滋悟郎は野波を睨み付ける。本題はこれからだ。
「あの、まず写真を手に入れた経緯をお教えします。僕は柔さんと接触してラスティのことを知って貰おうと思ったんですけど、なかなかどう切り出していいか分からずにいたんです。試合会場や練習場では言い出しにくいし、自宅に取材を理由に行って話そうと思ってたんです。その時に門の前に男が立っていて記者か何かかなと思ってたんですけど様子がおかしくて物陰に隠れて見てたんです。そしたら手紙を郵便受けに入れて立ち去ったんです。それが今年の初めごろかと思います」
「滋悟郎さん、手紙に心当たりは?」
「ある。家に届く手紙はわしが管理しておる。柔が有名になってから少なからず、気味の悪い手紙も来るようになったからの。柔の目に触れさせんように扱っておる」
「あの男は直接投函してたので、消印もない物だと思います」
「心当たりはある。差出人がなくて、不審だったからわしが開封した」
「内容は?」
「最初はファンだの、応援しているだのと書かれておったが、去年の秋くらいから変なことが書かれ始めたかの」
「変なこと?」
「わしの口からは言えんが、恋文のようなものぢゃな。だがどれも一方的な思いのたけが綴られていた」
「やはりそうでしたか。僕は彼の後を追いました。ただ事ではないと感じたからです。そして彼がいない隙に部屋に侵入した」
「は?」
耕作は思わず声が出た。記者とはいえ犯罪行為はしてはいけない。不法侵入何て洒落にならないことをあっさりいう野波に、少し怖くなる。
「悪いことだってのは分かってますよ。でも、僕のカンがあいつは危ないって言うんです。それでまあ、昔習得した技で鍵を開けて中に入ったわけで」
「お前、見た目に寄らず相当悪かっただろう」
「そこは詮索しないでください。まあ、NYでいろいろありましたけど、今は善良な一般市民ですよ」
善良な一般市民は家主のいない家に勝手に入ったりはしない。
「それで中には何があったんぢゃ?」
「写真ですよ」
「この風ミドリの写真か?」
「実を言うと、それは現像して初めて男性の方が本阿弥社長だと気づいたんです。壁に貼られていた写真には社長の方は押しピンで穴を開けられて誰だか判別も出来ないほどでした」
「げ! そんな状態だったのか。まさに異常だな。でも現像したってことはネガは……」
「持ってきました。ネガの扱いはかなり雑だったんで、少し無くなっても気づかないでしょう」
「それはナイスな判断だ」
「そうでもないです。彼の部屋の壁や天井にはいたるところに柔さんの写真が貼られていました。そのどれもが、恐らく盗撮したもの。通勤途中や休日のショッピング、柔道の稽古のものもありました」
そう言いながら鞄から取り出した部屋の写真を二人に見せる野波。それを見た二人は言葉を失う。あまりに異常な光景でよく今まで何事も無かったと思うほど、相手は異常者だと判断できた。
「危ない奴だと思った僕のカンが当たってたんです。で、この中で一番いい位置にあった写真がこれです」
写真にはジャージ姿の柔と男が映っていた。野波はさらにもう一枚写真を見せる。
「これはあの時の!」
滋悟郎が写真を奪い取って食い入るように見る。
「去年の世界選手権ぢゃ! 松田、お前もおったぢゃろう。晩飯食いに行って柔のファンとか言う男と写真を撮ったんぢゃ。ジョデーも映っておるから間違いない」
「まさか……西野?」
「松田さんも知ってるんですか?」
「いや、俺は遠目で見ただけだし夜だったから顔までは分からないけど、ハミルトン郊外でそんなことがあったのは西野くらいだし。その後、柔さんから西野についても聞いたのは聞いたけど、怪しい人と言う認識ではなかったけどな」
「世界選手権が九月末だったから怪文書が来るようになったのはその後と言うことになりませんか。西野の中で何か変わったということですよ。ただのファンから異常者になる何かがあったということです」
「あ! 風祭との密会じゃないか。もしあの写真を撮った後すぐにホテルを出てしまっていたら、事情は察するに余りあるでしょう。勘違いしてしまった可能性もある」
「風ミドリのせいでこんな面倒なことになったのか! 日本に帰ったら一度、羽交い絞めにして……いや、西野とやらの居所がわかっているのならわしが直接出向いて話を付けに行こう」
「滋悟郎さんあまり軽率な行動は相手を逆上させて何をするか分かりませんから、ここは慎重に」
「何を悠長な! 柔に危機が迫っておるのぢゃぞ。手を打たねば安心して稽古も出来んぢゃろ」
「そうなんですけどね……こんな異常者を俺も相手にしたことがないのでちょっと手を間違えると何が起こるかわからないと言いますか」
「あの……大変言いにくいのですが」
「なんぢゃ?」
「西野の行方はわかりません」
「は?」
「この前、アパートに行ったんですけどもう引っ越した後で、大家も不動産屋も引っ越し先は分からないと言ってました。なので今、居所不明です」
ますます危険になった柔の周囲。耕作は当の本人は何も知らないままでいいのかと思っていた。
「手はまだある。柔にこのことは言うでないぞ。二人ともよいな!」
「しかし最初に想像していたよりはるかに危険な奴ですよ」
「言っておるぢゃろう、手はあると!」
NYに残る耕作にこれ以上何かをいう資格がない。ここは滋悟郎の考える手立てに従う他ない。
「よし、そろそろ飛行機の時間ぢゃろう。わしは戻るとするか。野波よ、おぬしくれぐれも日本で余計なことするでないぞ。あと取材はわしを通せ!」
「は、はい」
「松田よ!」
「はい!」
滋悟郎は耕作をじっと強い目で見る。何もかも見透かしたような目で耕作は息が止まる。
「柔のことは心配無用ぢゃ!」
「はい。滋悟郎さんがいれば百人力ですね」
「当りまえぢゃ!!!!」
柔の元に戻る途中、滋悟郎は何かを思い出したようで耕作のところにやって来た。
「どうしたんですか?」
耕作は内心ヒヤヒヤしている。もしかして滋悟郎に柔との仲を気づかれたのではないか。
「お前にはこれを渡しておく」
手渡されたのは電話番号が書かれた紙。
「あのこれって」
「自宅の番号ぢゃ。誰にも教えるでないぞ」
「は、はい!」
滋悟郎は気づいているのかいないのか。あまりよくわからないが、敵として見ているわけではなさそうだ。
滋悟郎が柔の元に戻ると、かなり時間が差し迫っていたようで慌てて出国ゲートに方へ走って行った。同じ飛行機に乗る野波も同じで耕作だけが取り残された。
日本に戻れないことがこんなにも悔しかったことはない。危機が迫っているのに何も出来ないなんて、不甲斐なくて怒りさえわく。
「仕事がそんなに大事か?」と、心の中のもう一人の自分が問う。「大切な人を守れないような仕事なんか辞めてしまえばいい」と、聞こえる。記者としての夢はバルセロナ五輪での柔の記事を書いたとき、果たされたと思う。でも、それだけじゃない。もっと伝えていきたい、もっと知りたい。そう言う思いは今も薄れることがない。でも、それと柔を天秤にかけて柔の方が軽いわけじゃない。
飛行機が離陸する。不安で堪らない。今すぐ追いかけたい。
「柔のことは心配無用ぢゃ!」
滋悟郎の言葉が頭に蘇る。柔の事で強引なことばかりするが、柔に対しては深い愛情があるのは見ていればわかる。誰よりも信用のおける、ボディーガードだ。耕作はとりあえず自分が出来る事をするしかないと、誰もいないアパートに帰った。