―――朝早く、ハイディ・E・S・イングヴァルトは起き上がった。
その目的は一つだった。
ヴィヴィオが住んでいる―――或いは、囚われているとも表現できる聖王教会の住居。そこにハイディは親元を離れて暮らし、ヴィヴィオの世話をしながら生活している。それはハイディという少女が今もなお続くイングヴァルト家の血を引いている事に意味があり、現代ベルカに残された残り僅かな王家の血筋の一人だからになる。この現代ベルカにおいて、聖王家の血が最も尊いのは確かだ。だがそれにわずかに劣るというレベルで、イングヴァルト家の血もまた重要な意味を持っていた。その為、ヴィヴィオの傍役としてハイディは送り込まれており、一緒の生活を許されていた。それは数多くのヴィヴィオというずぼらでいい加減な生物を知らないベルカの民からすれば、物凄い羨ましい話になる。
ただその生態に関しては、もはや言葉にする程もなく酷い。
ハイディが記憶しているだけでも食べっぱなし、脱ぎっぱなし、全裸徘徊、全裸で出かけようとする、金を近衛からパクろうとする等とやらかしてきた事にキリがない。これが世間では神秘のベールに包まれている現代聖王の正体なのだからまるで救いがない。しかも当番の近衛騎士によってはそのままヴィヴィオと意気投合して聖王教会から脱走する時までさえもある。聖王教会の指揮系統から完全に外れ、ヴィヴィオ直轄の騎士というだけはあった。
ただ、その日常生活的な世話はハイディの仕事だ。
無論、食事なんかはハイディが作れる訳ではない。練習中ではあるが、まだ少女だ。そこはまだ至らない所である。だがそれを受け取って毒見し、ヴィヴィオと一緒に食べる事が出来るのは、日常的にはハイディのみになる。
その為、家の中での行動をとがめられる存在は居ない。
そんな朝、昨晩の大暴れの末に爆睡しているヴィヴィオの寝室へとハイディが強襲する。
音と気配を完全に遮断して侵入する室内。
ベッドの上ではヴィヴィオとシドの二人が並んで転がって眠っている。シドとヴィヴィオ、この二人が揃ってシドが眠る時、常に一緒に眠る事をハイディは知っていた。この二人は本当の意味での兄妹ではない。だがヴィヴィオは同じ王の血が流れるシドを兄と慕っている。それをハイディは前、ヴィヴィオから本能的な物だと説明を受けていた。だからきっと、こうやって二人が並んで眠る事もきっとその本能的な部分なのだと思っていた。
ただ、そこは正直どうでもいい。
いや、どうでも良くはないのだがどうでもいい。
今、ハイディという少女には別の目的があった。完全に音と気配を殺して侵入した寝室、これがハイディ以外の人物であれば既に察知済みの近衛に叩きのめされているフェイズだったが、ハイディの事を知る者達は揃えて言うだろう。
―――あぁ、発作か……。
「ふ、ふ、ふ―――普段はヴィクトーリアさんなどに邪魔されてしまいますからね」
ハイディは怪しげな笑みを浮かべてそう言うと、ベッドの真横まで、シドとヴィヴィオが見下ろせる位置まで移動すると、
腕を交差させた。
そしてその袖からスライドするように出現するのは、
―――歯ブラシと歯磨き粉であった。
いや、それだけじゃない。ネイルカッター、ヘアブラシ、コーム、洗顔料。ありとあらゆる朝のお手入れセットが一瞬でハイディの手の内に出現し、それを指の間で構えるように握りしめていた。
「えぇ。普段はここら辺の役得をヴィクトーリアさんに奪われてますから。えぇ。ですが今は居ませんし。普段とは勝手の違う場所と朝ですからね。えぇ。一人じゃ朝はダメダメですもんねシドさんは。えぇ、えぇ。……ふっふっふ―――」
起きる気配のないヴィヴィオとシド。ハイディという刺客に対して、完全に心を許している二人はその脅威に対して目覚める様な気配を欠片も見せず、
今、ハイディの魔の手が二人にかかった―――!
