「爆発だ!オリンピック公園で何かが爆発した!」
一瞬、青ざめる耕作。だが受話器から聞こえる編集長の声に気が付き我に返る。
「どうした!? 何があった!?」
「近くのオリンピック公園で何かが爆発したようです」
「なんだって!!」
「今日はあそこでコンサートがあって沢山人がいるはずなんです」
「おい、そりゃ本当か?」
「ジェシー……ジェシーがさっきバイクで帰ったんですよ。現像が終わってホテルに戻ってもらって。公園の横を通るはずです」
「嘘だろう。あーなんでこんな時にそんなことが起こるんだよ!」
「とにかくジェシーを探しに行かないと」
「待て! まだ安全が確認できてないだろう。何が原因かわからん以上、まだ爆発する可能性もある」
「しかし!」
耕作が大声を上げると、そっとデスクにコーヒーが置かれた。差し出した人を見るとそこには帰ったはずのジェシーがいた。
「ホテルに戻ったんじゃ……」
「そのつもりだったけど、コーヒー飲むかなって思って。ねえ、爆破って言ってるけど何事?」
不安そうにしているジェシーだったが、耕作は安堵したようで椅子にどさっと腰かけた。
「編集長、ジェシー無事でした。まだプレスセンターにいました」
「そうか……よかった。取材はもう少し待て。警察とか来るだろう。それからでいい。お前は明日の猪熊柔の取材に集中しろ」
「はい……」
「じゃあ、こっちは本阿弥の引退で号外作るから。一旦切るぞ」
「お疲れ様です」
電話を切る。様々な声が耳に入る。その中で一番多いのが「テロ」の言葉。耕作は深いため息と悲しみが押し寄せる。
「何でこんな時にテロなんて」
NYでのテロを思い出す。あの時は地獄絵図だった。けが人も大勢いて悲しみとやるせなさが湧きだす。怒りよりも理解できな人間の行動に恐怖を感じた。
「俺はここに残る。会場にはここからの方が近いから、規制なんかかけられて身動き取れなくなるのも怖いしな」
「じゃあ、あたしも残るわ。止めないでね」
「ああ、明日の試合もジェシーに頼むよ」
「クニコは?」
「野波と行ってもらう。俺たちも柔道の試合が終わり次第、他の取材に行くけどな」
「オッケーよ!絶対いい写真撮るから!」
プレスセンターには休憩室はあっても仮眠室などなく、二人は適当に壁にもたれかかって休んだ。体力は温存しておかないと、何が起こるかわからないから。
◇…*…★…*…◇
翌日、眩しい朝日で目を覚ます柔。同室の滋悟郎はすでに起きていて部屋を出ているようだった。さやかの緊急会見の内容も知らないまま寝てしまったが、誰かに聞けばわかるだろう。柔は顔を洗って着替えると、部屋を出て食堂へ行った。
いつも賑やかな食堂は今日も変わらずだが、何か様子が違う。
「猪熊先輩! おはようございます」
振り返ると鶴亀トラベル柔道部の後輩である千原がいた。彼女も五輪代表選手ですでに銅メダルを獲得していた。
「おはよう。ねえ、昨日のさやかさんの会見の内容って知ってる?」
「ええ、先ほど聞きました。本阿弥さん引退するそうです」
「え!? 引退……」
「何やら家業を継ぐとかなんとか」
「そうね。さやかさんは本阿弥グループがあるのものね。でも……」
あらためて周りを見るとそのことで大騒ぎしているわけではなさそうだった。食堂のテレビが目に入る。五輪のニュースではなく別のことを伝えているようだった。近寄って聞いてみると、柔は言葉を失う。
「なんて言ってるんですか?」
「テロが……」
「え?」
「オリンピック公園で爆弾テロがあってけが人が100人以上いて死者もいると……」
「そんな……オリンピック公園って会場の近くじゃないですか。今日の無差別級大丈夫なんですか」
千原がおろおろしていると、柔は一目散に走りだした。
「先輩、どこへ?」
柔が向かったのは公衆電話だった。耕作が泊っているホテルに電話をした。だが出ない。日本の日刊エヴリーにもかけたが繋がらなかった。テロが起こった時刻が深夜だから大丈夫だと思うけど、さやかの記者会見の時間によってはいてもおかしくない時間だ。
居ても立っても居られない柔は選手村を出てホテルに向かおうとした。
「どこへ行くんぢゃ!」
「おじいちゃん、あのね、公園で……」
