「君の長所は、私を愛してることだよ」   作:ルシエド

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第二夜

 ダークリングは、カードを用いて怪獣を実体化させ、己の肉体を変質させる。

 創造と改造の違いはあれど、"カードに沿った肉体を作る"という点では同じ。

 変身前の肉体の損傷を、変身者はある程度無視できる。

 でなければリュウは、二日目にして戦うことも難しくなっていただろう。

 

「いつつ……額の腫れは引いたか。

 傷跡は残ってるから前髪で隠しといて……

 腹は……全部終わってから、病院行けたら行くか……」

 

 12/26、朝。香川某所。

 リュウは秘密の隠れ家にて、体の各所に出来た傷の手当てをしていた。

 

 リュウは大赦にも知られていない隠れ家をいくつか所持している。

 それは「秘密は誰かに話した時点でいつか必ず漏れる」というリュウの考え方に基づいたものであり、ゆえに彼は誰にも所在を明かしていない拠点をいくつか隠し持っていた。

 着替え、医療道具、食料などはある程度各拠点に事前に溜め込んでいる。

 短期決戦、数日を戦い抜くだけなら、問題なくいけるだけの備えはあるのだ。

 

「いつつ……アバラにヒビ入ってたらオレ一人じゃ対処のしようがねェか」

 

 リュウは自分の体のダメージを確認しつつ、今の自分にできることを再確認する。

 

「後は、昨日の力を使いこなせるかどうかにかかッてるわけだが……」

 

 リュウはダークリングを握る。

 宝石なのか金属なのか、それすら分からない赤青黒の美しいダークリングの色合いが、何故か昨日よりも美しく煌めいて見えた。

 

 ダークリングの秘めたる力―――『超合体』と、『巨大化』。

 巨大化はまだ使えもしないが、超合体はいつでも使える。

 それが、検証したリュウの結論だった。

 

「デカくはなれねェが、カード二枚を混ぜるこたァできるってわけだな」

 

 リュウの手持ちは、使えない七枚目を除けば六枚。

 バルタン星人含む宇宙人が三枚、ゼットン含む怪獣が三枚だ。

 どれとどれを組み合わせるかは慎重に選ばなければならないだろう。

 

(……失敗すれば失敗するだけ、後がなくなる)

 

 リュウの味方は居ない。

 リュウが負ければ終わりだ。

 かつ、今はリュウが反乱しているから対抗戦力の友奈の処分が先延ばしにされているだけで……指示を出した大赦の上層の誰かの思惑通りに行っていたなら、友奈は初日に始末されていたはず。

 いつ何が起こるか分からない。

 どう転がるか予想しきれない。

 よって、リュウはチンタラしてはいられない。

 味方無く、後はなく、かつ回復に使っていられる時間もない。

 

 万全の状態まで回復するのに48時間もかかるのならば、無駄な一手は絶望に繋がるだろう。

 

(使い慣れてるゼットンとバルタンを軸に、何か考えるか……)

 

 七枚の手札の中でリュウが使いやすく感じている二枚が、バルタンとゼットンだ。

 最も負荷が少なく、そこそこ以上の力を出せるのが宇宙忍者バルタン星人。

 "やれること"はおそらく最も多い。

 負荷はそこそこで、出力が最高値なのが宇宙恐竜ゼットン。

 "強さの規模"で言えば最も大きくなるだろう。

 

 バルタンでは力負けする可能性が出て、ゼットンでは力に振り回される可能性が出る。

 相手がただの人間だった頃は、こんなことを考える必要はなかった。

 だが今の赤嶺友奈は、数十年前の伝説の戦いで活躍したという『勇者』のそれに並べて語られるほどの強さを持っている。

 

 初めての"対等の立場での殺し合い"は、リュウの心を恐れで竦ませていた。

 

(……全部友奈に明かしたら、仲間になってくれねェかな……)

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()弱気になったリュウの心が、情けない弱音を吐き出して、リュウは深呼吸一つ。

 深く息を吐き出し、心が吐き出した弱音を諸共に吐き出した。

 

「ダメだ、巻き込めねェ。

 友奈は『被害者』だ。

 万が一にもオレの味方になってもらうわけにはいかねェ。

 世界に対する加害者になんかなっちまったら……あいつは一生後悔する……」

 

 大赦は、多くの隠し事と、究極の要求で人に言うことを聞かせることができる。

 究極の要求とはすなわち「君がやらなきゃ世界が終わるよ、君も君の大切な人も死ぬよ」だ。

 優しければ優しいほどに、この楔は深く強く刺さる。

 

