YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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vol.3 さやかvsアリシア

「さやかさん……」

 

 大勢の人が行きかうこの場所で、すべての人間は景色の様だった。その中で声をかけてきた柔。さやかは少々驚いた。

 

「ごきげんよう猪熊さん。調子はいかがかしら?」

「あたしのよりもさやかさんはどうですか? マルソーさんとの試合でどこか痛めたりしませんでしたか?」

「ありませんわ。絶好調ですもの。それよりも要件は何かしら?」

「あの……アリシアは決勝の相手のアリシアはとても強いです。だから……」

「そうでしょうね。あなたたちが私の金メダルを妨害するために、あの手この手で強くしたんですもの」

「違います。そんなんじゃないです」

「どうかしら? 今は仕方なく日本代表だから私の応援をしているでしょうけど、本心はご友人の彼女の応援をしたいんじゃなくって?」

 

 相変わらずの柔嫌いと言うか、ひねくれてものを考える人だと柔は思った。

 

「いいえ。あたしがここに来たのは、さやかさんに勝ってほしいからです」

「まあ、そんな勝手なことをよく言えたわね」

「本当です。だって、さやかさんはあたしの……あたしのライバルですから。こんなところで負けてもらっては困ります。五輪で金メダルを獲ってまたあたしと試合してください」

 

 その場の空気が止まる。さやかは瞬きも忘れて柔を見ていた。試合の時に見せる本気の瞳を柔はしていた。嘘を言っているのではない本心だ。

 

「自分のライバルは金メダリストでないと釣り合わないとおっしゃるのね。いいでしょう。必ず金メダル獲って見せましょう」

 

 さやかは立ち上がる。ふわりと上質な香水の香りが鼻をくすぐる。

 

「だからあなたも明日、金メダル獲りなさい」

「はい!」

 

 さやかは会場へ向けて歩き出す。柔の横を通っていく風祭はそっと耳打ちした。

 

「ありがとうございます」

 

 何か様子がいつもと違うと感じた。でも、さやかのいつもをどれだけ柔は知っているのか。ただ今は、決勝をただ見守ることしかできない。さやかでもアリシアでもどちらを応援していいのかわからない。ただ全力で挑んでほしい。それだけのためにあの言葉を選んだ。

 

「ライバルか……」

 

 そう呼べる人はもうさやかしかいないのは確かだ。ジョディも富士子もテレシコワもいない。マルソーはまだそこまでじゃない。アリシアも同じだ。

 会場から湧き上がる歓声。柔は急いで応援席に向かった。

 

◇…*…★…*…◇

 

 畳の上はいつも空気が張り詰めている。この感じがさやかは好きだった。真剣勝負の世界には普段得られないものが多くある。刺激が欲しかった。何の苦労もない人生だからわざと自分を追い込んで、人生の刺激を与えた。

 

「礼!」

 

 頭を下げる。自然と呼吸が整う。

 

「はじめ!!」

 

 両者一旦にらみ合う。相手を見据えて動きを読む。がむしゃらに動くことは隙をつくることになる。

 最初に仕掛けたのはアリシアだった。いい位置を取り大内刈りを仕掛けた。しかしさやかには全くきかなかった。すぐに反撃され今度はアリシアの体が宙に浮いた。

 危うく一本になりそうだったが、技ありになった。

 その後、二人は攻防を繰り返した。アリシアはさやかの寝技を返し抑え込むが一本にはならず技ありとなる。ポイントは同じ。試合は残り1分となった。

 アリシアの闘志は燃えていた。長年のトラウマのような存在と五輪で戦えるなんて、夢のようだと思っていた。トレーニングは積んできた。十分かと言われるとそれは違うが、今できることを精一杯出し切って挑むことが前に進むことになる。

 思わぬ強さにさやかは苛立ちすら感じた。世界のレベルは日々上がっている。その上を歩いている自負があった。結果も出してきた。それでも目の前のアリシアはその道を阻む存在となった。マルソーより強いと感じている。

