「なんだか不思議ですね」
「ああ、お前が父親だなんてな」
「それもそうですけど」
「じゃあ、俺が柔さんと結婚したことか?」
「ええ。松田さんはバルセロナ五輪の時にこうなるなんて思ってもいなかったですよね?」
「当たり前だろう。俺なんて相手にされてないと思ってたよ。むしろお前の方が優勢だと思ってた」
「僕もです」
「正直だな」
「でも、焦ってたんです」
「さやかか?」
「いえ、柔さんの心は揺れ動いていました。決定的に僕に向いていたのはたぶん高校生の時くらいじゃないでしょうか」
「そりゃお前は何かっていうとさやかとのことがあったじゃないか」
「それは松田さんも同じじゃないですか。邦子さんが随分つついてたみたいですよ」
「知ってたのか?」
「女性のことは経験上わかりますよ。でも邦子さんも焦っていた。僕たちは同志だったんです。お門違いではありましたが」
「はあ?」
「邦子さんは松田さんと。僕は柔さんと。そうやって未来予想図を描いていたんです。でも、そういう話を邦子さんとしているときお互いに焦りがあったんですよ。だって邦子さんが松田さんを捕まえてくれれば柔さんは松田さんの方を向かない。邦子さんからすると僕と柔さんが手を取れば松田さんは柔さんを諦めて邦子さんの方を見てくれる。そうやってお互いに期待してたんです。自分の力だけで振りむかせる自信はあったはずなのに、いつの間にかその自信が揺らいで誰かに期待した。気づいてなかったのは本人たちぐらいで、外野はみんなわかってたんです」
「そういうもんか?」
「認めたくなかったのは僕と邦子さんくらいですよ。表彰式の時、邦子さんは吹っ切れてたようですけど僕はまだ諦めきれなくて」
「そういえばお前が俺を暴漢呼ばわりしたせいで、会場がめちゃくちゃになったんだよな」
「はははっ。それは申し訳ないと思いますが、あの場で何を言う気だった知りませんけどあのまま普通に式が終わるわけないじゃないですか」
「それもそうか。でも、今のお前は随分さっぱりした言い方だな。もう未練はないのか?」
「それを松田さんが聞きますか?」
「聞いても平気そうだったからな」
「記者ってのは恐いですね。もちろん、未練はありません。僕が今大切にしているのは家族と仕事です。夫婦仲も良好ですよ」
「下僕みたいになってないか?」
「ないですよ。努力しましたから」
「そうか、ならいいよ。なんだかんだでお前とも長い付き合いだしな」
「一度、ゆっくりお酒でも飲みながら話したいですね」
「そりゃいい。NY来たときは連絡くれよ」
「ええ、いい店紹介してくださいね」
「お前が行くような高い店なんか知らないけど、いい酒を出す店は知ってるぞ」
「それは楽しみですね」
「そういえばお前の実家って酒造会社じゃなかったか?」
「ええ、よくご存じで」
風祭酒造は伝統ある会社だが、日本酒離れの影響もあり早々に本阿弥グループの傘下に入ることにより会社は今も存続している。だがグループに入るために両親は一人息子をさやかへ婿養子に出し会社自体の跡取りは今もいないままだ。
「俺の行きつけの店のマスターが日本酒に興味を持っててな、今度店に持っていこうと思ってるんだ」
「NYにですか? 珍しいですね」
「ああ。結構色んな国の酒を集めてて、酒に合う料理を出す店で日本の酒は飲んだことないっていうもんで紹介しようと思ってな。俺は日本酒とかあんまりわかんないから欧米人の好みとかもさっぱりで」
「わかりました。その辺は父に相談します。松田さんは日本酒はあまり召し上がらないんですか?」
「俺はビールだよ。そういうお前はワインだろう? 酒造会社の息子なのに」
「そうなんですよ。日本酒も好きなんですけどね、やっぱりワインの方は飲みやすいというか」
「かっこつけてんだろう。日本人は欧米のものを取り入れてはかっこつけるところがある。まあ、ビールもドイツが発祥だから人のことは言えないか」
だが実際、女性を口説くとき日本酒で誘うことはない。レストランにしろバーにしろワインやカクテルを使う。その方が若い女の子は好むし、スマートだ。日本酒はやはりおじさんの飲み物のような感じで、格好悪いと思う女性が多いのも事実だ。
「だけどな、俺は思うんだよ。日本の文化っていつかきっと海外に大きな影響を与える。日本人メジャーリーガーが誕生して彼らが持ち込むだろう。日本の映画や歌、伝統がいつか向こうでクールって言われる時がくると俺は思う」
「それは住んでみた実感ですか?」
「ああ。案外、日本って国はミステリアスで興味を持たれやすい。まだ侍がいると思ってる人もいるかもしれないが、もっと情報を発信していけばきっと日本を知りたくなるはずだ。だって、俺が書いた柔さんの本が結構売れたんだぞ。柔道っていう日本のスポーツはまるで魔法のように小さな女の子が自分の倍以上ある人をいともたやすく投げ飛ばすんだ。それを前の五輪で目の当たりにした。だからもっとテレビなんかで宣伝でもしたら、日本は世界に出ていける。そう思わないか?」
「確かに、日本人は英語ができないことで保守的になりがちですね。島国特有のあの感じがチャンスを逃しているような気はしています。僕だってそうだ。英語ができて仕事で海外に行っているのに、あまり文化とか食事に関して紹介しようとも知ってほしいとも思わなかった。これはいいビジネスチャンスですよ」
「そうか? 俺は書くことしかできないけど、お前はもっといろいろできるだろうな」
「これから世界はもっともっと近づきます。日本が取り残されないように、目を光らせて行かないと、あっという間に他国に差をつけられますね」
風祭の目を輝いていた。不景気真っただ中の日本において、何かに挑戦することは無謀だといわれるかもしれない。でも現状維持では未来はない。未来を見て手を打たなければ、会社は発展しない。発展しなければ衰退する。
「ありがとうございます。松田さん!」
「お? おお」
耕作は自分で感じたことを伝えただけだ。それをどう受け取り、どうするかは風祭次第だ。
その後、会話はなくなり耕作は仮眠をとり、風祭は考え事をしていた。バブル崩壊後、目まぐるしく変わる経済状況。そして自分の周囲も四年前とは大きく変わった。以前のような経営方法ではいずれ歪がうまれ崩壊するかもしれない。新しいことを考えなくてはいけない。
車の乗り心地はとてもよく考え事に向いていたが、気づいたら会場近くまで来ていた。
「松田さん、そろそろ代々木ですよ」
「ああ……」
眠い目をこすりながら外を見る。久しぶりの東京は相変わらず人が多い。でも、なんだかホッとする。
「裏口から入ります。手はずは整っていますので」
「そりゃありがたい」
二人とも記者に見つかれば面倒なことになる。風祭はそうでもないが、耕作は柔を射止めた男とであり柔を守った男として日本でも大注目されていた。自身が記者であるのに記者から逃げるのはあまりに滑稽だと笑う。
「ところで時間は間に合ったのか?」
二人は顔を見合わせた。
「早く行かないと!」