「アインハルトちゃんってばさ。時々ぶっ壊れるよね」
「はぁ―――満足しました」
意識が完全に覚醒する頃には歯も顔も髪もネイルも全部丁寧にケアされた完璧な状態で朝食まで並べられて目覚めた。しかも寝覚めもすっきりしていて、後に残るような眠気がない。完全完璧に介護された目覚めだった。完全と言わざるを得ないハイディの仕事にはもはや感服の念しか出ず、君は一体どこへと向かっているんだ……? と言いたくなるような素晴らしい仕事をしてくれた。いや、実際凄くいい仕事をしてくれたのだが。
ハイディは時々こういう所ある。
お世話したくてしたくてしょうがなくなるところが。
本人からしても発作的な物なのでどうしようもないらしい。クラウスもこの件に関しては完全に匙をこっちへと向けて投げ捨ててきている。だからハイディの発作に巻き込まれるのは自分と、そして一緒に暮らしているヴィヴィオだけだ。実の妹に世話を焼かれることの何が楽しいのだ、とはクラウスの言葉だったか。
自分の場合は意識が落ちている間に全部終わるので何も言えない。
それはともあれ、ヴィヴィオの所へと来て食べる朝食は普段よりも豪華だ。
家で食べる朝食は基本的にパンの上に色々と具材を盛って、それを食べるというシンプルなスタイルだ。だがこれがベルカでは一般的な朝食の姿だ。ここに大体ハムやソーセージ、スクランブルエッグ、サラダやチーズ、家庭によってはフルーツを盛ったりする。ここもまた家によって変わるのだが、ここに紅茶かコーヒーを加える事でベルカの朝食は完成される。だがこれは一般家庭であり、裕福な所やこういう特別な場所だともう少し、豪華だ。
まぁ、基本的な方向性は変わらないのだが。だが用意された具がワンランク上のものになったり、パンに盛るスタイルではなくミッドスタイル・ブレクファーストみたいに皿に盛られた朝食を食べるのが基本になる食べ方も大きく変わって、パンに具材を盛るのは変わらないが、それを皿の上に置いたまま、皿の上のパンに盛って、その上でフォークとナイフでそれを切り分けつつ食べるというスタイルになる。
この違いはなにか? となると貴族階級と労働階級の朝の違いである。素早く食べる事を目的とする労働階級に対して、所作の品等を求められる貴族は指を使わずにカトラリーで食べる事が求められた。
食べるものにそう大きな違いがないのは、主食に変化がないからだ。ベルカは基本的に内陸なので魚の類はあまり食べられないので、農耕と畜産で食事を賄っていた。
そんなわけで支配階級の朝食は普段家で食べているスタイルとは違う。
だからこんな上品な朝食を食べるのは、聖王教会に来た時か、或いはヴィクターの家に泊まった時ぐらいだろう。
ただ、ヴィヴィオ本人は余裕で手で掴んで食べている。
残念王の名は伊達じゃなかった。
「まぁ、ハイディの趣味? に関しては今更だし」
「趣味ってかアレは性癖だよ性癖。明らかにはぁはぁ言ってるし。実害はないどころか滅茶苦茶便利だし気持ちが良いから放置してるけど考えてみると結構やばいよなアレ」
「やばくないですよ。ただヴィヴィオさんとシドさんがこう―――」
ハイディが両手でろくろを回すジェスチャーを取る。
「全然ダメで―――こう―――できなくて―――下手で―――こう―――こう―――そう、お世話しなくてはならないって衝動が胸の内から高まってくるんです」
「ごめん、何も伝わってこない」
「業か何か背負わされているの? ただの限界オタクじゃんこんなの。でもハイディちゃんかわいいし許す!!」
「ふふ、許されました」
許すも何もないと思うのだが、ヴィヴィオとハイディが楽しそうなのでそれで良いとする。昨晩は夢見が―――オリヴィエとの逢瀬も楽しかったし、今朝は気分が良いのはこの二人だけではなかった。朝食を口へと運びながらうーむ、と唸る。
「今日はどうしよっかなぁ……昨日鍛錬しなかったし、流石に今日は動かさないとダメだなぁ」
1日遊んですごしちゃったしなぁ、と呟くとヴィヴィオが反応した。
「じゃあここで動かそうぜ! 兄貴の親父を呼んでさ、うちの騎士も働かせられるし。んでそのまま今夜も兄貴は泊って行けよ。また一晩この美少女と過ごそうぜー」
「いや、明日は学校あるから流石に家に帰らなきゃだめだよ」