 この世界には、赤嶺友奈が大切にした人が沢山居て、赤嶺友奈を大切にした人が沢山居た。

 彼女は絶対に、この平穏が崩壊することを許容できない。

 友奈はリュウと違って、悪でも間違った者でもないからだ。

 あるいは彼女は、大赦と話し合いで解決しようとするかもしれない。

 彼女は世界を守るだろう……というのが、リュウの解釈である。

 

 だがリュウは、四国全土の心中を望んだ人間を話し合いの名目で招き、毒を盛って殺した大赦の人間を見たことがある。

 手段を選ぶことのない人類存続維持機構、大赦。

 リュウは何も信じていなかった。

 

 だから彼は誰も頼っていない。

 誰の力も借りるつもりはない。

 奪い取った力と自分の力だけで、全てを解決するつもりでいた。

 

「友奈をどうにかする。

 大赦を潰す。

 そんでもって、昨日の力を使いこなして――」

 

 一人だけで、全てを解決するつもりでいた。

 

「――バーテックスと天の神を、全員ぶッ殺す」

 

 西暦2015年、人類の増長に怒った天の神がもたらした怪物・バーテックスにより、世界は滅び、四国結界の外の世界は全て燃え尽きた。

 世界を焼く炎は未だ結界の外を焼き続け、バーテックスは結界の外でその数を増やしながら、人類を裁き滅ぼす日を待っているという。

 

 だが、もしも。

 伝承に語られるバーテックスよりも遥かに強大な怪物になれたなら。

 昨日の力をリュウが使いこなし、バーテックスより恐ろしい怪物になれたなら。

 神さえも殺せる怪物になれたなら。

 

(人に……友奈に。虫籠の中の虫みたいな一生以外の未来を、与えてやれるかもしれない)

 

 リュウは自覚を持てていない。

 力を持ち、力を得て、力に飲み込まれ、力に溺れた自分が、「友奈を助けたい」という初志からズレて、「この力で何を壊すか」に思考が移っていっていることに。

 ダークリングが、彼の腰元に釣られ揺れていた。

 

(そうだ、力だ、力、力があれば全てを解決できる、全てを壊して全てを殺せば―――)

 

 力を持った者は己の力を試すために、他のものを破壊し、支配しようとする。

 それは動物的本能に近い、獣の心だ。

 気に入らないものを攻撃する。

 嫌いなものを排除する。

 不快なものを消してなくすために動く。

 人間には大なり小なり、そういう性質がある。

 

 それは、自分にとっての理想郷を作ろうとする幼稚な暴虐。

 この宇宙で最も邪なる者に必要な心。

 リュウは何も考えず、自分のことも友奈のことも人々のことも慮らぬまま、ダークリングとカードを掴んで。

 

―――皆笑っていられたらいいよねー。難しくてもそれがいいよね。リュウくんもそう思うよね

 

 幼馴染の声が聞こえた、気がした。

 気がしただけだ。

 ただの幻聴。

 だがそれが、彼の心を正気に引き戻してくれた。

 

 リュウは己の額に己の拳を全力で打ち付ける。

 

「……まずは、目の前のことに集中しねェとな。そんな先のこと考えてられる余裕はねェ」

 

 リュウは調子の悪い内臓を考慮し、栄養ゼリー飲料を胃に入れる。

 酷く気持ちが悪かった。

 まともに動いていない胃腸が、無理矢理入れられた食物に悲鳴を上げている。

 ゼリーでさえ吐きそうになるが、リュウは死ぬ気でそれを押し留めた。

 戦いはまだ続く。

 苦しくても、キツくても、胃に何か入れなければ戦い続けられやしない。

 

「冷静になれ、オレ。驕り高ぶれば、銃弾一発でも死ぬ……」

 

 変身が解けた瞬間を狙われ、撃たれれば、それで終わり。

 

 力を得た程度で傲慢になれば、その命は今日中にでも終わるだろう。

 

 少年には、思い上がっていられるほどの余裕など無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 赤嶺友奈は、鷲尾リュウとその家族の関係を深くは知らない。

 リュウは家族のことをあまり語らない。

 家族はリュウのことをあまり語らない。

 だから幼馴染である友奈ですら、鷲尾家のことをあまり深くは知らなかった。

 

