始まりの天使 -Dear sweet reminiscence-   作:寝る練る錬るね

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※ネルガルとかいうエレちゃんの可愛さを損なう生命体は存在しておりません。いても作者が消します。(鋼の意思)





第四節 空の泣く日 (2/3)

 

 ……空が、落ちてくるようだった。

 

 たまにわからなくなる。自分のいる場所が、星のある空を長く見上げていると。降りてくる星々に翻弄されてしまうように。自分は本当に、地球にいるのだろうか、だなんて考えてしまって。

 

「……月が、綺麗だな」

 

 神代の美しい空を見ながらそう呟いた。言ってしまってから、少しマズかったかと口を噤む。……確か日本では、風流な告白として使われている言葉だったから。夏目漱石、だったか。あまりにも濃密な一年を過ごしたせいか、たまに向こうの常識を忘れてしまいそうになる。特に意識することもなく、油断して言葉が漏れてしまった。

 

「……月もそうだけど。………星も、綺麗」

 

 当然、そんな遠い異国の常識は、隣のハーメルンには通じない。……そもそも、いくら綺麗とは言え、男と二人きりのシチュエーションでこんなことを言っても気にする方が野暮というものか。

 

「……星かぁ。星なら、中学の理科とかで習ったかな」

 

「親様、は………星を、知ってるの?」

 

「うん。……神代の星だと、俺が知ってるのとちょっと違うけどね」

 

 そういえば、カルデアは元々天文台としての役割を持っていたのだったか。とうろ覚えの知識を引っ張り出す。……これは親、延いては天文台の魔術師としてハーメルンに星について教えないわけにはいかないだろう、と。謎の責任感に駆られ、知っている星の話を頭をフル回転して話し始める。

 

 幸い、ハーメルンは興味津々という風に立香の星の話にのめり込み、時々立香の指差す方向を熱心に見つめてくれた。

 

「………親様は、色んなことを、知ってる……ね。……凄い…………」

 

「……ははは。まぁ、俺はマシュと違って、ちょっとした豆知識ぐらいのことしか話せないんだけどさ」

 

 ………ぶっちゃけ本心である。悔しいといえば悔しいが、我が後輩ながらマシュの知識量は控えめに言ってエグい。立香が勉強不足なのかもしれないが、少なくとも星の話となっても、立香よりもマシュの方がもっと詳しいことだろう。

 

「ボク……星は、一つしか……知らない」

 

 少し顔を陰らせながら、ハーメルンが漏らす。

 

「一つしかってことは……ハーメルンは、知ってる星があるの?」

 

「……あれ…………」

 

 そう言ってハーメルンが指差す……というか、指でぐるっと囲んだあたり。……そこには、六つ、七つほどの蒼い星が、あるはずのない光帯に負けないほど眩い光を放ち、夜空に優しく煌めいていた。

 

「あれって、確か……」

 

 確かにそれは、立香にも見覚えがある星の並び。少しだけ本で見たことがある。確か、なんとか星団とかいう。確かそれ以外にも別の名前があって。日本名は、確か………

 

 

すばる(・・・)

 

 

 奇跡的に思い出せた名前は、どうやらあっていたらしい。コクンと頷いたハーメルンは、英名らしいすばるの名前を愛おしそうに呟く。

 

「うん。……セラエノ……ボクの笛と……おんなじ、名前の星……」

 

 セラエノ。……なんだか、あまり聞き覚えのない、けれど、なぜか耳に馴染む響きだ。なんだか、本の名前にありそうだな、なんて思ったり。

 

「じゃあ、ハーメルンは好きなんだね。その、セラエノ」

 

「………どう、かな……好き……なのかな………ボクにも、わかんない、よ」

 

 夜空を見上げて、ほう、と息を吐きながらハーメルンは首を傾げた。……その横顔が、あまりにも美しくて。儚げで。……青白い月が照らす浮世離れした純白の肌に、思わず手が吸い寄せられた。

 

「……親、ふぁま?」

 

 もちっ。

 

「………ほっぺ、柔らかいね」

 

 膨らんだもちすべの頬を、ツンツンと突いて凹ませる。こちらを見て不思議そうにしているハーメルンは、やはり幻想的な子供でもなんでもなく、ただ可愛らしいだけの美少年だった。……先ほどまでの、目を離せば、手を離せば、何処かに行ってしまいそうな神秘性は消え失せている。

 

「……くしゅん!」

 

 暫くその体勢で頬を弄り続けていると、突然のくしゃみが沈黙を破った。立香のものではない。目の前のハーメルンが、すこし震えながら可愛らしくくしゃみをしていた。

 

「……ハーメルン。実は寒いでしょ」

 

「………そんなこと、ない、よ?………くちっ!」

 

「なんでそこで意地を張った!?そんな薄着だったらそりゃあ寒いでしょ!そのレインコートの下、スパッツだけなんだから!」

 

 慌てて、自分の上着をハーメルンのレインコートの上から被せる。サーヴァントだろうと暑さや寒さは感じる。風邪になることは滅多にないだろうが、それでも万一ということはある。……というか。

 

「どうしてその格好変えないんだ……?中に一枚ぐらいシャツ着れば……」

 

「………ダメ………これじゃ、ないと……ひくちっ!」

 

