっては乙女にもほどがあるが、少しは少女らしい夢も見ていた。

 語るだけで恥ずかしい話だがな。

 いずれは好きな人と恋をして……

 その人と結ばれ、夫婦となり……

 子もできて、孫に囲まれて……

 ふっ。昔の私なら、こんな想像をしていた事自体を否定していただろうな。そんな女だった」

 

「あの、それッて」

 

「勘違いするな。

 今の私に幸せが無いなどとは言わない。

 努力が何もかも報われなかったなどとは思わない。

 そんな夢の話も、大まかには叶ったと言えるだろうしな。

 ただ、なんだろうか。

 ……中学生の時の私は、恋ではなく責任で、結婚や子作りをするとは思ってなかったんだ」

 

「―――」

 

「果たすべき責任があった。

 生き残った者の責任が。

 責任から逃げるわけにはいかず、世界に何もしないわけにはいかなかった」

 

 乃木若葉は、こんな本音を、今日までの人生の中で、一度も口にしたことはなかった。

 

 何十年も口にされないまま、墓の下まで持っていかれるはずの本音が、溢れて流れる。

 

 それは本音の吐露であり、過去を作った者から今を生きる者への謝罪だった。

 

「だが……だが。

 その結果として、今の世界があるなら……

 お前達が、そんなにも苦しんでいるのなら……

 それはきっと、私のせいだ。私が導いたからこそ、今の世界があるのだから」

 

「……そいつは、違うんじゃねッすか」

 

「いや、違わない。

 大衆を動かす力を何も持たないから、苦しんでいるのがお前達だ。

 私はその対極。一時は人類全てを導いた者だ。

 世界を変えられないからお前達は地獄に居る。

 私は、世界をこの形に変えた当人だから……

 何も守れなかったくせに、何も取り戻せなかったくせに、伝説の勇者と讃えられている」

 

 諦めるな、戦う準備を密かにするぞ、世界を守れ……そう言い続けたのは若葉だ。

 眠るように四国で滅びることもできた。

 集団自殺で、一瞬にして全ての苦しみを終わらせることもできた。

 けれど。

 若葉に導かれた人間達は、諦めなかった。

 未来のために積み上げるという正義のレールを外れなかった。

 

 夫婦の愛の結晶であるはずの自分の子が、自分に似ても似つかない『友奈』になっていることの不気味さ、不快感、異常性……それらを、親に飲み込ませる。

 西暦の元一般人の少女を無残な犠牲にした悲劇を二度と起こさせないため、理想の戦士を人造で作る方法を模索する。

 人を殺してでも、子供に殺させてでも、集団自殺を止める。

 世界のために。

 未来のために。

 希望のために。

 何でもする集団が出来た。

 それはきっと、何をしてでも進み続け、過去の生も死も全てを無駄にせず未来に繋ぐ、乃木若葉という者の強さに、皆が惹かれ、引かれて行ったから。

 

「お前が殺すべきは世界ではなく、子のために罪を犯した親でもなく、この私だ」

 

 若葉のそんな言葉を聞いて、"乃木若葉を殺す権利がある"と若葉に思われている、被害者にして加害者にならんとしている鷲尾リュウは。

 

 とても、とても、腹が立った。

 

「乃木若葉」

 

 思わず若葉を呼び捨てにして、間違った友達を叱る時のような口調になって、若葉に対する一切の遠慮と尊敬が吹っ飛んだ。

 

 そのくらいに、今の若葉の言葉はリュウにとって苛立たしくて、絶対に認められないもので、的外れで、無茶苦茶で―――聞いていて、涙が出そうなくらいに、悲しかった。

 

「人を好きになれた幸運。

 人を好きになれた喜悦。

 人を好きになれた奇跡。

 ……こんなにも好きになれる人と出会えた時点で、オレは幸せ者だと思わないか?」

 

「―――っ」

 

 鷲尾リュウは、赤嶺友奈が好きだ。

 

「オレは、不幸なだけの哀れな被害者じゃねェ。

 これから最悪の加害者になる加害者に、そんなに罪悪感抱いてンじゃねェよ」

 

 何故、こんなにも善良で、こんなにも責任感があって、こんなにも皆が幸福になることを願っていて、こんなにも『友奈と自分』の笑顔を望んでくれている人が、苦しんでいるのか。

 リュウには分からなかった。

 理解できないのではなく、納得できないから、分からなかった。

 永遠に分かりたくなかった。

 絶対に納得したくなかった。

 