 嫌い合っているというわけではないと、友奈は思う。

 嫌悪や敵意はない。

 互いに無関心というわけではない。

 ただ、鷲尾リュウとそれ以外の家族の間に、深い溝がある、という印象を友奈は持っていた。

 何故かは分からないが、リュウを除いた家族はリュウとだけ距離を取っていた。

 父も、母も、兄達もだ。

 

 友奈が覚えている限りでは、その中で一番リュウに優しくしていたのはリュウの母だった。

 普通に話しているだけでも、慈悲深く寛容な優しい人で、友奈はその人がリュウに一番優しくしているのに納得するのと同時に、何故この人がリュウと普通の親子になれていないのか、幼心にずっと疑問を持っていた。

 

 リュウの母は友奈に優しかった。

 でも、リュウとは"遠かった"。

 友奈は感覚派すぎて、それを上手く言語化できない。

 だから彼女は"遠かった"としか表現できない。

 リュウが寂しそうにしていて、それが放っておけなくて構いに構っていったことを、友奈は今でも憶えている。

 

 記憶の中で、リュウの母は友奈の頭を撫で、いつも微笑んでいた。

 

「そう……あなたが『友奈』」

 

 『友奈』の名にどんな意味があるのかくらいは、リュウを除いた鷲尾家全員が知っている。

 

「リュウに優しくしてあげてね。私達にはもう、その資格が無いみたいだから」

 

 少し悲しそうに、幼き日の友奈に、リュウの母はそう言った。

 

 

 

 

 

 リュウの母と友奈の親交は、友奈とリュウが中学二年生になった今でも続いている。

 

「ありがとうねえ、友奈ちゃん。リュウの部屋の整理を手伝ってもらっちゃって」

 

「いえ、このくらいのお手伝いならいつでもやりますよ」

 

「リュウが帰って来たら真っ先に友奈ちゃんに会いに行かせるからね」

 

「何も言われなくても私に真っ先に会いに来ると思いますけど……」

 

「……友奈ちゃんはそういうのを迷いなく言えるのが強いわねえ」

 

「何があっても、最後には私の下に帰ってくる奴だと思ってますから」

 

 友奈はまったりとした微笑みで応えた。

 

 リュウが行方不明になってから一年以上が経った。

 にもかかわらず、友奈はまだ一度も、リュウの母が"普通の親らしく息子を心配する"ところを見ていなかった。

 それは、異常である。

 

 子と母の不可思議な距離感ゆえのことなのか?

 それともリュウがどこに何をしに行っているのか知っているのか?

 友奈には分からない。

 リュウとの関係の理由も含めて、友奈は探りを入れてみたが、やんわりとかつ明確に拒絶されてしまい、はぐらかされてしまう。毎度、毎度だ。

 だから、何も分からない。

 リュウのことを本気で心配してるのは自分だけなんじゃないか、とすら友奈は思ってしまう。

 そしてその度、友奈は生来の優しさゆえに、その想いを振り払うのだ。

 

「リュウの私物あんまり多くないですね」

 

「あの子は昔からあまり欲しがらない子でね。

 何かに執着することもあまりなかったの。

 物を大事にしすぎることがあまりないというか……

 本当に欲しい物、本当に大切な物を、あまり多くは作らない子だったから」

 

「あー、確かにリュウはそういうところありました」

 

「妙なところで自信がないから、こだわりみたいなのが育たなかったのかもね……」

 

「リュウは自分に長所も取り柄も無いと思ってますからね。そんなこと全然無いのに」

 

「あら、こんな古い写真立てが。本棚の裏に落ちて取れなくなってたのかしら」

 

「あ、これ小学生の時に新しい公園が出来た日の写真だ……あ」

 

 友奈は写真の中の、幼い頃の無邪気に笑う自分とリュウを見て、ふと思い出した。

 あれはなんだったんだろう、と。

 子供の頃に見た・聞いたよくわからないものを後年思い出し、妙に気になってしまうという、どんな人間にもよくある困った想起。

 

「あの時のあれ結局、リュウは何言ってたんだろう……」

 

「おや、何か思い出しちゃったのかしら」

 

「えーまあ、確か何かの会話があって、何かの流れで、何かきっかけで何か言ったんですね」

 

「何もかも分からないレベルのふわふわ度合い」

 

「すみません……全然覚えてないです……

 公園のベンチで二人並んで座ってた時に言ってたことくらいしか覚えてなくて」

 

「うちの子はなんて言ってたの?」

 

「あんくぅーどふーどるだって呟いてました」

 