「あぁ、もう!」

 

 立香の言葉に珍しく聞く耳を持たず、何度もくしゃみを繰り返すハーメルン。仕方なく、軽く小さな体を抱えて屋上から室内へと運ぶ。

 

 服装について注意するのは、何もこれが初めてではない。ウルク二日目の夜から、ハーメルンには問い詰め続けてきた。しかしまぁ、ダメと無理の一点張り。個人の服装に関してうるさく言うつもりもないが、流石に露出狂まっしぐらの服装は口を挟まざるをえない。

 

「……親様………ごめん、なさい……」

 

「………そう思うならもっと服を着て…」

 

 悪いという自覚はあるのか、かなり申し訳なさそうに目を伏せるハーメルン。返す言葉は幾度となく繰り返した言葉だが、やはり首が縦に振られることはない。

 

「………だって…………その方が、親様も、やりやすい(・・・・・)……でしょ……?」

 

「いや。正直やりにくいんだけど……」

 

「…………?じゃあ、もっと、脱ぐ?」

 

「どうしてそうなった……」

 

 ガックリと肩を落とし、屋上から二階の自室へと足を運ぶ。後ろからとことこついてくるハーメルンは、相変わらず少し意味不明な理論を口走っている。普段は常識的なのに、肝心のところが抜けているあたり残念……いや、英霊らしいと言った方がいいのだろうか。

 

「今日も一緒に寝る?」

 

「……ん。……親様が………迷惑じゃない、なら……」

 

「全然、迷惑じゃないよ」

 

 寝ている間に服を脱がれるのは、とても困るけど。と続く言葉はなんとか飲み込む。理由を問われれば答えられる自信が立香にはなかったから。

 

 もう夜もかなり更けている。隣部屋のマシュを起こさないよう、慎重に、慎重に自分の部屋の前まで移動して、中へと入った。

 

「ハーメルンは、もう羊飼いの仕事に慣れた?」

 

「………うん。みんな、優しいから。……羊さんたちも、牧場の……人も」

 

「そっか、ならよかった」

 

 ハーメルンは、普段牧場で仕事をしている。笛を吹いて羊の群れを統率し、魔獣が出たら追い払う。牧場主にとって魔獣を追い払えて、牧場犬いらずのハーメルンには大助かりなのだと、彼を迎えに行ったときに聞いた。

 

 いい加減、ベッドに二人で入るのも慣れていた。ハーメルンがベッドの奥まで入ったのを確認して、手前の方のシーツへと潜り込んだ。

 

「………親、様。おやすみ、なさい」

 

「うん。お休み、ハーメルン」

 

 立香がもう一度さらさらの髪を撫でると、ハーメルンはまるで嘘のように寝こけてしまう。すぅすぅという寝息が、ものの十秒で聞こえてきた。

 

 朝は少し早く起きて、マーリンやアナ、みんなで朝食をとり、マシュと一緒に仕事に向かう。終わったら夕食の材料を買って、家に帰る。夜には屋上でハーメルンと星を見て、他愛のない話をしてから一緒に寝る。それが、立香にとってのウルクでの日常。

 

(……今までの特異点で、こんな風に日常を過ごすことってなかったかもな…)

 

 ウルクに来て一週間。その日常は知らず知らずのうちに、立香にとってかけがえのないものになっていた。

 

 その日常が壊れる日からそう遠くない日の、たった一日の終わりのことである。

 

 

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 彼女の起床は、いつも通りだった。寝つきこそ悪かったが、一睡もできなかったというほどでもない。自慢の金髪もいつも通り。寝癖の一つもなく、服装はそもそも変えるまでもない。特に心配することはない。彼女自身、心配することに、思い至らない。

 

 …………のに。

 

 

「あわ、あわわわわ……」

 

 さて。………この状態を予測できなかった者は恐らくいないであろう

 

 デート当日までスキップやら鼻唄やらを繰り返し、昇りに昇り、天井を超えて更に昇り詰めた機嫌を隠そうともせず、挙句周囲に振りまき、冥界の気圧と温度を200hPa(ヘクトパスカル)と5K(ケルビン)ほど上昇させた冥界の女主人、エレシュキガル。デート前日までルンルン気分であったが、その夜になってからこの慌てようである。

 

(おおおおお落ち着くのだわエレシュキガル!まずは適度な距離を保って、適切な挨拶からいい一日をスタートさせなくちゃ!)

 

 ………失敗するビジョンが容易に想像できる心境であるが。とりあえず、笑顔で鏡に向かって挨拶を繰り返し練習する姿は、世間的にかなり危ないものであると断言はしておく。

 

 言うまでもないことだが。冥界の女主人は、初心(ウブ)である。子供(アンヘル)を除けば、異性と関わった回数など両手両足の指で事足りる。話したりした回数ならば(無機物に一方的に話しかけた回数ならば数え切れないが)恐らくその半分。知的生命体に関わるだけでも珍しい彼女の半生では、それが限界値なのだ。

 

 無論、恋愛関係に発展したことなど一度たりともなく……そもそも彼女と直接の関わりのない者であれば死と腐敗の女神に会おうなどという発想すら湧かないわけで。およそ数世紀を生きてきた中(生きているかは若干怪しいが)、彼女は初心(ウブ)中の初心(ウブ)。ゴッドオブ初心(ウブ)であった。

