始まりの天使 -Dear sweet reminiscence-   作:寝る練る錬るね

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なかなかぶっ飛んだ内容になってます。お気をつけて。


第五節 償いと悔恨 (5/5)

 

 

 

 不躾なことを承知で、何度かウルクの人々に尋ねたことがあった。『あなたは、殺人の夜(キリングナイト)で死ぬことが祝われるべきだと思うのか』と。

 

 ほんの情報収集のつもりだった。あまり触れられたくない内容だから、いい顔をされないことは承知の上だ。それに、回答を得られるとも思っていなかった。実際、大抵の人は立香が余所者と知ると口を噤んだ。

 

 だが、内何人かは詳しくではないが、少しだけ話してくれた。それは、パン屋を営む老婆であったり。或いは鍛治職人の老人であったり、或いは牧場主であったりした。思えば、少し年配の人が多かったような気がする。彼らは口を揃えて言った。『私たちは、死んでもやらなくちゃならないことがあるんだよ』と。

 

 ……その意味を、立香は測りあぐねた。死んでまでやることに、果たして意味があるのか。というより、死の先に一体何があるというのか。結局はそんな自問自答に襲われて、答えを出すことができなかったのだ。

 

 何の脈絡もない、意味のない前日譚である。

 

 

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 シドゥリは、迷いのない足取りで街を進んでいた。王城を越えて、さらに北へ。そこから数分ほど歩くと、大通りから外れて脇道へと逸れた。

 

「えっと……シドゥリさん。これは、どこに向かっているのでしょう?」

 

「もうすぐわかりますよ。そういえば、今回の仕事について説明していませんでしたね」

 

 マシュの疑問にあまり表情を変えず答えると、シドゥリは道の行き止まりで足を止めた。……まさか、行き止まりが目的地だとでもいうのか。

 

「今回の仕事は『掃除』です」

 

「…………掃除?清掃作業ということですか?」

 

「はい。この倉庫の道具はどれだけ使っていただいても構いませんから、できるだけ綺麗に掃除していただきたいのです」

 

 そう言って指差した先。行き止まりだと思っていた壁に陰になるように、見辛かったが、たしかに倉庫……というより、小さな物置らしきものが、ポツンと点在していた。

 

「……これは………雑巾と、瓶……バケツがわりでしょうか?ホウキらしきものも……あっ!奥に小さいですが井戸もあります!水はこれで汲めますね」

 

「えっと。これで、どこを掃除すればいいんでしょうか?」

 

「それも、暫くすれば分かります。使うものを持って、ついてきてください」

 

 そう言って瓶に黙々と水を汲むシドゥリを見て、マシュと目を見合わせる。なんだか、少しシドゥリの様子がおかしい。いつもなら、もう少し楽しそう、ではなくても、明るくしているものだが。やはり、何かがあるのだろうか。

 

 とりあえず立香は雑巾と予備の瓶。マシュはホウキを持って、ハーメルンはちりとりのようなものを持つ。最初はハーメルンが道具全部をいっぺんに運ぼうとするものだから、慌ててマシュと立香が止めた。いくらサーヴァントとはいえ無茶をしすぎだと言うと、ハーメルンは不思議そうな顔をして首を傾げ『これが村じゃ普通だったよ』と口にする。一般常識から外れすぎている。こんな幼子に重い荷物を運ばせるなんて、一体どんな村なのか。

 

 とにかく、各々で必要なものを持った立香達は、瓶と「布に包まれた何か」を持つシドゥリの後をついていく。また暫く歩くのかと思ったが、幸いにも目的地はすがそこだった。

 

 ジメジメと湿気がこもった路地裏に、さぁっと乾いた風が吹き込む。暗かった周囲が、そこだけ光を集めているのかというほどに輝いていて。

 

 ほんの一瞬だけ、目が眩んだ。

 

 

「…………うわぁ……!凄い……!」

 

 

 次の瞬間。目を開けると、そこはまるで別世界のようだった。街の中心を丸ごとくりぬいて、そこに自然を当てはめたらこうなるのだろうか。半径50メートルほどの空間が、丸々芝で覆われている。その中に建物や木という無粋な突起物はなく、緑を基調とする神秘的な自然空間が広がっていた。街の中のちょっとした癒し空間といった風貌だ。