 ゴン、と足を滑らせた鷲尾母が頭を壁にぶつける。

 そして信じられないものを見るような目を、ここではないどこかに向けて、何故か安心したような表情で友奈を見た。

 その様子を見て、友奈は鷲尾母がこの言葉の意味を知っていることを察した。

 

「あらあら……」

 

「え? あれ? 何か知ってます?」

 

「まあまあ……」

 

「え、何ですかその反応……」

 

「息子と友奈ちゃんに語彙を殺されたの……」

 

「突然の死」

 

 反応に困っている友奈の前で、鷲尾母は穏やかに微笑む。

 それは納得のようで、諦めのようで、安心のようでもあった。

 

「ああ、でも、なんだか安心したわ。本当に」

 

 母は子を想い、少女に願う。

 

「誰が居なくなってしまっても、あなたはあの子のことを大切に想っていてね」

 

 友奈は首を傾げたが、やがて「はい」と答え、力強く頷いた。

 

 ―――鷲尾母は、知っている。ただ、語ることを大赦に許されていないだけで。

 

 子が今日まで何をしてきたのか。

 今何をしてきたのか。

 鷲尾母は大赦から余すことなく伝えられ、この世界に生きる人間の義務として、"命令"を事細かにされている。

 だから、友奈には何も話さない。

 だから、次の作戦への協力要請を拒めない。

 

 大赦のやり方は、大まかにこの世界にとっては正義である。

 

 誰もが一人では居られない。

 親、子、友人、恩人……生きている限り、そういうものを持ってしまうのが人間だ。

 ゆえに大赦は生贄に対し、鉄板の要求ができる。

 「君がやらなきゃ君の大切な人も皆死ぬぞ」、と。

 そう言えば、誰もが従わずには居られない。善良であればあるほどに。

 この世界に生まれ生きる限り、誰もが弱点を持っている。

 

 鷲尾リュウにもその弱点は存在する。

 彼の家族が存在する。

 赤嶺友奈の幸福のため、この世界の人間全ての幸福を切り捨てるということは、家族の幸せすらも切り捨てるということだ。

 家族が大罪人の身内として不幸になることを認めるということだ。

 血の繋がった家族がどういうとばっちりを喰らってもいいと考えるということだ。

 

 リュウの選択は、彼一人が苦しんで終わるものではない。

 彼が"皆のため"を捨てたということは、皆が延々と彼の選択の割を食うということ。

 息子に見捨てられたと告げられた時の母の気持ちは、如何ばかりか。

 どんな事情があるかは知らないものの、母がリュウのことをちゃんと愛していることは、幼少期から付き合いがある友奈もよく知っている。

 だがその愛は、既に『要らないもの』として切り捨てられている。

 そんな現状を鷲尾母はおくびにも出さない。

 

 リュウの母は友奈相手に、見捨てられた者の悲哀を隠し切っていた。

 

 

 

 

 

 そして、夜が来る。

 

 

 

 

 

 仮面を付け、ローブで体格を隠し、夜の闇に紛れて移動する。

 リュウはバレないように遠巻きに見ることを意識しつつ、戦況を確認した。

 大赦によって大赦の本拠周辺に人払いがなされている。

 見張りの大赦の人員は50かそこらといったところ。

 一発芸だと分かっていたのか、罠も仕掛けられていない。

 大通りの真ん中には友奈の姿も見て取れた。

 リュウがどの方向から攻め込んでも大赦の見張りが反応し、友奈がそこに飛んでくる……そういう仕組みの防衛ラインだろう。

 大赦の人員は綿密に定時連絡を取っているため、攻撃して防衛ラインに穴を空けこっそり忍び込むというのも難しい。

 ゼットンの瞬間移動を、リュウの技量で引き出せる最長距離で連打しても、この防衛ラインは抜けられない。

 そういう構築がなされていた。

 

(手の内は読まれている)

 

 大赦は鏑矢やリュウに間接的・直接的な殺害を命じ、その記録を取っていた。

 なればこそ、リュウの手札の多くは知られてしまっている。

 社会を守るために敵を倒させ、倒させる過程で記録を取り、万が一の時は鏑矢やリュウを仕留めるために役立てる……大赦の采配は完璧だった。

 世界を守るために頑張っていただけの少年少女とは違い、大人は"その先"も考えていた。

 人の世を守るためにはこれ以上の采配はないだろう。

 その采配がリュウを追い詰める。

 

「まあいい。そんなこと……初めから分かってたことだしなァ」

 

 親指で弾き入れ、ザラブ星人のカードをリードする。

 

《 ザラブ星人 》

 