 

 その癖して本やらで恋愛に関する知識はつけているから、余計にタチが悪い。こうして恋愛経歴を『冥界の年齢=彼氏いない歴』と冥界が可哀想というか比較されるのが屈辱レベルなほどに、今の今まで落とし込めてしまったわけである。

 

「『おはよう!今日はいい日にしましょう!』………これじゃあ、デートを楽しみにしてるのがバレバレになっちゃう………『あら、おはよう。いい朝ね』……いや、今になってこんな優雅な登場ないない。逆にこれじゃあデートを忘れてるみたいに思われるし……!」

 

 鏡に何度も語りかけて百面相。朝起きてからずっとこれだ。まるで白雪姫に登場する女王のようだが、状況はまさにヒロインのそれ。ミスマッチというかなんというか。半身(イシュタル)が見たら呆れ返ること間違いなしの光景だった。

 

 約十数分に渡り残念なエレシュキガルの頭から捻り出された結論は『おはよう。今日はよろしくね』……最終的にベタなところに落ち着いたのはいいことであろう。

 

 まぁ、尤も───

 

 

「おはよう、エレシュキガル様。早いね」

 

「あひゃぁ!?おおお、おはよう!?」

 

 

 無駄に考え抜いたその言葉を使う機会など、コミュニケーション障害を拗らせたメンタル弱者には訪れるはずもなかったのだが。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 それから約十数分。二人がまず向かったのはいつもお茶会に使っている一室だった。元々用意されていた茶菓子に舌鼓をうちつつ、アンヘルの入れた紅茶を飲んで、一息。そして──

 

デートを、しましょう!

 

 大きな声で、断言して。

 

「う、うん……元々そのつもりだけど……?」

 

 即座に出鼻を挫かれた。

 

「い、いやまぁ!始まりの合図として、ね?」

 

 慌ててこじつける。これに関してはアンヘルが正しい。デートに誘ったのはアンヘルで、デートプランを考えたのもアンヘルだ。エレシュキガルは挨拶を格好をつけて言いたかったから言っただけであって、困惑するのも無理はない。

 

 先程まともに挨拶をできなかった醜態を隠そうとして、エレシュキガルが勝手にドツボにハマっているのだった。

 

 

「こ、コホン!でも、こういう挨拶はきっちりしておかないと。………こうやってお茶会するだけじゃ、いつもと変わらないのだわ……」

 

 とりあえず、とわざとらしく咳払いをして、テーブルの茶菓子を口に運ぶ。ちなみに本日は無難なレーズンクッキーである。酒に漬け込まれたレーズンの風味が鼻を抜け、バタークリームのもったりとした後味と程よくマッチ。柑橘系の香りがする紅茶が進むこと進むこと………

 

「それじゃあ。とりあえず………手でも繋ぐ?」

 

 ブフォッ。

 

 盛大に口の中の紅茶を吹き出した。辺り一面に吹き散らすということはなく、ティーカップに飛沫を立てるだけだったが、そんなことを幸いと捉えている余裕はエレシュキガルにはない。

 

 喉の奥に残る熱いものを、何度も咳き込むことで嚥下し、意味を理解し……かぁぁっ、と体が熱くなる。

 

「だ、大丈夫?エレシュキガル様……」

 

「だ、だ、大丈夫なのだけれど……!い、いきなりそこに行くのかしら!?」

 

「……そ、そういうことじゃなかった?こう、恋人っぽいことがしたいのかなぁって」

 

「ここここ!恋人ぉ!?」

 

 言いながら、というか叫びながら。自分の手を目の前に持ってきて見やる。手汗などはかいていないが、いざ握るとなると大量の言い訳がぐるぐると頭の中で渦巻く。実は汚いのではないか、女の子らしくないのではないか。

 

「……いやだった?」

 

「そんなことない!」

 

 不安げに尋ねるアンヘルの言葉を即否定する。間違ってはない。アンヘルの言っていることは、決して間違ってはいない。そういうことを期待していないと言えば大嘘になるレベルには、エレシュキガルも期待している。

 

「……そんなこと、ないのだけれど……」

 

 ……が、突然そんなことを言われてしまうと面食らってしまう。途端に頭がショートして、あうあうと口を開くだけで、何も言えなくなってしまうのだ。

 

 暫くの沈黙が、場に流れる。エレシュキガルは完全なるポンコツと化して動くことすらできない。こんな空気はマズいと分かっているものの、体は動いてくれなかった。

 

 

「……うーん?」

 

 沈黙を破ったのは、やはりアンヘルだった。長い間何かを思案していたらしい彼は、何を思ったのか。突然椅子をエレシュキガルの目の前へと移動させ、そのまま向かい合って──

 

「えいっ」

 

 空中で彷徨うエレシュキガルの手に、自身の手を奪うように重ねた。……ちょうど、恋人つなぎのような形になるように。

 

「ほえ……?」

 

「えいえい」

 

何が起こったのか。さっぱりわからないまま間抜けな声を出す。その間にも、アンヘルは容赦なくもう片方の手を繋いでいく。

 

「……え、え、えええっ!?」

 

 慌てて状況を理解し、再び大きな声を上げる。

 