 

 その中心部に、何かある。遠目で観察する限りは、黒い岩のように見える。特になんの変哲もない……強いて言うなら、この空間には似合わない、少し違和感を感じる物体だった。

 

 シドゥリは神妙な足取りで、その中心へ向かって歩いていく。立香達もそれに続く。……すると、真ん中へといくにつれ、地面の芝にあちこち泥が落ちていることに気がつく。他にも落ち葉や枯れ枝、それに魚の骨や腐った果実などのゴミ。少しの量ならいいが、かなりの数。これでは、せっかくの緑が台無しだ。

 

 観察しながら歩き、岩の近くへとシドゥリがしゃがみ込む。その岩を見てみると、正確には黒いのではなく、白い石に黒い何かが付着しているだけのことに気がつく。そして、その下に美しい花が添えられていることにも。

 

 これは、まるで。

 

「シドゥリさん、これって……」

 

「ええ。お墓です。ここは『始まりの地』……とある戦場の跡地です。藤丸達には、この周辺を掃除していただきます」

 

 そう言いながら、シドゥリは手に持った包みを開く。……それは、立香の時代にも供花(くげ)として使われていた白百合のような花の束だった。

 

「……始めましょう。少し墓の石も汚れていますから、きちんと綺麗にしなくてはいけませんね」

 

 そう言って、今日初めて笑うシドゥリ。……その笑みがあまりに危ういものに見えたのは、立香の気のせいだっただろうか。

 

 

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 ──時間は、その前日に遡る。立香が冥界から蘇り、イシュタルを捕縛した、その夜。

 

 記憶を失った天使は、その行動を開始した。

 

(…………エレシュキガル様は、もう寝たな)

 

 絶対に入るな、と念押しされた主人の部屋を覗き込み、部屋の主が眠りについていることを確認する。………彼女が一度眠れば、日が明けるまで絶対に起きることがないのは知っている。眠っているというより、日が暮れた途端に彼女は意識がなくなるのだ。先日のデートで一緒に同衾したときに、それは確認済みだ。

 

 つまり、今の彼女はいないも同じ。そして少なくとも、後数時間の猶予があるということだ。

 

(……日暮れの時間はわからない。ちょっとだけ。ちょっとだけで、切り上げる……)

 

 罪悪感はある。でもそれ以上に。アンヘルはエレシュキガルのことを信じたかった。こんなところに記憶の手がかりなんてなくて。記憶なんて戻らなくて。エレシュキガルは何一つ嘘なんて言っていない。そのことを、信じるために調べるのだ。

 

 ……いや。それも言い訳か。本当は、本当は。

 

(……お邪魔します)

 

 いつも掃除のために入る時も口にする言葉を心の中で唱えて、音を立てないように部屋に入る。音を立てたところでエレシュキガルは起きないだろうが、念のためだ。

 

(………相変わらず、ちょっと汚い……)

 

 エレシュキガルの部屋には、すべての部屋に共通する基本的な寝台、石造りの机。そして本棚に…………床に大量の、使い道のわからない道具やら読みかけの本やらが散乱していた。

 

 アンヘルが掃除した数日前に寝台と机以外はほとんど片したのに、たった数日でどうしてここまで散らかすことができるのか。まとめて端に寄せたい欲求に駆られるが、今回の目的はそれではない。なるべく元の場所から動かさないように、慎重に避けて歩く。

 

 床に散乱しているものに用はない。大体が小説の粘土板か謎の粘土細工か何かだ。大凡重要なものは、本棚にあって取り出されないことが多いことを知っていた。

 

 冥界のお勤めなどと言うが、その実やっていることは魂の選別か肉体労働だけだ。そんな短調な作業に粘土板の報告書などは作らない。となると、情報があるとすれば。普段触れないよう言われている本棚の中。

 

(……殆ど、恋愛に関する粘土板で埋め尽くされてるな……)

 

 たまに見つける訳の分からない詩……いわゆる自作ポエムらしきものにも目を通す。『ああ、彼はまるで星のよう』から始まる文は正直言って訳の分からない代物だったが、ヒントは意外にもこう言うところに隠されているかもしれない。一つとして欠けることなく目を通していく。