「テロのことは知っておる。試合も予定通り行われる。お前は何も心配する必要はない」
「耕作さんと連絡がとれないの」
「なんぢゃと! それでやつが泊ってるホテルに行こうとしたんぢゃな」
「うん。だから……」
「ならん! お前は大切な試合がある。松ちゃんのところへは別のものを向かわせる。お前はしっかり準備をして備えろ」
「でも……」
「でももかかしもないわ。お前にはお前のするべきことがある。松ちゃんとてそれを望んでおるぢゃろう。それに案外会場に行ったらヘラヘラしながら待ってるかもしれん」
「そうね……」
もし何かあったとしたら妻である柔に情報が来ないなんてことはないはずだ。そうだ、前の時とは違う。夫婦になったのだから日刊エヴリーも教えてくれるはずだ。
「わかった……ご飯食べたら準備するわ」
「それでよい。わしはちょっと電話する用事があるから離れるが、一人でフラフラ外に出るなよ」
「うん」
信用するしかない。柔は日の丸を背負って試合に臨まなくてはいけないのだ。
「集中しなきゃ」
◇…*…★…*…◇
選手村から会場まではバスで移動した。その車中で滋悟郎から耕作がホテルにいないことを聞いた。朝食でも食べに出てるのではないかと思われたが、昨日一緒に出て行ったジェシーも帰ってないことも分かった。柔はさらに不安になった。
しかしその不安も長くは続かなかった。会場に入ると、耕作が疲れた顔でジェシーと一緒に姿を見せたのだ。
「おはよう、柔さん。調子はどうだい?」
「調子って……心配したのよ」
今にも泣きそうな柔。そのことに何が何だかわからない様子の耕作。
「おい、松ちゃんよ。どこへ行っておった。ホテルにも帰ってないようぢゃったが」
「昨日はプレスセンターで待機してたんですよ。テロがあったじゃないですか。交通規制とか大会の日程変更とあればすぐに対応したいですから」
「編集部にも電話したんです」
「編集長は知ってただろう。なんで聞かなかったの?」
「繋がらなかったのよ」
「忙しいからな……」
申し訳なさそうにしている耕作に柔は心から安心した。本当なら抱き着いてしまいたかったが、周りの目が多すぎてそれはやめておいた。
「さやかの引退は聞いた?」
「ええ。びっくりしました。でも、納得もしました」
「俺も。今日は彼女の話題と柔さんの話題で持ちきりになるだろうと思ったのに、テロがあったから世界中はそっちを向いちゃったな」
「なんでテロなんか……」
「柔さんは気にすることないさ。テロなんてやるやつの思いなんか考えたって何の役にも立たない。今は試合に集中!!」
「はい!」
気持ちを入れ替えて柔は試合にだけ集中した。無差別級は殆どが重量級の選手で構成される。そのなかで柔は最軽量の選手だろう。疲労も大きくなる。できるだけ体力は温存しておきたい。
試合が始まる前、会場には羽衣率いる鶴亀トラベルの「柔応援ツアー」の団体が観客席に着いた。近くにはNY支店の仲間の何人か姿が見えた。
そして各国の選手や関係者も柔の試合を見ようと集まっていた。ラスティの姿も見えた。書籍の出版に協力してくれた松平もスミスも来ていた。
そしてレオナルドはデイビットとしてイーサンとモーリス、そしてロイドとグレンはアリシアの応援のために昨日から来てくれていた。
もちろんジョディの姿もあり、とても心強かった。富士子がいない五輪は不安もあったけど、これだけ応援してくれる人がいることが力になる。
無差別級の試合は大歓声の中始まった。柔の初戦の相手は韓国のジアン、二回戦のメキシコのガブリエラ、三回戦のロシアのヴェロニカまでは難なく開始数秒で一本勝ちした。
「柔!」
通路を歩いていた柔に声をかけた来たのは、父・虎滋郎だった。
「あ、お父さん。アトランタにいたのね」
「アリシアのコーチだからな。ところで準決勝のフランスのルイーズには気を付けろ」
「どういうこと?」
「彼女はお前が無差別級代表に決まったときからおそらくマルソーを柔に見立ててトレーニングをしてきたはずだ。それに俺がコーチをしていたころから、力だけじゃない柔道をしていた選手だ。素早さや肉体の鍛え方が異常だった。前回大会ではまだ頭角は現してなかったが、近年は目覚ましい成長を見せている。油断するなよ」
「はい!」