 驚いて手を引こうにも、目の前の少年は自分の手を逃してくれそうになかった。芯の通った目が、エレシュキガルを見つめて離さない。

 

「………ひんやりしてるね」

 

 頬が、萌えるように熱くなっていくのを感じる。それと同時に、自らの手からアンヘルの手の感触もはっきりと伝わってきた。それ以外にも、子供の手特有の柔らかさ、少しの硬さに……何故か、暖かさ。

 

 死んでいるから体温なんてないはずだ。しかし、少し冷たいエレシュキガルの手を、優しく解していくように。

 

 

「……あったかい………」

 

 エレシュキガルは、誰かの手に触れたのなど、初めてだ。そもそも、生物に触れたことすらない。彼以外は言わずもながなとして、アンヘルとは十年以上を共に過ごした。しかし、その内数年の記憶は喪われている。

 

 そうして、記憶を失ったアンヘルと過ごした約数年。その間に奥手なエレシュキガルが何かしらの行動を起こせるわけもない。結局今のいままで、エレシュキガルは、身近なアンヘルにさえ触れたことすら一度たりともなかったのだ。

 

「……エレシュキガル様が冷たすぎるだけだとおもうけどなぁ」

 

「……そ、それもあるかもだけど……でもやっぱり、あなたの手が特別暖かいのだと思うのだわ」

 

 一方的に握られていた手を、勇気を出して握り返してみる。エレシュキガルの手より一回りほど小さな手は、うんと握りしめれば折れてしまいそうなほど儚かったから。ゆっくり、ゆっくりと。

 

「……んっ……え、エレシュキガル様、くすぐったい……」

 

「はわっ!ご、ごめんなさい!」

 

 すこし艶のかかったような声を聴き、思わず手をパッと離してしまう。途端、当然だが手の中の温もりが消え、文字通り手持ち無沙汰な気分になった。

 

 だが、一瞬でもわかった。目の前の少年の手の温もり、そしてそれを握り返すことの幸せが。その経験だけでも、エレシュキガルは今日という日を神生最高の一日だと噛みしめられるだろう。

 

 

「……エレシュキガル様。早速感慨に浸ってるところ悪いんだけど、まだ終わってないからね?」

 

「え?……へっ!?」

 

 じぃっと見つめていた両手。まだ余韻が残っていたエレシュキガルのその手を、まるで上書きするかのようにアンヘルが掴んだ。再び手が幸せな温もりに包まれて、反射的に手を引いてしまいたくなってしまう。しかしその挙動も、逆に手を引っ張り返されることで失敗に終わってしまった。

 

 眼前に、アンヘルの端正な顔が映る。……近い。非常に近い。シミひとつない白磁の肌が、なんだかとても美しく見えて、思わず触れてみたくなる。

 

 だが、そんな(よこしま)ごとを考えているのはエレシュキガルだけだ。アンヘルは、至極真面目な表情を貫いている。

 

「握り返してみて。さっきも痛かったわけじゃないから。ゆっくりじゃなくて、勢いよくギュって」

 

「え、ええ!?そんなの、つ、潰れちゃうじゃない!」

 

「ゴリラじゃないんだから……エレシュキガル様に潰されるほど脆くはないと思うよ?」

 

 アンヘルから握られる手の力が、一層強くなった。決して強い力ではないが、どうしたって逃げることはできない。というか、それ以上に伝わってくる情報量があまりにも多すぎて、エレシュキガルは故障しそうだった。

 

「……じ、じゃあ、お言葉に甘えて…」

 

 仕方なく。あくまで仕方なくという形で、アンヘルの手を改めて握り返す。今度はゆっくりではなくしっかり。恐る恐る、アンヘルの手の甲に指を重ね、なるべく力を入れないように手を握って……

 

「ほ、ほわあぁぁぁ……!」

 

 漸く、両手が同じように繋がれた。相手の温もりが、掌まで感じられる。物語でしか知らなかった行為を、今自分が行えている。その事実が、凄く嬉しくて。なんだか、凄く───

 

「……ふふ。ちょっぴり、ドキドキするね」

 

「……いいえ。とっても。とってもドキドキしているのだわ」

 

 先ほどまで失態を取り戻そうとしていたことも忘れて、エレシュキガルはただ頬を綻ばせた。目の前の少年が照れたように笑うのにつられて、自然と頰が緩む。片方が笑って、もう片方も倣って笑う。まるで、世界にエレシュキガルとアンヘルしかいないような。そんな錯覚。

 

「ねぇ、エレシュキガル様」

 

「なぁに、アンヘル?」

 

 なんだか、顔が熱くて。恥ずかしくて。目の前の少年の顔をまともに見られず、少し目を逸らしながら答えた。同じように顔を赤くした少年の口が、ゆっくりと開かれる。

 

 

デート(・・・)しようよ(・・・・)

 

 その一言に、自分の顔がこれ以上なく紅くなっていくのをエレシュキガルは自覚した。一週間前に、同じ言葉を聞いた。答えを出すのに、丸一日を要して。五日間楽しみにして、一日だけ不安で眠れなかった。

 

「………ずるい…」

 

 ずるい。全くずるい、文句だった。神たるエレシュキガルさえも黙らせる、今まで聞いてきたどの言葉よりもずるい。

 

 エレシュキガルにだけ効く………最高位の、神殺しの殺し文句。

 

 

 そんな言葉を浴びせられて、エレシュキガルが返す言葉など、一つに決まっているのに。

 

ええ(・・)

 

 あくまで、自然に。乙女のようにわざとらしく、可愛らしくなんて。今更エレシュキガルには似合わない。だから、誰よりもエレシュキガルらしく(・・・・・・・・・・)。物語の中の言葉ではない。自分だけの、自分が思ったそのままの言葉で。

 

デートしましょう!今日一日、なによりも、なによりも素敵なデートをしましょう!アンヘル!