 

 そうやって十といくつかの粘土板を若干辟易としながら読んだ時。……ひとつだけ、棚に不相応なものが置いてあることに気がついた。

 

 他のものと違うのは、粘土板なのに側面に文字が彫ってあること。側面にはでかでかとして文字で『辞書』の文字が刻まれている。………明らかに怪しい。辞書にしては厚くもないし、そもそもエレシュキガルほどの知識をもつ神(※買いかぶり)に辞書など必要なのか。そう思いながら、一際異彩を放つその粘土板に手を伸ばす。

 

(………あぁ。これ、二重構造になってるのか)

 

 手にとって気がつく。それは粘土板ではなく、粘土で作られた箱に仕舞われた本であることに。そのカバーに入っていたのは、羊皮紙となめした皮で作られた、紙媒体の本。エレシュキガルの部屋にもまだ数冊程度しかない貴重なものが、どうして辞書なんかに──

 

(……中身は……………えっ?)

 

 ゴトンと箱から落ちた本を開いて、何枚かページをめくる。……そこに書かれていた文に、アンヘルは目を奪われた。

 

 

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「……うーん。こんなものかな」

 

「………はい。ばっちりです。視認距離半径10メートル以内にゴミはありません」

 

 掃除開始から十分か、二十分か。そこまでの時間をかけず、掃除を終える。といっても、そもそも掃除することがあまりにも少なすぎて、最初以外ほとんどやることがない。墓石はシドゥリとハーメルンがやってくれているので、やれることといえばゴミと落ち葉拾いくらいのものだ。それも大方片付いて、泥も洗い流せば綺麗な新芽が顔を見せた。

 

「よし。じゃあこれで。ハーメルン、そっちは……」

 

 どう?と訊こうと墓石の方向に振り向いた時。立香は、そのあまりに神秘的な光景に思わず息を呑んだ。

 

 シドゥリが、膝をついて祈っていた。たった、それだけ。だというのに、目が離せない。

 

 黒かった墓石は、磨かれたことで白亜の如き純白の輝きを取り戻し、地面の緑と呼応して脈動しているかように見えた。凪ぐ風はその悲しみの残滓を表し、輝く太陽はその祈りの深さを示しているかのよう。場にあるその全てが、まるでシドゥリそのものを体現しているかのような。美しい光景だった。

 

 何分かが経過した。その間、誰も何かを発することはなく。ただただ、その光景に見惚れていた。

 

「…………ふぅ……」

 

 シドゥリが祈りを止め、ふぅっとため息をついた。そのことで漸く、立香達の時間は動き出す。

 

「……シドゥリさん。それは、誰のお墓ですか?」

 

 大凡返答のわかっている質問を、立香はシドゥリに投げかけた。……検討はついているが、立香達は正しく知らなくてはならない。この墓が、誰のために作られたものなのかを。

 

「……あなた方の想像通りだと思います。この墓は、アンヘル君のものです」

 

「……アンヘルさん……ですか」

 

 予想通りの名前。……アンヘル。ウルクに現れた謎の子供。ギルガメッシュ不在のウルクを守り通して亡くなった英雄。そして、『天使の証』という宝具をウルクにもたらした『始まりの天使』。

 

「じゃあ、ここが戦場跡というのは……」

 

「ええ。現在のウルクは、絶対魔獣戦線に合わせて作り直された新たな街。昔は、地理がもう少し違ったんです。ここは、彼が戦争で争った場所。血を流して、なおも抗い続けた名残の場所。種は芽吹きますが、新芽よりも育つことはなく。木を植えても、根を張るだけで育つことはない。そんな不思議な土地です」

 

 ……なんて、辛そうに話すのか。シドゥリは、まるで悔いるようにその一言一言を発した。彼の死は、彼女にとってそれほどまでに大きなものだったのだろう。そのことが、その会話だけで容易に知ることができた。

 

「……その、俺たちも参ってもいいですか?」

 

「参……?」

 

「あぁ、えっと。俺の故郷じゃ、墓参りって言うんです。こうやってお墓を綺麗にしたり、冥福を祈ったりすること」

 

「……あぁ。そういうことでしたら。是非。アンヘル君も喜びます」

 

