「ハイ!コーサク。独立記念日おめでとう!」
「ああ……おめでとう」
返事に困るなと思いながらも、とりあえず言ってみたがアリシアは電話の向こうでちょっと笑っていた。
「で、どうかしたのか?」
「どうかじゃないわよ。ビッグニュースよ」
明らかにアリシアは興奮していた。独立記念日だからというわけではなさそうだ。その自分との温度差に耕作はカップをデスクに置いてFAXを確認し始めた。何枚か何気なく見ていると、アリシアの声が耳から消えた。
世界が真っ暗になるとはこの事なのか。窓から差し込む僅かな光でもその記事は読むことが出来た。警戒していたこととは違うが、それ以上の破壊力はあった。
『猪熊柔、熱愛発覚! 相手はアメリカのホテル王子 レオナルド・ダヴィド』
2人が一緒に歩く写真と共に書かれたその見出しは、すでに新聞として完成しているものであるのは明らかだ。そしてその新聞は「スポーツ東京」だった。
「コーサク?どうしたの?コーサク?」
これは当然の報いなのかもしれない。寂しいと言った彼女を突き放すようなことをしたことへの。連絡が取れなかったのはこのためか。もう、話もしたくないということなのかもしれない。柔程の有名人なら世界の有力者と知り合うこともあるだろう。その関係で出会っていても不思議ではない。そう、今まで誰も言い寄って来なかったのが不思議なのだ。
久しぶりに見る柔の顔は柔道家の顔ではなかった。地位も名誉も財産もある、その上、誰もが振り返るような美形のアメリカ人にときめかない人などいない。
それに柔は彼のファンだった。ハリウッド映画の主演をしたのはもう随分前だが、柔はその作品も主演の俳優も好きだと言っていた。そんな彼に出会った柔を耕作は黒い瞳で見つめる事しかできない。
「俺の事なんか忘れるよな……」
呟く言葉は日本語で受話器のむこうのアリシアには分からなかったが、耕作の様子がおかしいことは気づいていた。
「コーサク!ねえ、どうしたの?」
「いや……ちょっと頭が真っ白になった。ごめん」
「電話かけなおした方がいい?」
「いや、ビッグニュースって何?」
正直、どうでもよかったが何か話していた方が気持ちが紛れるような気がしていた。
「うん、あのね……あたし、非公式だけど試合することにしたの」
「あ、そうなんだ」
「コーサク?本当に大丈夫?」
「ああ、続けて」
「うん……兄が相手と交渉して、明日にもアメリカに来るの。試合自体は明々後日になるだろうけど、コーサクに見に来て欲しいと思って」
明日は仕事だが、明々後日はちょうどNYにいるし時間もある。だけど、この状況で柔道の試合を見るのは辛い。
手に持ったFAXを眺めていた。見出し以外も目を通した。そして気づいた。
「アリシア?」
「なに?」
「アリシアの家ってホテル経営してたよな」
「そうよ」
「それってテンプルトン・ホテルか?」
「ええ。兄が社長をしているわ」
「お兄さんってクラークじゃないのか?」
「なに言ってるの?クラークよ。でも、世間の人はみんなこういうわ」
「「レオナルド・ダヴィド」」
耕作は妙な感覚に陥った。ここで何かがはまったような感じがした。
「知ってるんじゃない。兄は昔、俳優をしていてその時に名前が知られたからその名前でビジネスしてるの」
「いま、日本に行ってるのか?」
「ええ、だから交渉できたの」
「まさか、相手は……」
「猪熊柔」「ヤワラ・イノクマ」
ここは合わなかったが同じ名前を言ったのは伝わる。
「知ってたの?そうか、コーサクはヤワラと知り合いなのよね」
「いや、新聞で2人が日本で会ってるところがスクープされて、それでもしかしたらって思ったんだ」
「へー。さすがヤワラね。そんなことが記事になるんだもの」
「アリシアにとってもただの兄かもしれないが、世間的に見れば大物だからな。話題にするのに十分すぎるよ」
「そんなものかしら?」
好意的に見ればレオナルドが妹のために柔と接触し、偶然にもその現場を写真に撮られたってことにもなる。記事を読むと、柔はオリンピック後何度かNYに行っていることも書かれているが、それは耕作に会いに来ていたので二人の密会というわけではない。熱愛というのは言い過ぎのような気もするが、柔からの連絡もなく、自分の連絡にも応答がないということはそう言うことなのかもしれない。
アリシアの話では明日には柔はNYについて、明々後日に試合。非公式のような観客のいない試合を滋悟郎は殆ど許さない。それなのに試合はされるということは、滋悟郎との関係も良好ということなのだろうか。
「柔さんの他に一緒に来る人はいるのかい?」
「たしか、ジゴローが来るって。ヤワラのグランパね」
耕作はいよいよ自分の立ち位置の不安定さに目眩を起こしそうになる。もう、猪熊家では自分がいない存在なのかもしれない。今年の1月に訪問した時には、滋悟郎も玉緒も快く迎えてくれていたというのに。
「試合見に行くよ。その時はカメラマンも連れて行くけどいいか?」
「取材ってこと?記事にしないならいいわ」
「もちろんしないよ。きっと向こうも望んでないだろうし」
「だったらいいわ。時間は午後4時。場所はウチの道場。コーサクが入れるように言っておくから」
「わかった。頑張れよ。それから相手には俺のことは言わないで欲しい」
「どうして?もう知ってるんじゃないの?」
「いや、連絡もないし。知らせたくないのかもしれない。でも俺はアリシアの試合を見たいから」
アリシアは耕作の様子から何か察したようでこれ以上は詮索しなかった。
「うん……コーサクも元気出してね」