「帰らないでほしい……」
「あ……」
耕作は柔を背中から抱きしめる。
「今日はこのまま一緒にいて欲しい」
流れる沈黙。聞こえるのはお互いの鼓動、そして雨音。
「松田さん……」
そう言いながら柔は肩に巻きつく耕作の腕に触れる。
「離してください」
「あ、ごめん。いきなり言われても困る……」
言い終わる前に柔は耕作と向かい合わせになり抱きしめる。
「柔さん?」
「あたしも……同じです」
「え?」
「離れたくない……」
「柔さん……」
見つめ合う瞳。
二人の気持ちが重なる。目を見ればわかる。二度目のキスは前とは違う。
耕作は柔を抱きかかえて、隣の部屋に向かう。耕作の胸の中で緊張した顔をする柔に耳元で囁く。
「大丈夫。俺も緊張してるから」
耕作の鼓動が近くに感じる。とても速い。
柔をベッドにゆっくり下ろすと再びキスをした。さっきよりも甘いキス。お互いを感じることが出来る絡み付くようなキス。
次第に吐息が荒くなる。こんなキスをしたのは初めてだ。次第に体の力が抜けてベッドに横になる。
恥ずかしさで顔を赤くする柔が可愛くて、見つめてしまう。
「ま、松田さん?」
「可愛いなって思って」
「そんな……恥ずかしい……」
顔を赤くする柔。困った顔もまた可愛い。
白くやわらかな頬に触れてまた軽くキス。見つめ合うその瞳の中に映るのがお互いだけであることが不思議と安らぎすら感じる。
「好きだよ、柔さん」
「あたしも、大好きです」
耕作の肌のぬくもりが柔の身体全体を包む。優しい手とキスに耕作の想いの大きさを知る。
ベッドで何度も耕作を目が合った。きっと耕作は柔が耕作を見る以上に柔を見ていただろう。だから気づいた。
「泣いてるの? やめる?」
柔は首を振る。目には涙が滲み、瞬きすると目じりから涙が零れた。
「なんか、信じられなくて。ついさっきまでもう松田さんはあたしのこと、嫌いになって他の人を見ていると思っていたから」
「俺だって同じさ。諦めそうになってた。だからこそ、俺もいま君が俺だけを見てくれてることが、とても現実とは思えない」
勝手な勘違いで離れそうになっていた二人。だからこそ、再び見つめ合った時に想いが溢れて抑えられなくなった。
思い描いていたロマンチックなものではないが、きっとこれ以上ないほどの幸福感に包まれた。
その心地よさに痛みすら忘れて、耕作の腕の中で眠りに落ちた。
◇…*…★…*…◇
ふと目が覚めると、外灯の光が窓にぼんやり映っている。まだ夜は明けていないようだった。
柔は少し肌寒さを感じ掛けてあったコンフォーターを顔の辺りまで押し上げた。その肌触りが心地よく、そして同時に自分の有様を自覚して一気に目が覚めた。
数時間前、初めて耕作と肌を重ねた。恥ずかしくて怖くて、でも幸せで心が満たされた。
柔はそろりと隣で眠る耕作を見た。しかし、そこには耕作の姿がなかった。
「松田さん?」
部屋の中に気配はない。閉じられたドアの隙間から光が漏れていた。柔は傍らにあったシャツを着てそっとドアを開けた。
いきなり目が合う二人。恥ずかしさで赤面し、思わず目を逸らす。
「ごめん、うるさかった?」
「いえ……姿がなかったので何してるのかなと思って」
「ああ、ちょっと腹減って。適当に食べてた」
そう言う耕作の前にはパンと牛乳が置かれていた。
「柔さんも食べる?」
時計を見ると午前3時。さすがに柔は遠慮した。耕作の正面に座るのが何だか気恥ずかしくて、柔は隣に座る。すると距離が近くてそれもそれで緊張した。
「昨日、七夕だったんだって。知ってた?」
「そう言えばそうですね。大人になると忘れちゃいます」
「俺もそうだったんだけど、昨日知り合いに言われて気づいたんだ」
柔は立ち上がって大きな窓のある方へ行った。窓の前にはソファがあってそこに膝立ちになって窓の外を見上げる。
「あ、晴れてますよ」
「そ、そうみたいだな」
柔は耕作が貸したシャツと下着しか着ていない。だから膝立ちで前かがみになると、太ももやその奥までも見えそうになって、耕作は視線に戸惑う。それにも気づかず無邪気な柔は夜空を眺めている。
「やっぱりNYでも天の川は見えませんね」
振り返る柔。耕作は慌てて視線をテーブルに戻し、素知らぬふりをするが柔は異変に気づき赤面した。
「松田さんのエッチ」
「いや、そんな無防備でいる方が……って、まあ、俺の前だけにしてくれよ」
「はい……」
耕作は立ち上がって柔の隣に座る。さっき結ばれたからと言っていきなり、何もかもが今まで以上になるわけもないが精一杯の男気を振り絞り柔を腕の中に抱いた。
「なんか、緊張しますね」
「俺だってそうさ。でも、同じソファに座ってて離れてるのもおかしいだろう」
「そうですね」
「ところで、いつ日本に戻るの?」
「えっと、今日です……」
「……そうなんだ……何時の便?」
「午後です。夕方の便です」
「そっか……またしばらく会えなくなるな」
「はい……」
「淋しくなるな」
「え?」
「淋しいって言ったんだ」
「本当ですか?」
「そうだよ。おかしいか?」
「いえ、そう思ってるのはあたしだけかと」
「そんなわけあるか。ただ俺は俺のわがままでアメリカにいるからそんなこと言う資格がないと思ってたんだ」
「資格なんて……言ってくれなきゃわからないです。同じように淋しいならあたしは耐えられると思う。独りじゃないって思えるだけで頑張れるんです」
「それは俺も思うよ」
耕作の手に力が入り柔をぎゅっと抱きしめる。
「柔さん、英語勉強したの?」
「え?」
「アリシアの英語聞きとって滋悟郎さんに通訳してただろう。前にNYに来た時には殆ど聞き取れてないようだったのに」
「はい。会社が社員のためにいくつか講座を用意してくれて、その中で英会話があったからいい機会だと思ったんです」
「へーそりゃいいな。先生は外国人?」
「ええ、NY出身って言ってました。それで、おすすめのレストランや観光地も教えて貰ったんですよ」
「明るくなったら行ってみるか?」
「…………」
「柔さん?」
「明日は一緒にいたいから出かけたくありません」
「ここにいるのかい?」
「はい」
「何もないよ」
「松田さんがいるじゃないですか」
「そりゃそうだけど」
上目使いで耕作を恥ずかしそうに見る柔。それが愛おしい。耕作は理性を保って笑顔を見せる。
「じゃあ、ちょっと寝坊出来るな」
「え、あの……」
「大丈夫。何もしないよ」
そう言ってまた柔を抱きかかえてベッドに行く。耕作の腕に抱きしめられ胸の中で眠る。幸せすぎるその時間がいつまでも続けばいいのにと柔は思っていた。
そして耕作もあらためて胸の中で小さく呼吸する柔に、愛しさと自分が果たすべき使命を感じる。
守らなくてはいけない。泣かせてはいけない。幸せにしたいと。