 許可をもらって、立香は膝をついて墓石に手を合わせた。マシュは倣うように隣で同じ動作をして、ハーメルンは両手を握るようにして前に合わせる。そして、目を閉じて祈る。

 

 この墓が、殺人の夜(キリングナイト)に何の関係があるのかはわからない。でも、今この時は。会ったこともないアンヘルという相手に、手を合わせて祈ることが一番だと、心から思えた。

 

 30秒、あるいは1分程度で目を開いて立ち上がる。墓に供えられた白い花が、開いた目に少し眩しかった。そうして三人全員が終わって立ち上がったところで、シドゥリから声がかかる。

 

「……では藤丸。そろそろここを離れましょう。少し、時間をかけすぎました」

 

「時間、ですか?」

 

「はい。そろそろ物陰に隠れなければ、彼ら(・・)が来てしまいます」

 

 彼ら、というのが何を指すのかは分からなかった。だが、シドゥリが若干焦っているのは理解する。このままここにいては、何か立香達に不都合なことがあるのだろう。そう悟り、掃除道具を持ってこの場から離れようとする。

 

 その瞬間。

 

 

 

「…………えっ?」

 

 立香の目の前に、石が迫っていた。拳ほどの石だ。ぶつかれば、当然だが痛いでは済まないほどの大きさ。まるで、先ほど掃除される前の墓石のような色だった。

 

「先輩!!」「親様っ!!」

 

 二人の声と共に反射的に屈んで、なんとか石を避ける。何がなんだか分からないが、何かの罵声のような声と、再びいくつかの石が風を切る音を、立香の耳は捉えていた。

 

「なんのつもりですかあなた方は!我らはギルガメッシュ王直属の使者。手を出せばあなた方がただでは済みませんよ!」

 

「ギルガメッシュ王だかなんだか知ったことか!!こんなところにのこのこ現れおって!!貴様らこそなんのつもりだ!?」

 

 中年ぐらいの男の声だ。少なくとも、立香は聞いたことがない。顔を上げてみれば、そこにはやはり、見たことのない小太りの男が一人と筋肉質な男達が数人、石や金槌やらを持って怒り心頭と言った表情を浮かべて立っていた。

 

 唾を飛ばす勢いで怒りを口にする男は、目線を少し下に下げるや否や、手に持った泥を投げる。その先には───

 

「ハーメルン!!」

 

「フンっ!小汚いガキなど連れるな!!こんな場所に来るなど呪われておるに違いない!!この、悪魔どもめ!!」

 

 立香が庇う間もなく、二発、三発と中年男の投げた泥がハーメルンに当たった。慌ててマシュがハーメルンを庇う形で霊体化していた盾を構え、立香がハーメルンの安全を確認する。

 

「何もないところから盾が出たぞ!!」

 

「ほれ!見たか!!奴らは妖術を使うぞ!」

 

「大丈夫か!?ハーメルン!?」

 

「…………」

 

 ハーメルンは答えない。投げつけられたのは本当に泥だけだったらしく、顔とレインコートが泥に塗れているだけのように見える。……だが、ハーメルンの様子がおかしい。怯えて震えている……というのとは違う。目の焦点が合っていない。心ここに在らずといった感じだ。あの時の。キングゥに襲われた時と、同じ。

 

「先輩!ハーメルンさんはサーヴァントです!泥程度なら、問題はないかと!」

 

「……あ、あぁ。そうだけど………なんで、こんなこと……」

 

「わかりません!先程からシドゥリさんが警告していますが、全くの無意味です!」

 

 マシュの言う通り、矢面に立つシドゥリが何か叫んでいるが、男達はものを投げつけるのをやめることはない。どころか、どんどんヒートアップしている。

 

「やめなさい!!こんなことをして、虚しくないのですか!!」

 

「ええい、黙れ黙れ!!あのような子供を庇うものなど信用なるか!!これだから女は!!そこな女も怪しげな妖術で盾を出した!魔女の一味だ!!許すな!!」

 

 シドゥリは、諦めずに何度も声を上げる。だが、その声が届くことはなく、シドゥリもまた石や泥に打たれ続ける。緑の服が黒い泥に汚れ、健康的な白い肌には石が当たって血が出ている。

