柔と耕作が高砂に戻ると、祝電が読み上げられた。
『ご結婚おめでとうございます
長年お二人の事を近くで見ていたものとして
これほど似合いのカップルはいないとおもっていましたので
まさに運命の相手と出会い結ばれたのだと感じております
末永くお幸せに
本阿弥進之介』
名前を読み上げられた時、柔と耕作は驚きながらも安堵した。なぜなら結婚式の事はほぼ外部には言っていないことで、祝電が来ること自体ありえないと思っていたのだ。でも、風祭ならどこかで情報を手に入れて祝電をしてもおかしくはない。
「それではもう一通ございます」
『ご結婚おめでとうございます
柔さん 幸せ気分は今日だけになさい
来年の体重別選手権が決着の時です
首を洗って待っておいでなさい
本阿弥さやか』
会場が凍りつく。何と言う祝電。恐らく読んだ司会者も初めてだったのではないだろうか。
「さやか嬢、やる気ぢゃの!」
滋悟郎がにやりと笑う。
「ず、随分個性的な祝電でしたね。それでは新郎新婦よりご両親への花束が贈呈されます」
耕作は大きな花束を自分の両親に贈る。
「沢山心配かけたし、迷惑もかけたけど助けてくれてありがとう。これからも体に気を付けて長生きして欲しい」
「まだ死ねるか」
「そうよ。まだまだこれからなんだから」
涙ぐむ両親。立派に育った息子を誇らしく、そして淋しく感じる。
柔も両親に花束を渡す。
「今日まで大切に育ててくれてありがとうございました。娘としてはまだ何かしてあげられたことがないので、これから少しずつ親孝行していきたいと思います」
「ありがとう、柔。自慢の娘よ」
「今まですまなかったな。ありがとう」
「それからおじいちゃん」
黒の紋付を着て堂々としたいでたちでいる滋悟郎はこの時ばかりは静かにしていた。
「今まで言えなかったけど、柔道教えてくれてありがとう。女の子が柔道なんてってずっと思ってけど、柔道やってなかったら耕作さんにも出会えなかったしここにいるみんなにも出会えなかったかもしれない。すぐ調子に乗るおじいちゃんだからあんまり言いたくないけど、あたしを大切にしてくれてたことは伝わってるよ。強引なところもあるけど、あたしのことも考えてくれてた。だからね……」
柔は目に涙が浮かんでいた。瞬きしたら涙が零れそうだ。
「なんぢゃ」
「長生きしてね」
「わしはまだ死なん!!」
「わかってるわよ」
そう言って柔は金メダルを滋悟郎の首にかけた。それはソウル五輪のでもバルセロナ五輪のでもなく柔が自作したちょっと不格好な金メダルだった。
「な……なんぢゃこれは」
「おじいちゃん、東京オリンピックに出られなかったって言ってたから」
1940年の幻の東京五輪は支那事変の影響により開催を返上した。もしこの時開催されていれば、公開競技ではあったが滋悟郎は間違いなく柔道で金メダルを取っていただろう。そしてそれは世界に衝撃を与える事となったに違いない。
「開催してたら金メダルだったよね」
「あ……あたりまえぢゃ」
その時、カメラのフラッシュが光る。カメラを構えていたのはジェシーではなく、シゲルだった。
「松ちゃん……」
「父が生きていたらきっと滋悟郎さんの勇姿をこうやってカメラに残したはずですから」
滋悟郎は若い時のことを思い出し、胸にこみ上げる。カネコが生きていて、自分も柔道にまい進し輝く未来が待っていた。戦争と言う影が落ちる中でも、柔道があったから強く生きてこれた。カネコや虎滋郎がいたから踏ん張れた。家族が増えて、玉緒が嫁になり柔が生まれてカネコを亡くしそれでも自分が出来ることは柔道しかなかった。貫いてきた自分の道を疎ましく思われても、残したかった。自分の力と技を。独りよがりだとしても、嫌われても構わないと思っていたのに。
「こ……こんなものよりも、アトランタ五輪の金メダルの方がよっぽど嬉しいわ!」
そう言いながら涙を流す滋悟郎を柔と耕作は涙と笑顔で見つめた。
「皆様、新郎よりお礼のごあいさつがございます」
司会者に言われて耕作は慌てふためきながらマイクを取る。そして深呼吸をして柔を見ると不安そうにしていたので、笑顔を作り余裕を見せた。余裕もないのに。
「本日はご多用の中、二人のためにお集まりいただきありがとうございました。皆さまからのたくさんの身に余る祝辞をいただき感謝の気持ちでいっぱいです」
耕作はまた一呼吸置いた。格式ばった物言いに違和感を覚えた。自分の言葉で言わなきゃいけないことがある。
「今日、結婚式が出来たのは柔さんの頑張りによるものです。俺はアメリカにいて殆ど何も出来ませんでした。準備期間も短く本当に頑張ってくれたと思います。ありがとう」