 親指で弾き入れ、バルタン星人のカードをリードする。

 

《 バルタン星人 》

 

 ダークリングを掴み、その力を掌握し、闇が吹き出る神器を掲げる。

 

「来い! 『操る力』!」

 

 ザラブとバルタンのカードがほどける。

 二つの闇が混ざって、リュウの体に溶け込む。

 闇と人体が一つになって、新たな力へ昇華する。

 

「超合体―――『フェイクバルタン』」

 

 ザラブ+バルタン。

 

 大赦のデータにも無い新たなる姿で、リュウは待ち受ける友奈めがけて疾走、真正面からの突撃を敢行した。

 

 

 

 

 

 戦いが始まる。

 赤嶺友奈はダンスのように軽快に、とん、とん、とステップを踏む。

 身を包むは赤き衣装。

 揺れるは桜色の髪。

 白赤二色の大きなアームパーツを、腕を引き絞るようにして構え、迫る敵を睨みつける。

 

「……来た。姿は違うけど、昨日の奴と同じ奴かな」

 

 フェイクバルタンは、今日までダークリングが生み出してきた宇宙人や怪獣の姿のどれとも違うようで、どこかが似ていた。

 既知にして未知。しかしその動きは友奈にとって既知のそれである。

 

 大まかには人型だが、細かなフォルムはまるで銀色のザリガニだ。

 両手の大ハサミやセミのような意匠はバルタン星人のそれそのまま、体の構造がのっぺりとして凹みが増え、重心が随分と上の方に寄っていた。

 それがことさらに、銀色のザリガニという印象を強めている。

 だがその体組織は鋼鉄より遥かに硬く、そのハサミは合金をゼリーのように切り裂くという時点で、これは地球上のどの生物にもたとえられない脅威であると言えた。

 

 初手はフェイクバルタンが取った。

 突き出される大きなハサミを、友奈は半身になって無駄なくかわす。

 友奈は流れるようにグローブで守られた左拳をジャブの要領で喉に叩き込み、間髪入れず右拳をアームパーツごと思い切り額に叩き込んだ。

 

『ぐっ』

 

 軽く飛ばされるが、リュウは歯を食いしばって姿勢を崩さずに着地し、友奈が叩き込んできた追撃の飛び蹴りをハサミを盾にするようにして防いだ。

 

「今夜で、終わりにするから」

 

 だが、友奈は信じられない身のこなしを見せる。

 飛び蹴りを防いだフェイクバルタンのハサミの上に手をつき、そこで逆立ちし、漫画のサッカープレイヤーがオーバーヘッドキックをする時のような動きで、敵の脳天を蹴り込んだ。

 身長が150cmと少ししかない友奈では、本来蹴り込めない2m以上の高さの脳天が僅かに凹む。

 宇宙人の声に変換されたリュウの言葉にならない苦悶の声が、口から漏れた。

 

『っ……!?』

 

「火色舞うよ」

 

 大鋏を振り回すフェイクバルタンの攻撃を、バルタンの体を蹴って跳び友奈はかわす。

 リュウはそこに隙を見た。

 跳んだ友奈が着地するまでの一秒か二秒の隙に、頭部から放出した怪音波をぶち当てた。

 

「っ」

 

 怪音波の影響を受けた友奈が姿勢を崩し、上手く着地できないまますっ転ぶ。

 

「あ痛っ」

 

 路面を転がる友奈に向けて更に怪音波を仕掛けるフェイクバルタンだが、友奈はフェイクバルタンの目線と手の向きから攻撃の向きを読み、転がったままの姿勢から跳躍して回避。

 その姿勢から軽く数mは跳躍した友奈は電線をレスリングのロープのように使い跳躍、続き発射されたフェイクバルタンの目には見えない怪音波をもう一度回避。

 更に電柱に飛び移って跳躍、近くのスーパーの外壁を蹴って更に跳躍し、バッタを思わせる跳躍の連打にて怪音波を連続で回避し、ほんの数秒でフェイクバルタンの背後を取った。

 

 だが、これは誘いだ。

 怪音波はただの誘い。

 動きを誘う見せの一撃を複数撃って敵の動きを誘導し、決めの一撃を確実に当てる"戦略"の組み立てこそが、凡人に相応の工夫である。

 かくして。

 

 フェイクバルタンは超合体で得た"切り札"を撃ち。

 

 鈴の鳴る音がして。

 

 ―――目には見えないそれを、赤嶺友奈は回避した。

 

『……おいおい、嘘だろ? ンだそりゃ……』

 

 思わず驚愕を口にするフェイクバルタンの言葉の意味は分からなくとも、驚いていることや、何に驚いているかは友奈にも理解できる。

 

「その()()()は前に見たよ」

 

 催眠術。

 ザラブ星人が得意とする技であり、怪音波などと組み合わせる宇宙洗脳術である。

 ただの人間であれば容易く操ることができ、心の在り方を捻じ曲げるというよりは、その意識を眠らせて体を操作するような効力を発揮する。

 ザラブとバルタンの超合体形態であるフェイクバルタンの得意技である。

 

(なんで分かったんだ?