 

 どうして、こんなことをされなくてはいけないのか。立香達はただ、墓を掃除しただけだ。決して、こんなことをされるいわれはないはずだ。あちらが正義のような顔をして、石を投げられる道理などないはずだ。

 

「やめて!やめてください!!私たちは何もしていません!!」

 

「黙れ!貴様の言葉など信じんぞ!!誰のせいでこんな生活をせねばらんと思っておる!!貴様の!貴様らのせいだろうが!!」

 

 知らない。そんなことは、知らない。何をしたというのだ。立香達が、何をしたというのだ。……マシュやハーメルンに、こんな石や泥なんてものは効かない。立香だって、当たりどころさえ悪くなければ痛い程度で済むだろう。

 

 だが。それ以上に。心が痛い。どうして、こんな目に合わなければならないのか。どうして、こんな仕打ちを受けなければならないのか。訳が、分からない。

 

「はははっ!!効いているぞ!!喰らえ!この、偽善者どもめ!!」

 

「なんで!!どうしてなんですか!?どうして、こんなことをするんですかっ!?」

 

 心の声が、そのまま口から出た。どうして。どうして。こんな、酷いことができるのか。

 

「どうして、だとっ!?決まっているだろう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこで祀られているアンヘルとやらが、殺人の夜(キリングナイト)の元凶だからだ!!

 

 

「…………………………………え?」

 

 男の投げた泥が、墓石を黒く染める。投げた石が、白百合の花を散らす。綺麗にしたはずの墓が、ものの数十秒でズタズタにされていく。

 

 声が漏れた。理解が及ばない。アンヘルが、殺人の夜(キリングナイト)の元凶。何を、言っているのか。そんな話は、聞いたことも───

 

「………ッ!!」

 

 シドゥリが、悔しそうに口を結んでいた。唇から血を流しながら、泣いていた。だが、男のその言葉に、反論することはない。そんなことはない、と。否定することはなかった。では………

 

「……本当、なのか………?」

 

 男達が投げる泥が、スローモーションになって見えた。分からない。分からない。なんで、こんなことになったのだ。どうして、そんな親の仇を見るような目で立香達を見るのだ。

 

 嗚呼。……でも。わかることが、ひとつある。

 

 今人を傷つけているあの男達が、正義なはずない。

 

 だって、そんな人は笑わない。正義を行う者が、人に泥を投げながら、嘲笑うことなんてしない。効いていることに喜んで、笑ったりするものか。

 

 彼らは笑っている。ハーメルンに泥を投げて。シドゥリを傷つけて。マシュを魔女扱いして。笑って、いるのだ。

 

 

 

 

 次の、瞬間。

 

「……………ぴゃっ……?」

 

 口汚く立香達を罵っていた中年の男が、横顔を殴られてぶっ飛んだ。まるで、立香の感情がそのまま形になったかのように。

 

 驚きで、誰もの動きが完全に止まる。男たちが持つ投擲物が、ドサリと地面に落ちる。

 

 立香ではない。

 

 シドゥリではない。

 

 マシュではない。

 

 

 ……ハーメルンだ。

 

 

「…………なくちゃ………」

 

 ぶつぶつと、ハーメルンが何かを呟いていた。呪詛のようなそれは、一つの明確な意図を持って男達を襲う。

 

「……殺さ、なくちゃ………

 

殺さなくちゃ。殺さなくちゃ。日常を壊す人は殺さなくちゃ。殺さなくちゃ。人を傷つける人は殺さなくちゃ。みんなみんな、殺さなくちゃ!!

 

 殺気。

 

「ひ、ひぃぃぃっ!!」

 

 日常では絶対に知ることのない、自らに向けられる圧倒的強者の覇気。それに当てられた男たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。殴られた男も、悲鳴を上げながらその場から消える。

 

待てっっっ!!