「ちゃんと生きて終わらせる。

 ちゃんとここに帰って来る。

 オレも、友奈も、きっと戦いが終わったらここに顔を見せに来る。

 笑ってくれ、オレ達皆のヒーロー、乃木若葉。

 あんたの人生が間違いじゃなかったってことを、オレ達が絶対に証明してみせる」

 

 リュウは未だに分からない。

 自分がどうすればいいのか。

 どこに向かって走れば良いのか。

 何を壊せば良いのか。

 何を成せば良いのか。

 正解があるなら教えて欲しかった。

 ただただ、赤嶺友奈の未来と幸福しか望んでいないのに、世界はそれすら許してくれない。

 乃木若葉に妥当な救いがあってもいいのに、世界はそれすら許してくれない。

 

 ―――『世界に対する怒り』が、ふつふつとリュウの内に湧き上がる。

 

「オレは、悪だ。

 あんたが守ったものを壊す悪。

 あんたが守った平和を乱す悪。

 乃木若葉に救われた人間の子孫のくせに……

 乃木若葉が大切にしてるものを壊して……

 自分にとって大切なものを優先する……最低最悪のクソ野郎だ」

 

 "敵"への湧き上がる怒りは、やがて憎悪へと変わる。

 

 鷲尾リュウの内に渦巻くは、正当なる応報へと繋がる憎悪であった。

 

 他人の気持ちが分かる人間だけが持つ、『優しさから生まれる憎悪』であった。

 

「だから、見てろ。オレがあんたを苦しめた天の神をぶっ殺す」

 

「―――」

 

「あんたの大切なものを奪って、苦しめて、泣かせて、笑顔を奪った神をぶっ殺す」

 

「……ふっ。大口を叩くものだな」

 

「ついでだついで。

 元より、オレは友奈をこんな狭い世界に閉じ込めてた神が気に入らなかった。

 全部終わらせたら次は結界の外と神をどうにかする予定だッたんだよ。

 あんたが心の底から笑えばよ、友奈もきっとそンだけで笑ってくれるはずだ」

 

「あぁ、なるほど、そういう理屈か。……懐かしいような、そうでないような気分だ」

 

「オレは悪だ。

 大赦も、見る人によっちゃ悪ではあるかもな。

 あんたも、自称だけど人を犠牲にしたことを悪いことだと思ッてる。

 他も、オレにとっちゃ友奈の幸福を踏み躙ンなら問答無用で悪だ。

 ……だけどな。

 そのどいつよりも悪だと、オレが思うもンがある。結界の外の化物共と、神だ」

 

「……それが、お前の出した結論か」

 

「力はある。手に入った。だから、絶対にぶっ殺す」

 

 大赦にとってリュウはただの反乱分子。

 組織として倒すことを目標とするほどの存在ではない。当たり前だ。

 だから総力を上げて『戦う』のではなく、『処理』しようとしている。

 それはいい。別にいい。リュウはそう思う。

 本当の敵がどこに居るのか……大赦が目を向ける先を間違えないで居てくれたおかげで、リュウもまた、倒すべき敵を見据えられる。

 

 けれど、背負うものや倒すべき敵を増やせば増やすほど、人間は破綻しやすくなることに、リュウは気付いていない。

 そうやって背負いすぎた結果、潜在的な敵を増やしすぎてしまった結果、破綻して集団暴行で死んでしまった男が居たということを、根本で理解できていない。

 『友奈』が全て根幹において『友奈』であるように、因子は形質を継承させる。

 

「そうしたら笑ってくれ。

 屈託なく笑ってくれ。

 悲しみを隠すとかじゃなく。

 想いをごまかすとかじゃなく。

 記憶を押し込むためなんかじゃなく。

 心底嬉しいと思って、笑ってくれ。

 オレは友奈の気持ちも分かるから、言える。

 オレも友奈も……あんたのそういう笑顔が見たくて、たまらねェんだ」

 

 こんなことを言いながら。

 こんなことを願いながら。

 こんなことを誓いながら。

 かつて、その男は死んでいった。

 だから若葉は、彼にその刀を託した。

 西暦の時代に愛用していた、神の刀を。それが何かを変えてくれると信じて。

 

「あんたが心の底から笑えば、オレも友奈もきっとつられて笑ッちまうから」

 

 矛盾している。

 その在り方は矛盾している。

 友奈の未来のためには、世界を壊す必要がある。

 若葉の全てを尊重するためには、彼女が守った世界を傷付けるべきではない。

 それは両方を選べない分かれ道を前にして、自分の体を二つに裂きながら両方に進んで行くようなものだ。

 

 最強の力を手にした赤嶺友奈に勝てるのか?