 

 未だ繋がれた手を、ギュっと握りしめた。小さくて細い手は、エレシュキガルに応えるかのように、力強く握り返してくれる。その事実が、何よりも嬉しくて。

 

 目を輝かせて、華のように。エレシュキガルは微笑むのだった。

 

 

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 そこから先は、所謂(いわゆる)『おうちデート』というものだった。やけにだだっ広いメスラムタエアを巡って、探検気分で歩き回る。(うち)といっても神殿だが、そも冥界に美しいものなどそうあるわけもない。ならば、綺麗だとわかっている場所を選ぶのは妥当な判断だ。

 

 もちろん、エレシュキガルはケチをつける気持ちなど微塵もない。デートが始まる前からあんなにも満たされてしまっては、どれだけその後が退屈であっても愚痴の一つすら漏れないというものだ。

 

 それに、決して退屈などではなかった。隣に彼がいるだけで、空き部屋の寝台で飛び跳ねるのも、一緒に本を読むことも、ただ歩くことも、全てが宝石のように輝いて見えた。それは確かにエレシュキガルが心から望んだ穏やかな日々で、自分が絶対に手に入らないと諦めていた憧れでもあった。

 

 まぁ、それもこれも──

 

 

「エレシュキガル様?」

 

「……いえ、なんでもないのだわ。それより、次はどこにいくのかしら?」

 

 

 きっと、目の前の少年だから。そう思えるのだろう。消極的な自分をこうも振り回してくれて、失敗ばかりでも優しくフォローしてくれる。でも笑顔の裏に見えるのは、好奇心旺盛な子供らしいもので。

 

 ……エスコートされっぱなしで、自分と彼の年齢が入れ替わっているかのよう。すこしばかり、恥ずかしいけれど。

 

「うん。もうそろそろ着くよ。ここで最後なんだ」

 

 エレシュキガルの手は、あの時から変わらずアンヘルと繋がっている。流石にあの繋ぎ方では歩きにくいから別の繋ぎ方だが、優しく引かれる手からは、ようやくわかってきた彼の暖かさが伝わってくる。

 

 そして、楽しいデートも終わりが近づいてきていた。……仕方のないことだ、終わりは何にだってやってくる。でもきっと、エレシュキガルは今日という一日を忘れない。ずっと忘れず、宝物として記憶の倉庫にしまっておくのだ。

 

 ふと、周囲を見渡す。見覚えのある……通り覚えのある廊下。ある目的があって、何度も通ったことのある。……つまり、アンヘルが向かっているのは──

 

「着いたよ、エレシュキガル様」

 

「ここは……あなたの部屋、よね?」

 

 まごうことなく、アンヘルの部屋だった。装飾もあまりなく、無機質な雰囲気を醸し出す扉。空き部屋とは違う使い込まれた感じが、唯一他の部屋と区別することができる点である。

 

「うん。最後はここって決めてたんだ。さ、入って」

 

「え、ええ。……それじゃあ、お邪魔します?」

 

「うん!お邪魔されます!」

 

 いつも通り、これといった音を立てずに扉が開く。廊下とは若干違う空気がする、彼の部屋。先導するアンヘルに連れられ、敷居を跨いで室内へと入った。

 

「……ふふ、何もないでしょ?」

 

 中は……やはり簡素だった。本の置かれた四角い机と、きちんと整えられた一人分の寝台。それといくつかの道具が小さな棚に整然と並べられており、手に取りやすいようにか机の近くに置かれている。

 

 ……それだけ。本当に最低限の生活用品しか置かれていない、まるで生活感のない部屋だった。今までは仔細に観察することなどなかったが、これはあまりにも殺風景ではないだろうか。エレシュキガルの部屋でも、もう少し本が散らかっていたり、魔術用の道具が転がっていたりするものだ。

 

 ……でも。

 

「……何もなくても、ここはアンヘルの部屋よ。寧ろ、少しアンヘルらしくて安心したくらい。私、嫌いじゃないのだわ」

 

 ここがアンヘルの部屋だというのは間違えようがなかった。彼の匂いが、彼の雰囲気が、この部屋に染み付いていたから。何も知らずにここにきても、彼の部屋だとわかるだろう。どうやっても、間違えることはなさそうだ。

 

 少し意外そうに目をパチクリとさせた彼は「それもそうだね」と納得したように頷いて……見間違いでなければ、少し顔を俯かせて、開いていた扉をまた音もなく閉めた。

 

「それで、最後はどうするの?見たところ、何もないみたいだけど……」

 

「……それは…………」

 

 それを尋ねると、アンヘルは少し歯切れが悪くなった。下を向いて何度かもごもごと口を動かし、顔を赤くして何かを呟いている。

 

