虎滋郎の言葉もあり柔はさらに気合が入る。そんな時、会場から大きな歓声が聞こえた。前回のバルセロナの時と同じように、IOCのタマランチ会長とさやかが揃って会場に入ってきたのだ。
「相変わらずの目立ちたがりだ」
耕作がそう言うと、隣にいたジェシーはカメラを向けて一枚。
「最後かもしれないじゃない」
「そうかな~」
元来目立ちたがりのさやかはきっと柔道界を退いても何か別の手段で目立つことをするに違いない。あれは生きるためのエネルギーなのだと耕作は理解している。
準決勝が始まる。姿を見せた柔に歓声が上がる。
「いけー柔さーん!!」
聞こえないと思っていたがいつも柔は振り向いてくれる。
「すごい聴覚よね。ヤワラって」
「びっくりするよ」
試合開始直後、ルイーズは慎重な姿勢を見せた。力任せに突進していっては思うつぼだ。まずは組手争いでいい位置をとる。そして慌てずに技をかける。そう考えていた。しかし、柔はそんなに悠長に待ってはいない。大きな選手とも戦いなれている。わずかな隙間を狙って技を仕掛け、一本勝ちした。
ルイーズは声も出ないほど驚いて、畳から起き上がれない。
「大丈夫ですか?」
英語で問い掛ける柔に、ルイーズは目をぱちくりさせて起き上がる。
これで決勝進出が決まった。対戦相手はもちろんカナダのクリスティンだ。彼女とはジョディの結婚式の余興で対戦したことがある。あの時は柔の方が格段に強かったが今はどうかわからない。柔とジョディの試合以降、女子柔道のレベルは上がった。目標ができたからだろう。
決勝の前、かなり時間が空いていたので柔は人気の少ない場所へ行って富士子から借りていたカセットを聞いた。くるみ割り人形は昨日の夜も聞いてそのまま眠ってしまっていた。曲でリラックスできるというよりは、富士子がそばにいるような気がして気が休まるのだ。
「柔さん!」
「耕作さん!」
やはり柔の耳は耕作の声をどんな雑踏にいても聞き分けられるだけあって、音楽を聴いていてもわかった。
「いよいよ決勝だね。緊張してないかい?」
「してるような、してないような。わからないの」
「それはきっとしてないな。今回もカナダ代表だな。クリスティンも強い。油断するなよ」
「ええ、わかってるわ」
柔は辺りを見渡す。見たところ日本人も知ってる人もいなさそうだ。
「耕作さん……」
ちょっとだけ寄り添ってみる。
「おわ! どうしたの? こんなところで珍しい」
「いいじゃない。昨日会えると思ったのに会えなかったし、今朝もすごく心配したし」
「ごめん。でもほら、今日はこうやって君だけのために俺は来てるわけで」
「取材でしょ。お仕事だものね」
「まあ……」
「ねえ、今日試合が終わったらホテルで待ってるから」
「ああ、そのことだけど俺いつ部屋に戻れるかわかんないぞ。記事書いて送ってOKもらわないといけないし」
「いいの、待ってる」
「でも、危ないだろう」
「大丈夫よ。タクシー使うわ」
「ならいいけど。いやタクシーも危ないか」
「じゃあ、走っていく。ダメ?」
また甘えた声で上目遣いをする。確信犯だとわかっていながら逆らえない。
「わかった。気を付けてきてくれよ。鍵渡しておくから入って待ってて」
鞄からホテルの鍵を出すと柔に渡した。
「なくしたらおしまいだぞ。俺も入れない」
「誰かと相部屋じゃないの?」
「そのつもりだったんだけど、3部屋取って俺と野波が相部屋の予定だったんだがどういうわけか、加賀くんとジェシーが意気投合して一緒の部屋になっちまって」
「大丈夫なのかしら?」
「ああ、ジェシーは加賀くんのこと仲間とかそんな風に見てるらしい。それにカメラマン同士話も合うんじゃないか。だから俺と野波は一人で部屋を使えるってわけ」
「邦子さんって英語話せたかしら?」
「いや、でもジェシーが日本語そこそこ話せるようになったから。それに仕事で帰ってきてシャワー浴びて寝るだけだから支障はないんじゃないのか。一週間経ってるけど部屋を代わってくれって言われないしな」
「それならいいの。じゃあ、試合後会いに行くから」
「その前に決勝頑張れよ」
「もちろん!」
随分機嫌がいい柔。時間になったので会場に入る。この時にはいつもの真剣な眼差しに戻っていた。
大歓声の中、無差別級決勝戦が始まった。クリスティンは最重量級の選手ではないが、柔よりも20kg以上も重い選手だ。背も高くジョディの時とは違った威圧感がある。
「はじめ!」
合図とともにお互い組み合う。しかし長くは組み合えないので、先にクリスティンが仕掛ける。しかし柔は素早い反応でかわし、逆に仕掛けてみたが不発に終わった。
その後も技の応酬となったが決定打には至らず。お互い息を切らせて向き合った。残り30秒のところで、柔は一瞬の隙を付いて背負いそれをこらえたクリスティンだったが、左一本背負いで返し一本をとり試合終了した。
「はあ、はあ……やっぱり強いなヤワラ」
「クリスティンさんも、強かったです」
相変わらず、気持ちのいい投げっぷりに会場に来ていた観客からは大歓声が送られ、IOCのタマランチ会長もご満悦の様子だった。
表彰式に登場した柔に再び盛大な拍手と歓声が送られ、偉業達成の喜びに日本国民は感動に包まれた。
そして例にもれず、柔も試合後は各メディアの出演が続きそのほとんどが滋悟郎の独壇場ではあったがいないわけにはいかないので、笑顔だけ見せて座っていた。
解放されたのは午後10時を過ぎていた。滋悟郎は祝勝会と言って日本選手団の監督たちと食事に出かけたが、柔は早々に引き上げて一旦選手村に帰った。
「早く行かなきゃ」