vol.1 アメリカ独立記念日
5月の下旬から耕作は時間を見ては柔の家に電話を掛けている。しかしいつかけても一向に誰も出ない。不自然だ。滋悟郎はいつどんな時でも電話が鳴ればでるはずなのに。
連絡が全く取れないまま6月を迎え、仕事で全米を飛び回りアパートに帰っても記事を書いて送って、また取材に行っての繰り返しで状況は全く変わらなかった。しかし、アパートのFAXには邦子からの柔の近況報告のようなものが送られていることがあった。
先週のFAXは雑誌の記事で、内容は柔の高校の先輩である錦森と対談しているものだった。バルセロナ五輪の頃の話から昔話まで特に問題のない対談だった。錦森はアイドルとして華々しくデビューした後、どんどん後輩たちに追い抜かれ仕事も激減したが昨年からは活躍の場を舞台に移し有名演出家の目に留まり再び輝きを見せ始めているようだった。その事を事前に聞いていたであろう柔はさりげなく会話に盛り込んでいるようだった。
記事の最後に対談の場所について書かれており、柔が最近お気に入りの店「エトワール」だと書かれていた。
耕作はその店に覚えがある。最後に柔に会ったあの日に、彼女が買ってきたケーキは「エトワール」のものだ。お気に入りで今も行っているということは、あの日のことを思い出すことが辛くないと言うことか。
それとも、もう忘れてしまったということか。そう思うと、胸が苦しくなる。たった一言、たった一つの行き違い。それで失うものの大きさは計り知れない。
耕作は、滋悟郎に読まれるのを承知でエアメールを送っていたが、それに関しても返事はなかった。
そして、柔とのことは何一つ解決しないまま、前進もしないまま7月を迎えてしまった。さすがの耕作も焦りを覚えて頻繁に猪熊家に電話をかけるが、一向に繋がらない。不自然に思えるほど電話が繋がらないことが、耕作を拒否しているように感じられて眠れないこともあった。NYにいることがこれほど、じれったいと感じたことはない。仕事を放りだして東京に戻ろうかと思ったこともあったが、その結果フラれたんじゃ悲しすぎる。そういう悪い方向にばかり想像が膨らんで、今に至る。
耕作は空を見上げた。NYの空は濃い青色だ。清々しいほどの雲一つない空があまりに眩しくて、思わず下を向く。仕事に行かなくてはいけない。今日はアメリカの独立記念日。各地で独立を祝うイベントが行われている。NYでも大勢の人が浮かれた様子で街を歩き、笑顔で独立を祝っている。
日本人である耕作はこの熱狂に付いていくことが出来ないなと、去年も思っていたが今年は尚更そう感じた。そして、周りとは全く違う感情が渦巻いていることでより孤独に感じ、より周りが眩しく見えた。
「あー日本に帰りたいな」
そんな日本語の独り言に誰も返してくれるわけもなく、耕作は取材のためにスタジアムに向かう。こんな時でも試合はあるし、取材は行かなきゃいけない。このお祝いムードには困惑するが、騒がしいことや仕事があることで幾分、気が紛れる。それだけが救いで取材に向かった。
試合は昼から行われ、試合後にはイベントが開かれた。そこまで取材して、やっとスタジアムを出たが人の多さに圧倒される。これからマンハッタンの方では花火が打ち上げられるなどの恒例イベントが行われ、人々はそちらに移動するようだった。しかし耕作は夕食を買って真っ直ぐアパートに戻った。
ドアを乱暴に開けて、ヘロヘロのままソファに腰かけていると、仕事部屋のFAXが音を上げ紙を吐き出した。いつものことだと思い、気にもしないでコーヒーを淹れて座っていた。緊急の用件なら電話があるはずだ。
すると、思った通り電話が鳴ったが相手は耕作の想像していた人ではなかった。