Belka - 1
この世に生まれた事そのものが罪だと言うのなら、
―――この世界は、どうしようもない程に呪われている。
この世は神によって創造されたと言われている。その神は人の世を生み出した時に、この世のすべてを祝福したとされている。だとすれば、その祝福こそがこの世にとっては呪いだったに違いない。そうでもなければこの世はこんなにも不完全で、そして絶望で溢れてなんかいないだろう。人の醜さと、世の中の酷さを覚えるのに長く生きる必要なんてない。少しでも世界という場所で生きた事のある人間であれば、
夢を忘れて絶望するには十分すぎる。
だからこそ溺れる。夢に溺れる。
最初から現実には期待なんてしていない。努力をするだけ無駄だ。最初から持たない者が努力をしたところでそれが認められることはない。積み上げて積み上げて積み上げても、それを認める社会が存在しない限りはどれだけ特別であっても、価値等ないのだから。
だから―――僕も、彼女も。正反対のようでまったく同じだった。
「あぁ……―――夢から覚めなきゃいいのに」
ここは夢の庭園。夢の中で目覚め、訪れられる夢の中にある深海庭園。空からは光が差し込まず、周囲には光源となる光るサンゴが生えている。色鮮やかな花々が咲き誇る深海の大地をそれらが照らし、そして静かに揺れる水流に乗って花弁が散って、消えて行く。息苦しさなんてものはなく、庭園の外には無限の闇が続いている。だが虚無にさえ通じているように感じられるその闇は、世界から隔離されているようで心に安心感を生んでいた。今、この場所では自分は世界と切り離されている。あの醜く、救いのない世界から切り離されている。どれだけ良い人たちがいても救われない場所に自分はいなく、
同じ傷を抱える僕と彼女しか存在しない。
朽ちた石柱を背に毎晩通り、二人で肩を寄せ合い庭園を穏やかに眺めている。
「でも、ほら。君が起きてくれないと私に色々と未来のあれこれ教えてくれる人がいないし……起きられないのはちょっと困るかな。私、君が持ってくる何でもない話が好きだよ?」
「……僕も、君がしてくれる昔の生活の話とか、おじいさんの武芸の話は好きだからやっぱり起きなきゃだめだよね」
本当は、そんな事よりも君と一緒に居るのが一番好き―――なんて言葉は、恥ずかしくて絶対に口にする事が出来ない。だけどこうやって肩を寄せ合って一緒に座っていると。頭を寄せ合って、寄りかかりながら座っていると。口にしなくても、そういう意思はお互いに伝わってくる気がする。だからその事を口にはしない。その代わりに、何でもない会話をする。何時もの様に、毎晩そうしているように。
二人だけの逢瀬を重ねる。
「あ、そうそう。お爺様から新しい秘伝を見せて貰ったよ。私に腕がないからって油断してるから褒めるとお爺様、いっぱい見せてくれるんだよね」
「そういう所、君は狡猾というか……」
「えー、そんなことないよ。この間なんてお姉さまが国を頂戴、ってパパにおねだりしてたし。お兄様は武勲が欲しいから戦争が欲しいって言ってたし」
「それは違うと思う」
おねだり……おねだり? その概念が崩れる。
「いいんだよ―――どうせベルカは滅びるんだから。君が覚えていてくれるなら盗んだだけの価値があるんじゃないかな。出来たらそれでかっこよく活躍してくれると嬉しいかな。その代わりに……」
「お話、だろ?」
「うん! 君が生きている時代では私の知らないお話がたくさんあるんだもん。もっともっと聞かせて欲しいかな」
そうだなぁ、どうしようか。その為に色々と本を読んだ。聞かせる物語はたくさんある。だけどそれを急いで語る必要はない。夢の中にある間は、こうやって現実の様に触れ合い、そして話し合えるのだから。とはいえ、これは夢だ。眠ってからたどり着ける夢の庭園。深海の庭園。
人の眠りは深く、そして落ちるもの。
その眠りを穏やかな海の様に例えられるのなら―――その深海で僕たちは会える。
だけど夢である。
だから、目覚めの時が来る。
「おやすみ、オリヴィエ」
「おやすみなさい、シド」
「―――いい加減起きなさいシド! いつまで寝ているつもり!」
「……はぃ……」
怒鳴りに近い声に上半身を持ち上げた。まだかなり眠いが、目が覚めてしまった。こうなると寝ようとしても無理矢理起こされてしまうから、もう眠れない。
また一日、現実で頑張る時間が始まる。
……頭が重い。
眠い。
