始まりの天使 -Dear sweet reminiscence- 作:寝る練る錬るね
夢を享受した。
いつかの追憶が脳裏をよぎった。
このままじゃダメだと思った。
わからない。どうしてこんなことに。
違う。
本当のことはわかっている。
きっと、知られてしまった。本心を知られて、暴かれて、拒絶された。
どうすればよかったのだろう。
知りたかった。帰りたかった。その思いは変わらない。
黄金に憧れた。萌木に焦がれた。
けれど、その情景だけが塗り潰されてしまっている。
だからこそ、その黒を払拭したい。
虫食いの記憶を、埋めてしまいたい。
それが、自らが行うべきことだと確信できてしまうから。
でも、その上で。
この穏やかな日常をも捨てたくないという欲張りな想いは、間違いなのだろうか。
「………わかんないよ、…………、………」
何かを言葉にしようとした口が、対象を見失って渇いた空気だけを吐き出し、迷うように閉ざされた。
「………嘘………嘘ですよね、先輩……」
マシュ・キリエライトは、信じられないものを見るように目を見開き、現実逃避に等しい戯言を何度か口にした。
否。それは等しいなどという物ではなく、紛れもない現実逃避そのものだった。
キングゥに敗北して意識を失い、目が覚めた。混乱する
マーリンをその場に置き去りにして、全力で走った。
半月近い年月を過ごした、思い入れのある場所。大切な人たちが待つ、暖かい家へ。
けれど。けれど。
そこで、眠っていたのは。
「………いや………嫌です、先輩……!起きてください!起きてくださいっ!!」
どれだけ呼びかけても目覚めない、眠り続ける大切な人だった。
何度も揺さぶって。何度も起こそうとして。
返事が無いたびに、現実を嫌というほど理解させられた。
「ドクター!先輩、先輩の状態は、どうなっているんですか!?」
寝たきりの彼の手首の通信機を掴み、絶叫するように繋がっているであろうカルデアへと呼びかける。
返答は、数秒の沈黙を空けて行われた。
『……マシュ。落ち着いて聞いてくれ』
宥めるようなドクターの声が、本当よりずっとずっと、遅れて聞こえていた。
『藤丸君のバイタルは、ハーメルンの消滅確認から急激に悪化した。手は尽くしたが………現在、精神波長が──』
「そんなことはどうだっていいんです!先輩、先輩は、一体……!」
続く言葉が、涙に飲まれる。……わかっている。わかっている。ドクターの声色から、自分のマスター、先輩が、どのような状況に陥っているかなど。本当は、とうにわかっているのだ。
けれど、もし。それに対抗する手段があるとするのならば。マシュはきっと、どんなことだって。
『………現状、藤丸君は深い昏睡状態にある。………医者としての立場から言わせてもらうなら、ここからの意識の回復は………絶望的だ』
淡々と。あくまで義務的に、ロマニはそう口にする。……わかっている。死んでいないことは、真っ先に脈を測ってわかっていた。弱々しいが、目の前の青年はしっかりと生きている。生きてくれている。
それでも。どうしたって、目覚めてくれないのだ。
「………それは、現代の医療の話ですよね……?魔術……神秘の分野なら……先輩を……先輩を治す手段は、残っているんですよね……?」
縋るように。僅かながらのその希望にしがみつくように。恐る恐る、その可能性に言及する。
………その希望は、少年の姿をとった魔術師に打ち砕かれた。
「残っていたが、万策尽きた。そうだろう、ロマニ」
「………マーリン、君……」
扉にもたれかかって悟ったようなことを言うのは、花の魔術師。おそらく現状に最も詳しいだろう少年は、無情にも現状の正解を言い当てる。
『…………正直、特異点によっては、
「だろうね。これは、
……
つまり。目の前で眠る立香は、ハーメルンが死んだことで精神を弱らせ、呪いに屈してしまったと。そういうことだ。
「悪いが、この状態になった時の治療法は見つかっていない。あのギルガメッシュ王がどうしようもなかったんだ。
あっけからんと………言ってしまえばどうでもいいと言うように、マーリンは眠る立香の髪を分け、容態を診る。……そこには、立香を慮るような素振りはない。あまりにも無感情。あまりにも無感動。今もなお怒りと無力感にひしがれるドクターの様子とは、対極的。
仕方のないことだとは理解できる。いくら近くにいようと、結局のところマーリンにとって、藤丸立香という存在は約30日程度を共に過ごした他人にすぎない。
「……………どうして」
………どうして、そんな平気な風でいるんですか。
それでも。
そんな言葉が、感情がごちゃ混ぜになった心から出そうになった。
そんな恥知らずの言葉を、唇を噛んでなんとか抑える。
