ウインドウショッピングをしていると、一昨年を思い出す。あの時に比べれば、耕作はいくらか自信につながることをしてきたと言える。それなのに何故いつも一歩前に踏み出せないのか。
「あら?コーサク?」
すれ違いざまに声を掛けてきたのは、書籍発売の時に世話になった書店の店主だった。50代の女性店主は自分の好みに合う本を選んで陳列し、作者を招いてはイベントを開催していた。耕作の書いた本を読んだ彼女は気に入ってくれて、サイン会を開催してくれた。彼女も他のニューヨーカーにもれなく傘をさしていない。
「久しぶりローラ。最近顔を見せずにいて申し訳ない」
「忙しいのでしょ。いいことよ」
スラリとした長身で、ブロンドのストレートヘアーがいつも綺麗にまとめられている。きっちりとした性格を表すような隙のない装いがかっこいい女性だ。
「日本でも本を発売することになってね、加筆やら修正やらあって……」
「まあ、加筆するの!?それは英語にはするのかしら?」
「残念ながらその予定はないよ」
「じゃあ、日本から取り寄せないといけないわね」
「出来上がったら持っていくよ」
「ありがとう。ところで、そちらは?見たところヤワラにそっくりだけど?」
赤い傘をさした柔は少し離れた所で、大人しく待っていた。ローラと目が合うと、軽く会釈をしたがそれはアメリカで正解だったのか。
「紹介するよ」
耕作は柔の方を向いて手招きする。小走りで駆け寄ってくる柔は、ローラから見ればまだ子供のように見えるかもしれない。
「ローラ、彼女は察しの通りヤワラ・イノクマだよ」
「ワオ!やっぱり!会えて光栄だわ。私はローラ。書店で仕事をしてるの。あなたのことを書いた本がとても評判が良くて、コーサクとはその縁で知り合ったの。でも、まさかヤワラまでNYにいるなんて思っても見なかったわ」
「はじめまして。あたしも仕事でNYに来てるんです。お世話になったのにご挨拶が遅くなってすみません」
「そんなこと全然気にしないで。あーすごいわ。実物は小さくてとてもかわいいわ」
ローラは何かを察したように耕作を見る。その表情に耕作も察してそっぽを向く。
「二人は……まあ、いいわ。今度は二人で店に遊びに来てね」
「ああ。そうさせて貰うよ」
ローラは手を振って笑顔で去って行った。
「他にもお世話になった書店ってあるんですか?」
「そうだな。無名で日本人の俺の本を置いてくれる店なんてあんまりなくて、直談判で売り込んだからな」
「あたしも挨拶に行った方がいいかしら?」
「そんなことはしなくてもいいよ。君が行ったらみんな驚いちゃうし」
「そうかしら?」
「本を読んで君のファンになった人は多いからね。ローラもそうだよ」
「じゃあ、今度ローラさんのお店に行ってみようかしら?」
「そうだな。きっと喜ぶよ」
柔は嬉しそうに笑った。本当に心から嬉しそうに笑った。その笑顔が耕作の目に焼き付く。
雨がひどくなったので二人は近くのカフェに入った。暖かい店内にホッとすると、柔の頬はみるみる赤くなった。逆に耕作は鼻水が垂れて来て何だか恰好がつかない。
テーブルの上にはコーヒーとカフェラテ。それからケーキが一つ。
「松田さんは食べないんですか?」
「俺はいいよ。そんなに好きなわけじゃないし」
「そうなんですか!?でも、前はよく食べてたじゃないですか?」
「そうか?」
「そうですよ。ブッシュドノエルにパンケーキにチョコレートのケーキ」
「ああ、どれも美味しかったな」
「あたし、松田さんは甘いもの好きなんだと思ってました」
「ええ?そう思うほど食べてたかな。イベントとか観光で食べるのはあるけど」
「日本でもいつも食べてたじゃないですか。パフェとかアイスとか」
柔が高校生の時、喫茶店で二人で話すときにはいつも耕作の前には甘いものがあった。それをバクバクと食べていたのが印象的だった。大人の男性ってかっこつけて食べないものだと思っていたから。
「ああ、あの頃のあれは癖みたいなものかな」
「癖?」
興味深げに耕作を見つめる柔。耕作はコーヒーを一口飲んだ。
「記者やってるとメシ食えないこと多くな。頭も使うし体力もいる。効率的に栄養補給が出来るって信じてたんだよ」
「じゃあ、わざわざ食べてたんですか?苦手なのに?」
「いやいや、苦手じゃないよ。嫌いでもないし。ただ、毎日食べたいとは思わないだけ。だって昨日食べただろう?」
「あ……」
そう言えばそうだ。柔は甘いものが好きだから毎日だって平気だけど、男の人はそうじゃないのかもしれない。
