「結婚出来るかい?」
思わぬ単語に柔は驚く。そんなことは聞いてない。
「あの人が見つけてきた相手だろう。君は彼を愛しているのかい?」
アリシアは拳を握る。眉間に皺を寄せて悔しそうにしていた。
「愛してなんかいない。でも、愛せるかもしれない」
「アリシア、正直にならなきゃだめだ」
「今更無理よ。もう、元には戻れない」
二人の会話は平行線をたどり、収拾がつかない。
「二人とも、いい加減にしなさい!みっともないわ」
そう言いながら道場に入って来た人は、長い金髪でスラリと綺麗な体型で、まるで女優のように美しい人だった。
「そうだ、お客様の前でやめなさい」
続いて言ったのはシルバーの整えた髪に、一見地味だが仕立ての良い紺のスーツを着た40代後半くらいのダンディな男性だ。
「パパ、ママ。帰ってたの?」
「今日帰ると知らせていたけど」
レオナルドを見る母・オリビアはキツイ目線を送る。それに対してレオナルドは素知らぬふりをしている。
「聞いてないわ……」
「それよりも、アリシア。あなたまだ柔道をしていたの?」
その言葉にアリシアの表情は曇る。
「あの、これは……護身術だから続けてるだけなの。それで世界チャンピオンのヤワラが試合してくれるって言うから、今日はこうして試合してるだけよ」
「でも、柔道は辞めてないのね」
「ええ……」
「ママが何て言ったか忘れたの?」
「『女の子がやるものじゃない』」
とても言いにくそうにアリシアは言う。隣にいる柔は英語がわかるようだから、ごまかしがきかない。チラリと見ると、悲しげに微笑んだ。
「そう、覚えてるじゃない。だったらどうして辞めないの」
「だから護身用に……」
「もう十分でしょ。辞めなさい。こんなことが彼に知られたら、結婚の話もなくなってしまうわ。これはあなたの為なのよ」
「はい……ママ」
悲しそうなアリシア。高圧的なオリビアに誰も何も言えない。
「お前さん、何を言っとるんぢゃ!」
そこに割りこめるのは一人しかない。そして思い切り日本語で言う。ここまでを通訳していたのは柔だ。そしてオリビアのあまりにいいように滋悟郎の堪忍袋の緒は完全に切れた。
「柔道をただの格闘技だと思ったら、大間違いぢゃ! 柔道とは鍛錬の中で体を鍛え、技を磨くのはもちろん、精神を養い己に打ち勝つ修行の道ぢゃ! 試合に勝っても驕ることなく、負けても屈することない心を作るものぢゃ。この心があれば並大抵のことで、心が折れることはなくあらゆる困難に立ち向かって行ける精神力を得られるのぢゃ。柔道とはそういう尊いものぢゃ」
一生懸命通訳するレオナルド。最初は聞く耳を持たなかったオリビアは途中から明らかに表情が変わった。そして夫のライアンは食い入るように滋悟郎の言葉を聞いていた。
そして柔も滋悟郎のそんな言葉をはじめて聞いたので、ちょっと驚いている。
「だ、だからと言ってアリシアは十分心も強くなったでしょう。これ以上は……」
「馬鹿者! そんなことはお前さんが決める事ではないわ! のう、アリちゃんよ。お前さんはどうしたい。このまま、母親の言いなりで柔道をきっぱりやめるか、ここで思いをぶつけて柔道を続けるか。選択肢は二つぢゃ!」
アリシアは困った顔をしていた。頭の中で今までの柔道に関わる全てが渦巻く。兄と共に始めた柔道はやっていくうちにどんどん夢中になった。練習相手が兄しかいなかったが、コーチを招いてトレーニングをする内にまた強くなれた気がした。試合に出てみようかを思ったが、過去のトラウマのせいでそれができなかったが、ソウル五輪の柔の活躍を見て震えた。そしてその後の国際試合とバルセロナ五輪は手に汗握る試合だった。心の奥で聞こえた声に、耳をふさいで抑え込んでトレーニングに打ち込んだ。母親は反対するけど、普段あまり家にいないのをいいことに、辞めると言って辞めなかった。辞めれなかった。
そして今日の柔との試合。初めての感覚だった。世界の強さを全身で感じた。
アリシアは拳を強く握った。
