NYは移民が多い街でイタリアからの移民も多く、本格的なピザも手軽に食べられる。
耕作は店員に話しかけると、奥へ行くように促されそちらに向かう。ちょうど壁で仕切られた向こう側にテーブルがあり、二人の男女が腰かけていた。二人とも60歳ほどだがとてもそうは見えないほど、若々しい。
「お待たせしてすみません」
耕作がそう言うと、二人はにこやかに言った。
「時間通りだよ」
「紹介しますね。こちら……」
「コーサク、紹介はいいわ。有名人ですもの。はじめまして、ヤワラ。あたしはラスティ・カノギよ。会えて光栄だわ」
立ち上がり右手を差し出すラスティ。ここにいる誰より背が高く大きな体をしている。だけど、笑顔からあふれ出る優しい空気に緊張していた柔の顔は綻んだ。
「はじめまして、猪熊柔です。こちらこそ、会えて光栄です」
握手を交わす二人。そしてもう一人、傍にいた小柄な男性。
「こんにちは、俺はラスティの夫の鹿乃木量助。今日はよろしく」
「日本語? 日本の方ですか?」
「まあね。意外かい?」
「はい……」
「そうだろうね。俺も不思議さ。まさか自分が日本からはるばるアメリカに来て、アメリカ人と結婚するんだから。でも、出会ってしまったんだから仕方ないよ。ラスティが柔道と出会ったのと同じさ」
日本語のわからないラスティは微笑んでいたが、話を止めた。
「長い話になるから先に注文しましょう。お店の人が待ってるわ」
ラスティに促されてメニューを見る柔と耕作。そして看板メニューのピザなどを注文した。
「料理が来る前に写真いいですか?」
耕作がそう言うと、ラスティと柔は承諾しツーショットの写真を撮った。
二人並ぶとその体格差がまた明らかになる。でも、この二人が女子柔道界を変えた伝説と言ってもいい。耕作は抑えきれない興奮を覚えた。
◇…*…★…*…◇
「私の両親は移民でとても貧しい暮らしをしていたの」
そう話しはじめたラスティは昔を思い出すように目を細めた。その目は美しい思い出を映す瞳ではなく、辛く悲しいもののように見えた。
コニーアイランドで生を受けたラスティは働かない父と文字の読めない母、そして兄と暮らしていた。仕事をしない父の代わりに母が働きに出るようになった時、いつも一人で部屋にいて外に出てはいけないという言いつけを守って淋しく家にいた。遊び相手は飼っていた雑種の犬だけだった。
両親とは喧嘩が絶えず物を投げ合ったりすることがあった。例えその物が当たったとしても両親はラスティを心配などしてくれなかった。幼い娘に困ったことが起こっても自分で解決しなさいと言うほどだ。
しかしラスティもただ指をくわえていたわけじゃなく、問題を解決する術を学び逞しく成長していった。
12歳の頃には他の女の子に比べると体も大きくなり、8歳年上の兄のようなたくましい体が欲しくて鍛えるようになった。性格も勝気で腕力もあり、非行グループに入るのに時間もかからなかった。たけど、黒人グループとの決闘の際に仲間だと思っていたものは誰一人として現れずラスティ一人でグループを相手に戦った。もちろん勝てるはずもなかったし相手は拳銃を持っていた。絶体絶命かと思った時、パトカーが来てその場にいた者たちは散り散りになった。ラスティは警察に一切何も言わずに帰って顔を洗い、自分が仲間だと思っていたメンバーの家に行った。そして威勢のいいことを言っていざとなると怖気づいた彼女たちを殴りそして一人になった。
その後も荒れた生活を送っていたが、16歳になると就職したが非行少女を卒業したわけではなかった。仕事も面白くやりがいもあったが、パイロットをしている兄に憧れていたので女性空軍の試験を受けてとてもいい評価を得ていたのだ。しかし、ラスティはその夢を捨てたのだ。
当時、とてもハンサムな恋人がいた。空軍に入ったら別れようと思っていた。しかし彼はラスティにプロポーズをしてラスティは、まるで映画のワンシーンのようなその光景にパイロットになる夢など消し飛び結婚することを選んだ。