 ……普段のエレシュキガルなら、きっと何か言うまで待っていただろう。或いは、彼が何でもないと言えば追求しなかったかもしれない。

 

 だが、今は───

 

「ほら、アンヘル!しゃんとして!」

 

 エレシュキガルの手が、俯いていたアンヘルの顔を無理矢理エレシュキガルの眼前に持ってくる。両頬から彼の顔を押さえる形で、彼が逃げないように目を合わせる。……いつものエレシュキガルなら、恥ずかしがって絶対にできない行動だ。

 

「……えりぇひゅきがりゅしゃま?」

 

「私、今日一日は凄く楽しかったわ!今世紀一、私の神生で一番楽しかった!こんな嬉しい日はないんじゃないかってくらい嬉しかった!冥界を任された時以上に喜んだ!だから、緊張しないで!あなたが今から何をしても、今日はもう、私の中で最高の一日だって決まってるのだわ!」

 

 

 一息でそう言い切って、両手を離す。支えを失ったアンヘルが再び俯いて、何かを噛みしめるように床を見つめていた。

 

 心臓の鼓動が、ドクドクとうるさい。全身が燃えるのではないかと錯覚くらい熱くなって、今すぐ何処かに走り出したくなるような、床にのたうちまわりたくなるような羞恥が込み上げてくる。

 

(…………や、やっちゃったのだわぁぁ!!)

 

 エレシュキガルの胸中は心底穏やかではない。今すぐ何かしらの行動をとらなければ爆発してしまいそうだ。熱いなんて次元ではない。耐えきれずに冥界ごと自らが崩壊してしまいそうだった。

 

 数秒前の自分を全力で殴り飛ばしたい。なんならそのあと冥界の炎で焼き尽くしたい。それほどの後悔。アンヘルが何も言わないのがなおその感情を昂らせる。沈黙が痛いとはまさにこのこと。1秒経つごとに心の痛みが増していく。

 

 心境が荒れに荒れるのを防いだのは、それから数十秒後。

 

「……ほんとに?」

 

「………え?」

 

「ほんとに、何やっても引かない……?」

 

 潤んだ瞳が、こちらを覗いていた。冥界でも美しく輝く紅玉(ルビー)が、エレシュキガルを写して不安そうに揺れている。

 

 そんな不安そうな目で見られてしまえば、是非もなく。いや、本心ではあるが。何度も首を縦に振った。

 

「ええ。あなたのこと、信じてるもの」

 

「………そっか。わかった」

 

 そういうや否や、アンヘルは自分で自分の頬を二、三度はたいた。気合を入れるためなのか、かなり強く。そして紅い紅葉がほんのりできた顔をあげ、おもむろに寝台へと腰掛ける。ピンと貼ったシーツに少しシワができ、少しだけたわんだ。そして──

 

 

 

 ぽんぽん、と膝の上を何度か叩いた。

 

 

「……えっと?」

 

 呆気にとられて、つい口から声が漏れた。アンヘルが何をやっているのか、いまいち容量を得ない。

 

 それがまずかったのか、アンヘルは少し恨めしそうな目でエレシュキガルを睨んで、もう一度膝の上を叩く。

 

「…………エレシュキガル様が、いいって言った」

 

「………ええっと…どういうことかしら?」

 

 拗ねたような口調に、少し慌てて再度尋ねる。すると、アンヘルはさらに頬を膨らませ、堪えるように口を一の字に結ぶ。

 

 ぐむむむむむ、と震えた声が聞こえてきて、その間にも、しきりに膝の上、ふくらはぎのあたりをぽんぽん叩いていた。……少し怒っているのか、間隔がだんだん狭くなっていく。

 

「…………まくら……」

 

「え?」

 

「………ひざ………まくら………」

 

「………が、どうしたの?」

 

「───ッッ!!だから!!」

 

 その返答が、ついに堪忍袋の切れ目となったのか。或いはダムの決壊に繋がったのか。

 

 

僕が、エレシュキガル様にひざまくらしてあげたいって言ってるの!!

 

 ヤケになったのか、神殿中に聞こえるような轟音でとんでもないことを叫んだ。

 

 

「………え、えええええっ!?」

 

 そして、驚愕。

 

 膝枕。……存在は知っているが、まさか自分が、それもされる側。しかもそんな要求をされてしまうとは。

 

 先程までと全く別種の羞恥が身体中を駆け巡り、脳味噌までぐちゃぐちゃにかき混ぜては戻っていく。

 

「は、はえっ!?で、でも!?」

 

「いいから!早く!」

 

 再び、ぽんぽんと膝の上をアンヘルが叩いた。………訳がわからず混乱しているエレシュキガルは、導かれるように寝台近くへと移動する。困惑して、当惑したまま、ぐるぐると目が回って。

 

「そ、それじゃあ、失礼して……?」

 

 一応、断りの挨拶だけはしておいて。

 

 ……ぽふん、という間抜けた音と共に、状況が把握できないままエレシュキガルは、寝台に横たわっていた。

 

 そして、そのアタマは当然、アンヘルの膝の上に。

 

「ひ、ひざ、まくら……なのだわ………」

 

「………うん、ひざまくら、です」

 

