「隣いいですか?」
「ん?」
柔は耕作の隣に寝ころんだ。そして思ったより距離が近くて、思ったより恥ずかしいことに気づいた柔は顔を赤くする。
「空青いなー」
「そう……ですね」
「柔さんは東京生まれで東京育ちだからこんな景色あんまり見たことないよな」
「はい。こんな風に土の上に寝ころんだこともあまりないです」
「虫とか苦手そうだもんな」
「得意ではないです。蝶々やテントウムシ、カタツムリくらいなら平気ですけど」
「蜘蛛やムカデはもちろんダメか?」
「あんなの平気な人っているんですか?」
「いるよ。俺は結構そっちの人間。ムカデは危ないから追い出すけど」
「あたしは絶対に無理ですから、もし出たら追い払ってくださいね」
「おーまかせとけ」
頼もしいんだかわからない返事だった。でも、虫は気持ち悪い。何かあったら頼る以外ない。
「フランスでカタツムリ食ったか?」
「え? ええ……」
このタイミングで聞かれると何が複雑だった。
「玉緒さんと春に行ったんだろう?」
「はい。エッフェル塔を見たりシャンゼリゼを歩いたりしましたよ。エスカルゴ以外にもフォアグラとかなんだかよくわからないけど、おいしいもの沢山食べました」
「親子水入らず、いい時間が過ごせたんだな」
「はい。おじいちゃんは留守番でしたけど」
バルセロナ五輪の48kg以下級決勝戦の後、柔のもとに虎滋郎が姿を現した。17年ぶりの再会は思いがけないものだった。その時に、家族三人でカタツムリを食べようと虎滋郎と約束をしたのだ。
「松田さんはご実家に帰ってますか?」
「俺は日本にいたころは取材で山形に行けば顔を出してたけど、正月も特には帰省しないしな。一昨年に帰ったきりかな」
「そんなに帰ってないんですか?」
「息子ってのはこんなもんだろう。仕事もあるし、別に用事もないのに帰らないよ。結婚でもして子供がいれば別だろうけど」
いつか柔を連れて行けたらと、そんな風に思うことはある。きっとまだ先の話になりそうだが。
「ところで柔さん」
「はい?」
「君の体に虫がいるけどそれは平気なのかい?」
柔の体はまるで石のように固まる。そして視線を向けると、そこには足が長くて細い謎の虫が這っていた。
「きゃー!!」
柔は起き上がると思わず耕作の上に乗ってしまう。
「取ってください! こんな気持ち悪いの早く取ってください!」
「落ち着け。動くなよ」
胸元にいる虫を耕作は慎重につまむとポイっと放った。
「はー、よかっ……」
安心していると、視線の下にいる耕作と目が合う。そしてまた体が固まる。
「あの……ごめんなさい。つい、思わずこんなところに」
「いや、仕方ないよ。怖かったんだろう」
「でも……」
「二人とも、こんなとこにいただわさ」
ジョディの声が突如聞こえた。柔は耕作から離れたが、ジョディは見逃していなかった。
「お邪魔だっただわね」
「そんなこと……」
「離れ離れの二人。距離詰めるのここしかないね」
「そんなんじゃないってば」
「ランニングに行ってここで受け身の練習してたんだよな」
「そんな風には見えなかっただわね」
「休憩してたのよ。そしたら虫があたしの体を這ってきて。それで怖くて」
「虫? それってマツダのて……」
「ジョディ! そこらへんにしてくれよ。柔さん困ってるだろう」
「ごめんヤワラ」
「いいの。大丈夫。何も言わずに出かけたあたしも悪いし」
二人は立ち上がると砂を払った。
「ジョディはあたしたちを探しに来てくれたの?」
「そうね。朝ご飯出来てるだわさ。早く来るね」
ロッジに戻る途中、ふと湖を見るともう霧は残っていなかった。