小汚い車に揺られ、早二時間となる。
窓から見える風景も未だ変わらず、ただただ1面の雪景色が映るのみだ。
それだけで趣深いと言う者もいるだろうが、生憎戦うことしか許されなかった人生だったため、そんな感性はこれっぽっちも持ち合わせてなんかいない。
なので、2時間も同じ風景を見せられているとどうしても変化を得ようとするのは仕方の無いことだ。
だから今もこう窓ガラスに吐息を吹き掛け、出てきた霜を拭き取ることで絵を描くなんて子供じみたことをしてしまうのだ。
ただ、それにも飽きてきたのでしばしば運転手に問いかける。
「まだなのか?こんな悪走路がまだ続くなんて頼むから言わないでくれよ……」
実は、移動時間は長いと聞いていたので、暇つぶし用の書物持ってきたが、あまりにも車が揺れる為に外の景色を見ないとやっていられない状況だったのだ。
だが、運転手はそんな言葉に対して辛辣な物言いをする。
「お客さん……言ったでしょう。長く辛い度になるので支度はしっかりしといてくださいねって。少なくともあと2時間はかかりますよ」
本当にそれが客を持て成す態度か?
大体、そんな辛いだのなんだのという事を真に受ける人がこの世にどれくらいいるんだ、そもそもどんな支度をすればいいのだ、など様々な思いが駆け巡ったが、敢えて口には出さない。
争い事は避けたいので、出かけた小言を心に留める。
そしてため息を吐き、何も変わらない雪模様を見ながら何故こんな事になってしまった原因を思い出す。
『ある女を殺してほしい。達成することが出来れば、借金は帳消し。自らを省み、罪を洗い流すチャンスだ。どうだ?』
ある日、事務所に見覚えのない白人男性がやって来た。
そして、その男が持ち込んだのはまるで一貫性のない理由での唐突な依頼。
この類の仕事をしていると怪しさ全開の仕事が舞い込んでくることはそう珍しくない。
女一人を殺すだけで借金は帳消しになる。
まさにその依頼内容は怪しさが匂う仕事であった。
その怪しさの上に、自分の借金について触れられた俺は「お前と俺の借金になんの関係がある?」と声を荒らげて追い払おうとしたが、男はその雰囲気を察したのか直ぐに口を開く。
『私は、君が借金してる相手のオーナーみたいな存在でね。君の借金なぞ私の力で無くしてしまうことなんて造作もない。たが、額も額だ。無くしてもいいが、それなりの対価を払ってもらいたい。その対価が「ある女を殺す事」なんだ。いいか?』
「待て、何故俺にその話をもちかける?他にも借金してる奴なんて幾らでもいるだろう?それとも妙な企みでもあるのか?」
妙な話だ。
確かに俺の殺しの腕は1級品だったのかもしれないが、それはあくまで10年前の話だ。
言い方はアレだが今は酒とギャンブルに溺れたただの使い物にならないゴミ。
社会不適合者の鑑みたいな存在だ。
殺しを頼むなら今の俺より使い物になる者があの賭博場にはごまんといるいたはず。
言わんとすることを理解して、男は口を開く。
『君にはあの場に居た者たちの中で唯一持っているものがある。それが何かわかるか?イーライ』
あいつらにあって俺にだけある物……?
分からない様子の俺を見て薄ら笑いを浮かべる。
『それはな、深い「後悔」だよ。他のものに罪はあっても後悔の念は無い者ばかりだ。君はあの十年前からずっと救いを求めている。誰かから赦されたがっている。誰かから罰されたがっている。自分でもわかっているだろう?罪を背負者は赦されるために何でもするものだ。そうだろう?英雄さん』
後悔。
英雄。
何の事を言ってるのかが分からない訳では無い。
十中八九サンフランシスコの戦いでのことだろう。
俺、イーライ・ターナーは10年前にアメリカ合衆国内の黒人の人権を巡る内戦の中でも最大の戦い、サンフランシスコの戦いで最も敵を殺し、その戦いの勝利の立役者となった。
その結果戦争終結後は英雄として扱われた。
だが、実際自分のした事といえば、投降の意志を示している兵士や、一般市民までもを拷問に掛け、惨たらしく殺し、大事な人を殺しただけだ。
偽りの英雄として表舞台にたちつづけようとしたがやがては嘘にも限界が来る。
俺は公の場から消えた。
罪を背負い続けて生きることを選んだ。
しかし、真っ当に生きようと市民専門の傭兵を仕事として生計を立てようとしたが、あのの光景が脳裏に焼き付いて忘れることは出来そうになかった。
毎晩毎晩悪夢に悩まされ、挙句の果てには、それから逃げるために酒、ギャンブル、更には薬にまで手を出した次第だ。
抵抗出来ない敵兵士を拷問した時に飛び散った血の温かさと肉を裂く感覚、口に入った鉄の味、女子供の劈く悲鳴。