何かを忘れていつも通りの一日に入る。着替えて、歯を磨いて、顔を洗って、朝食を食べる為に一階に降りる。ダイニングでは出来立ての朝食―――基本的なベルカ式モーニングセットが並んでいた。ライ麦パンにスクランブルエッグ、ハム、ドレッシング、フルーツに紅茶とヨーグルトにジャム、バターやスプレッドも並んでいる。自分の席に座るとスライスされてあるパンに手を伸ばし、スクランブルエッグとハムをパンに乗せて、ドレッシングなどをかけて自分の朝食を作る。ここでレタスとかを入れ忘れると母さんの顔が怖くなるから、入れるのを忘れない。
パンが硬いけど、ベルカではこの硬さが普通だ。ミッドチルダのパンはむしろ柔らかすぎる。グミでも食べているのかと思うぐらいに柔らかい。あっちのパンはちょっとなじめないかなぁ、なんてことを思う。パンはやはり硬くないと味がない。
「おはよ……」
パンを口にくわえたまま返答をする。そのせいか、あまり大きな声にならずに言葉が口の中でもごもごとする。
「おはようシド」
「やっと起きたわね、シドちゃん」
「……」
「まだ半分眠ってるな、これは」
父さんがなんか言っている。手をこっちに向かって振っているので、頭を動かして手を追いかける。それを見ていた父さんが笑い、母さんがミルクの入ったカップを持ってくる。パンをもしゃもしゃと口の中へと運んで食べ進めつつ、ミルクでのどの中へと流し込む。
「本当にこの子ったら朝はダメねー。やっぱりしっかり者のお嫁さんが必要よ、この子には」
「まだその話は早いだろう」
「いいえ、早いうちの方が良いに決まっているわ。もっと大きくなって変な付き合いを作る前にこういうのはちゃんと相手を用意してあげたほうがいいのよ」
「だからって許嫁をつけるのはどうかと思うんだがなぁ」
「良いじゃない。相手方も乗り気だし。相性も悪くないし」
「いや、それはそうなんだが―――と、もうこんな時間か」
むしゃむしゃと食べていると、父さんの大きな手が頭を撫でる感触がした。見上げれば父さんの手が頭を撫でていた。その感触に軽く目を細め、去った後にパンを食べるのに戻る。この歯ごたえがやっぱり好きだ。上に乗せるものは絶対にエッグとハム。この組み合わせは王道にして鉄板。デザート用のパンにはジャムを塗る。当然ブルーベリージャムだ。ここでストロベリージャムを取り出すクラウスとはこの点においては絶対に相容れないと思っている。
「……食べた」
「はいはい。ちょうど良い所に迎えも来たわね」
ピンポーン、と鳴るインターホンに迎えが来たことを知らせる。朝食を食べ終わって喉の奥に全部流し込んだら、立ち上がってのそのそと歩き出しながら、玄関のコートハンガーにひっかけてあるジャケットを手に取る。
「あぁ、もう、忘れてるわよ」
刀身の存在しない、柄だけのアームドデバイスを持ってきた母さんが、それをバッテリー替わりのカートリッジシェルと共に持ってきた。それを靴を履いている自分のジャケットのポケットに突っ込むと、先に扉の鍵を開けてしまう。未だにゆっくりと靴ひもを結んでいる姿に、開いた扉の向こうから声が聞こえてくる。
「おはようございますアリアさん。シドを迎えに来ました」
「どうせまだ寝ぼけているだろうから運びに来てやったぞ、感謝しろよ」
「あ、やっぱりまだ寝ぼけてるわ。靴紐結べてないやん」
「運べ運べ! 運んでいる間に終わるだろうし運ぶぞ!」
「おー!」
「ぬおー……」
靴紐を結んでいる途中で体が両側から支えられるように持ち上げられる。そのまま、腕を肩に通すように支えられて、家の外へと向かって引きずり出されるように運ばれて行く。背後からは母さんの声がする。
「それじゃあシドの事を頼んだわよ、ヴィクトーリアちゃん」
「お任せください、ちゃんとご飯の前には送りますので」
「完全に要介護者だなこいつ……」
「朝はほんとダメダメやからな」
手が靴紐に届かないなぁ、なんて考えながら視線を横に向ければ、見知った緑髪と黒髪の姿が見えた。その顔を見て、おぉ、と声を零す。いつの間に……ではない。先ほどうちまで迎えに来ていたではないか。
「お、クラウス。おはよ……ねっむ……ねる……」
「あぁ、そうだクラウスだぞ。貴様まだお眠か? んン? 面倒だしいっその事永眠させるかこいつ」
「これが噂のキレる若者やな……」
「公園につく頃には起きるでしょうから、それまでの我慢ですわ」
「自分の手で運んでから言え」
「え、重いから嫌です」
