ケーキを食べながら、2人はしばし柔道とは関係ない会話をしていた。そんな中、邦子が風祭のことを聞いてきた。
「最近、会ったりしてる?」
「いいえ。風祭さんも結婚されてからお忙しそうですし、それによく考えたらライバル会社の社長さんですから。そんなに軽々しく会うことなんてできませんよ」
「じゃあ、食事に誘われたら行く?」
「いいえ、行きません。さやかさんもいたら別ですけど、2人きりではもう会いませんよ」
「そうよね。フった人だものね」
「そんな……でも、そうか、全日本の時、違和感があったのは風祭さんがいなかったからなんですね」
「どういうこと?」
「さやかさんの試合の時には必ず、風祭さんは来てたんですよ。いなかったことなんてないんじゃないですか。でも、4月の試合の時にはいなかったんです」
「そう言われれば見かけなかったわ。仕事でもあったのかしら?」
「そうかもしれませんが、だからさやかさん調子が悪かったのかもしれません」
「調子悪かったかしら?」
「ええ。少しいつもと違いました。いつも見てくれている人がいないって結構、心のバランスが崩れることがあるんですよ。あたしもユーゴスラビアではそうでしたから。さやかさんももしかしたらそのせいで、集中力を欠いてしまったのかもしれません」
「それくらい、あっさり勝てたってこと?」
「いえ、珍しく隙が多いなとは思いました。気丈な人ですから、あまり表には出ないですけど組んでみるとよくわかります。何かチグハグだなってことが」
「だから体重別には欠場したのかしら」
「そうかもしれないですね。本阿弥トラベルもこの不景気の影響を受けているはずですから風祭さんがまた応援に来られない可能性もありますし」
バブルが弾けて、日本の景気は一気に悪くなった。旅行業界は大打撃を受けた業種の一つだ。旅行は行かなくても生活に支障がない部類の商品だ。生きることを優先に考えたら、旅行でお金を使うのは順番としては下の方となる。業績が落ちればそれは社長の手腕を問われる。今、必死になっているのは風祭とて同じだろう。
「全然、気づかなかった。でも、そもそもあの政略結婚でさやかさんは風祭さんを手に入れたけど、風祭さんは籠の鳥だものね。結婚したからこそ、何か二人に変化があっても不思議じゃないわよね。調べてみようかしら」
「調べても何もわからないと思いますよ」
「あーそうよね。あの二人は隠し事が上手だから」
特にさやかは他人に弱みを見せる人じゃない。いつも自信と誇りと気品を持って生きている。息苦しさを感じないのかと思うこともあるが、それをとやかく言えるような間柄ではない。それはきっとこの世界の誰もがそうなのだろう。
邦子と柔が店を出たのは、それから30分もしない内だった。会社に用があると言って駅で別れた邦子はさっきまでとは違い真剣な表情になる。
空は暗くなり、建物の灯りが煌々と照らしその中を滑るように歩いた。日刊エヴリーのドアを開くと、まだ編集作業で忙しい室内は慌ただしくしていた。デスクにかじりついて記事を書くもの、電話で連絡をとるものと誰もが自分のことで手いっぱいだった。
邦子はその隙間を縫って無人の会議室に入った。用があるのはそこにある電話。メモ帳に書かれた電話番号を見てプッシュする。電気もつけず、身を隠すように邦子はコール音を聞く。
――早く! 早く!
心で願うのとは裏腹に相手はなかなか出ない。
「もしもし……」
ホッとしてつい大きな声になってしまう。
「耕作! 一体何してんのよ!」