 お互いに一瞬だって気が抜けない。会場の歓声すら聞こえない。残り5秒。ポイントはさやかが有効一つ分勝っている。このまま逃げ切れば金メダルだ。しかし……

 

――あたしのライバルですから。

 

 柔のあの言葉が頭をよぎる。どこかで見ているこの試合。みっともないところは見せられない。

 さやかはアリシアの隙を見つけ、そこに足をかけた。しかしアリシアもされるがままではない。必死に抵抗しそして裏投げを仕掛ける。

 

「やあああっ」

 

 畳に打ち付ける音が響く。審判の判定は……

 

「有効!! それまで!」

 

 二人とも息が上がってしばらく起き上がれない。ほどなくしてさやかが立ち上がりアリシアに手を差し出す。

 

「《font:》いい試合でしたわ《/font》」

「《font:》こちらこそ、ありがとう《/font》」

 

 勝敗は判定となる。主審と副審二人が優勢の方に旗を揚げる。運命の瞬間だ。

 スッと挙げられた旗は二つがさやか、一つがアリシアとなった。

 アメリカの観客が多い中、この審判に少なからずブーイングはあったが白熱した試合におおよそのアメリカ人は受け入れている世だった。

 そしてそれはさやかも同じだった。アリシアは強かった。それだけのことだ。

 

「《font:》おめでとう、サヤカ《/font》」

「《font:》ありがとう、アリシア《/font》」

 

 握手を交わすと二人は畳を降りた。そしてアリシアは兄のもとに行き、さやかは風祭のところへは行かず徳永からバッグを受けとるとトイレへ駆け込んだ。インタビューも受けず誰とも目を合わさず。

 数分後、完璧なメイクをして現れ、メダルの授与式に出ていき、真ん中の一番高いところでファンの声援にこたえるように手を挙げた。満面の笑みだった。最も美しいメダリストとして大きく報道され、栄光を称えた。

 

◇…*…★…*…◇

 

 さやかの金メダルは日本でも大きく取り上げられ、五輪特番ではさやかと同日に銀メダルを獲った男子の選手が登場した。さやかの希望もあり、日本の各テレビ局に短時間だが出演し金メダルの喜びを伝えた。それに付き合う男子選手も大変そうだが、そこに文句は言えないと言った様子でしたがっていた。

 最後の出演が終わると、カメラの前でさやかは言った。

 

「これからテンプルトンホテルで緊急の記者会見を行います。よろしければ記者の皆さん、お越しください。時間はそれほどかかりませんわ」

 

 テレビ局のスタッフも何事かといった様子でさやかを見ていたが、さっそうと車に乗って行ってしまった。しかしさやかが何かを発表するとなると、取材に行かないわけにはいかない。オリンピック関連の記事をやっと書き上げた記者たちはやっと休めると思ったのに、思わぬ告知に行かないわけにはいかないと日本のみならず海外の記者もテンプルトンホテルへ向かった。

 耕作も原稿を書き終え滞在中のホテルに戻ったころ電話が鳴った。仕事の電話はもう終わったはずなのに一体何だろうかと思ったが、案の定編集長からだった。

 

「松田! お前まだ寝るなよ!」

「なんですか、仕事は終わりましたよね」

「いいや、本阿弥が記者会見をするってさっきテレビで言ってたんだ。今すぐカメラ連れて向かえ。いいな」

「記者会見!! 何を言うつもりなんだ?」

「それを聞きにお前が行くんだ! いいな!」

 

 電話は切れた。これからシャワーを浴びて柔のいる選手村に行く予定だった。一応時間は決めていて思ったより早く仕事が終わったので、一旦部屋に戻れた。それなのに、こんなことになるなんて。

 選手村へ個人的に連絡を取る手段がない。柔はポケベルも持っていないし待たせてしまうかもしれない。明日には無差別級があるのに体調にもよくない。なんとか連絡を取る手段がないかと考えていると、再び電話が鳴った。

 