流石に今日も泊っていくと流石に明日、学校行くのが大変になる。いや、ここに着替えなどの必要なものは全部そろっていて、意図は読めるのだが。それに素直に乗っかる程バカじゃない。そしてそれに乗っかる程覚悟がある訳でもない。
今はこの微妙な立場が心地良いのもある。
だけど単純に、自分の根性がないだけだ。
「じゃあ体こっちで動かしていこうぜー。なーなー。兄貴いいよなぁ、なぁー」
「解った、解ったよ……別にここでもそれは問題ないし」
「やったー! 近衛の連中サンドバッグにできる!」
いったい何がヴィヴィオをそういう行動へと突き進ませるのだろうか―――いや、まぁ、近衛騎士は本当に強い。ベルカ全土を通して最高戦力と言えるレベルで強い。誰がナンバーワンというのは解らないのだが、それでもそのトップ層に食い込んでいるような人たちだ。一緒に鍛錬する事が出来れば自分もまだまだ強くなれるよなぁ、と思いながら朝食を食べ続ける。
流石丁寧に作られているだけあって、本当に美味しい。料理に使われている素材の一つ一つの質が一般の家庭で手に入るものとは違う。ヴィヴィオという現代に蘇ってしまった聖王の口の中に入れる物なのだから当然と言えば当然なのだが。
ただ、血が流れているというだけでここまでの扱いと神格化を受ける事実は、恐怖さえも感じる。
本当はどういう人物なのかは誰も興味を持たない。自分がどう思っているのか。自分がどういう風に見ているのか。みんなでどういう風に認識しているのか。それがすべてになってくる。
正直、ヴィヴィオに同情していないと言えばウソになる。現代において誰よりも彼女に似ている―――その系譜の血を継ぎ、そして
オリヴィエの結末と、そして彼女がどういう風に思っているのか。どういう風に日常を過ごしているのか、それを今、この世で知っているのは自分だけだ。親には構われず、兄姉からは政治にも使えないと無視され、使用人からは忌避されている彼女の存在を知っているのは―――自分、だけだ。
それを知って、ヴィヴィオを見て、
やっぱり、色々と心配になる。放っておけない気持ちがある。だからと言って自分が何かできる訳でもない。できる事と言えばこうやって一緒にヴィヴィオと遊んだり、素の彼女と接する事だけだろう。自分にはヴィヴィオをこの鳥籠から連れ出すような力も、それだけの意思力もない。
だから、これができる自分の限界だ。
「……どうしたんだ兄貴?」
ヴィヴィオがほっぺにスクランブルエッグの破片をつけながらこっちに笑みを向けている。その顔をハイディが一瞬の隙も見逃さずふき取った。
「まさか……俺の艶姿に惚れちまった―――!?」
「ヴィヴィオさん、寝言は寝ている間に言うものですよ。起きている間に言ったら発狂しているだけです。おや、発狂ですかヴィヴィオさん? 良い精神科医を紹介しますよ。この間愚兄を紹介した場所なのですが……いえ、紹介と言うか”愚兄、ここに美人女医がいますよ”と騙して送った場所なんですが」
「アインハルトちゃんスロットル全開だなぁ! え? もしかして威嚇してるの? え、してるの? 我主ぞ? 主ぞ? お? 逆らうんか? うん? 聖王特権発動ぉ―――!」
「えーと、猊下の電話番号、電話番号……」
「やめてくださいしんでしまいます」
ハイディの横で表示されるホロウィンドウが白目ダブルピースを決めている老人の顔写真が電話番号に紐づけて登録されているが、それがどこかで見た事のある教皇の顔と非常に良く似ている気もするのだが―――まぁ、そこら辺は気にしないでおく。普段テレビで見せる威厳はどこへと消えたのだろうか。
「ずるいだろ! それはずるいだろう!!」
「いいですか、ヴィヴィオさん。権力は常に上を行く権力に弱いんです」
「じゃあトップ権力者は?」
「クーデター」
「手段が物理的すぎる」
「誰だって弱いよそんなの」
「安心してください。ヴィヴィオさんもシドさんも、古代ベルカされて家をなくしたら私が責任もって最後までお世話しますから」
「古代ベルカを動詞にするの止めない?」
今朝のハイディのキレッキレっぷりは、心行くまでお世話ができたからだろうか……? そんなことを考えながら朝食を終えた。
また一日、騒がしい日が始まりそうだった。
ヴィヴィオとハイディを会話させてるだけで楽しいな……。カルマギア家の重要性というか役回りに関するお話はそのうち。ちょっと早めにツイッターで流したりもするけど。
それはそれとしてベルカにまともな人間はいないのか??