店内にあるテレビが天気予報に切り替わり、これから大雨が予想されるとアナウンサーが言っている。外は既に雨が降って残念なクリスマスだと言うのに、まだ降るのかと思うとうんざりする。
店を出て人通りが多い中、傘をさして歩く。せめて雪ならよかったのにと、足元の水たまりを見つめる耕作。
「どうしたんですか?」
耕作をのぞきこむ柔。その表情はこんな天気にも関わらず明るく、楽しそうだ。
「雨だなって思って」
「朝からですよ」
「雪ならよかったなって」
「それも朝に話しましたよ。でも今年の冬は暖かいってことですよね。それに雨のクリスマスもいいじゃないですか。夜には雪になるかもしれないですよ」
天気予報ではその可能性は否定された。それどころか今から大雨だ。早く帰った方がいいのではないか。柔は明日の昼の便で日本に帰る予定だ。荷造り等はしているだろうが、来ている服がぬれたら洗濯したりと面倒も多くなる。
「松田さん、覚えてますか?」
「何を?」
「ソウル五輪の前のことです」
「なんかあったっけ?」
「もー忘れちゃったんですか?急に雨が降って電話ボックスに二人で雨宿りしたじゃないですか」
五輪合宿の時だった。休みの日に藤堂と服を買いに出かけたのだが、通り雨に降られてとっさに電話ボックスに手を伸ばすと、ちょうど耕作も同じように手を伸ばして柔の手を握った。
「思い出した。あの日も雨だったな」
「はい。あの時、何考えてました?」
「俺?俺は……緊張してたよ。好きな子があんなに近くにいたから」
「松田さん……」
「柔さんは何を考えてた?」
「あたしは……あたしも緊張してました。意識、してたのかもしれないです」
「そっか……あの時はちょっとだけ同じ想いだったんだな」
「そうですね」
耕作は明確に柔に想いを抱いていたが、柔はまだそこまで耕作に対して恋心を意識はしていなかった。仕事の事しか頭にない耕作に柔は何度もがっかりしてきた。柔に優しくしてはくれるが、欲しい言葉をくれる人ではなかった。でも、気になる人。
何度も言葉を交わし、何度も助けられ、何度も心が揺れた。それでも4年もかかった。お互いの想いを伝えあうまで、4年の時間を費やしたのは間違いじゃない。
それは耕作も同じだ。大人になっていく柔を間近で見て想いは少しずつ膨らんでいく。それは今も変わらない。だから今、伝えなきゃいけない言葉がある。
「なあ……」
ビルの隙間の空を眺めていた耕作は近くにいると思っていた柔がいないことに気付いた。小柄だけど傘をささないニューヨーカーの中で赤い傘をさしているから直ぐにわかると思っていた。
「柔さん?」
耕作の心臓は鼓動を速めた。傘をさしているからいざというときに技をかけるのが遅れる。小さい体を抱えられてどこかに連れて行かれてもわからない。雨音で周りは想像以上にやかましい。声を上げても聞こえないかもしれない。
最近のNYはそんなに危険な街だと耕作は感じないが、モーリスからよく聞かされていた。観光客や女性、子供を狙った犯罪は起きている。ドラッグ中毒者や精神異常者が理由もなく人を刺したりするのだと。
耕作は辺りを見渡し走り出した。赤い傘は見えない。路地を覗き込む。傘は見えない。耕作の手が震えてきた。体が寒くなる。怖くなった。想像をすることすら恐ろしいことを心の奥で考えてしまい、怖くなった。
車の音がうるさい。人の歩く音がうるさい。雨音がうるさい。聞こえない。柔の声が聞こえない。
目の端に見えた鮮やかな赤い傘。耕作は目を離さないように走った。ただ、走った。
「柔さん!」
耕作は柔の左手を掴んでいた。
「え!?」
驚いた顔をしていた。ひとりで歩いていたことに気付いてなかったのかもしれない。
ちょうど信号が青に変わって人々が波のように動き出す。その中で動くことのない二人。
「松田さん?」
少し困った顔をしている柔。耕作はそれほど必死に走って、青ざめるほど心配した。怖かったのだ。失うことが。この手を離れてしまうことが。
「柔さん」
「はい?」
「結婚しよう」
柔は目を見開いたまま動かない。
「え?」
「俺と結婚して欲しい」
道行く人が二人を見ている。今、二人は日本語で話している。横断歩道の前で微動だにしない二人を怪訝な顔で見てる。
「松田さん? どうしたんですか?」
「ずっと考えてた。いつ言おうか考えてた。俺は不器用だからタイミングとか考えてたら言いそびれて、それでもまたいつか言えたらなんて考えてたんだけど……」
柔の赤い傘が開いたままポトリと落ちた。雨に濡れることも気にならない。
「あたしでいいの?」
「君しかいないよ」
向かい合う二人。柔の左手の薬指に大きな雨粒がポトリと落ちて、輪になって流れた。もう全身濡れているのにそれだがくっきりと見えた。柔は迷わなかった。だって答えはもう決まってる。
背伸びして腕を伸ばす。涙を流す柔は耕作にキスをした。こんな人の多い場所で自分からキスするなんて絶対にないと思っていたのに、抑えきれなかった。嬉しくて胸が張り裂けそうだ。
耕作は自分の青い傘を離してしまい道路に転がった。二つの傘が風に揺れる花のように見えた。
怪訝そうに見ていたニューヨーカーたちも二人の様子から幸せな気配を感じたのか、立ち止まって拍手をする者や笑顔を送る者もいた。でも、その声もタクシーのクラクションの音も二人には聞こえなかった。
聞こえるのはお互いの鼓動だけだ。
そして二人は見つめ合って、照れて笑った。
このプロポーズのシーンは今井美樹さんの曲でアニメYAWARA!の二代目OP曲でもある「雨にキッスの花束を」をイメージして書きました。