柔の方を向くと、戸惑いと喜びが表情に滲み出ていた。
「それからみなさんも急な式だったのにもかかわらず集まってくれて本当に感謝しています。特にデイビットはこの場所の提供とアメリカからみんなを連れて来て、祝ってくれて俺はいい友人を持ったなと心底感じています。そして鴨田」
奥の席でぐたっとしていた鴨田は急に名前を呼ばれて耕作を見た。
「無茶なお願いを承諾してくれてありがとう。お前の写真の腕は信頼してるし、お前がいなかったらきっと俺はここにいなかったと思う。ありがとう」
「いや~それほどでも」
「そして一つだけ皆さんにお話ししておきたいことがあります」
耕作の雰囲気が変わり、何を言うのかと全員が注目する。
「今日、俺たちは結婚して夫婦になりました。籍を入れて、俺が猪熊になります」
会場がざわめく。
「どういうことだ、松田?」
編集長が代表して聞いた。
「猪熊という姓を残したかったんです。俺も柔さんも一人っ子でどちらにしてもどちらかの姓が消えるわけで、普通に考えれば男の名字に女がなるものだって思うかもしれない。でも、俺は猪熊柔道の素晴らしさとか将来性を踏まえて、残すべきだと思ったんです。もちろんうちの両親にも相談して納得の上での結論です」
耕作の両親は頷いている。
「俺は記者でペンネームでも仕事が出来るからこれからも変わらず『松田』で仕事をしていくつもりです」
「柔ちゃんはどう思ってるの?」
邦子の声を聞いて柔もマイクを持つ。
「耕作さんからこのことを相談されてあたしはずっと考えてました。あたしは結婚したら夫の姓になるものだって、それが幸せなんだって思ってました。逆にそうしない家は妻の力が強くて夫が肩身が狭い思いをしているのではないかと言う偏見すら持っていました。でも、耕作さんはあたしに別の道を示してくれて考えさせてくれました。常識とか当たり前を見つめなおす時間をくれて、自分と家族と向き合いそして気づいたんです。あたしが背負っているものはとても大きくて、それを耕作さんが半分肩代わりしてくれようとしてるんだって」
滋悟郎の金メダルを作ってる時、今までの試合の事を思い出していた。メダルもそうだがカップや賞状類も柔は興味がなく部屋に置いてもいない。全て滋悟郎が管理しているはずだ。それなのに自分は滋悟郎に金メダルを贈ろうとしている。それが大きな意味を持つ物であることを自覚した。滋悟郎が大切に守っているのは、そう言う形あるものじゃなく自分のしてきた歴史そのものなのだとわかった。
そしてその最たるものが国民栄誉賞と言う大きな、大きすぎる賞。それはあまりにも柔の背には大きくて重い。でも放り出すことも無かったことにもできないし、手放したくはない。
「もしあたしの姓が松田に変わったとしても、あたしのしてきたことが変わるわけじゃないと言ってくれた人がいました。それもそうだなと納得しました。将来、子供が生まれてその子が柔道をしたとき猪熊と松田の両方の想像をしてみたら、結局親の事を言われるんですよね。だったらもう松田になった方がいいのかもしれないとも思いました」
会場を見渡す。柔道を通じて出会えた人たち、柔道をしていると知っても友達でいてくれた人たち。そんな人たちが真剣なまなざしで柔を見ている。
「でも、これからの日本の柔道界の事や女子柔道の事を考えたら『猪熊』の一本取る柔道は必要だと思ったんです。柔よく剛を制すの信念のもと日本の柔道を伝えて行けるのはおじいちゃんが確立した『猪熊柔道』だけなんだって思いました。耕作さんがあたしが背負っているものを半分持ってくれるなら、あたしはもう少し背負えるかなって思ったし、耕作さんも一緒に背負ってくれるから名字を猪熊のままにしようと思いました」
頷いている両親たちとは違って滋悟郎はポカンと口を開けて柔を見ている。
「実はこのことをおじいちゃんは知りませんでした。ね?」
「わ……わしは聞いておらん」
「今更反対してももう遅いのよ」
「反対なんぞせんわ!」
「そう言うと思った」
滋悟郎は耕作の両親の方へ歩み寄る。
「本当によろしかったんですか?」
「もちろんです。同じ山形出身として猪熊先生の偉大さは誇りに思うところです。だからこちらこそ、光栄に思います」
滋悟郎は遠い目をする。若い頃に成し得なかったことがある。名声を山形までとどろかせること。親族を驚かせること。後者は成し遂げた。そして今、残った一つを成し遂げた気がした。
「ありがとう」
滋悟郎はしっかりと握手を交わした。
その後、結婚式はお開きとなりゲストを見送って柔たちも控室へもどった。