 五感で発動を感知できるようなもんじゃねェ。

 オレが催眠術を発動して、鈴の鳴る音が……鈴?)

 

 鈴。そうだこあの鈴だ、とリュウは察する。

 この鈴の音は大赦が神事に使う鈴鳴子特有の音だ。

 神の降臨や魔の接近を知らせる、などと語られるそれらが、フェイクバルタンが催眠術を発動した瞬間に鳴り、それを聞いた友奈が回避行動を取ったとしたら?

 

(……大赦。

 友奈を全力でバックアップしてるわけか。

 "忌まわしきもの"の接近を感知するのはあいつらのお家芸だ。

 オレが前に使ったことのある能力は全部対策済?

 催眠術みてェな能力使えば、今みたいに鈴鳴子が鳴る……

 初見殺しの類はあんまり効果がねェと見るべきか。クソったれめ)

 

 リュウは一人で、友奈はそうではない。

 大赦が行う友奈への全力のバックアップが、リュウの勝ち筋を潰していく。

 たん、たん、と一種の音楽にすら聞こえるリズムで、友奈は軽やかに走る。

 距離を詰める動きがなくなり、フェイクバルタンの視界の死角を取る動きに変わった。

 

「その催眠は怪音波に混じえて撃つ。距離次第で影響力の大小が変わる。だから私は」

 

 友奈の腕が遠距離で不自然に振るわれる。

 風切り音。

 フェイクバルタンの優れた視力だけが捉えた小さな影。

 そして、嫌な予感。

 全てがフェイクバルタンに、遮二無二横っ飛びにかわす回避行動を取らせる。

 

 かわしたフェイクバルタンの背後で、コンクリートが砕ける音がした。

 バルタンのハサミがコンクリートを粉砕した時、よく響いていた音だ。

 リュウに振り返って確かめる余裕はない。

 振り返らなくても分かる。

 友奈は今、何かを投げたのだ。

 大赦から得た武器か、その辺で拾った石や鉄片か……何にせよ、建物の鉄筋コンクリートが軽々と粉砕される威力なら、フェイクバルタンでも当たればダメージが入るだろう。

 

 今は夜。

 超高速で投げられた小さな投擲物を目で追うことは昼間よりずっと難しい。

 

「距離を詰めなければいい」

 

『本当に真っ当に厄介な戦術習ってきやがってよォ……!』

 

 頭狙い。かわす。

 足狙い。ギリギリ回避。

 胴狙い。当たってしまい、リュウは思わず呻き声を漏らす。

 

 本当に堅実で無駄のない、"神の力を宿した肉体"を使いこなす技術。

 リュウも赤嶺友奈の師匠が誰かは知っているつもりだったが、それでもなお甘く見ていたと言わざるを得ないだろう。

 ただ単純に、同じサイズで戦うならば技量の差が出る。

 巨大化できりゃァな、とリュウは思うが、ないものねだりだ。

 今あるカードを切るしかない。

 

 ガン、と信じられない速度で投げられた鉄パイプに膝を強打されたフェイクバルタンが、膝を庇いながらその姿を数十に増やした。

 

「! 分身……!」

 

『悪ィが大人気なく詰めさせて貰うぞッ!』

 

 展開された分身はその全てが友奈を見ながら、友奈を円形に包囲する。

 包囲するフェイクバルタン達は流動的に動き、立ち位置を入れ替え、友奈は一瞬にしてどれが分身でどれが本体か分からなくなってしまった。

 友奈を包囲するフェイクバルタンが、その手から光弾を発射していく。

 全方位からの射撃攻撃。

 普通の人間では回避も防御も絶対に不可能。

 しかし友奈は、踊るようにその全てを回避していく。

 

「おっとっとと」

 

 今。友奈は踊るように、ではなく、踊りながら回避していた。

 