「この女……!」
「目が覚めた」
「漸くか貴様」
意識がはっきりと覚醒してきた。半ば無意識に朝のルーティーンをこなしていたが、何とか公園に到着したらしい。両手を持ち上げて背筋を伸ばしつつあくびを漏らしながら、目の前に見える緑髪の幼馴染クラウス。そして黒髪にツインテールに口調が特徴的な幼馴染のジークリンデ、そして金髪に言葉遣いが素で丁寧なヴィクトーリア。
自分を含め、一番よくつるんでいる4人が揃った。
「いやぁ、ごめんごめん。寝起きはどうしても弱くて……」
「弱いにもほどがあるだろうが貴様」
腕を組みながらクラウスが指摘することにグ、と声を零す。自覚はあるのだが、昔から寝起き回りは常にダメダメになってしまう。気合を入れればどうにかなる、とは言われているのだがその結果が今、半分眠っていても勝手に朝のルーティーンをこなすことになってしまった自分だ。改善の仕方が明らかにおかしい。
おかしいのだが……まぁ、それで日常生活できているし。
「問題ないんじゃない?」
「まぁ、治らないようでしたら面倒を見ればよい事ですから」
「ヴィクターは甘いなぁ」
腕を組んでそう言うヴィクトーリアに対してジークリンデは半分呆れたような、仕方がないものを見る様な視線を向けており、溜息を吐く。その姿を見てはいはい、と手を振る。
「はいはい、この話は終わり。それよりも集まったんだからいつも通り始めようよ」
「貴様が原因だぞ? いや……まぁ、面倒を見る筆頭候補がそれで良いのなら俺はこれ以上何も言わんぞ」
住宅街近くの公園は体を十分に動かせるように広くできている。足場がしっかりとした大地となっており、転べば擦り傷ぐらいはできるだろう。だけどそれは逆に足場としては非常に整っているという事でもあり、体を鍛える為に特に遊具も何もないこの公園を利用するご近所さんは多い。ジークリンデはジャージ姿といつも通りのトレーニングアウトフィットだし、ヴィクトーリアも長い髪を纏めて動きやすいジャージ姿だ。
そこら辺の恰好の一切頓着しないのが自分とクラウスの男子組であり、こうやって公園に来て体を動かしに来るときも大体普段着だ。女子連中は普段着が汚れるのが嫌らしい。そのあたりの感覚は男女の差、という奴らしいので良く解からない。良く解からないけど特に問題がある訳でもないからこれ以上追及する必要もない。
ともあれ、
いつも通りの4人。
いつも通り、代わり映えしない公園で、
いつも通り、将来の目標を目指して運動を始める。
……現代のベルカで、夢や目標と言えば
高貴な血筋には騎士団へと貢献する義務がある。
古い時代から続きその伝統はいまだに色褪せずに残っている。
故に僕たちも―――古い血筋を汲むものとして、それなりの強さと活躍が求められる。生まれが同じだった僕たちは自然と家の付き合いで仲良くなった。
「良し、とりあえず軽い柔軟から入るか」
「終わったら8kmぐらいジョギングやな?」
ジークリンデの正気を疑いそうな発言にすかさずヴィクトーリアが切り込む。
「初手からフルマラソン始めるのは正直どうかと思いますわよ」
が、それを受けてえー、とジークリンデが声を零す。
「これぐらいせーへんと準備運動にもならないやろ?」
「エレミア基準で語るの止めませんか?」
「なんならウチとシドだけでもえんやで」
「さらっと僕を混ぜるの止めない? いや、8kmぐらいなら余裕だけど」
「俺もそれぐらいなら付き合えるが、それで朝の時間を潰すのも阿呆だろ。せいぜい3周ぐらいに留めてから何時も通り組み手やら型の通しに入るのが良いだろう。今日は確か―――」
「はいはーい、うちのターンやで。殴って良し、切って良し、投げても放っても良しエレミアン・クラッツやな」
「うんじゃ、軽くウォーミングアップしよっか」
ここら辺は何時も通り流す。軽いストレッチで体を解したら、公園のトラックを借りて軽いジョギングペースで5周する。ベルカ人は、純粋なミッドチルダ人と比べると身体能力が高くなっている。それは勿論、体力も含まれる。そのおかげで5周ぐらい走った程度では息切れすら起こさない。この中で一番体が未熟だと言えるヴィクトーリアでも、この程度なら簡単にこなせる。
そうやって事前の運動を終わらせたら、今度は本格的な訓練に入る。