「ハロー」

「あの耕作さん?」

「ああ、柔さんいいタイミングだ」

「さやかさんの取材行くのよね?」

「知ってたの? 急に記者会見って何考えてるんだか」

「日本の柔道関係者の皆さんは大騒ぎして、おじいちゃんも何だかワクワクしてるようなの」

「ということは、全柔連も知らないってことか」

「ええ、でもさっき会場で会ったラスティが言ってたの。さやかさんは何か決意していると」

「ラスティに会ったの? さやかとも接触してたのか」

「初戦の前とアリシアの試合の直後にトイレで会ったと言ってたわ」

「そう言えば試合後すぐにトイレに駆け込んでたな」

「ラスティが言うには泣いているようだったけど、すぐに顔を洗ってメイクを始めたって。とても心の強い人って言ってたわ」

「泣いてたのか。アリシアに負けたと思ったのか。それとも何か別の意味があるのか」

「ねえ、耕作さん?」

「ん?」

「今日はあたし、我慢して明日のために早く休むわ。だから明日、そっちへ行ってもいい?」

「え? ああ……いいよ。なんなら明日の試合後に鍵渡しておくよ。俺の方が遅くなりそうだし」

「ありがとう」

「柔さんはなんだかんだで記者たちから逃げるのうまいもんな」

「素早さは特技なので。じゃあ、気を付けてね。もう、夜も遅いし」

 

 時計を見ると午後10時を回っていた。

 

「じゃあ、おやすみ。明日頑張れよ!」

「はい!」

 

 電話を切ってすぐに部屋を出る。そして少し離れた部屋の扉をノックする。

 

「なーに? 夜這い? 柔ちゃんに言うわよ」

 

 邦子が出てきた。少しアルコールが入っているようだった。

 

「何言ってんだ。ジェシーはいるか?」

「どうしたのコーサク?」

 

 ひょこっと出てきたジェシーはまだシャワーを浴びたところいった様子だった。

 

「仕事だ。準備しろよ」

「えー何の仕事? もう髪も洗ったし」

「つべこべ言うな。バイクは俺が運転するからさっさと着替えて準備しろ」

 

 ジェシーは昨年の世界選手権から日刊エヴリーの専属カメラマンとなった。結婚式の時に編集長と直接話し、協議した結果、採用となったのだ。主にアメリカ駐在の記者と行動を共にしてもらうことになるが、世界選手権の時は耕作が日本にいたこともあって一緒に来日し、契約に至った。

 だから編集長の言うことは絶対だし、期待されてるなら応えたいと思った。

 

「何事?」

「さやかが緊急記者会見を行うって告知してきてな、編集長から行けって命令があった」

「んな! じゃあ、あたしが行くわ」

「そんな様子の君じゃ行っても追い返されるだろうし、カメラだって上手く操れないだろう」

「そんなこと……」

「急遽決まった会見だ。何を言うかはわからんが、記者として行かないわけにはいかないからな。まあ、君には明日の無差別級の方に期待してるから今日は休んでくれ」

「……はーい」

「おまたせ。場所はどこ?」

 

 ジェシーはライダースーツに身を包み、髪もまとめてすっきりとした様子でやってきた。機材一式も抱えて準備万端だ。

 

「テンプルトンホテルだと」

「ほほー、何とも言えない場所を選んだものね。アリシアは知ってるのかしら?」

「さあな。選手村にはある程度情報は行ってるみたいだけどな」

「じゃあ、加賀くん行ってくるから戸締りしっかりするんだぞ」

「相変わらず優しいんだから……」

「なんか言ったか?」

「何も。ここオートロックだから平気よ」

 

 耕作とジェシーはバイクに乗ってテンプルトンホテルへ向かった。夜のアトランタは五輪開催中ということもあって、にぎわっている。特に今日はオリンピック公園でコンサートがあるとかで、プレスセンターからホテルに戻る途中も沢山の歓声が聞こえていた。お国柄だな~と感じながら足早にホテルに戻ったのにまた出ていく羽目になるとは。方向は全く逆で、選手村の横を通りかかったときには思わず見上げてしまった。

 

 

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