始まりの天使 -Dear sweet reminiscence-   作:寝る練る錬るね

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 知っていて後悔する者と。
 知らなかったことで後悔する者。
 或いは、知らないフリなのか。
 それは定かではないが。
 後悔の幅は、一体どちらが大きいのだろう。

 そんなビターな真実をお伝え。
 ミルクと砂糖とタピオカは別途料金がかかります。


第六節 愚者たちの宴 (4/4)

 絶対にここへは行くなと言い含められている場所は、いくつかあった。

 

 そこは神の魂が封じられている場所だったり、人の魂を乗っ取る化け物の巣窟であったり。いずれも危険な場所だったから、特に疑問を覚えることはなかった。

 

 ただ、その中でたった一つだけ。違和感を覚える場所があった。

 

 どこに違和感を覚えたか。そう言われると、説明はできない。ただ、案内される際に一度だけ見た時、明確に『ここにあってはいけない』ような扉があったのが、印象に残っていたのだ。それに、普段入らないような人気のない地下で、危険でもなさそうだったことを疑問に思った。そして、鍵を見つけたとき。それはこの扉で使う物だと確信した。

 

「………ごめん。エレシュキガル様」

 

 心の中で謝罪してから、立ち入りを禁止された場所へと足を踏み出す。踏み締めるその一歩が、重い。

 

 ……扉は、アンヘルを妨げるようにのっぺりとした木目を晒している。どこか、他の部屋のものとは違う気配がする。

 

 期待。焦燥。後ろめたさ。

 

 それらを振り払って、アンヘルは木製の鍵を、そっと鍵穴へと差し込んだ。

 

 ぬるり、と。鍵は鍵穴へと入り込む。まるで、そこに存在していることが当然であるかのように。そしてほとんど力を必要とせず、ゆっくりと左へ曲がり………音を立てて、扉を開いた。

 

 汗ばんだ手が、震えながらドアノブに手をかける。

 

 

───ホントウニ、アケチャウノ?

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 

 後ろ髪を引かれたように、振り向く。

 

 当然、そこには誰もいない。ただ、恐ろしいまでの闇と静謐が広がっている。

 

 杞憂だったことに安堵の息を吐いて、もう一度扉へと向き直る。

 

 手首を回して、少し押すだけ。それだけの作業をすれば、その先の真実が見える。アンヘルに隠されていた真実が明かされる。

 

 だが、その行為は裏切りだ。これでもし、扉の先に何もなかったら、エレシュキガルが、アンヘルに関する何かを隠してなどいなかったら。

 

 今ならまだ引き返せる。何も見なかったフリをして。寝ているエレシュキガルの寝室に忍び込んで、この鍵を戻せば。何も見なかったことにして、ぬるま湯の日常に、また。

 

 それを望む自分は、きっと心のどこかにいる。

 

「…………開ける」

 

 右手を、左手で握る。震える手を、無理やり押さえ込む。

 

「開ける。開けるんだ。……押せ。……真実から、目を、逸らすな」

 

 ノブが、呆気なく回る。軽い感触が、扉が開いていることを教えてくれる。

 

 一息に、アンヘルは扉を強く押し込んだ。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 美しい、緑を見た。

 

 輝かしい、金色を見た。

 

 街を見た。人々を見た。

 

 

 

 

「………これ………は………」

 

 

 頭の中が、真っ白になった。

 

 その部屋では、およそ九割を『それ』が占めていた。残った場所には、ペンや器、蝋や羽ペンが、所狭しと散らばっている。いずれも、エレシュキガルの部屋で見たことがあるものだ。

 

 では、その『それ』がなんだったのか。

 

 知識のないアンヘルでも、それはたった一言で表せた。

 

 

 

 『キューブ(・・・・)』だ。もしくは『箱』と表現していい。

 

 青白く透明で、巨大な立方体のような何かが、部屋で存在を主張するかのようにすっぽりと収まっている。もしくは、浮遊しているのか。

 

 硝子か。或いは鉄。もしくは雲母のように思えるそれは、しかしどれもその材質と違うように感じた。表面には模様も何もなく。ただ内側に光の筋がいくつも通っている。明らかに、人の知能を超えた代物だった。

 

「………なに……なに、これ!?」

 

 想像を絶する光景に、半分狂乱気味にアンヘルは叫んだ。

 

 箱の中の光は断続的に脈動し、まるで箱そのものが生きているかのような不気味さを感じさせる。

 