 路上でストリートダンスを踊る時のように、周囲全方向に見ている人が居る時のダンスを舞う時のように、どの方向も見ていて、どの方向から見ても美しく見える動き。

 くるくると回る友奈の目は、四方八方全ての攻撃を視界に収める。

 見ながら避けているのではない。

 回転しながら全てを視界に入れ、一旦頭の中で空間的・立体的に把握しているがために、背後から迫る光弾ですら友奈には一発も当たらないのだ。

 

 高度なダンサーが皆持つという、『空間把握能力』。

 これがある限り、分身で包囲し四方八方から光弾を撃ち続けようが、彼女には当たらない。

 回避効率を極めた友奈の動きは舞に似て、とても美しい。

 彼女の舞踏が叩く路面が奏でる音は美しく、どこか心地良い。

 赤色が舞う。

 火色が舞う。

 友奈が舞う。

 鷲尾リュウという観客が、戦いの最中であるにもかかわらず、その舞に見惚れていた。

 

(なあ、おい、友奈)

 

 戦いの流れは膠着する。

 フェイクバルタンは全力で攻撃をし続けなければならず、友奈は全力で回避をし続けなければならず、状況を動かせない。

 たまに友奈が上手く回避を組み立てて余裕を作り、その場で拾ったコンクリートの破片を投げつけるが、分身が一つ消えるだけでノーダメージ。すぐに同じことの繰り返しである。

 この状況が成立し、続いていることと。

 リュウの心が友奈の舞に惹かれていることは、決して無関係ではなかった。

 

(お前はいつも、自分で思っている以上に綺麗なんだぞ。知ってたか?)

 

 月夜の下。

 星空の下。

 闇夜の中。

 リュウの眼にはいつものように、彼女が何よりも輝いて見えていた。

 

 だから。

 大赦は"テコ入れ"をする。

 友奈を勝たせて、世界を救うために。

 

「あうっ」

 

 戦場に、第三者が現れた。

 大赦が人払いしているこの場に現れるはずのない、第三者が。

 その人を見て、リュウは―――『母さん』と、思わず口にしていた。

 大赦が行える最大のバックアップ。

 "一般人が偶然迷い込んだ"という体を装った、鷲尾リュウを殺す一手。

 どんなに理性で感情を抑えても、血の繋がった息子が動揺しないわけがない。

 

「―――」

 

『―――』

 

 ()()()()()、大赦の予想は外れる。

 

 動揺し、動きを止めたのは友奈で、動揺せず、次の一手を打ったのはリュウだった。

 

 友奈以上に、リュウは大赦の裏面をよく知っていた。

 手段を選ばないことを知っていた。

 何が来るかを、徹底的に予想していた。

 なればこそ"鷲尾リュウに有効そうな手"も読める。

 二人の差は、そのまま大赦への不信の差。

 フェイクバルタンは瞬時に反応し、大赦の打った手を逆手に取って、自らの母を捕まえ拘束し、その首筋にハサミを当てる。

 

『動くなよ』

 

 その言葉は通じないが、宇宙人の声帯でも何か言ったことさえ伝われば、それだけで有効な流れを作れるという確信があった。

 彼の中には、「友奈はこれで止まる」という確信があった。

 友奈の優しさをこれで利用できるという確信があった。

 

「……卑怯者」

 

 友奈にしては珍しい、低い声の罵倒。

 大切な幼馴染の家族を人質に取られたことで「許せない」という感情が湧いている。

 リュウの胸の奥が痛み、軋み、苦しむ。

 

 全身が痛んでいるリュウは、自分の胸の痛みに気付かず。

 心が軋む音を聞く耳がないから、自分の心が軋む音も聞こえず。

 友奈の苦しみばかり見ているから、自分の苦しみのことも分からない。

 

 友奈も分かっている。

 敵怪物が求めているのは降参だ。

 それでも迷ってしまう。

 ここで友奈が降参すれば、その時点でゲームセット。世界が終わる。

 人一人を見捨てられないがために、世界を見捨てる?

 一人犠牲になるのを許容できないがために、全部を犠牲にする?