しかし彼はアルコール依存症でラスティの手に負えなくなった。離婚も考え始めたころ、妊娠が分かり、堕胎の難しい当時のアメリカでは産む以外の道はなく長男を出産した。
以前勤めていた会社に復職し、育児もしながら精神的に追い詰められていたころ柔道にであったのだ。柔道を知らないラスティは初めて軽々投げられたその時の興奮を今も忘れていない。そして柔道に魅了されたのだ。
柔道を学びたいと思ったが、ブルックリンでは子供も大人も女性は柔道をしていなかった。それで引き下がるような性格でもなく、伝手を頼って強引に柔道を学ぶことになった。その時に役だったのが大きな体だった。そしてついに柔道を学ぶことが出来たのだ。
最初こそ差別もあったが、みるみる成長していく彼女を見て次第に敬意を払うようになった。そしてラスティ自身も変わっていた。
そんな時、NY州の柔道選手権が開かれラスティの所属するチームが決勝トーナメントに出場することになった。当然、男性しか出場していない試合だ。ラスティは出場すらできないと思っていたが、キャプテンから「戦いたいか?」と聞かれた。まさか自分がでられるとは思っていなかったのでラスティはとても驚いた。相手選手は全て格上だったが、ラスティは試合に出た。もちろん女性であることを隠していて、キャプテンからは引き分けに持ち込めとも言われていた。目立ってはいけないということだ。しかしラスティは勝ってしまった。チームは優勝しメダルとトロフィーを授与された。
しかし、秘密はバレてラスティはメダルを返せばトロフィーはそのままでいいと言う大会責任者の言葉に従う他なく、首にかけていたメダルを返還した。チームのみんなは自分たちもメダルを返そうと言ったがラスティはそれを拒んだ。本来であれば男性から一本をとったラスティは称えられるべきなのに、「女性」というだけで罰を受けたのだ。勝ったのに敗北したのだ。
NYに柔道が少しずつ広まっていく中で、間違った柔道をしている人や日本人でもなじめない習慣を押し付けてくる人もいた。その事もあってラスティは日本に行って柔道を学びたいと思うようになった。
そしてついにラスティは日本へ行き、柔道を学んだ。しかし当時の日本の女子柔道は戦うものではなく形の美しさと力強さを競うものだった。ラスティが学びたかったのは男子柔道だった。だから男子に交じって稽古をしたのだ。
この時に量助とであったのだ。だがこの時はまだ恋愛感情などなくただ道場であいさつをする程度。柔道に夢中だった彼女は自分の気持ちに気付かずにいたのだが、帰国の日に量助からこっそりもらった美しいプレゼントと手紙を読んで特別な感情に気付いたのだ。
ラスティが帰国して暫くして、量助は知り合いからアメリカで仕事をしないかと言われ、考えた末に渡米しそしてラスティと再会する。まだ既婚者だったラスティだったが、量助との交際を始め離婚の手続きをして二人は晴れて結婚した。
その後、一年余りで長女が生まれてラスティは再び日本へ行った。量助の実家のある熊本へ行ったのだ。そこで盲目の柔道家から柔道を学び、帰国後夫と共に道場を開いた。
その頃、ラスティは自身も国際大会に出たいと思うようになっていた。豪州や欧州には女子の柔道チームがあったがアメリカにはまだなかった。ちょうどこの年に、男子の全米選手権が開かれることが決まっていたので女子の試合も開きたいと直談判した。当然、最初は反対されたが粘りに粘ったラスティは遂に女子柔道の全米大会開催に持ち込んだ。
ラスティは選手兼コーチとして大会に出場するつもりだったが、教え子との試合を避けるために階級を落とし無理なダイエットをしたせいで試合が出来なくなった。血を吐いて棄権したその大会で教え子は金メダルを取ったが、自分の選手としての限界を感じ指導者としての道を歩むことになった。
ラスティは全米チームのコーチとして、全英オープンに出場したが米国の柔道連盟などは非協力的で資金集めからラスティは始めなければいけなかった。
この時からラスティは女子柔道を五輪で開催できないかと考えるようになった。そして見えてきた五輪への道のためにラスティは世界選手権を開くことを決意した。