今日はジークリンデが教導役になる。毎回、この役割は何度かやってから交代している。今回はジークリンデだが、前回はクラウスだ。クラウスが教導役だった時は、クラウスが納めている武芸、覇王流を教導して貰っている。一撃一撃の破壊力を重視した、殺傷ではなく破壊特化の武芸である覇王流の肝は重心の移動と、力を体を通して練り上げる事だ。その為、クラウスが教導するときは大体体術や呼吸の話になる。前回は地の蹴り方、移動を通して力を溜める方法、力を溜めたまま動く事などを教えて貰った。
「んじゃ今週はうちの出番ってことやし、クラウスのに続いて体術……というか歩法の話をするで。体幹はどーしてもブレがちやしな。ここしっかりと抑えておくだけで力の入り方違うし。ちゅーわけで、体をブラさずに殴ったり蹴ったりするコツを練習するで」
当然の様に武芸の指南、体術等の魔法を使わない技術の教導に入ろうとするジークリンデを見て、なぁ、と声を零す。零した声に反応し、ジークリンデが視線を向けてくる。
「なんよ?」
「いや、僕に遠慮して―――」
「魔法は別に、デバイスと術さえそろえばそれで練習もくそもないんやで。魔法はデバイスが向上すれば練習をある程度減らせるけど、武芸と体術は何千回、何万回、何億繰り返しても終わりがないんや。だったらこっちに振れる方が有益やで。だから遠慮とかないから。おーけー?」
「おーけー」
「じゃ、バカが納得したところでエレミアの奥義を奪うぞ。早く俺の強さへ貢献しろ」
「自分勝手やなこいつ! いや、このぐらいなら別にええんやけども」
「クラウスは常にこんな感じですわよね……」
横暴というか、暴君的というか。クラウスは昔からこんな感じだった。自分の行う事に間違いはないともって、胸を張って生きている。そんな幼馴染の強さが羨ましかった。自分に対して自分を誇れる姿が、どうしようもなく格好良く見えた。心も、体も強い幼馴染。
そこに嫉妬を感じないと言えば―――嘘になる。
だから努力しなくてはならない。
それが、たとえ意味のない事でもない。
努力をやめる事は許されない。
これは生まれた以上、自分に課せられた義務である。だから両手で頬を叩き、完全に意識を覚醒させて脳のスイッチを切り替える。良し、と呟きジークリンデへと向き直り。
「よろしくジーク!」
ジークリンデに軽く頭を下げて、本日の教導を頼む。この幼馴染たちは、自分よりもはるかに優れていて優しい人たちだ。だからこそ努力しなくてはならないのだ。たとえ自分の努力が絶対に報われないのだと解っていても、
努力をしない人間に居場所なんてものはないから。
そうやって、このベルカでは日常が過ぎ去って行く。
過去という犠牲を経る事で物語を積み重ねて現在が生まれる。そう、自分という人間は常に誰かの恵みと犠牲の上で成立している。その事実を絶対に忘れてはならないのだ。誰かが頑張って生み出したこの世の中に―――いや、オリヴィエが命と引き換えに生み出した過去が自分という未来を生み出しているのだ。だとすれば、だからこそ、だれよりも、普通に。そして誰よりも、真面目に。誰よりも―――誰よりも、努力しなくてはいけない。
彼女がどういう人物かを知っているから。
彼女が何を想っているのかを知っているから。
彼女が絶対に救われないという事を知ってしまったから。
彼女が救われないという事実を理解しているから。
彼女は―――まだ、9歳で。それで死ぬことを覚悟した。
だから彼女の覚悟に殉じなくてはならない。彼女が未来を知ってそれを生み出す為にこの先の未来を生きる事に決めたのであれば。彼女が生み出した明日にだれよりも、その事実を知っている自分が生きなくてはならない。真面目に。それが、彼女の答えに対して真摯に生きるという事だろうから。
そうだ。
この―――無能者にとっては、
シド・カルマギアにとっては。
だが何がどうあれ、努力をするしかない。
努力をせずに生きるのはクズの所業だ。それに耐えられるほどの神経はなく、突き抜けてもいない。
まだ心が未熟な少年にできるのは―――現実逃避と無意味な努力の積み重ねでしかない。
シド・カルマギア、9歳。
全ての始まりとなる冬がやってきた。
これからの人生を変える冬が、
世界の
Break that timeを非公開にした理由はこちら、リメイクの始動が理由ですのよ。まぁ、こっちは大体数日~週1ペースで更新予定ですけども。
と言う訳でもろもろ、スタート地点、能力、シナリオ、敵、味方、登場人物。コンセプトはそのままにほぼ中身は別物となって再スタートですのよ。