1992年のクリスマスに柔を目撃した人がNYにいた。
まず空港関係者、そしてリバティ島への船の乗務員。そして柔のそばに耕作の姿もあったことが分かった。それにより二人が交際していると確信した。
それがわかったところで、デイビットは耕作にどう話を切り出そうか悩んでいた。アリシアのことを正直に言えば、自分の素性が知られる。
そんな時、NYの貿易センタービルでテロがありデイビットも偶然近くにいたために巻き込まれ怪我をした。この日は、社長として外出していたのではなかったので、秘書や運転手などもいなかった。
何の予兆もなく、突然の爆音に耳が聞こえなくなった。視界は灰色に変わり自分がいる場所もわからなくなった。しばらくすると悲鳴が聞こえ、サイレンも近付いてきた。状況は何となく察した。生きていることもわかった。でも、怖かった。このまま死ぬかもしれないと思った。そう思ったら、やり残したことが目の裏にどんどん浮かんでくる。
そうしてるうちに意識が途絶え、気づいたときには病院にいた。目を開くと目の前に耕作がいて涙が出そうになった。まだ知り合って2ヶ月ほどしか経っていないのに、家族よりも先に駆け付けそばにいてくれる。そんな友人が他にいるのか。
それなのに、誘導した。耕作が探している「ロイド」を追えば必然的に「アリシア」に辿り着くことは分かっていた。そもそもロイドと出会うきっかけの柔道大会はジェシーが持っていたファイルから落ちた写真がきっかけだった。
「あれは僕がジェシーに渡しておいた写真なんだ。コーサクのカメラマンになるなら柔道の写真の一枚でも持っていた方がいいって。だからあれはジェシーの写真じゃなくて、僕の写真なんだ」
「どうりで古い写真だと思った。一瞬だったけど写っていた女性は、最近会ったラスティより若かったし」
「ジェシーはこの件には無関係だよ。ただ、写真を貸しただけ。でも、みんなの前で見せないでくれと言っていたのに写真が落ちて、僕はそれを隠すよりも利用した方がいいと思ったんだ」
「何となくわかるよ」
柔道着を着たアメリカ人の集合写真を見たら耕作がアメリカの柔道に興味を持つのは明白だった。そして間近の柔道大会に行ってグレンに目を付けることは予想で来ていたから、ロイドまで興味を持つことは計算内だった。ただ、NYでの情報網があまりない日本人の耕作にとって柔道家を探すのは容易ではないはずだから、頃合いを見てデイビットはロイドの情報を渡すつもりでいた。しかしロイドが勤務する病院に入院したことであまり不自然にならずに情報提供できた。
ロイドを探してアリシアに辿り着くまで、そこまで時間はかからなかった。グレンがあらかじめ耕作にアリシアのことを匂わせていたからだ。
デイビットは一縷の希望を抱いていた。耕作との出会いでアリシアの心境に変化が生まれ、試合に出場してみる気にならないかというものだ。
アリシアの心には明らかな変化が生まれていた。柔道を語り合える友人は今まで皆無に近く、柔道をやっていることすら友人たちは知らないだろう。だから耕作と過ごす僅かな時間がアリシアにとってとても楽しいものになっていた。でもそれだけだった。
デイビットは時折実家に帰ってはアリシアと話をした。耕作の話は出たが、柔道の話をする日本人に出会ったと言う程度だった。
しかし、ハミルトンで行われた世界選手権をテレビで見ていたアリシアは明らかに今までと違っていた。
耕作から耳にタコが出来るほど聞いていた柔の試合は圧巻だった。他者を寄せ付けないほどの王者の強さ。その強さにアリシアは震えていた。怖さじゃない。試合をしてみたいと言う純粋な思いだ。それを押し殺して、押し殺してまだ溢れる思いが震えとして出てしまっているのだ。
デイビットは兄としてどうにかしたいと思った。妹を助けたいと思った。
できれば耕作には知られずにアリシアと柔を試合させたかった。自分の本来の立場を使えば出来なくもないことだ。ただ、アリシアを日本に連れて行く理由も、柔をNYに招く理由もなく、しかも柔がNYに来たら必ず耕作に声がかかるだろう。そうなれば自分の正体が知られてしまう。すべてが明るみになり、友情も信用も失うかもしれなかった。
どこまでも自分のわがままを通そうとするあまり、全くいい手だてが思い浮かばないまま数ヶ月。耕作と柔の関係に溝が出来始めた。
これは好機だと思った。
「そんな風に思った途端、僕は自分に失望した。友人が真剣に悩んで苦しんでいるのに、僕はそれを利用しようとしたんだ」
「でも、俺たちのことも考えてくれたんだろう?わざと写真に撮られて記事にしたり」
「それもコーサクを傷つけることは分かっていたけど、それくらいしないと君は動かないようなきがしたから」
「よくわかってるな……」
「ごめん」
「野波とはどういう知り合いなんだ?」