 まじまじとその中身を観察していると、部屋の外から一粒の青い球………アンヘルが見慣れた、人の魂(・・・)が入ってくる。それがキューブの中心に達した時。青白い光が、一瞬だけ強く輝いた。

 

 そして、悟る。

 

 これは。この箱は。

 

 人の命を(・・・・)魔力源として(・・・・・・・)吸っているのだ(・・・・・・・)

 

 呼応するかのように、ドクン、と青い光が再び脈動する。

 

「…………そんな」

 

 だが、例えこれで魔力を吸ったとして。一体、何をするというのか。膨大な魔力が、集まった端から消費されていく。こんな非人道的なものの、使い道。そんなもの、考えたくもない。

 

 そもそも、こんなものを隠して、エレシュキガルは一体何をしようとしているのか──

 

 

 ……そんな思考は、ある一点を見た瞬間に吹き飛んだ。

 

「…………ぁ………」

 

 

 箱の中心。ただ単調に青白い世界。その真ん中に。何か、赤いものがある。

 

 それは、あまりにも冥界に似つかわしくないものだった。綺麗に磨かれているわけでもない。大きいわけでもない。美しく輝いているわけでもない。

 

 だがそれは。まごうことなく、美しい宝石だった。

 

 ルビーのように輝く、ほんの一粒の宝石。それが、光線の中心になるかのように鎮座していたのだ。

 

「………あれは……」

 

 無意識に、アンヘルは手を伸ばした。届くわけもないのに。手を伸ばした。恐ろしく、冷徹な箱に、ほんの少し指先が触れる。

 

 

 は      息が止ま   

     痛い

 凍える   死んでいるのに

           痛い

 焼ける         燃える

     痛い

 焦げて  溶ける

          痛い

 どこに      神経が

      痛い

 体が   炎が

          痛い

 離せ   すぐに手を──

 

 

 

 

「……僕は…………何、を?」

 

 ハッと、意識が戻る。

 

 ……箱に触ったせいで、あんなことになったのだとすぐに理解した。

 

 そして。理性を取り戻したアンヘルは、どうして自らがそんな行動を取ったかに気がつく。

 

 あの宝石は(・・・・・)、他ならぬアンヘル自身だ(・・・・・・・)

 

 例え離れていても。それだけは断言できた。あれは、自らの一部だ。離れて、ずっと探し求めていた何かだと。

 

 そう、反応が訴えていた。

 

 自分のことだ。なによりも、自分が一番理解できている。

 

 そして、あの宝石にはきっと──

 

 

 

 全身が、震える。

 

 恐怖もある。だが、それ以上に心に沸き立つ感情があった。

 

 

帰り、たいよ………

 

 床の上で、拳を握りしめる。

 

 ずっと、胸に渦巻く思いがあった。

 

『約束』という単語を聞いてから。藤丸立香と出会ってから。

 

 ……『エルキドゥ』と『ギルガメッシュ』という、顔も知らない二人の名前を聞いてから。

 

 頭にフラッシュバックする光景がある。焼きついて離れない記憶がある。

 

 美しい緑。鮮やかなまでの金。いつか、そんな何かに憧れて。そして、何かを思ったはずなのに。大切な何かを、置いてきたはずなのに。

 

帰り……たいんだ……!!

 

 その姿が。その内容が。それだけが、何があっても思い出せない。

 

 モヤがかかったのとは違う。まるでそこだけが切りぬかれたかのように。虫食いになって、見えない。

 

帰りたい!!帰りたいんだ……!!

 

 その場所の名前なんて知らない。その人たちの名前なんて知らない。思い出なんて、欠片だって残っちゃいない。

 

 それでも、胸に渦巻くのは。

 

 溶解しそうなまでの熱を持った、郷愁の念。

 

「返して……!僕の記憶を、返して!」

 

 冥界で、今まで感じてきた謎の焦燥感。チクチクと針で刺されるような、真綿で首を絞められるかのような、穏やかな焦げ付き。それら全てが、いっぺんに爆発したかのようだった。

 

 絶叫する。目の前の無機質な箱に向かって、届くはずもない声を上げる。

 

 

返せよっ!僕の記憶を返せっっ!!返せよ……!