 勝てたとして、その後大赦を殲滅し、結界の外の怪物を一掃し、神を倒すところまで、命は保つのか? 力は足りるのか?

 最終目標が遠ければ遠いほど、志半ばで死ぬ可能性は高まっていく。

 

「世界を取り戻すために頑張ったあんたの笑顔を、取り返してきてやンよ」

 

 なのに、なんとかなる気がしていた。

 若葉にとっては懐かしい感覚だった。

 高嶋友奈を始めとして、若葉の仲間の中には、「大丈夫」と口にするだけで仲間を安心させる者が居て、若葉もそんな人間の一人だった。

 皆の中心になれる者。

 言葉に力を持つ者。

 周りの仲間に、光を見せることができる者。

 

 鷲尾リュウは己が闇に染まり、悪に成り果てようとも、他人に光を与えられる。

 そんな、人間だった。

 

 けれど、若葉はそんなことは考えてはいなかった。

 ただ、彼がくれたその言葉が、枯れた老婆の心に染み渡っていた。

 細々とした理屈はいらない。

 ただ、嬉しかったのだ。

 懐かしい嬉しさがあった。泣き出したくなるような感情があった。

 

 

 

「―――お前はいつも、私の心を救ってくれている気がする」

 

 

 

 老婆は微笑む。

 まだ、本気で心の底から笑えないままに。

 

「私はここで待っている。

 お前が居場所を全て失っても、ここはお前の居場所だ。

 帰る場所がなくなる、なんてことはない。

 ここにお前の帰る場所があり、お前の帰りを待つ人間が居る。忘れるな」

 

 拠点も、実家も、幼馴染も。

 どこにも帰ることができなくても。

 きっとここには、帰って来ることが許されている。

 

「優しさを失うな。そして、本当に辛い時は人を頼れ。

 私の掛け替えのない親友と似て非なる、まだ幸せになる余地のある男よ。

 お前はきっと、それだけでいい。……それだけで十分だ。乃木若葉が保証する」

 

 リュウは曖昧な表情で頷き、踵を返す。

 若葉はその背中を信頼の目で見送り、一瞬だけ不安な目をして、その背中に手を伸ばしかけるがぐっとこらえて、伸ばしかけた手を戻し、着物の胸元を握る。

 行け、と言って背中を押してやりたかった。

 行くな、と言って戦いの場から遠ざけたかった。

 どのどちらも選べなかったのが、乃木若葉が老いたという証明だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、夜になる。

 赤嶺友奈はそわそわしていた。

 朝に出掛けていった静がまだ帰って来ていないのだ。

 今日になれば三人揃っているはずだった。

 なのに今は友奈しか居ない。

 弥勒蓮華も桐生静も居ない。

 友奈は心配と不安で、そわそわする自分を止められなかった。

 

「何か、あったのかな……」

 

 そんな友奈が呼び出されたのは、大赦の一施設。

 友奈はそこで、大赦の男から"褒美"を与えられていた。

 

「え、私が勇者に認定されたんですか!?

 伝説の勇者の若葉様と同じ!? わぁ……わぁ……!」

 

「魔を払い、世を清めるのが鏑矢。

 しかしながら赤嶺様は、怪物も倒しておられます。

 妖魔を打ち倒し、世界を救う勇者……その名に相応しいと認められたということです」

 

「勇者・赤嶺友奈! ですね?」

 

「はい」

 

 勇者。

 勇気ある者。

 この世界においては、神樹の神々に選ばれた無垢なる少女の戦士を指す。

 事実上、名前が変わっただけではあるが、その名前が重要だ。

 

 この時代はまだ乃木若葉が健在である。

 すなわち、『勇者』がまだ生ける伝説として在るのだ。

 勇者の称号を得るということは、その後継者と認められたということでもある。

 ましてや、今勇者の称号を持つのは赤嶺友奈のみ。

 人類を牽引してきた乃木若葉という唯一の勇者と、その肩書きを継承することが認められたたった一人の勇者ともなれば、その名には黄金を超える価値がある。

 

