「……う……そんなの……」
「ヤワラ?」
「どうしてそんな言い方するんですか?」
柔の声は震えていた。
「松田さんが記事のためにあたしを追いかけていたことなんてわかっていました。それで何度もあたしはがっかりしましたから。でも、松田さんが自分の夢のためというのなら、何であたしが嫌がるような記事は書かないんですか? スター性がなくなるからですか? 違いますよね。あたしのことを思ってくれたんですよね。記事だってとてもいい記事でした。人に勇気を与えるような記事です。それだって自分の夢だけで書けるものじゃないと思うんです」
「でも、俺はいつも無理矢理君に柔道を……」
「思い出してください。デビュー戦の時、松田さんあたしに言ったんですよ。『わざと負けるんだ』って。あたしの境遇や思いを知ってそんなこと言ってくれたじゃないですか。もしあの時、ああ言ってくれなかったらあたしは松田さんを信用することはなかったです。記者として仕事を放棄しても、自分の夢を捨ててもそう言った松田さんをあたしは信じてますから」
耕作が敢て自分のすることを美化せず、わざと責められるように言ったのかを柔は理解していた。断る口実を与えたのだ。柔は今朝、耕作の背中を押した。その事もあって言い出したのだが、もし書籍化なんてことを嫌だと思っていても断りにくくなってしまう。汚い部分も知って貰うことで決断して欲しかったということを柔は分かっていた。
「あたしのこと、本にしてください」
「いいのかい? 虎滋郎さんのことも書くことになる。それでも構わないのか?」
「あたしに出さないでって言って欲しいんですか? でも、あたしは言いませんよ。それに日本では何度もあたしのことを本にしたいって言う依頼があったんです。子供向けの本は許可しましたが、大人が読む伝記のようなものはお断りしていました」
「どうして?」
「あたしのことを一番分かっている人がいるのに、その人は文章も書けるのに他の誰かに書いてもらう理由がないじゃないですか」
「はなから俺に期待してたのか?」
「期待と言うか、書きたいと言われれば断らないということです。松田さん以外の人にはあたしのことを書く権利はありませんよ」
にこりと笑う柔に耕作は赤面して俯く。
「なんだ心配したね。ヤワラはマツダの思いをしっかり理解してたんだわね」
「ジョディこそ、急にあんなこと言うから驚いたわ。松田さんと口裏でも合わせていたの?」
「NO! マツダ関係ない。ルネに聞いたね。もしそう言う話出たら、ヤワラ断れない。でも、後悔して欲しくないから悪いこと言った。マツダ、ごめん」
「いや、助かったよ。ジョディも色々あったんだろう。ルネが守ってくれてるみたいだけど」
「そうね。だから言ったね。ヤワラはもっと自分を理解しないとダメね。自分がどれだけの価値があって、お金が動くということを」
「そんなことは……」
「メダリストにはいろんな人が近寄ってくる。いい人も悪い人も。ヤワラの周りみんないい人。それは奇跡だわね。利用しようとする人、大勢やってくる。利用されてお金を取られることもある。信用してた人も裏切る。気を付けないとダメね」
「ジョディの言うことは正しい。日本で君の本を書きたいと言った人は、心から柔道を理解し柔さんのことを知りたいと思った人かわからない。でも、確実にお金になるから話を持ってきた可能性はある。少しでも疑ったりしたかい?」
書籍のことに関しては疑ってもいなかった。メダリストや国民栄誉賞をいただいた責任からインタビューには答えていて、雑誌や新聞に載ることはあった。その流れで頼まれては断っていたのだ。裏でお金が動くことを考えもしなかった。
「あたし、警戒心薄いのかしら?」
「そう思うよ。俺は滋悟郎さんがいてくれて安心してるんだ。鼻がきくからな、柔さんにとって不利益になりそうなことは避けてくれる」
「そうかしら?」
「柔道以外と付け足しておくか。でも、実際君に知られる前に処理してくれたものは多いと思うぞ」
耕作はその筆頭に「風祭」のことを考えていた。滋悟郎が程よく圧力をかけていたことで、あの女たらしの風祭が柔には手を出さずにいたのだ。それこそ奇跡に近い。だが、不意に思う。風祭は本当に柔に手を出していないのだろうか……。
変な妄想を振り払い、耕作はバッグから茶封筒を取り出した。
「それは?」