 

 箱を壊そうと殴りかかって。

 

 また、破滅するような痛みを味わって弾かれる。

 

 あまりの無力感に、涙が漏れた。

 

 近づくことすら、許されない。

 

 こんなに近くにあるのに。手を伸ばせば、届きそうな距離にあるのに。

 

 たった数メートルだけの悍ましい箱が、その道を残酷に閉ざす。

 

返して………返して、よ……

 

 もう、惨めに床にへたり込むことしかできなかった。

 

 弱い。

 

 アンヘルは、なんと弱いのだろう。

 

 自らの弱さを呪いながら、密かにアンヘルは嗚咽を零す。胸に渦巻く懐古の意味を、知ることすらなく。

 

 

 ……故に、気がつかなかった。

 

 

 

 

 いつもなら寝ている時間帯で。

 

 扉の裏で、聞き耳を立てていた存在に。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

「帰り、たいよ………」

 

「帰り……たいんだ……!!」

 

「返して……!僕の記憶を、返して!」

 

「返せよっ!僕の記憶を返せっっ!!返せよ……!返して、よ……」

 

 

 聞き耳を立てていた主……エレシュキガルは、無意識に後ずさった。

 

 

 ………わかっていたはずだ。以前の彼には、大切なものなど山ほどあったことなど。

 

 わかっていたはずだ。それに比べれば、こんな地の底で暮らす女神が、彼にふさわしくなんかないこと。

 

 わかっていたはずだ。こんな後ろ暗いことをしている自分が、相手にされるはずがないなんてこと。

 

 …………わかっていた、はずなのに……

 

 

「────ッあ──」

 

 

 罪悪感が、胸にこみ上げる。

 

 ずっと逃げてきた。ずっと目を逸らしてきた。その現実から。その事実から。

 

 この幸せな世界は、記憶を失う以前のアンヘルの全てを犠牲にして成り立っていることを。

 

 ………でも、それだけじゃない。それだけでは、確実になかった。

 

 自らの大切を遮るものに喚いて、怒りをぶつける彼。泣いて転がって、それでもなお強い芯が通った彼。

 

 ……なんて眼をするのだろう。そう思った。

 

 激情に塗れて。苦しみと、怒りと、狂気と。それらが混ざって、ドロドロに曇っているのに。その瞳の奥に、狂おしいほどの慕情と、旧懐を感じた。

 

 そんなもの、エレシュキガルは一度たりとも見たことがなかったのに

 

 これは、きっと嫉妬だ。エレシュキガルは、きっと嫉妬している。

 

 記憶を失った彼になお思われるウルクの民に。あれほどの感情を向けられる、地上の人々に。そして、それが自分に向けられないことを、なによりも妬んでいる。その想いの先にあるのが。一番が、エレシュキガルでないのが。この上なく妬ましい。そしてそんな馬鹿なことを思う自分が、許せなくて。

 

 胸が、痛む。鋭い痛みに、深く、深く貫かれて。心臓が握り締められるようだ。胸が締め付けられるなんて、本の中の陳腐な表現、痛みとは縁遠い自分にだけは絶対に当てはまらないと。そう、思っていたのに。

 

 痛い。痛い。ズキリと心の奥底が痛んで、きゅうっと、締め付けられて。悲鳴を上げる。

 

 切り刻まれる。思い出も、好意も。ズタズタになって、ボロボロと崩れ落ちて。また湧き出て、流れ落ちて。何度も何度も、痛くて。

 

 呼吸すらできない苦しみが、全身に広がっていく。

 

 苦しくて、苦しくて、苦しくて。──それ以上に、舞い上がっていた自分が恥ずかしくって。

 

「──ぁ─────く、ぅ──」

 

 急いで、エレシュキガルはその場を離れた。遠くへ、遠くへと駆け出す。全力で走って、転移も使わずに惨めに疾走して。

 

 駆けて。駆けて、欠けて、懸けて、駈けて。

 

 ……さっきまでいた部屋に飛び込んで、荒い息を整えた。

 

 空気を求めて、体が喘ぐ。肺が冷気を取り込んで、灼けるように熱い。

 

 記憶が曖昧だ。自分が何を思っているのか、欠片だってまとまらない。

 

「………何、やってるんだろう、私……」

 

 落ち着いて。心が体に追いついた途端。

 

 目から、大粒の雫がこぼれ落ちた。一つ、二つと落ちていくそれが、無機質な床に染み込んで、色濃いシミを残す。それを拭って、でも頬にはまだ熱い液体が流れていて。

 

「なんで、泣いてるのかしら………?」

 

 拭って、拭って、拭って。どれだけ拭っても、その液体は消えてくれない。

 

「なんで、なんで……!」

 