 

 ハーメルンが、今までに見たこともないような表情で追撃しようとする。

 

 サーヴァントの攻撃力だ。笛を使わずとも、人一人など殺すことは容易いだろう。どれだけ逃げようと、容易に追いつくことができるだろう。

 

 止める必要はないと思った。マシュを、シドゥリをこんなに傷つけた人たちを、許せないと思った。

 

 どんな理由があっても、人を平然と傷つけられる人間を、許せないと思った。

 

 …………でも。

 

「待ってくれ!!ハーメルン!!」

 

 立香は、ハーメルンの腕を掴んだ。頭が、嫌に冷静だった。そのまま、立香はハーメルンのことを抱きしめる。細いその体を、全力で抱きしめる。抵抗されることはないが、それでも。きつく、きつく、腕を回す。

 

もういい!!俺は、ハーメルンに人を殺して欲しくない!!

 

「……………親、様……」

 

 訳がわからなかった。ハーメルンがこんなにも殺気をむき出しにしている訳も。何故、こんな仕打ちを受けなくてはならないかも。全てのことに、理解が全く追いついていない。

 

 だが、ハーメルンをこのままにしておけば、ハーメルンはきっとあの男たちを殺す。それは、いつか致命的な溝となってハーメルンを妨げる。なら、立香がそれを放置するわけにはいかない。

 

もう十分だ。暴力を暴力でやり返せば、それこそハーメルンとあいつらが、同類になってしまう。

 

「…………ぁぁ……」

 

 ハーメルンの体から力が抜ける。どうやら、気を失ったらしい。立香の腕の中で、糸が切れたように崩れ落ちる。

 

 腕にのしかかるハーメルンの体重が、やけに軽く感じた。

 

「………い、いったい何が……!?というか、彼らは一体……!?」

 

「………わからない。でも、多分もう大丈夫。……あの人たちが何かは……説明、してくれますよね?」

 

「……はい。……助かりました、藤丸」

 

 立香に尋ねてきたマシュは、酷い有様だった。見た目ではわからないが、精神は混乱しっぱなしなのが回路(パス)を通して伝わってくる。そして、シドゥリもまた酷い。見た目は泥だらけで、体のかしこから血が出ている。深い傷ではないだろうが、痛みはあるだろう。

 

「まずは、謝罪を。まさか、あんなに早く嗅ぎつけてくるとは思いませんでした。……本当は、彼らが墓を荒らしていくのを陰から見てもらうつもりだったのですが」

 

「……では、この状況は故意ではなかったのですね。彼らは、一体………?」

 

「彼らは……カザルやキシュから逃れてきた、難民です。元々ウルクにいなかった、外の国からやってきた者たちです」

 

 すこし複雑そうにそう言った彼女は、男たちの消えていった方向を睨む。多少なり因縁があるように見えるが、その真偽は定かではない。

 

「……それより、本当なんですか。殺人の夜(キリングナイト)が、彼の。アンヘルの仕業だって」

 

 立香の視線に、目を逸らすことなく。シドゥリは真っ向から見据えて、こう言った。

 

「……私には、わかりません。それが本当なのか、偽りなのか。ですが、私にわかること範囲の全てを、今度こそ。全てお話し致します。この国に起こっていることを、全て」

 

 その言葉が嘘であると。立香はどうしても、疑うことができなかった。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 

 

 

「…………ははは……」

 

 天使は、自らの寝台に戻っていた。

 

 戻って、蹲っていた。

 

「……なんにも、わかんないや………」

 

 呟く。

 

 本棚のあの本は、本当にただの本だった。少し過激な描写があるだけの、単なる恋愛小説だった。他の本を調べ尽くして、何もないことがわかった。

 

 安堵だ。本来なら、安堵すべきだった。彼女は嘘をついていなかったと。やはり、単なる杞憂だったと。そう、安堵できるはずだった。

 

 

 ………だが。

 

 

「………ほんと、なにも、わかんないや………」

 

 

 彼の手には、鍵が握られていた。古臭い、木製の鍵。

 

 その鍵を握りしめて、天使は途方に暮れる。

 

 

「僕は……どうすればいいのかな……」

 

 

 乾いた笑いが、ただ広いだけの部屋に響いて消えた。




カルデアとフォウ君は非出演。フォウ君いたら人類悪顕現しかねない。

次回予告


『……なんだ……これ……?』
『ボクは………ヒトゴロシ、なんです』
『そんな……そんな、ことって……』
『返せよっ!!僕の記憶を返せっ!!』
『気づくな………!気付くな………!』

第六節 愚者たちの宴

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