どうしようもなく通り過ぎていく思い出たちを横目に、私は君を乗せて夜を走る。

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追憶の棺桶

深夜零時丁度、私は汚れた服を着替えて、車の運転席に乗り込んだ。

自分のシートベルトを締める前に、横に居る君の体制を整えて、助手席に座っている君のベルトを締めた。

一呼吸着いて、車の鍵を差し込み、エンジンをつける。

窓を少し開けて、熱くなっていた体を冷気に晒す。

助手席の窓も、ほんの少しだけ開けた。君も、外の空気を吸いたいだろうから。

アクセルを踏んで、ゆっくりと駐車場から出て行く。人目に付かないように、慎重に走りはじめる。

何ヶ月ぶりだろうか? 君とこうやってドライブするのは。

車を持っているのは私だけだったから、いつも一緒に遊びに行く時は、私がいろんな所へ連れていった。

信号待ちで、ちらりと君の方を見る。

あんな事があったというのに、君は穏やかに眠ったままだった。

そういえば、いつも二人で出かけた帰りは、君はいつも私の隣で寝てたっけ─。

そんなことをぼんやり考えているうちに、信号が青になる。私はアクセルを踏む。

夜の街灯と、月明かりに照らされながら、私は海沿いの道を目指した。

あの海岸で、君と最後の時を過ごすために。君に、あの海の光を与えるために。

私は、死体になった君を盗んだのだ。

 

ある日、ぱたりと、君からの連絡が途絶えた。

お互い仕事があるから、昔のように頻繁に遊びに行くことは難しくなったけど、それでも、月に数回は連絡を取り合っていた。

それが、ある日突然返事が来なくなったのだ。既読すらつかない。仕事終わりの夜に電話を掛けてみたが、応答は無い。

私は訝しんで、少し不安になった。彼女の身に、何かあったのではないか?

厭な予想が、脳裏を過る。

でも、そんなことあるはずはないと、自分に言い聞かせる。

だって、彼女は漸く一つの幸福を手に入れたのだから。

今まで家に虐げられてきた彼女が、恋人を作り、同棲を始め、家という監獄から脱出した。

祝福すべきことだ。ずっと苦しむ彼女を見てきた私は、それを喜ぶべきなのだ。

─嗚呼、なのに。

どうして世界は、彼女が幸せでいることを許してくれなかったのだろう。

数週間、数ヶ月経っても連絡が無い事に不安を募らせた私は、彼女の知人や家族やらに片っ端から連絡した。

すると、彼女の両親から、呆気なく、その答えは帰ってきた。

─自殺。

それが、私との繋がりが途絶えた理由だった。

彼女の両親は家族葬で弔いたかったらしく、当然他人である私は、彼女の家族に哀悼の言葉を贈ることしかできなかった。

吐き気がした。

今更どの面下げて、君の血縁者達は、君を悼むというのだろう。

私は、君と撮った写真を遺影代わりにして、半ば放心状態のまま、自宅で弔いをしようとした。

でも、できなかった。

様々な雑念が、思考を掻き乱し、胸を掻きむしり、平常な精神状態ではなくなる。

彼女は、あの愛の欠片もない集団に取り囲まれて、最期を迎えるのか。

なんて、なんて不条理。

そう思ってしまった私は、気づいたら、君の遺体を盗み出していた。

最後に遊びに行った、学生時代からよく寄っていた人工の浜辺。

せめてもの弔いに、あの懐かしい潮騒の風を浴びに往こう─。

それが、たとえ私の酷い自己満足だったとしても。

無意味では、ないはずだと、思いたかった。

 

夜道を走りながら、追想する。

時間は無い。そろそろ遺体が盗まれたことに気付かれる頃だろう。

私は特別賢くもないから、単純なやり方しか思い浮かばなかったから、きっとすぐに捕まる。

焦りで、道行く車達のライトが目に煩い。

それでも、君と過ごす最後の時間は、おざなりにしたくなかった。

道中、君が好きだったカフェの横を走り抜ける。

君がよく通っていた本屋を通り過ぎる。

色んな想いが浮き上がる。

君は高級料理より、脂っこいB級料理が好きだった。

フェミニンな服装より、シックなファッションを好んでいた。

色は赤より紫が好きだった。腕時計はシンプルなものより装飾が凝った物が好きだった。音楽はポップより落ち着いた、寂しげなものをよく聴いていた。そして、君が愛した人は─

私では、なかった。

また信号が赤になる。ギュッとハンドルを握りしめる。横目で君の眠った様な白い顔を見る。

生前、君からよく惚気話を聞かされた。微笑ましい愚痴を聞かされた。でも、君の傷は増えていく一方だった。そう思うのは、妙な違和感を覚えたからだ。

私は、彼女に内緒で彼女の恋人に会いに行ったことがある。

どんな人か、確かめてみたかったからだ。

いや、知らなければ、ならない気がしていた。

(それがもっと早ければ、こんな事にならなかったかもしれないのに)

爽やかな好青年だった。第一印象は特筆するようなこともなく、いい人そうだったことに私は安堵し、同時に恥ずかしくなった。

私は、一体何をしているのか。友達の彼氏がどんな人か知りたくて内緒で会いに行くなんて、まるで、まるで─。

いや、私はただ心配しすぎだったのだ。

自分の愚昧さに辟易しながら、努めて私はごく普通に、その彼と他愛のない話をし、別れた。

それで終わりだ。これ以上の踏み込みは善くない。

だから、納得しようとした。彼女は充分幸福だと。

この人が、彼女と共に幸せの道を歩んでくれると。

私は、そのとき、色々なものから目を逸らしたのだ。

〝納得した〟という免罪符で。

……それが、私の最大の過ちだと、気付いたのはすべてが終わった後だった。

一つ、彼女の欠点を挙げるとするならば、彼女は痩せ我慢で嘘を吐きやすいということだ。

彼女が同棲を始めてから、彼女の顔に痣ができることはなくなった。

だから、安心してしまった。

彼女の笑顔は全て本当で、彼女の幸福に偽りなど何も無いのだと、そう安堵してしまったのだ。

……彼女が、一度だけ涙を見せたことがある。

理由は教えてくれなかった。彼女は無理やり笑いながら泣いて、スマホを握る手が震えていた。

その日だけは、私の家に泊まりに来た。

何度も何度も、彼女のスマホから着信音が鳴ったことを覚えている。

ちらりと着信画面を見たとき、そこには彼の名前が表示されていた。

─今思えば、そのまま彼女を私の家に避難させておいた方が良かったのかもしれない。

いや、過ぎ去った過去をいくら悔やんでも仕方がない。余計な自己嫌悪が増えるだけだ。

ねえ、月がこんなにも綺麗だよ。

海はもうすぐだよ(サイレンが追いかけてくる)。

もう誰も、君を傷つけるものはないよ(彼は私が殺したから)。

もう誰も、私達を邪魔するものはいないよ。

だって、ほら。

海が、見えた。

朝焼けの空色を映した海面は、息を呑むほど美しく、煌めいている。

車から降りて、君を砂浜に横たわせる。

どうか君の魂に平穏を。生前得られなかった安寧を。

車に積んでいた荷物から、鞄いっぱいの花を取り出す。

横たわる君の周りに花を丁寧に置く。

朝日が君と私をこの世界に焼き付ける。

ふと、幼い頃の私達の笑い声が聞こえた気がした。

君が一番好きだった花を手に握らせる。マッチを取り出す。

永遠に、さようなら。私の愛しいひと。

そして私は火種を、君の全身にばら蒔いた。


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