 ただの言葉の羅列が呪文となり、力を持ち、神々の時代に逆戻りしたこの星の上では、ただの名にすら力が宿るこの世界では、名前一つがとても重い。

 

「それと、これを。こちらは私の権限で引っ張り出してきたものですが」

 

「これは……盾? 割れた盾を修理したものかな……?」

 

「乃木若葉様のお仲間が所有していた盾です。

 元は旋刃盤だったと聞きますが、壊れて修理された際、盾に戻されたと聞きます」

 

「!」

 

「端末を近付けてみてください」

 

「こうですか? わっ、吸い込まれた」

 

 かつて、西暦の時代に若葉の仲間が使っていた盾。

 世界を守り、仲間を守り、若葉や……『当時の友奈』を守り続けた盾。

 それが大赦の男から手渡され、友奈の端末に吸い込まれて消えた。

 

「あの御方は周りに余計な心配をかけることを好みません。

 ですが……口にしないだけで、何も感じないわけではなく、内に溜め込み飲み込む方です」

 

「それは分かります。稽古つけてもらってる時、そういうこと何度もありましたから」

 

 "あの御方"などと呼ばれるのは、この世界で若葉のみだ。

 政治指導者も居ないこの世界では唯一無二の存在である彼女は、こんな言葉ですら彼女のみを指す隠語になってしまうくらいの、尊敬される偉人である。

 けれども。この大赦の人間にとっては、尊敬されるだけの人間ではなかったようだ。

 

「これは、内密にして欲しい話です。

 かつ、確実な事実ではない。

 私が聞いた話と、当時の人間が残した話と、書類に残された資料から推理した推測です」

 

「いいんですか、大赦の人がそんなこと話しても」

 

「よくはありません。ですが必要なことです」

 

「……」

 

「当時、乃木若葉様には本当に大切な人が何人も居たようです。

 大切な戦友。

 戦場で共に戦ってくれた親戚。

 いがみ合いながら背中を預けた少女。

 若い者達が集まっていたわけですから、当然"そういう感じ"になった異性も居たらしく」

 

「! え、あの若葉様の恋バナですか!?」

 

「こほん。いえ、そこは本題ではなく。

 いや、確かに本題の一部ではあるのですが。

 実際のところ、乃木若葉様に恋愛感情があったのかは分かりません。

 ただ、一部記録から消されている黒髪の勇者が居たらしく……

 乃木若葉様はその人を応援しつつ、その勇者から嫉妬されていたようです」

 

「乃木若葉様が泥棒猫?」

 

「……あの性格で?」

 

「……無自覚な三角関係とかの方がまだありそう」

 

「乃木若葉様に恋愛感情があったかは不明、不明です。赤嶺様」

 

「そんなお気に入りのアイドルが恋愛してることを必死に否定する人みたいな……」

 

「こほん。話を戻します。

 その時期、そういう思春期の問題があれば、乃木若葉様にも心労が溜まります。

 何せ、五人の勇者のリーダーですから。

 そんな乃木若葉様が心中を吐露した親友が二人居たと書いてありました。

 幼馴染の上里ひなた様と、親友の高嶋友奈様。おそらく、貴女の名前の由来です」

 

「! へー。そういえば私の名前、大赦から与えられたんだっけ……」

 

「もしも貴女が戦死されれば、乃木若葉様は……『二度目』の悲しみを味わうことになります」

 

「……!」

 

 赤嶺友奈が、自然体から姿勢を正す。

 

「どうか二度も、『友奈の死』をあの方に味わわせないでください。お願いします」

 

 大赦の男は、深々と頭を下げる。

 

「大丈夫」

 

 友奈は豊かに膨らんだ胸を叩いて、堂々と言い切り、約束する。

 死なないことを。

 乃木若葉を、己の死でこれ以上傷付けないことを。

 そして、赤嶺友奈が死なないままに、あの怪物をちゃんと倒して終わらせることを。

 

「期待してもらったら、ちゃんと応えるから」

 

 そして友奈は、大赦の男の名を呼んだ。

 

「お母さんの心を守りたいって気持ち、分かりますよ。乃木海地さん」

 

「……お恥ずかしい限りです、赤嶺様」

 

 若葉の息子は、仮面の下で苦笑する。

 これは彼にとってもかなり危ない賭けだろう。

 彼は全ての事情を知らないまま、かなり危ない橋を渡ったことになる。

 けれど、それでも。苦しみの人生を生きた母を救ってやりたいという、子の愛があった。

 