 後頭部に、二本の脚の感触を感じる。少し肉付きがいいのか、硬いという感じはしない。というより、なぜか安心する。細くて、不安定なはずなのに。不思議と心が安らいでしまう。

 

 見上げる形となったアンヘルはコホンと咳払いをすると、照れ臭げな声で言葉を紡いだ。

 

「……本日は、この状態でエレシュキガル様を労らせていただこうと思います」

 

「………いた……わらせて……?」

 

 

 何を言っているのか、さっぱりわからない。エレシュキガルは今日、そんな行為を果たしてしただろうか。皆目見当違いではないか。そんな思いがまたぐるぐると回って、言葉にならずに消えていく。

 

「……どうして、って顔してる」

 

「……そりゃあ、そうなのだわ。私は今日、何もしていないし……そもそも、何かした覚えもないのだわ」

 

 自分で言っていて、それが正しいと思った。しかし、間違っているとも思った。……違う。即座に否定する。……気づかれているわけはない。気づかれるわけがない。だって、それは抱いてはいけないはずの思いだから。思いだったから。そう知っていたのだから。でも、彼ならば、もしかすれば──

 

「残念。今日だけの話じゃないよ。エレシュキガル様は、いつもいっぱい頑張ってるから。だから、これはそのご褒美」

 

「そんな………私は、当たり前のことをしてただけで……」

 

 自ら出した声が、酷く胡散臭く聞こえた。

 

 違う。エレシュキガルは、本当は───

 

「ううん。当たり前なんかじゃないよ。エレシュキガル様は、すっごく偉いんだから」

 

 

 本当は──

 

「………そんな、やめて頂戴。だって……私は……」

 

 

 

 本当は───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいこ、いいこ……」

 

「………………え……?」

 

 頭に、奇妙な感触があった。決して、不快ではない。さらさらとした何かが、エレシュキガルの頭を撫でていた。白磁のそれは、見ずともわかってしまう。それは、アンヘルの指で。つまり、自分はアンヘルに頭を撫でられてしまっていて───

 

「エレシュキガル様は、偉いね……いつも冥界のために働いて、頑張って……」

 

「………っ!……それは……私に与えられた、使命で………私がやるべき、当然のことなんだから………そんなの、褒められることじゃ……」

 

「違うよ」

 

 優しい、慈雨のような声が降ってくる。溺れるような愛。溺れるような優しさが、エレシュキガルの心を、そっと包んでいく。

 

「当たり前のことを、当たり前にできる。……普通に見えて、それはすっごく難しいことだ思うな。それを何百年も、ずうっとやり続けるなんて、なかなかできることじゃないと思う」

 

 

 そうだ。本当は────エレシュキガルは、認めて欲しかった。

 

「だから、偉いね。エレシュキガル様は、褒められてもいいんだよ。いいこ、いいこ……」

 

「……ぅ、……ぁぁ……」

 

 例え誰もいない地の底でも。何もない死の世界でも。エレシュキガルは、ちゃんと役目を果たしているのだと。

 

 認めて欲しかった。褒めて欲しかった。………称賛、してほしかった。

 

 辛かった。ずっと一人きりだった。何もなくて、何かしようと思っても全て失敗に終わった。何かを求めても、得られるものは全く別のものだった。

 

 そんな苦労を、誰かに慰めて欲しかった。

 

「う、ぁぁ……!」

 

 撫でられる手が、心地良くて。心に封じ込めていたものが、目頭にこみ上げて。ついに、耐えきれなくなる。

 

「あっ、ああああぁぁぁ!!」

 

 涙が、こぼれた。ずっと欲しかった言葉。ずっとかけて欲しかった言葉。それを突然貰ってしまって。どうしたらいいのか、分からなくて。ただ、涙だけが溢れる。

 

 なんて、みっともないのだろう。自分は神なのに。冥界を治める、誰よりも恐ろしい冥界の女主人なのに。たった一人の子供に縋って。こんな風に泣き喚いて。

 

「……うん。いいこ、いいこ……」

 

 なのに、涙が止まらない。止まってくれない。堰を切ったように溢れ出した涙が、熱い熱をもってエレシュキガルの頬を流れていく。

 

「エレシュキガル様は、僕の神様だから。偉くて、立派なんだから。……いっぱい、泣いていいよ。神様も、泣きたい時は好き勝手に、泣いていいんだよ……」

 

 なんて、情けない。子供の膝の上で、大の大人が頭を撫でられて泣いている。子供みたいにあやされて、わんわん叫んで。自分が統治しなくてはならない魂に甘えて。目を真っ赤に腫らして、惨めに泣いて。

 

「……私!ずっと寂しくて……!ずっと、一人で!冥界を守ってきた!……怖かった!誰もいなくて!ずっと、寂しかったの!ずっとずっと、一人で……!」

 

「……うん。寂しかったね。いっぱい、頑張ったね。えらい、えらい」

 

「私……わたしは、ずっと、ずっと!誰かに、認めてもらいたくて……!誰かと、話したくて……!私だって、冥界にいるんだって……!ずっと……!」

 

 声は、部屋中に何度も響いた。何度も、愚痴を溢した。その言葉ごとやさしく、優しく包まれて。何度だって泣いた。まるで、数百年の無念が流れ出すように。

 