「ラスティのところで知り合ったんだ。僕も実は柔道を昔やっていて、ラスティに教えて貰っていた。その縁で時々遊びに行ってたんだ。そこでジョージ……君にはノナミと言った方がわかるか。その彼とも知り合った。彼はラスティを実の母のように慕っていた」
「母親は健在だろう?」
「そうなんだけど、仕事で家をあけることが多くてノナミはあまり母親と過ごす時間がなかったらしい」
「だからあんなにラスティに固執してたのか」
「ああ。ノナミは日本の大学に通っていたんだけど、日本人がラスティのことを知らないことにとても憤りを感じていたんだ。女子柔道をここまで成長させたのはラスティなのに、日本人はそれを自分たちの功績のように思っていると」
「野波は柔さんとラスティを会わせたいと思っていたようなんだ。それも計画の一部だったのかい?」
「そうさ。僕はノナミに連絡を取って、ヤワラとディナーに行くことを伝えてその場面を写真に撮るように仕向けた。本当なら新聞に載る予定ではなかったんだけど、ケンは他の記者につけられていることに気付かなかったと言ってた」
「だからスポーツ東京に載ったわけか」
「すまないと思ってる。あれは完全にこちらのミスだ。写真だけをFAXで君に見せるつもりだったんだ。試合を見に来ることまでは想定していたけど、ノナミの計画を遂行するにはヤワラをフリーにしてラスティに会わせなきゃいけなかったんだ。でも予定外に記事になり余計に混乱させてヤワラも傷つけた」
「確かにあれはまいったよ。かなりショックだった。それに一度は背を向けたんだ。試合後に顔を見せずに帰った。でも、君は俺に伝言を残した。正体を知られる可能性が高くなるのにあんなことをしたのは、罪滅ぼしか?」
「そうかもしれない。コーサクが悩んでいたのも知ってたし、二人は離れるべきではないとも思ったから。それに見ていられなくて、二人とも思い合っててすれ違って」
「そうか……じゃあ、もう借りは無しってことでいいよな」
「借り?」
「ああ、ロイドの情報をくれた時、これは貸しだって言っただろう」
「そんなことも言ったな。そんな資格もないのに」
「いいさ。これでまた元通りさ」
「コーサク?」
「俺たちもアリシアのことも上手くいった。誰も不幸になってない。それどころか日本で柔さんの置かれている状況もわかった。俺にとってマイナスなことはなかったよ」
「そう言ってもらえると気が楽だよ」
「それで、あらためて聞きたいことがる」
「なんだい?」
「柔さんがNYに転勤してくるらしいが、これは何か意図があるのか?」
デイビットは笑った。
「わかってて聞いてるんだろう?」
耕作も笑う。
「ああ、一応な。滋悟郎さんと話がついてるのは本当か?」
「もちろんさ。柔道が出来る環境かどうかを見定めにはるばる日本から来たんだから」
「あの時からもう計画が?」
「ああ。僕はヤワラの周辺を調べていたんだよ。危険な影がヤワラに近づいていることは、わかっていた。それにジゴローも気づいていた。でも、真正面から来ない相手にジゴローは対処のしようがなかったようだ。そんな時に、ちょっとうちの道場のことを話したら、乗ってくれた。さらにツルカメの社長と社員を交えて、ヤワラを日本から離れさせようという流れになった。僕はアリシアとヤワラの試合を望み、ジゴローは安全にトレーニングができる場所。そしてツルカメはヤワラの身の安全を考えた。そもそもあの男とヤワラを繋げたのは会社なのだろう。それなりの責任はあるだろう。そしてNYならコーサクもいる。ヤワラが拒否する理由はどこにもない」
「それもそうだが。柔さんは疑っててな」
「疑う?」
「これまで滋悟郎さんに騙されてきたからな。何か裏があるんじゃないかって思ってるんだ」
「それは気の毒としか言えないね。説得するのは得意だろう?腕の見せどころじゃないか?」
「簡単に言ってくれるなよ。柔さんはああ見えてかなり頑固なんだぞ」
「そんなところが可愛いんだろう?」
耕作は顔を赤らめて、そっぽを向いた。その姿にデイビットが笑っていると、イーサンが店に入って来て、「何の話?」なんて言うからデイビットは「さあ?」ととぼけた。
耕作はカウンターにビールを取りに行って一息つく。
「話は出来たのか?」
マスターが言うと耕作は嬉しそうに言った。
「ああ、心配かけたな」
「そんなことにないさ」
ビールを受け取ると、イーサンがまたやかましく何か言っている。それすら楽しく感じる。
「なんの話?」
「イーサンがふられた話」
「あー」
「なんだその憐れみの目は!自分は幸せだからって」
「否定はしないが……」
「なにー!!」
今夜もまた楽しい時間が始まる。人種も国籍も性別も宗教も思想も仕事も何もかも違うけど、ただ楽しいからいる。それだけでいい。