 違う。違う。これは決して、涙などではない。涙と認めるわけには、どうしてもいかない。

 

 だって。そんなの。異性の隠された感情を知って。自分が相手の眼中にもないとわかって。それで泣いてしまうだなんて。そんなの。

 

 ………まるで、恋する乙女のようではないか。

 

 

「ぁぁ、うぁっ……!」

 

 

 目に貯めた涙を流して、泣き叫ぶ……そのことだけは、なんとか堪えて避ける。そんなことをすれば、エレシュキガルは自ら命を絶ってしまうだろう。あまりにも情けない。それはあまりにも独りよがりで、あまりにも身勝手な嘆きだからだ。

 

(……気づくな……気付くな……)

 

 気づいてはならない。エレシュキガルは、今胸に渦巻くこの想いに気が付いてはならない。そんなことは許されない。

 

 だって、どうしろというのだ。さんざ自分に都合の良い状況を作っておいて。彼にあんな激情が秘められていたことを、十年以上知ることすらなくて。ずっと閉じ込めていて。あんな表情をさせて。その上で、彼のことを。彼を、そう(・・)思うだなんて。

 

(気づくな………気付くな………!)

 

 だって、知らなかったのだ。エレシュキガルは、アンヘルのあの感情を知らない。知らなかったのだ。知ることすらせず、呑気に過ごしていた。これから、どんな顔をして彼に会えばいいというのか。

 

 顔を脚に埋めて、隠すように嗚咽を漏らす。……忘れよう。そう思った。この想いから目を逸らして、当たり前の日々に戻ろう。変化がないけれど平和な。ちょっとお茶会をして、二人で仕事をする。それだけの日々に戻るために。こんな想いを忘れて仕舞(しま)って。心の奥底に、埋めなくてはならない。

 

(気づくな!気付くな!)

 

 何度もそう言い聞かせているのに。何度もそう反芻しているのに。嗚呼(ああ)。でも。この気持ちを、隠し切ることなんてできなくて。自分に嘘をつくのが、これ以上ないほどに難しくて。

 

 心が、一向に納得してくれない。

 

 ………そして。

 

「……好き………」

 

 ついに、致命的な一言が口から漏れた。

 

「好き……好き……!」

 

 一度言葉にしてしまえば、それは止めようがなく喉の奥から溢れて。何度も何度も、とめどなく口から溢れ出ていく。

 

(私は、アンヘルが、好き。一人の男の子として、好き)

 

 その事実が、どうしようもなく真実であることを。隠すことができないほど正しいことを、遂にエレシュキガルは認めざるを得なくなる。

 

 彼の顔が好きだ。彼の声が好きだ。彼の動作が好きだ。彼の言葉が好きだ。彼の態度が、彼の優しさが、彼の心が。思い出せば思い出すほど、こみ上げるほどに彼の好きなところが思い浮かんで。ふわふわとして、いてもたってもいられなくなる。

 

 嫌われるなんて、嫌だ。ずっと彼の傍にいたい。ずっと彼の共にいたい。

 

 冥界を出て行って欲しくない。記憶を取り戻して欲しくない。自分を、一人にしないで欲しい。

 

 でも、それは。その感情が、欲望が、渇望が、最後に行き着くところは。

 

 きっと、自らの手の届かない地獄だろうと。

 

 そんな確信と悲しみが、エレシュキガルの心と目尻を濡らした。

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 人類最後のマスターが、己の無知を呪った夜。或いは、冥界の女神が自らの感情を知ってしまった夜。

 

 神殿に、最悪の一報が入る。

 

「ギルガメッシュ王に、至急の伝令!!伝令!!」

 

「何事だ!」

 

「魔獣戦線に、致命的な大穴!ムシュマッヘ、ムシュフシュ、その他多数が侵入!!牛若丸様とレオニダス将軍が応戦していますが、犠牲者は未知数!!」

 

「ほ、北壁が………突破されました!!」

 

 運命は、残酷にも捻じ曲がっていく。

 




 愚かな宴はこれで終わり。
 どれだけ後悔しても後の祭り。
 宴の後は後片付け。
 世界ごと壊して仕舞いましょう。

次回予告



『あなたが出した結論なら、それが答えでしょう?』
『不思議だね、親様』
『失敬、魔術師殿!』
『アナタは、悲しいね…』
『吠えたな、虫ケラ風情が!』
『だから、だからね───』

第七節 破滅への序曲


※前言撤回。牛若ちゃんだけですが出ます。
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