 それはおかしい。

 その選択だけは間違っている。

 間違っていると分かっているが―――それでもなお、構わず攻撃することができない。

 

 「私はさんざんそうしてきたじゃないか」と、少女の心の冷たい部分が言う。

 「何も悪いことしてない、リュウのお母さんを?」と、少女の心の暖かな部分が言う。

 迷いは躊躇いとなり、躊躇いは選択を止め、友奈は動くことも動かないことも選択できない。

 

 フェイクバルタンが何の反応もしない友奈を見かねて、光弾を針のように細くし、威力を絞って母の足を撃ち抜く。

 その身に激痛が走り、足から真っ赤な鮮血が吹き出した。

 

「あっ―――ッ―――」

 

 母は歯を食いしばり、今までの人生に一度も無かったほどの激痛に、悲鳴一つ上げることなく必死に耐える。

 それが『息子の罪悪感を増やさないため』の我慢だと友奈は気付かなかった。

 それが『友奈の足を引っ張らないため』の我慢だとリュウは気付かなかった。

 されどその苦しむ表情は、友奈に選択をさせるには十分過ぎた。

 

「待った! 分かった、分かったから!」

 

 友奈が慌てて、悔しそうに腕甲を捨て、両手を上げて降参の姿勢を取る。

 フェイクバルタンはすかさず、距離が近ければ近いほどに効果が高まる催眠術を打ち込んだ。

 装束の強力な護りを、超合体の強力な出力で貫通する。

 

「うっ……」

 

 友奈の瞳から光が消えて、その体から力が抜ける。

 フェイクバルタンはザラブ星人の力の一つである、もがけばもがくほど強力に拘束する対宇宙人テープで友奈を拘束する。

 これで、催眠術が解けようと友奈はもう動けない。

 念には念を、確実な勝利へと繋げる。

 

『笑えるな。鏑矢の誰よりも、大赦の誰よりも、オレが邪悪だと理解できちまうんだからよォ』

 

 この策を献案した大赦の人間は信じていた。

 肉親が突然戦場に放り込まれれば、血の繋がった息子が動揺しないわけがないと。

 友奈は信じていた。

 秘密主義で陰謀を張り巡らすことはあっても、大赦はそんなことしないはずだと。

 

 いや、信じていたと言うよりは、"思ってもみなかった"というのが正しいだろう。

 根底に善良さがあり。

 根底が人を信じていた。

 信じられていたのは鷲尾リュウの善良さと、共に戦う大赦の善良さであり、それはこの一瞬にまとめて裏切られたのである。

 大赦が思うほどリュウは善良ではなく、友奈が思うほど大赦は善良ではない。

 

 ゆえに、詰みに入った。

 

『どいつもこいつも、未来の希望と人の善良さを信じすぎじゃねェか』

 

 血がドクドクと流れている母親に背を向け、リュウは彼方に見える大赦を見据える。

 

「リュウ……」

 

 背後で母親が何かを言ったが、リュウは振り向かない。

 家族に愛されたかった。

 家族を大事にしたかった。

 家族と笑い合っていたかった。

 そう思ったこともあったが……もう、その気持ちも振り切っている。

 もう、そんなものは何もかもを諦めている。

 足は止めない。

 

『悪いが、オレはもうとっくに選んでンだ』

 

 勝敗は決した。

 赤嶺友奈は戦闘不能。

 弥勒蓮華は先日の戦いで戦えない。

 大赦を守る戦士はもう居ない。

 

 これでようやく、世界が終わる。

 

 世界の滅びを求める人間を殺した人間が、世界の滅びを求めるという矛盾の果てに。

 

 

 




・『フェイクバルタン』

 初代ウルトラマンに化けた凶悪宇宙人ザラブ星人、宇宙忍者バルタン星人の合体宇宙人。
 他人を操ることに特化した超合体形態。

 ザラブ星人はウルトラマンなどに化けてその姿形を写し取ることが注目されがちだが、その本質は"他の文明を滅ぼす"ことを目的に生きる知略の宇宙人。
 悪辣な企みと、他者の姿を写し取る能力と、そして他者の心を操る催眠術。
 これらを組み合わせて目をつけた文明の生命体を『操り』、滅亡に追い込むことから、凶悪宇宙人の名で呼ばれている。

 また、バルタン星人は怪獣を操る能力を持っている。
 他の宇宙人にはあまりない特徴として、それに精神の繋がりを利用することが挙げられる。
 一部のバルタン星人は群体としての精神のみを持っているとされ、サイコバルタン星人などは精神波によって他のバルタン星人や怪獣を操っていた。
 この精神波・サイコウェーブにザラブ星人の催眠術を乗せることで、非常に効果の高い催眠洗脳能力を行使することが可能となったのがフェイクバルタンである。

 相対する人間の精神と意志を体の奥底に押し込み、人形にする『操る力』。
 これに人間が抗おうとするならば、この異能と意志の力の綱引きとなる。

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