「義理と責任と良識で……

 努めて望ましい母で在ろうとした、私の母を……

 "そうしたい"ではなく、"そうすべき"でしか、母として在れなかった母を……お願いします」

 

 恋をして、愛し合って、結婚して、伴侶を愛し、生まれた子を愛する、のではなく。

 生き残った責任を果たすため、未来に希望を残すため、妻としてするべきことはこれだ、母としてするべきことはこれだ、という在り方を続けてきた、そんな母を見て、子が抱いた想いは。

 母への哀れみと、母を守りたいという祈りと、母をもう誰も傷付けないでほしいという、子の愛だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静は歩き疲れて、もうすっかり夜になった周りを見回し、溜め息を吐いた。

 何も見つからない。

 誰も見つからない。

 赤嶺友奈の笑顔を取り戻せるものが見つからないまま、次の夜が来てしまった。

 もう、次の戦いが始まってしまう。静はまた溜め息を吐いた。

 

「駄目や……なーんも見つからん。

 つーか、おかしいやろ。

 どこの病院もロックの面倒見とらん。

 弥勒家にも連絡の痕跡なし。

 大赦関連で情報集めても手応え無いとか……こら、最悪の大当たりかもな」

 

 静は頭を抱えて、髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。

 

「ロックも鷲尾リュウも、やばいことに巻き込まれとると見て間違いないか……」

 

 それも大赦が隠してることで、というところまでは、静は口にしなかった。

 夜になった。

 戦闘が始まる。

 安全地帯に引っ込んで、戦闘が終わってから別口で探したほうがいいかもしれない、と静は考え始める。

 ちょっとどころでなく、嫌な予感がしていた。

 

 コンクリートの柱と金属製の手すりが並ぶ道の端で、静はコンクリートの柱に背中を預け、休みつつぼんやりと周囲を見回す。

 

「ロックもあの男も、そんな簡単に見つかるなら苦労はしないってやつやな……」

 

「ありがとー、ラムネのお兄さん!」

 

「またラムネの開け方分からなかッたらオレを呼べ。近くに居たら、まあ来てやンよ」

 

「おるー! 普通におるー! なんやあんたいつもこんなんなんか!?」

 

「うおッやかましッ……っておいおい、あんたか」

 

「静でない静をよろしく。ウチ、あんたを探してたんや!」

 

「オレは探してねェ。ンじゃな」

 

「待たんかい!」

 

 静は背を向けて去って行こうとするリュウを追おうとして、手すりを掴んで思いっきり引き、その反動で初速を得て走り出そうとする。

 その瞬間、手すりが柱からすっぽ抜けた。

 

「えっ」

 

 すっぽ抜ける手すり。

 その時、静の目に入る「修理中、触るな」の張り紙が埋まっている草むら。

 近所の子供がいたずらでもしたのだろうか?

 思いっきり転倒する静の頭の先が向かうのは、どこにでもある石ブロックの角。

 この勢いと静の体重を考えれば、このまま後頭部をぶつければ、即死。

 天地がひっくり返るような、死を実感させるような感覚を静は覚え――

 

「そそッかしい女だな。気を付けろ」

 

「お、おお、おーきに。あんがと」

 

 ――リュウに、抱き留められるように助けられた。

 

 あれ、結構遠くにおらんかったか、と静は疑問に思うが、ゼットンカードをリードし具現化させずに僅かに力を引き出したリュウが助けてくれた、という詳細にまでは気付かない。

 

 ただ、リュウが"やっちまった"といった顔をしていたので、リュウが立ち去るつもりが振り返って助けてしまったこと、『見られたら困る方法』で静を助けてくれたことは、なんとなくに感覚で理解していた。

 

「もう夜だ。ツラが一定以上いい女は危ねェぞ。用心して帰れ」

 

 リュウはそう言い、抱き留めていた静を優しく降ろし、今度こそ踵を返して去っていく。

 

「あっ、待っ……消えた?」

 

 静もその後を追うが、曲がり角を曲がったリュウを追って曲がり角を同様に曲がった瞬間、一瞬前まで追えていたはずのリュウの背中が、消えていた。

 普通の人間の消え方ではない。

 間違いなく、超常の力の行使による逃走。

 

「あかんな、もしかしたらウチが考えとるより時間無いんか?」

 

 静はとりあえず、戦闘に巻き込まれることのない安全地帯を頭の中であたりをつけて、そこへと駆け込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして。

