YAWARA!~2020 LOVE/WISH   作:いろいと

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いつもそこに君がいた
vol.1 全日本実業柔道団体対抗大会


 5月のGWを終え、旅行代理店は少しだけ息をつくことが出来る。それも束の間ですぐに夏休みに旅行に行くための予約が入るようになる。だが、不景気となった今はどの時期も昨年よりも売り上げは悪い。景気が悪くなれば、旅行に行く人は減る。だけどどうにかお客様を獲得するために、鶴亀トラベルは手を打った。

 

「本当にいいのかい?」

 

 羽衣が不安そうに言うが、柔はあっけらかんとした表情でいる。

 

「仕事ですよね。あたしが柔道の試合するのは仕事ですから」

「でも、実業団の団体戦だよ」

「いいじゃないですか。その方が、皆のやる気も上がると思いますよ」

 

 柔は道場に稽古している部員たちを見た。柔に憧れて、柔と一緒に柔道がしたくて鶴亀トラベルに入ってきた子たちだ。一時期は柔が柔道から離れていたために不安にさせたが、バルセロナ五輪での見事な金メダルに部員たちも奮起し、ますます稽古に励むようになった。

 

「せっかくそういう大会があるなら出るべきですよ」

「猪熊くん、君も出るんだぞ」

「それが何か?」

「いや~いいのかなって思って。君を宣伝に使うみたいで、おじい様に怒られないかと……」

「そんな心配いりませんよ。あたしは鶴亀トラベルの社員ですし、CMに出るわけでもないんですから。ここで一緒に稽古した皆と試合に出られるのなら、あたしは全然かまいませんよ」

「そうか。じゃあ、頼む」

「はい。羽衣課長」

 

 羽衣は春に課長に昇進した。家も引っ越して順風満帆だったが、相変わらず自信なく何となく仕事をしているようだが、柔道だけはしっかり見ている。だから今回の実業団試合は社長命令で柔が出るべき試合ではないと知りながらも、仕方なく話に行ったら案外すんなり了承してくれた。万が一、断られたらどうしようかと思ったが心配いらなかった。

 

「今更、出ませんって言われてももうエントリーしちゃったからどうしようもなかったんだけど……」

 

 ぶつぶつ言いながら、廊下を歩く。道場からは気合の入った声が聞こえ、肩を撫で下ろした。

 

◇…*…★…*…◇

 

 

 5月下旬。全日本実業女子柔道団体対抗試合が兵庫県の尼崎市で開催された。鶴亀トラベルの部員たちと羽衣、そして名誉顧問である滋悟郎も当然同行した。東京から離れていることなどから前日の夜には神戸の方に宿泊していた。

 

「尼崎の名物はなんぢゃ?」

 

 駅に迎えに来た兵庫支店の社員に遠慮なく聞く。ここからは車で移動する。

 

「もーおじいちゃん、いきなり失礼でしょ」

「何が失礼ぢゃ。わざわざ来たんだ。うまいもんでも食わんと帰れんぞ」

 

 いつも通りの滋悟郎で柔は顔を赤らめる。今日は柔道部の皆も一緒に来ていて、いつもの調子だと分かっていても恥ずかしい。それでなくても、昨晩は中華街でとんでもない量の食事をしたという。柔は、減量中なので夕食には同行しないで、ホテルに籠っていた。

 名物の食事は試合後のお楽しみとなり、まずは会場入りした。大きな体育館には畳が敷いてあり、お客さんも沢山入っていてざわついていた。

 

「結構、賑わってますね」

 

 柔の後輩で52kg以下級の千原がそう言うと、突如現れたスーツを着た白髪交じりの男性が返事をした。

 

「今年は特に多いですよ。それも猪熊さんのお陰です」

「あの……」

「はじめまして。私、全日本実業柔道連盟会長の三橋といいます」

「会長さんでしたか。失礼しました」

「いや、こちらこそいきなり声を掛けて申し訳ない。この賑わいは猪熊さんのお陰だというのを是非ともお知らせしたくて、ついご挨拶もなしに声を掛けてしまいました」

「あたしはまだ何もしてないですが……」

「何を言ってるんですか。あなたがここに来たというだけで、大盛り上がりですよ。金メダリストで国民栄誉賞受賞者ですから」

「はあ……」

 

 そんなこと言われても……と思いながら曖昧な返事しか出来ない。柔は相変わらず自分の人気には無頓着だ。

 実業団対抗の柔道団体戦は様々な業種の柔道部が参加し、日本一を決める。試合は勝ち抜き戦ではなく点取り試合だ。以前、柔が鶴亀トラベルに入社できるかどうかを賭けた試合もフランスチームとの点取り試合だった。あの時は、耕作が滋悟郎の策略にはまり格上のチームをわざわざ連れてきて、大ヒンシュクを買った。皆が耕作を責める中、柔は一言も責めることはなかった。

 

「おい、柔なにをボーっとしとるんぢゃ」

「あ、ごめんなさい」

 

◇…*…★…*…◇

 

 計量が終わると開会式そして試合といつもの個人戦とは違い、仲間と一緒に柔道をするのを柔はとても好きだった。自分の勝ち負けにはあまり興味がないが、頑張って稽古をしてきて皆が一生懸命試合をして勝つのは金メダルを取るより嬉しいのだ。

 昼休憩の時、柔は思わぬ人と出くわした。

 

「ヤワラ」

 

 頭の上から聞こえた声に柔は振り返る。

 

「テレシコワさん!」

 

 相変わらず表情のない彼女だが、薄く笑った気がした。

 

「久しぶり。いい、試合だった」

「どうしてここにいるんですか?」

「オリンピックの後、日本企業が柔道部のコーチとしてまた声をかけてくれた」

「じゃあ、テレシコワさんのチームも出てるんですか?」

「ああ、たぶん決勝であたる」

「そうですか。手ごわいですね……。フルシチョワさんもご一緒ですか?」

「フルシチョワは別の国に行った。日本、景気悪くなって二人は無理だといわれた」

「寂しいですね……」

「おお、なんぢゃ、テレちゃんぢゃないか」

 

 滋悟郎がお菓子を抱えて声を掛けた。

 

「おまえさん、やっぱり日本に来ておったのか」

「はい……お世話になりました」

「どういうこと?」

「わしゃ、なんもしとらん。テレちゃんが強いから声が掛かっただけぢゃ。さあ、午後も試合があるぞ」

 

 滋悟郎は去って行った。

 

「先生が私を日本企業に紹介してくれた。それで就職できた」

「おじいちゃんが……」

「お世話になったのに、あいさつも行けなくてすまない」

「暮らしに慣れるまで大変だもの。おじいちゃんだって気にしてないわ」

「それならいいが」

 

 テレシコワの暗い表情が少し明るくなった。

 

「じゃあ、あたし行きますね」

 

 柔は部員たちがいる所へ戻って行った。選手として引退をしたテレシコワだが、コーチとして選手を鍛え柔を倒すことを目標に今後は力を注ぐと決めた。柔はまだ若い。現役選手でいる期間もまだある。いつかチャンスはある。

 午後の試合ではテレシコワの言った通り、鶴亀トラベルとオオマツ重機が決勝でぶつかった。柔以外の選手の力量は差がないと思えたが、滋悟郎指導の猪熊柔道の精神を持っている鶴亀トラベルに今年は軍配が上がった。

 部員たちは大いに喜び、マスコミも例年以上に押し寄せ取り上げた。そこにはもちろん日刊エヴリーも来ていて、邦子も新人の野波の姿があったが柔と個人的に接触はなかった。

 

 

 

 

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