「あたしは、柔道を続けたい」
「彼はきっと嫌がるわ」
「そんな人、こっちから願い下げよ!」
道場中に響く声。
「よう、言った! 柔道ことがわからんようなアンポンタンなぞ、こっちから切り捨ててしまえ!」
「お、おじいちゃん。無責任にそんなこと言わないで」
「何を言うか! 娘の将来を勝手に決めて悲しませるようならそれは己の欲望をかなえるための道具としてしか見ておらんと言うことではないか」
「それ、おじいちゃんが言う?」
「なんぢゃ、文句でもあるのか?」
散々、柔の将来をめちゃめちゃにしてきた人がそんなことを言うなんて。呆れて何も言う気が起きない。
「ママ、あたしは柔道がしたいの。今日、それがわかった。ヤワラと試合をして本当に楽しかった。まだまだヤワラのいる場所には遠く及ばないけど、それに向けてトレーニングをすることが今のあたしのしたいこと。そしていつかヤワラとまたちゃんとした場所で試合をしたい」
「アリシア、ママは意地悪を言っているわけじゃないの。アリシアの将来のために言ってるの。ママは昔、お金で苦労をしたからそんな風にさせたくない」
「ありがとう、心配してくれて。でもね、大丈夫。あたしはもう負けない。さっきジゴローが言ってたでしょ。心を鍛えるのも柔道だって。あたし、柔道を続けてきて強くなったと思う。心も体も。だから、もう言わないで」
アリシアは本心を打ち明ける。今まで、母親の顔色ばかりを見て言葉を選んできたけど、それはもう終わりにしたい。子供じゃないから。自分の道を歩んでいきたいから。
「オリビア、もういいじゃないか」
「あなた」
「私はこれからのアリシアがどうなるかとても楽しみだよ。自分の道を見つけた人はとても強く美しくなる。かつての君みたいに」
オリビアは一瞬狼狽えたが、すぐに顔はクールな表情に戻った。
「あちらには私から話しておきます。まだ、未熟者で結婚など出来ないと」
「ありがとう!ママ」
オリビアもどこかでわかっていたのだ。こんな風に、親が娘の将来を決めることが娘のためにならないということを。でも、若い時の苦しい経験が娘にそんな思いをさせてはいけないといらぬ世話をやいてしまったのだ。
「ねえ、ヤワラ。聞いてもいいかしら?」
「何かしら?」
「五輪で二階級制覇をして、日本では大きな賞も貰ったんでしょう。今後の目標は何かしら?もしかして、もう柔道を辞めようとか思ってない?」
不安そうに見るアリシア。たった今、柔道を続ける決意をしたが、柔が引退となるとその決意も揺らぎかねない。
「全然、思ってないわ。あたしはまだまだ鍛錬が足りない。だから自分の意思で柔道を続けて、そしてアトランタ五輪を目指すの。だからね、アリシアさん……」
柔は思い出す。そう、ジョディと日本で戦ったあの日のことを。約束という名の呪縛。でも、それは柔をいつも導いた。
「約束よ。アトランタ五輪でまた戦いましょう」
「アトランタ五輪……」
「そうよ。あたしは必ず代表になるわ」
これは耕作と交わした約束。
「あたしも……あたしも代表になる。沢山トレーニングして、また柔と戦うわ」
二人は固い握手を交わす。
ジョディ、テレシコワなど多くの選手が引退をした今、女子柔道界には新たな風が必要だ。その一陣にアリシアがなれればいい。
「まとまったところで、アリシア。お友達のカメラマンがいないようだけど」
レオナルドがそう言うと、アリシアは振り返ってカメラが建っていた場所をみた。そこには三脚もカメラもなくなっていた。アリシアは急いで道場の外に出た。
「ジェシー!!」
その声に返事をする者はなく木々が揺れているだけだ。
新キャラ登場しました。
「ライアン」アリシアとレオナルドの父親。なんかいろいろ経営している人。
「オリビア」アリシアとレオナルドの母親。貧しい少女時代を過ごしたために、子供に厳しくしている。特にアリシアには苦労をかけたくないと思いが強い。
多分、今後出てくることはありません。