 至高の刃が、全てを壊そうとする者の手に渡り。

 至高の盾が、全てを守ろうとする者の手に渡り。

 初代勇者達の想いが、今を生きる者達へと継承され。

 

 また、戦いの夜が来る。

 

 

 

 鷲尾リュウは、深々と息を吐いていた。

 

「あいつ地味に怖いな。勘がいいやつだ……」

 

 桐生静も中々に怖い。

 巫女というのは、要するに神の力への感受性が高い者ということだ。

 異能の受信能力者、と言い換えても良い。

 だからおそらく、直感的にブラブラした時、赤嶺友奈や弥勒蓮華よりもずっと、桐生静の方がリュウを見つけやすいのだろう。

 今は見つかりたくないというのに、中々厄介な女だ、とリュウは思う。

 

 そもそもリュウが困っている子供を見捨てられる自分でいられたなら、流石に静も見つけられないため、十割彼の自業自得なのだが、それを言う者は誰も居ない。

 

「さあ、行くか」

 

 ダークリングを構えるリュウだが、目的地はない。

 これまでは大赦まで一直線に進むリュウと、それを止めようとする友奈というタワーディフェンス的な戦いになっていたが、もうそれもない。

 目的地がないなら、これまで通りにはいかない。

 だからどうすればいいのか分からない……それが、昨日の時点でのリュウだった。

 

 けれど、今は、ただ、一つだけ。

 

 『赤嶺友奈に幸せな未来を与える奇策』だけは、思いついていた。

 

「頼む、ダークリング。

 オレをもっと、悪に堕とせ。

 途中で手が止まッちまわないように。

 途中で躊躇ッちまわないように。

 最後の最後まで、悪を貫く心をくれ。

 ……この世で唯一、オレが悪で在ることを望んでいる、お前を信じる」

 

 ダークリングが、リュウの信頼に応え、望みを叶える。

 

 友奈は世界より大事か?

 世界は友奈より価値があるか?

 何を犠牲にしてもいいのか?

 何を犠牲にするのはいいのか?

 何を犠牲にしてはいけないのか?

 民衆の幸福は?

 民衆の悲嘆は?

 乃木若葉が守ったものは?

 先人が命懸けで守ったものは?

 西暦に守られたものを自分が壊していいのか?

 一人の幸福は四百万人の幸福に勝るのか?

 全人類の幸福のためなら一人の幸福は踏み躙って良いのか?

 鷲尾リュウは何したい? 何を守りたい? 何を踏み躙る? 何を愛している?

 

 数々の葛藤を、ダークリングの闇へとくべて、一気に燃やした。

 

「―――!!」

 

 親指で、ゼットンのカードを空に弾く。

 親指で、パンドンのカードを空に弾く。

 リュウが空に突き上げたダークリングに、二つのカードが順に入り、闇が爆発した。

 

《 ゼットン 》

《 パンドン 》

 

「来い……『終わりを告げる力』……」

 

 ゼットンとパンドンのカードがほどけ、爆発した闇が相乗効果で巨大化していく。

 二つの闇が混ざって、リュウの体をかつてないほどに巨大な闇へと導いていく。

 それは、最高の相性を持つ闇の組み合わせ。

 山のようにカードを持つ者でも、"これが一番強い"と言い切る超合体。

 カードの強さだけでなく、カード同士の相性により、桁外れの闇を生み出す究極合一。

 

 サメのような顔。

 燃え盛る溶岩のような赤。

 冷めきった溶岩のような黒。

 ゼットン、パンドン、二体の怪獣を思わせる意匠。

 背の側から伸びる雄々しき尾に、乃木若葉から贈られた神刀・生太刀が融合した。

 

 それは、鷲尾リュウの、新たなる力。

 

「超合体―――『ゼッパンドン』」

 

 光よりなお輝く闇。

 光なき超高熱の炎。

 終焉に重ねた終焉。

 

 ここではない地球で、初代ウルトラマンの最後の敵であったゼットンと、ウルトラセブンの最後の敵であったパンドンを重ねた異形が、吠える。

 燃える炎の終焉超合体。

 ゼッパンドンの周りには、絶えることのない闇の炎が渦巻いていた。

 

 かつて、この世界は滅ぼされた。

 炎によって四国を除いた全てが燃え尽き、人類は敗北した。

 天の神がもたらしたのは、怪物と終焉の炎。

 そしてゼッパンドンもまた、終焉の炎の怪物である。

 

