「お泊りセットのあの時ですね」
「やっぱり覚えてたんだ」
「当然じゃないですか。あの時あたし、本当に失望しました」
「え?」
「だって、邦子さんがくる直前まであたしと楽しくお話してて、しかも泊まっていくかなんて真剣な顔で言ったのに、邦子さんは当たり前のようにお泊りセット持って来てたんですよ。松田さんって何考えてるんだろうって思いました」
「正直あれには俺もまいったよ。あのタイミングであんなもの持ってくるなんて。ちなみにあのバッグの中は、スポーツジムのタオルとか着替えとかって言ってたな」
「聞いたんですか?」
「加賀くんが言ったんだよ。君が驚いて苦笑いで帰ったことにいいわけするように。加賀くんとしてはからかっただけのようだけど」
「からかいにしても強烈でした。あの頃、あたしは松田さんと邦子さんは付き合ってるんだと思ってたので」
「なんで、そんな誤解を」
「そう聞いてたので」
「誰に?」
「…………言いたくありません」
耕作には察しがついていた。邦子がそう柔に吹き込んでいたのだ。
「なんか、色々気づけなくてごめん。柔さん、辛かっただろう」
頷く柔。泣きそうだけど、堪えた。今泣くと、とめどなく甘えてしまいそうだ。
「でも、もう大丈夫です」
「そうか……ん? なんか忘れてるような気がするな」
「あ! ケーキ!」
折角買ってきたケーキをほったらかして話に夢中になっていた。幸いにも縁側の冷えた場所に置いていたので、クリームが溶けたりすることはなかった。
「松田さん、ケーキ食べます?」
「あ、いいのかい? 俺、突然来ちゃったから数合わなくなるんじゃ」
「おじいちゃん用に二個買ってるんで大丈夫です」
「じゃあ、いただこうかな」
「待っててください。コーヒーも淹れますね」
台所に向かう柔を見て耕作はホッとした。最初の話から飛び回って上手く着地したような気がするが、何か忘れているような気がしてならない。
「あ! 風祭だ」
柔にジェシーのことを教えた風祭が何でそんな意地悪をしたのか考えていたんだ。その流れでプロポーズだの、誘拐監禁だのと話が逸れに逸れてなんかケーキ食べる流れになった。でも、風祭の行動の理由を耕作は何となくわかった。
「フラれた腹いせか……」
「なんですか?」
「いや、何でもないよ」
そう思えば風祭も可愛い奴だと思える。それにあの日のバルセロナは雨で、後から知った話だがさやかとの披露宴に遅刻した上に、びしょ濡れだったという。その時は逃げ切れなくて捕まったのかと思ったが、それ以上の深い悲しみを抱えての披露宴だったわけだ。今まで遊んでたツケが返って来ただけのことだ。
「何か楽しいことでもあったんですか?」
「え?」
「顔が笑ってますよ」
「いや、美味しそうなケーキだなって思って」
「そうでしょう。かおりに教えて貰って行ってきたんです。ちょっと遠いんですけど、行く価値はありますよ。『エトワール』ってお店なんですけどね」
「へー、星か」
「よく知ってますね。フランス語ですよ」
「前に聞いたことあって」
「そうなんですね。あ、チョコでいいですか?」
「何でもいいよ」
「じゃあ、チョコで。あ、日本に来るって知ってたらヴァレンタインチョコ、用意したのに」
「これでいいよ」
「ダメです。また何か送ります。楽しみにしててください」
「そっか……じゃあ、楽しみにしてるよ」
柔はチョコケーキを皿に置いて、残りは冷蔵庫に入れた。そしてコーヒーを持って戻ってきた。こたつに座る時、耕作は柔の胸元に光るものを見つける。
「それ、つけてくれてるんだ」
「え? あ、はい。いつもつけてますよ。ありがとうございます」
「もう、迷いはないのかい?」
「え?」
「それ、買うかどうか悩んでて結局買わなかっただろう。まだ自分には早いって」
一昨年のクリスマスの翌日に、二人でNYの店を回っていた時に柔が見つけたペンダントを耕作は覚えていてホワイトデーに贈ってくれたのだ。些細なことを覚えていてくれることに柔はとても嬉しく感じたのと覚えている。
「松田さんが贈ってくれたってことは、あたしに似合うと思ったんですよね。だから迷いはありません」
「そうか。それならよかった。カナダでは付けてなかったから、余計なことしたのかなって思ってたんだ」
「とんでもないです。とても気に入っているんですよ。それにこのペンダントはお守り代わりなんです」
チラリと耕作の方を見る柔。その意図を汲み取って耕作は照れくさそうに微笑む。
「あーだから今日は付けてるのか」
「はい……」
「ならいいんだ。ケーキ、いただきます」
耕作はチョコケーキにフォークを入れる。柔かいスポンジがすっと切れる。
「うん、うまい」
「そうでしょ。他にも美味しそうなケーキが沢山あって、また今度行こうかなって思ってるんです。試合前はおじいちゃんに怒られちゃいますけど、たまにはいいかなって」
「…………」
「松田さん? どうしました?」
「いや、そうそう渡すものがあったんだ」
ごそごそと鞄を漁る耕作。茶色の袋を取り出すと中には本が入っていた。
「これって……」
「君の本だよ。ついに完成した」