「よう、コーサク!」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにはモーリスが家族と一緒にいた。5歳の娘と3歳の息子、美人の奥さんが笑顔で手を振った。
「奇遇だな。クリスマスだから教会にでも行ってたのか?」
「その通りさ。コーサクは違うのか?」
「俺はクリスチャンじゃないからな」
「そうか……じゃあ、デートか?」
ドキリとしたがモーリスには既に二人の関係は知られている。
「ああ。言っただろう?彼女、NYで仕事してるって」
「そうだったな。よろしく、ヤワラ。俺はモーリスだ」
大きな手が差し出されて柔はそっと手を握る。
「初めまして。ヤワラです」
モーリスはニカっと笑った。
「初めましてじゃないよ。これで二度目さ」
「え?」
耕作の方を見ると、頷いていた。
「最近どこかでお会いしましたか?」
「いや、会ったのはもう随分前さ。二年前だよ」
「そんなに!ん?ってことは……」
優しく微笑むモーリスをよく見ると、どこかで見覚えがあった。そして二年前の出来事を思い返してみると、柔は大きな声を出さずにはいられなかった。
「えー!!あ、ごめんなさい」
モーリスも耕作も笑っていた。
「そう言う反応も無理もないさ。あの時とは全然違うから」
「でも、どういうことですか?悪い人じゃないんですか?」
「違う違う。モーリスは警官だよ。あの時は俺たちを守るためにあんなことしたわけ」
「あの時は怖がらせてすまなかったね」
鮮明に蘇る記憶。柔はタイムズ・スクエアの裏通りに入った時に声を掛けられた。その時は英語が殆どわからずただ怯えていた。でも、柔が一本背負いでその場にいた3人を投げ飛ばすと残った1人は手を上げたので2人で逃げた。
「思い出しました。警察官って本当ですか?」
「ああ。こう見えてね」
記憶の中のモーリスとは違って今目の前にいるのはとても優しい顔の男性だ。
「あの時の皆さんは大丈夫ですか?」
「気にしてくれるのかい?でも、大丈夫さ。彼らも訓練を受けたプロだから。怪我もしてないよ」
「それならよかった」
「でも、とても驚いてたけど。まさかこんなに小柄な女性に投げられるなんてって」
「すみません」
「いやいや、光栄さ。五輪のメダリストだもんな。俺はあの後、すぐに気づいたよ」
「そんな……打ち所が悪かったら怪我をしてたかもしれないので。本当にごめんなさい」
「全然気にしなくていいよ。むしろ、ヤワラだと知ってあいつらも興奮してたくらいさ」
「そうだったのか?」
静かにしてた耕作が口を挟む。
「勘違いするなよ。俺が言ったんじゃないぞ。コーサクの本を読んで気づいたんだよ」
「写真が載ってましたからね」
「いやいや、あいつらも気になってたんだ。どうして投げられたのか。そんな時に、コーサクの本が話題になって手に取って気づいたんだ。柔道で投げられたって。その後、ヤワラに気づいたみたいだけど」
「そんなに読んでいただいてるんですか?」
「話題になったからね。特に五輪を見てたやつは気になってただろうから」
「実はあたしもNYで生活するようになってすぐの頃は結構声を掛けられたんです。なんでかなって思ったら本を読んだって言ってくれる人が多くて驚いたんですよ」
「そうなのか!?」
また耕作は口を挟む。
「そうですよ。松田さんといる時はあんまり声を掛けられなかったんですけど」
「囲まれたりしないかい?」
「平気ですよ。それに最近はちょっと変装をしてますし」
「変装?」
「眼鏡をかけてます。それに仕事用の服だと気づかれにくいみたいです」
イメージが柔道着なのだろう。それに欧米の人はアジア人の区別がつきにくいとも言う。
「ヤワラはコーサクのせいでアメリカでも人気者になったからな。まさかNYにいるなんて誰も思ってないからそんなに騒ぎにならないけど、もし広まったらテレビ出演の依頼も来るだろうな」
「そんなことないですよ」
「いやいや、こんなに英語が話せるんだからあるさ」
「はは……」
そんなことになったら面倒だなと困り顔。
「ま、コーサクが守ってくれるだろうから大丈夫さ。な!」
「お、おう!」
「頼りにしてます」
「じゃあ、俺はもう行くから。またな」
モーリスは家族がいるテーブルに戻った。
「驚きました」
「俺も最初に会った時は驚いたし、警戒したよ。でも、本当に良い奴だし信頼してるんだ」
「お友達なんですね」
「まあね。世話になりっぱなしだよ。他にもNYで友達になったやつがいるしまた紹介するよ。ジェシーともまだ正式に顔を合わせてないしな」
「楽しみにしてます!」
新キャラ登場しました。
「ローラ」50代の書店店長。優しい人。
「モーリスの家族」妻と娘と息子がいる。