「ただいまー」
玄関にみしらぬ靴。滋悟郎の客はよく来ている。柔は挨拶だけして部屋に籠るのだが、最近は一緒にどうかと言われて困ることがある。話すことなんて特にないのに。それよりも今は耕作と話がしたい。心のもやもやとどうにかしたい。気持ちを口に出さないでいたことで、傷つけた人もいた。気持ち悪いことを抱えたまま過ごすのは自分にもよくない。だから柔はここ数日、何度か電話を掛けているが耕作は忙しいのか全く電話に出ない。時間帯が悪いかもしれないと思ったので、今日はお昼ごろにも掛けたがやっぱり出ない。不安は募るがどうしようもない。一応と思って玄関のそばにある電話の受話器を取って、電話をしてみる。
やっぱりでない。ため息をついて受話器を降ろす。
廊下の向こうから笑い声が聞こえた。滋悟郎が上機嫌でいるのが伺えた。柔道関係者がやっぱり来てるんだと、またため息をつく。手に持っているケーキを見て、お客さん用じゃないのになと思いながら居間の障子を開ける。作り笑い全開で柔はあいさつした。
「こんにち……え?」
こたつでくつろいでいたのは、予想もしない人物だった。
「ま、松田さん!?」
耕作は笑顔で何でもないことのように言った。
「おかえり、柔さん」
「なんで……?」
立ち尽くす柔をよそに玉緒はこたつから立ち上がる。
「お義父さん、そろそろ源さんのところに行く時間じゃないですか?」
「おーそうぢゃったの。日刊エヴリーよ、今度はちゃんと連絡入れてくるんぢゃぞ」
「はい、すみません」
バタバタと出ていく滋悟郎。そう言えば、何か集まりがあるとか言っていたのを思い出す。
「さて、あたしもお買い物に行ってくるわね」
「お、お母さん……」
玉緒はすれ違いざまに柔にウインクする。気を使わせてしまったようだ。
「柔さん? こたつはいらないの?」
コートを脱いでとりあえず横に置いて、柔は耕作の座る斜めの席に座る。暖かいこたつに足を入れると、冷え切っていた足がじんわり温かくなる。
「どこか行ってたの?」
「ええ、ちょっとケーキを食べに……って、松田さんこそどうしてここにいるんですか!? あたしずっと電話してたんですよ。全然でないからてっきりお仕事で留守にしてるんだとばかり思ってました」
「ご、ごめん。仕事で留守っていうのは間違いじゃないよ。仕事で日本に帰って来たんだ。かなり急なことだったから連絡できなかったんだ。ごめん」
「……いつまでいられんですか?」
むくれた顔で柔は聞く。
「明日の便でNYに戻るよ」
「そんな! もっとゆっくり出来ないんですか?」
「来週の日曜にはスーパーボウルがあってアトランタに取材に行かなきゃ行けなくて……」
「そうですか……お仕事なら仕方ないですね」
柔は笑顔で言う。でも耕作にはその表情が無理して作っているものだとすぐにわかった。
「何かあったのか? 電話でも様子がおかしかった。今もそうだ」
作り笑いが固まる。耕作の目は真っ直ぐ柔を見ていた。
「わかるんですか? 離れてるのに。見えないのに」
「それくらいはわかるよ。何年君を見て来たと思うんだ。俺は6年も君を追い続けてたんだ」
言いたいことを言えばいいだけ。それだけなのに口が重い。言葉を飲み込む癖がここに来て障害となる。
「玉緒さんのことじゃないんだろう。見た所、もうお元気そうだった。柔道のことか? 仕事か? 友達の事か?」
首を振る。どうして自分のことだと思わないのだろうか。
「去年、風祭さんに会いました」
「へ? 風祭?」
不意に出たその名前に、耕作は僅かに動揺を見せた。まさかここでその名前を聞くとは思わなかった。