だって。それ以上に。湧き上がってくる感情がある。責めるべき相手がいる。
「………どうして、私は………その場所にいなかったのでしょう……」
自分は、戦闘では守ることに特化していると言う自覚はある。突然降って湧いたような力でこそあるが、今までも、そしてこれからもきっと、マシュはその一点においては、きっと誇りを持って戦えていた。
………だが、それがなんだというのだ。
どれだけ守るべき力を持っていたとしても、大切な誰かを守れなければなんの意味だってない。
その場にいなかったのなら、何の価値もない。
守るべきものを失った自分という盾に、一体なんの意味があるというのだろう。
「…………どうして……私じゃなかったんですか……!」
湧き上がってくるのは、身を焼かんばかりの後悔の念だった。
『……………………マーリン。本当に、我々にこれ以上できることはないのか?………このまま、藤丸君が死ぬのを、見ていることしかできないのか……?』
「可能性が、ないわけじゃない。この状態から、
「本当ですか!?」
『な……!それが本当なら、なんで今まで……!』
マーリンの発言から僅かに垂らされた蜘蛛の糸に、無我夢中でしがみつこうとする。
そしてそれは、あまりにも単調に、単純に、もともと先がなかったかのように打ち捨てられる。
「………そのたった一人の例外が、ギルガメッシュ王だからだよ。おまけに、本人はそのことについて話したがらない始末だ」
『……………やはり、そう上手くはいかない、ということか……』
再び、沈黙が訪れる。
「………いえ。それでも。何かの手がかりになるのなら、私がギルガメッシュ王の元に行ってみます。ここでジッとしているくらいなら、その方が……」
「………無駄だと思うけれどね」
花の魔術師は肩をすくめ、扉から何処かへと出ようとする。
『おい、どこに行くつもりだ』
「……ま、私は私にできることをするだけさ。気休め程度だが、呪いを弱める結界でも張ってみるとしよう」
ギシギシと、やけに軋む廊下を抜け、マーリンの姿が見えなくなる。
「…………そういえば、ハーメルン君のいたという牧場にも声をかけておくといい。あれで国の大切な資源だ。体制はキチンと整えておくべきだろう」
「……………」
無言を肯定と受け取ったのか、再びギシギシという音を立ててマーリンは大使館を出る。………そして、ついに周囲から音が失せた。
「………待っていてくださいね、先輩」
眠る大切な人の頭を、そっと撫でる。きっと、悪夢から解き放って見せる。そう誓って、部屋を飛び出す。
──それが無意味なことだと、心のどこかでは理解しながら。
「ハー………目 ………ルン」
──たぶん、夢を見た。
不思議な夢だった。
星の彼方まで歩いて、宇宙空間にいる。
そして、その中にある宮殿を。
見つけて。
その、奥には。
「ぁ───があぁぁぁぁぁっ!!!」
全身が目だ。
見られる。孔が開いて?
いない。ちがう。そうじゃなくて。
でも、そう。それは目で
いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!!!
ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう
目じゃない。蛆で。ちがう、虫だ。否、眼球。燃えるような炎。水、風。そして。阻止てそしてそそしてその中にちがうがいいいいい!!!!
───嗤え。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
───聞こえないのか。
聞こえる。聞こえる!!ずっと。ずっと。あの
声 は ハーメ ルン
そう 大切な
でも、とけた、
消えてな く
滅ん が
庇わ れ
誰の?───俺の。
あぁ、そう。
あの
聴き 慣れた あの
そう。いまも、ずっと────
「………やっと、会えたね。親様」
ぁ─────
ギルガメッシュ王は言った。
『だから深入りするなと言ったのだ』と。
『あの目は、自らに価値を置いてなどいなかった。危機に瀕すれば、驚くほど素直に身を晒しただろう。………あんなものは、とうの昔に見飽きたというに』
『治療法?知らんな。……強いて言うなら、あれは
王は、そのあとは口を開かなかった。何度問いかけても、目すらくれない。
牧場主は言った。
『そう。やっぱりこうなったのね』と。
『クタの時、あの子、泣きながら走って行ったのよ。どこかで見たとは思ったんだけど……今考えたら、あれは───いえ。なんでもないわ。それよりマシュちゃん、ちょっと休んでいきなさいな。酷い顔よ』
しきりに休むよう促す大きな体は、ひどく寂しげに見えた。それが消滅した彼と、誰かを重ねていることは容易に想像がついた。