そして、大事な人の死にゆく姿。
その全てが五感を支配し、俺を罪の十字架へと磔にし、まるで罪人が罪から逃げられないよう見えない何かに縛りつけられることとなった。
そして俺は堕落した日々を送り続けることとなる。
死ぬまで罪を背負い続ける覚悟でいた。
この男が来るまでは。
「俺は決して赦されない存在。一生この罪は負って生きていかなきゃいけないんだよ。赦されようとなんかしていない。そもそも、この女を殺すことで罪を償う?人を殺して罪を償えるって?そりゃあ神も寛大だもんなぁ!きっと赦してくれるんだろう!だがな、俺はそんな物にこれっぽっちも興味なんてない。これは俺の問題だ。借金も自分でキッチリ返すから、今すぐ帰ってくれ」
思わず声を荒らげてしまったが、事実、人を殺して赦されるなんて馬鹿げた発想、ソ連でもしない。
……そもそも、そんなことで俺の罪は浄化されて良いものじゃない。
一生十字架を背負って生きていかなければならないんだよ。
俺は許されたらいけない……。
『君は何か勘違いしているね。君の問題?それは合っているのだろう。罪を背負っているんじゃない。罪に追いかけられているのだろう?君は赦されないんじゃない。自分で自分に重りを括りつけて、自ら海へと飛び込んでいるのだ。勝手に罪は赦されないと決めつけ、向き合うことを恐れている。本当は望んでいるのだろう?罰してくれる存在を。自らを糾弾する存在を。……赦されない存在などいない。神は全てを赦してくれる。君は自ずと赦されることを拒んでいる。いや、恐れているのだ』
「…………」
『私は神意の代行者、シャングリラ大教会の司教。私の名において汝の罪が赦されるチャンスを与えよう。今こそ己が罪を浄化するのだ』
「……神の使いが殺しのお遣いを頼むかね」
『これは神の意思ではなく、君に対する罰だ。罰は神ではなく私が決める。で、どうする?恐らく最初で最後のチャンスだ。君も借金を返済し、罰を受け自らを赦し、生まれ変わりたいだろう?』
神意の代行者とか言っときながら、罰は私が決めるとかこいつが1番色々と不遜なやつではないか?
「…俺は赦されたい訳じゃない。それだけは言っておく。………、内容を聞いて決めよう。その女はどこにいる?家柄は?物資は?」
『内容についても、君が承諾したら女の写真、情報、居場所の乗っている地図、武器、弾丸は送ろう。悪いがこの依頼はかなりの機密性を保持しているのでね』
「その女を殺す理由は?私怨か?」
『そんな下らぬ理由で我が汝に依頼するわけがなかろう。理由は知らなくて良い。どうだ?引き受けるか?』
「……俺なら必ず遂行できると?」
『先程も言ったが、人は赦されたいと思うならば許されるために如何なる事もしてしまう愚かな生き物なのだよ。私も含めな。君が1番わかっているはずだ。だからこそ私は君を選んだ。……だが、もしそう出なかったとしても、借金が1度の仕事で返せるのだぞ?そろそろ行かねいけない、早く決めてくれ』
一面の白は未た変化せずに、寧ろ白さを増してきているようにも思える。
その白はまるで俺とは対照的な白であった。
だから、この光景から早く開放されたいのかもしれない。
「罪は必ず赦される、か。バカバカしい」
上手く口車に乗らされた形になるが、あくまでも借金返済を目的に今回の依頼を受けた。
確かに自分の借金は多額であったので、それを一括で無くしてくれると言うのなら、ここまで割のいい仕事は二度と来ないだろう。
受けないのは損だ。
赦されたいだなんて感情はこれっぽっちもない。
俺は自分の罪は一生背負うつもりだ。
罰?
赦し?
そんなのは必要ない。
"ありがとうって意味よ"
俺は自分で生き方は決める。
白人の男から送られてきた小さなポーチからターゲットの女の写真を取り出す。
歳は18ぐらいであろう若い少女。
平均的な身長、健康的な白い肌に、深い青い瞳を持つ美しい少女。
きっと彼女は、誰かと結婚して、何気ない幸せをいつか掴むはずであっただろう。
"君は優しいね"
だが、俺には関係ない。
殺しの対象でしかない。
彼女がどんな人であろうと関係はない。
俺は借金を返し、自分を1から立て直す。
誰も聞く人はいないのに、誰かに言い聞かせるように、或いは言い訳をするかのように心の中で呟く。
"これ以上罪を重ねてどうするの?"
「……」
"人殺し……"
頭を降って思考を止める。
依頼をこなす為には思考がクリアでないといけない。
余計な考えはナシだ。
そう思うことが最早余計な考えなのだが。
思わず深くため息を吐く。
それは白く、すぐに俺をせせら笑うかのように消えていった。
まるで、自分が更に黒く染められているように感じた。