YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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1995年 激動の年
vol.1 哀惜


 年が明けて1995年になった。この年は悲しい出来事で始まった年だと言ってもいい。

 1月17日の午前5時46分、後に阪神淡路大震災と言われる地震が発生し、近畿地方に大規模な被害が出た。予期せぬ震災と突然の別れ。日本は衝撃と哀しみに包まれた。

 柔はこの時にはNYに戻っていたが、NYでもテレビで報道されていたので被害の甚大さを知り心を痛めていた。詳しい情報は耕作からも知らされて、同じ会社で働く日本人も伝えた。旅行会社ということで日本中に支店があり、かつて共に働いたものもいる。安否が確認されるまで心が休まることはなかった。

 こんな日本において、再び人々を絶望と哀しみに陥れる卑劣な犯罪が行われた。3月20日、その第一報を聞いた耕作は知らせてくれた邦子の電話を強引に切ると、すぐに柔の家に電話を掛けた。日本時間で午前10時頃のことだ。

 電話に出たのは玉緒だった。

 

「松田です。柔さんは無事ですか?」

「まあ、松田さん。落ち着いてください。柔は無事です。さっき連絡がありました」

「そうですか。一先ず安心しました」

「ええ、被害に合われた方がかなりいらっしゃるようで、まだあちこち騒然としているようです。柔もいつ帰れるかわからないと言うことで」

「それもそうですね。東京の地下鉄なんて巨大な交通網を攻撃されたんですから」

 

 3月に入って、柔はNYから東京に戻った。4月の全日本選手権に出るための調整ということで、転勤の前から決まっていたことだった。

 

「日本でこんなことが起こるなんて……」

「とても恐ろしいですわ。まだあまり情報がないので被害の大きさも目的もわからなくて。電車も動くか分からないので、柔がいつ帰って来れるかわかりませんが、戻り次第こちらから連絡させますので」

「こんな時間に突然すみません」

「いえ、心配してくださってありがとうございます。それから松田さん」

「はい?」

「二人の今後のことですが、二人の事ですから周りの意見に惑わされることなくお互い納得のいくようになさってください」

「あの、聞いて……?」

「ええ。でもまだお義父さんの耳には入ってないと思いますが」

「そうですか。4月に改めてごあいさつに伺いますので」

「楽しみにしていますわ」

 

 電話を切って耕作はテレビをつけた。日本の地下鉄で起こった未曽有の出来事はNYでも報道され始めた。まだ犯人も目的もわからない。ただ苦しむ人々とそれを助けようとする救助隊や警察の姿に耕作は声もなく食い入るように見ていた。

 再び襲う無力感。NYでのテロの時も先日の震災の時も感じた。何も出来ないことへの苛立ちと悔しさ。記者とはなんなのか。

 柔から電話があったのはそれから数時間の後だった。デスクで仕事をしていた耕作はワンコールで受話器を取るクセが付いてしまい、この時もすぐに電話に出た。

 

ハロー

「あの、松田さん?」

「柔さんか? 無事でよかったよ」

「ええ、路線が違ったので大丈夫でした。何が起こったのか正直よくわからなくて、テレビで知ったくらいなんですよ」

「目的とか犯人ってわかったのか?」

「いえ。でも、電車にまかれたのは劇物のサリンと言うものだと言ってました」

「サリン! 化学兵器じゃないか。これは完全なテロ行為だ。まさか日本でこんなことが起こるなんて」

「亡くなった方もいるようです。病院に運ばれた方も多くいて……」

「こっちでも報道されてる。情報は少ないけど、化学兵器が使用されたと知れば世界が衝撃を受けるだろうな」

「どうして?」

「世界初だからさ。それが奇しくも日本で行われたんだ。テロとは無縁のような国で」

 

 二人は沈黙する。幸いにも柔の知り合いに被害者は出なかった。でも、今も苦しんでいる人がいると思うと喜んでもいられない。

 

「大丈夫か?」

「ええ。一昨年、NYでテロがあって今度は東京。人ってどうしてこんなこと出来るのかしら。無差別に命を奪うなんてどうして……」

「人じゃない。もう、そんなことする奴らは人じゃないんだ。自分で判断できないんだ。誰かの指示だったり、何かの教えだったりとにかく人を殺すことに罪悪感がない。そんな奴らはもう人じゃない」

「うん、そうだよね。でも、そんな人たちがどこにいるかわからないから」

「怖いよな」

「怖いわ。でも、あたしは負けない」

「強くなったな」

「松田さんがいるから」

「そばにいないじゃないか」

「ううん。いるわ。心配してくれて話を聞いてくれて一緒に心を痛めてくれる。それだけで心強いの」

 

 言い聞かせるように柔は言った。声には元気はない。自分のすぐ近くで起こった恐ろしい出来事を整理するのにはまだ時間がかかる。それでも進むために声に出してるのだ。

 

「4月に日本に一度帰ることになったんだ」

「そうなんですか。どのくらいいられるんですか?」

「具体的には分からないけど数日はいれるよ。その時に君のご両親と滋悟郎さんにあいさつに行くつもりだ」

「お父さんはいないかもしれないですよ」

「そうなったら電話でもするよ。それからうちの実家にも行って欲しいんだけど」

「え! あ、そうですよね。はい、もちろん伺います」

「緊張とかしなくていいから。気楽にいけばいいよ」

「そう言うわけにはいかないですよ。ちなみにいつですか?」

「そんなの決まってるだろう。全日本が終った後だよ。俺も応援に行くし」

「そんな! あと1ヶ月もないじゃないですか。あたし、緊張して試合どころじゃないかも」

「だから緊張はいらないって。いつも通りでいいんだよ」

 

 自分はとっくに柔の両親や滋悟郎とも顔なじみだからいいけど、柔は今まで一度だって会ったことも無いのだ。緊張しないわけない。

 

「何を着て行けばいいかしら?」

「いつも来てる服でいいよ」

「そんないい加減な」

「似合ってるんだから」

「もう……さらっとそんなこと言わないでください」

 

 最後は少し和んで電話を終わることが出来た。世の中が変わり始めているのか、ただ一時的に物騒になったのかはわからないが今年は緊張する出来事が多く続きそうだった。

 

 

 

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