───偶然話を聞いた跡継ぎは、密かに泣いていたらしい。
それもこれも、どうでもいいことだ。
人通りの
「………先………パイ…………」
着いて、寝台を覗き込んで。
そのあどけない寝顔を見た途端、もうダメだとへたり込んだ。
「………先輩………マスター………ごめんなさい………ごめんなさい………!」
結局、得られたものなど何もなかった。
いたずらに絶望が広まって、何も変わっていないはずなのに、ただ状況は悪くなっていくような気がして。
ただ、胸の内に悔恨だけが渦巻く。
彼の手に嵌められているリングからも、応答はない。
大方、カルデアも同じ状態なのだろう。だから、連絡をとってくることもない。
どう動いても、どう足掻いても。彼を助ける手立ては見つからない。
無力感に押しつぶされる。
何が悪かったのか。何がいけないのか。
今までのことを振り返って、そう考えると。皮肉なことに、結論は容易に導かれた。
(あぁ、そっか。私、ずっと………先輩に頼りきりだったんだ───)
今までの特異点で、単独行動の機会などほとんどなかった。そも、自らのマスターのいない状況で何かができるわけがなかったのだ。
ずっと、ずっと。冬木でもオルレアンでも、セプテムでもオケアノスでもロンドンでも、アメリカでもキャメロットでも。
ずっと、傍には大切な人がいた。ずっと、勇気をくれていた。
きっと、藤丸立香という人間は、マシュがいなくても平気だ。
マシュがいなくても、きっと立ち上がれる。マシュがいなくても、きっと前へ進む。
彼はそういう人間だ。普通で、凡庸だけど。けれど、芯のある強さを持つ存在。
けれど。
マシュ・キリエライトには、藤丸立香が必要だった。
引っ張ってくれる人がいなければ、立ち上がることはできない。前にも進めない。武器だってとることができない。
ただ、それだけの話。
だから。
彼を失ってしまった時点で、マシュ・キリエライトという人間は、致命的な欠陥品と化してしまったのだ。
それは、構造上の致命的な欠陥。
マシュという人間を壊す、あまりにも脆いその一点。
藤丸立香という存在に、マシュはあまりにも依存しすぎた。彼を失えば、何をするにしても失敗してしまうほどの、失敗作に成り果てた。
「そっか。………じゃあ私、もう二度と、立てないんですね」
そう口に出して、自覚してしまえば、あとは早い。
ストン、と。全身から簡単に力が抜けた。
心が何かを叫んでいたが、どれもくだらないことのような気がした。
諦めて、体を寝台へと預ける。
そうして、大切な人の横で体を投げ出す。
少し優しい匂いに包まれて、そっと目を閉じよう。
(なんだ。諦めるって、こんなにも、簡単───)
一つ、疑問があった。
それは、ずっと口に出せなかった言葉。出してはいけなかった言葉。
「………先輩は、ハーメルン君の代わりに私が死んでも、こんな風になってくれたんでしょうか──」
微睡んだ頭で、自分が何を言っているのかもわからないまま。
そもそも、口に出したのだろうか。
また、意識が途切れる。
立ち上がることを忘れた体は、面白いほど簡単に時間を飛ばしていく。
(私は、先輩にとってなんだったんだろうな)
湧いて湧いて、とめどなく湧き上がってくる疑問。
自分は、こんなに悲しいけれど。
先輩は、一体どうなのだろうか。
(もし、わたしがしんだら)
もし、自分が彼と同じ状態になったとしたら。
(先輩は、かなしんでくれるのでしょうか)
あぁ、それは、なんて。
甘美で、辛くて、独善的な────
「………自惚れんな、です。小娘」
──
きっと、時間もわからなかったけれど。
明るかったから、きっと明け方なのだろう。
暁が照らすのは、白とも灰とも取れる布。
「あなた……………は…………」
「…………二人。……片や、死にかけ…………か。……………ギリギリ、許容範囲だ」
それは、いつか見た謎に満ち満ちた
それでも声色は、とても弱々しいもののように思えた。
一瞬だけマシュを見た
「……………………人類最後の、希望。………いなかったはずの、救世主」
不安と、恐怖と、よくわからない何かに震えた声で、
「……………あぁ、ウチは………てめぇを、恨むぜ、です」
個人的な解釈ですが。1部マシュって若干脆い気がするんですよね。大切な人の為に頑張って、たしかに強固な思いを背負っていますが。じゃあ先輩がいなくなるとって考えたら、まぁ脆い。守るべきものを失った盾のなんと薄いことか。
1部でリンボ的なマスター狙い撃ち野郎に会ってたら死んでたんじゃなかろうか。
諦めるのは簡単です。
やらなければならない大切なことがあるとき、横になって、力を抜いて、どうせどうにもならないと諦めてみましょう。
翌朝絶望します。