 天の神とそれが操る怪物に、勇者が立ち向かう物語。

 その最後には、終焉の炎が添えられた。

 宇宙人とそれが操る怪物に、光の巨人が立ち向かう物語。

 遠い世界の光の巨人の物語の最後にも、終焉の炎が添えられた。

 

 だから、これはきっと、西暦最後の戦いの再来(リプレイ)

 

 世界を滅ぼしていいと言われた。

 生き残った乃木若葉に、上里ひなたに、そう言われた。

 何故か分からないが、泣きそうだった。

 許されたならやろう、と思う心と、もうやめろ、と叫ぶ心の両方があった。

 

 許すな、と心が叫んでいた。

 受け入れるな、と心が叫んでいた。

 泣いてしまうかもしれない少女が居た。

 人生そのものを悔いる、少女だった老女が居た。

 こんな世界は何もかもが間違っている、と心が叫んでいた。

 

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 "犠牲と苦しみが続く世界なんて滅びてしまえ"と、その心が叫んでいた。

 

 ゼッパンドンが、炎を吐く。

 敵ではなく、街を狙って。

 これまで街をできる限り壊さないようにしていたリュウとは、明らかに違う戦法だった。

 燃え盛る街の中、炎に気付いた民衆が逃げ惑う。

 逃げ惑う中、大怪獣ゼッパンドンの存在に気付き、誰も彼もが悲鳴を上げる。

 

「世界を滅ぼした―――怪物だっ!」

「嫌あああああ!!」

「逃げろ、逃げろ!」

 

 ゼッパンドンは火を吹き、世界を焼き続ける。

 

『来い』

 

 火を吐きながら、想いの言葉を吐き続ける。

 

『来い、友奈』

 

 想いの言葉を吐きながら、想い続ける少女を呼ぶ。

 

『オレを止められるのは……お前だけだ。来い、来い、早く来い』

 

 少女の名を呼ぶ少年の声に応えるように。

 あれを殺せと叫ぶ大赦の声に応えるように。

 助けて、と悲鳴を上げる人々の声に応えるように。

 

 闇を切り裂く火色は、そこに現れる。

 

 

「―――火色舞うよ」

 

『―――来いッ!!』

 

 

 ゼッパンドンが吐き出した紅蓮の炎と、赤嶺友奈の烈火の一撃が、闇夜に火の花を咲かせる。

 

 皆が知らない戦いは終わり。

 

 皆が知らずにはいられない、そんな戦いが始まった。

 

 

 




・『ゼッパンドン』

 初代ウルトラマン最後の敵ゼットン、ウルトラセブン最後の敵パンドンの合体怪獣。
 原作にて闇の男・ジャグラスジャグラーが使った強力な超合体怪獣。
 終焉の超合体。

 ラスボス×2という特性と相乗効果のためか、使いこなせれば非常に強い。
 原作ではウルトラマンオーブ+二体のウルトラマンの力を用いたフュージョンアップウルトラマンを、マガオロチの力+二体のラスボス怪獣の力を用いたこの超合体怪獣が圧倒している。
 が。
 鷲尾リュウはマガオロチの尾を所持していないため、性能はその時ほどには高くない。
 一兆度火球のゼットンに火属性のパンドンを合わせているため、強力な火属性の力を行使可能であるが、大赦が目指しているの理想の勇者システムはその全てが『壁の向こうの業火』を想定されているため、そういった点では相性が悪い。
 されど瞬間移動、強固なバリア、破壊光線、攻防共に極めて強い超高スペックの体など、相性差を基礎能力のみで覆す強さも兼ね備えている。

 サメのような顔といい、ゼッパンドンはゼットンともパンドンとも似ていないパーツを多く持っている。
 それは、ゼットンとパンドン以外の何かが触媒となって完成形が出来るからである。
 リュウの場合は、聖なる刀が尾に入ることで完成した。

 マガオロチの尾が無いゼッパンドンは、尾無き怪物である。
 鷲尾竜に尾が無ければ、鷲竜。鷲竜類。
 絶滅した古代の竜となる。
 すなわち鷲尾リュウのゼッパンドンは、絶滅した竜であると同時に、終わりをもたらす怪物であると言えるだろう。
 その存在は全てを終わらせると同時に、終わりに反抗せんとする。

 ゼットンバルタン同様『戦う力』が単純に強いため、戦うならば戦闘力で上回る必要がある。

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