長方形の大きなテーブルには4つ椅子があり4人はそれぞれ座った。ルネがコーヒーを淹れてくれていたので、ゆっくり話が出来そうだ。
「実はルネには昨日の夜に相談したんだ。だからこれから話すことは知ってるからジョディは無理に通訳しなくても大丈夫」
「OK。必要なら通訳するね」
「すまない」
耕作は不安そうにしている柔を見つめる。
「俺は記者だ。記事を書くことしか出来ない。その中で柔さんのことは誰よりも取材してきたし、誰よりもそばで見て来たからきっとよくわかってると思ってる。もちろん全部じゃないが」
柔は静かに聞いている。
「NYに行ってからちょっとずつ書いていたものがある。柔さんのことをまとめた記事と言うか記録があって、それを本にしたいと考えてる」
「本ですか? 新聞に載せるのではなく?」
「そう。1冊のノンフィクションの書籍として世に出したいと思ってる」
「なぜですか?」
「理由はいくつかある。まず、NYで出会った人は俺が日本人だと知ると、君のことを聞いてくる。『ヤワラ・イノクマを知っているか?』と。そして彼らは君のことを魔術師か何かだと思っているようで、どんなことをして自分の倍はありそうな人間を投げられるのかと問うんだ。俺はその質問の度に柔道とは何かと言うことを説明する。柔さんがどれだけの稽古をしてきたのかを。でも、彼らは理解しない。力以外で人を投げることなどありえないと思っているから」
「だったら柔道を教えたらいいだわさ」
「そうだな。でも、彼らは柔道をしたいわけでも知りたいわけでもない。ただ『ヤワラ・イノクマ』という小柄な女性がどんなことをしてあんな技を出せるのか、そしてそこに至るストーリーを知りたいんだと思う。柔さんのプライベートなことは海外では報道されない。日本国内でも興味本位な記事は出るが、それが真実かどうかはあやふやで日本人でさえも知らないことが多い」
「あたし、あまり話しませんからね」
滋悟郎が前に出て話すので柔は相槌を打つか、当たり障りのないことくらいしか言わない。インタビューもあまり答えない。これは柔の性分かもしれない。自分のことを語るのは苦手なのだ。
「それで俺は柔さんが国民栄誉賞を取ったのをいい区切りと思って、出会った時から受賞までをまとめたんだ」
それ以外にも、恋人同士となって別の一面が見える前に記者と選手と言う関係であったころのことをまとめたいと思った。特別な感情が文章に滲み出る前に。
「俺が知っている柔さんの苦悩や葛藤、喜びや怒りなんかを残しておきたくて最初は本当に趣味みたいなもので、誰かに見せようとは思ってなかったんだ。でも、書いてるうちに勿体ないなと思った。柔さんのことを普通の人じゃない選ばれた特別な人だと思ってる人は多い。俺だって未だにそう思う。でも、だからと言って何も考えずに、悩まずに柔道してきたわけじゃないってことを知ってもらいたかった。テレビの向こう側にいる別世界の人ではなくて、同じ世界にいる同じ人間なんだってことを」
柔は何も言わない。悩んでいるのか怒っているのかさえ不明な表情。
「ヤワラを利用する気だわね。本を売ってお金稼ぐつもり」
ジョディの強い言葉に柔は直ぐに否定しようとした。そんなことじゃない、と。
「そうだ。俺はいつも柔さんを利用してる。自分が書きたい記事のために嫌がる彼女に柔道をさせた。俺はそれを分かっていたし、卑怯だと思っていた。それでも俺は俺の夢のために、きれいごとを並べては柔さんを説得して柔道をさせた。俺は酷い男だ。自覚している」
「マツダ! 見損なったね。あんなに応援してたのも、ユーゴスラビアまで駆け付けたのも、全部、記事が書きたいからだわね? 夢のためだわね?」
「そうだ。その通りだ。今回の本のこともそう捉えて貰っても構わない。でも、俺は柔さんを傷つけたいわけじゃない。だから……」
「……う……そんなの……」
「ヤワラ?」