YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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vol.11 すれ違う想い

「君の本だよ。ついに完成した」

「もう、松田さんの本じゃないですか。おめでとうございます」

「ありがとう。これは見本みたいなもので、最終チェックを入れて問題ないようなら印刷所にまわす予定なんだ。向こうでの発売は3月くらいになるかな」

「じゃあ、今回日本に来たのもその関係ですか?」

「半分は。さすがにそれだけじゃ帰国させて貰えないよ。でも編集長とはこの本の話をしなきゃいけないから時間とって貰ってるんだ」

「いつですか?」

「明日の午前中。その後、直ぐにNYに発つよ」

「今日は、ウチに泊まって行ったらどうですか?」

「いや、さすがにそれはできないよ。それにもう泊まる所は確保してるし」

「そうですか……」

「ごめんな」

 

 会えないことを自分ばかりが辛いんじゃないと、耕作の表情を見て柔は感じる。恋人同士になって何度も別れを繰り返した。ただ家に帰るんじゃない。電話して来れる距離じゃない。飛行機で10時間はとても遠い。でも、心の火は消えない。それくらい愛おしい。

 

「そろそろ、行くよ」

「え! もう!?」

「うん。約束があって。ケーキとコーヒーありがとう」

「いえ、なんのお構いもできなくて……」

「十分だよ」

 

 立ち上がる耕作は障子を開けて縁側を歩き出す。その後ろを柔は追いかける。大きな広い背中。この背中に昔はしがみついたことがあった。バイクの後ろに乗せて貰って、色んなところに行った。試合会場、遊園地、葉山……耕作のアパートにも行った。あの時はこんな気持ちはなかった。だから背中に触れられた。でも今は、遠く感じる。手の届く距離なのに。

 

「松田さん」

「ん? おわ!」

 

 柔は耕作の背中に思い切り抱き着いた。その勢いで耕作は一歩前に足が出る。

 

「どうした?」

「なんでもありません。ただ、こうしたかっただけです」

 

 淋しさが溢れる。会いたくて会いたくて、やっと会えたのにまた離れることに慣れることなんてない。より一層辛くなる。

 柔の小さな手が強く耕作を抱きしめる。その力強さに「行かないでほしい」という意思が見えた。口に出さないのは優しさか我慢か。

 

「柔さん、離してくれ」

「あ……ごめんなさい。あたし、困らせるつもりじゃ……」

「違うよ」

 

 今度は耕作が振り返り、柔を抱きしめた。耕作の胸の中にいる。一昨年の冬の時と同じように、お互いの熱を感じられ、鼓動が聞こえる。

 

「俺だって離れたくないんだ。このまま連れて行きたい。でも、出来ないから。今の俺では出来ないから」

 

 耕作の気持ちを柔は分かっている。でも、気持ちがまだ整理出来ない。

 

「柔さん。俺はいつまでも昔のままでいる気はないんだ。三流記者でいるつもりはないんだ。そう思わせてくれたのは君なんだ」

「松田さん?」

「記者になって記事が書ければいい。俺はスポーツが好きでみんなを興奮させるワクワクさせる一握りのスターに憧れた。俺はそういう存在にはなれなかったけど、その輝きを伝えることは出来るんじゃないかと思った。君を見つけた時、俺にははっきりその使命が見えた。俺は君を伝えることが使命だと。そのために俺は強引なこともしてきた」

 

 柔を見つけた時、絶対に自分の手で世の中に知らせたいと思った。こんなスターが日本にはいるんだと。その意に反して本人にやる気がなく、耕作は焦るばかりだった。普通の女の子のようにする柔に苛立つことさえあった。

 正体が知られ多くの記者に追い回され、初めて一対一でゆっくり話した時、耕作の心の中に「罪悪感」が生まれた。自分の気持ちを優先して、相手の心をないがしろにした。ポスターの長嶋や力道山と一緒に見ていた。世に出ることを、多くの人の歓声を浴びることを望んでいるんだと。でも、違った。

 目の前に座る女子高生の猪熊柔は普通の女子高生だった。その普通を耕作が取り上げた。もう戻れないほどに遠くの道に連れて行った。柔をスーパースターにしたのは柔かもしれないが、そのきっかけを作ったのも、やめたいと歩みを止めたその足を何度も戻してきたのも耕作だ。

 柔を女性として見て、恋をした時、自分が望んだ道を歩く柔をとても遠く感じた。隣を歩くことは決して出来ないと。そうさせてきたのは自分なのに。だけど、耕作は決して後悔はしなかった。それだけはしてはいけないと分かっていた。だったら自分がその道に少しでも近づける努力をしなくてはいけない。

 だから、三流記者でいるつもりはないのだ。いてはいけない。

 そんなこと、柔にとっては何の意味もないことかもしれない。でも、それが耕作なりのけじめであり責任の取り方であり、愛情の証なのだ。

 

「俺は世間が望むように誘導し、柔さんは反発しながらもなんとか折り合いを付けながら柔道を続けてくれたことに感謝してる。だから今度は俺が君のために戦わなくてはいけないんだ」

「あたしのため? それは松田さんのためですよね? あたしはただ一緒にいたいだけなのに。それも叶わないのなら柔道なんて……」

「柔さんにとって柔道をするのに理由がいることは分かってる。それが決して自分じゃないことも。そして今、その理由も薄くなっていることも」

 

 父の居所もわかった。ジョディとの約束も果たした。滋悟郎の夢であった、オリンピックでの金メダルに国民栄誉賞も貰った。残る理由は、耕作がそう望むから。でももし柔道のせいで耕作といられないのなら、柔は柔道を捨てることをためらったりはしないだろう。

 

「柔道がずっと嫌いでした。あたしを邪魔ばかりするから。でも掛け替えのない物をくれたのも柔道です。わかっているんです。でも、あたしは柔道より大切なものがあるから。そのために柔道を辞めることにためらいはありません」

「ダメだ。それはダメだ。俺は望まない。たとえそうして俺のそばにいてくれたとしても、俺は君と正面から向き合うことができない」

「だったらいつまで……いつまであたしは独りでいたらいいんですか?」

「独り? どうしてそう思うんだ。君はまた……」

 

 耕作は悲しげな顔を見せる。それは柔が泣いているからじゃない。自分が支えられないからじゃない。

 

「いつか来るかもしれない未来をただ待つことはしない。それは何もしないことへのいいわけだ。弱いことを認めず、成り行きに任せることは簡単だが何も前に進まない。俺は進まないといけない」

 

 耕作は柔から離れた。案外、あっさりとその腕は耕作を解放したが、顔を上げることはなかった。

 

「それじゃあ、俺は行くから」

 

 耕作は出て行った。その姿を見ることも出来ずにただ、床の模様を眺めていた。置いて行かれたような気がした。父の時のように。

 

 

 

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