 きっと、こんな風に泣くのは今日限りにしよう。こんな風に自分をさらけ出すのは、本当に数千年に一度で大丈夫だ。………あぁ、だから。

 

 

(今、この時だけは、子供みたいに泣くことを、どうか、許してください───)

 

 

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 それから、数分して。ようやく、エレシュキガルは嗚咽を漏らしながらも泣き止んだ。

 

「………落ち着いた?」

 

「……………ええ」

 

 心は、凪のように静かだった。とんでもない羞恥だったからか、一周回って冷静になっているのかもしれない。それか、これ以上の醜態を晒すことはないと知っているからか。

 

「………アンヘル、改めて今日はありがとう。……終始、あなたにドキドキさせられっぱなしだったのだわ」

 

 膝まくらをされたまま、お礼を言う。全くサマになっていないとは思うが、動こうにも体が泥のようになって当分動けそうにはなかった。

 

「……ぱなしってことは、無いと思うけど」

 

「……………え?」

 

 照れ臭そうにそう呟いたアンヘルの一言に、ふと疑問を覚える。

 

 ………そういえば、と。エレシュキガルはとある共通点を見つけた。手を繋いだ時も、膝枕をしようとしていた時も、そして今も。肝心の時に、アンヘルが顔を逸らしているのだ。今までは余裕がなかったから気がつかなかったが、もしかすれば、これは──

 

 

「あ、力が漲ってきた」

 

「えっ」

 

 先ほどまでの疲労感がなんのことやら。エレシュキガルはアンヘルの顔をよく見ようと、体を起こそうとする……

 

 

「……み、見ちゃダメ!」

 

 瞬間、視界が暗闇に覆われた。アンヘルの手に自らの目が覆われていると理解するのに、数秒の時間が必要だった。押さえ込まれて、どうやったって起き上がれそうにない。

 

 しかし、自分の目の上に熱いものがある。エレシュキガルではない。エレシュキガルの目の上に乗っている手。それが、何だか異様に熱くて。少しだけ、汗で湿っていて。

 

 それを認識した途端、エレシュキガルはとある可能性に行き当たる。もしかして。もしかして───

 

 

「………今、多分顔すっごい赤いから……みちゃ、やだ……」

 

 か細い、悲鳴だった。蚊の鳴くような声で、メゾソプラノが震えた音を紡いでいた。なんとも愛らしい、小さな声。

 

 見たい。どんな困惑よりも、どんな羞恥より、その欲求が勝った。

 

 目を抑えている手を、エレシュキガルは力ずくで横に退ける。さらに抵抗しようとする手を、筋力Bの力でさらに押さえつけた。突然開けた白い視界。眩しくてよく見えなかったが、しばらくすると、酷く強張った面持ちのアンヘルが目を瞑ってプルプルと震えている姿が映る。

 

「……やだって、言ったぁ…………」

 

「…………」

 

 真っ赤だ。耳から何まで、雪のような白い顔が、夕日のように真っ赤に染まっていた。よくよく見れば瞑られた目尻には涙さえ浮かんでいて、とんでもない羞恥を堪えているのがありありと感じられる。

 

 ………なんという、ことだろうか。

 

「その………机の上の教本に、恋人は手を繋ぐのと膝枕って……ずっと恥ずかしくて、でも……」

 

 うわ言のように呟くアンヘル。どうやら、机の上にある何かの本を参考にしたらしいが……?

 

 

「ってこれ!私の秘蔵の本!?ここ、これ、どこから!?」

 

「………?エレシュキガル様の部屋を掃除してたら、寝台の下に落ちてて……」

 

「それは隠したっていうのだわ!……でもこの本、膝枕して慰めるなんてシーンじゃなかったはず………」

 

 そう。純愛小説だから、確か膝枕をして、イチャイチャして終わるだけだったはずだ。

 

「そ、それは………えっと………膝枕してたら、エレシュキガル様、褒められるかなって……」

 

 グサッ。

 

 善意の形をした羞恥の刃が、エレシュキガルの心を再び貫く。

 

「〜〜〜ッッ!!あ、アンヘル!今後、私の部屋に侵入するのを禁ずるのだわ!」

 

「………はい」

 

 こうして、冥界の一日は終わった。冥界の女主人が、初めて素直になった日。記念すべき、たった一日のことである。

 

 

「あとアンヘル。今日……この部屋で寝ても、いい?」

 

「………え?」

 

 

 まだ、終わらなかった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 そして、次の日。冥界はさておいて、ウルクでは。

 

 

 

「さぁ、冒険にいくぞ!勇者ども!」

 

 

「どうしてこうなった!!」

 

 

 朝起きた立香が、突然凸ってきた英雄王、もとい英友王に、頭を悩まされているのだった。

 




エレシュキガルの選択肢で下を選ぶべきなのに上を選んでしまったマスターはいるでしょうか。私はその一人でした。下の選択肢を押せたのはバビロニアクリア後でしたよ……



Q.レクイエムを全く知らない作者がコラボ映像を見た際、ムービーの最初にショタが出てきた後、一言目が「あい」だったときの作者の焦り様を答えよ。

完全にフォーリナーだと思った………これで星の王子様無視して真名ハーメルンとか言われたら失踪しますね()

前作を修正してもいいですか!

  • 今のままでいい
  • ガバが多い。変えよう
  • 好きにしろ

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